切望
シリウスは手にした書類に目を通し、頬杖をついて思案気に顔を曇らせている。
「シリウス。さっきから、何難しそうな顔をしているの?」
シリウスの首に白い腕を絡ませ、背後から抱きつく女の正体はメアリーだった。極上の美女にこんな事をされれば大抵の男は鼻の下を伸ばすことだろう。だが、シリウスはメアリーに見向きもせずにぱらり、と次のページを捲る。メアリーは眉を顰めて、サッとシリウスからそれを奪い取ると、
「ふうん。何よ。これ。リステア村の資料?…こんなの、いらないわ。」
「船長。」
そう言って、火にくべてしまう彼女にシリウスは咎める様な視線を向ける。
「あんな地図から消えた村なんかどうだっていいでしょう。あそこって、海賊に襲われて村人が全滅した村でしょう?そんな村に何があるというの?」
「…古代語の書物がそこに封印されているという噂を耳にした。それについて、調べていただけだ。」
「あら、そうだったの?」
「確証はない。ただのデマだという可能性がある。その為にももう少し調べる必要がある。」
「ごめんね。シリウス。私、そんな事知らなくて…、だってあなたったら全然あたしに構ってくれないんだもの。」
「…悪かった。船長。ただ、あなたの願いを叶えるために気が急いていたみたいだ。」
「ううん。いいのよ。あなたのそういう忠義に厚い所が好きよ。」
そんな会話をして、シリウスは船長室を後にした。リステア村…、それはイリスのかつての故郷だった。海賊に襲われ、最早住民がいない村は荒れ果て、今では誰も住んでいない。海賊に村を全滅させられた村は不吉を呼ぶと言われ、呪われた村と称され、やがては誰も寄り付かなくなった。実質上、地図から消えた村である。その村の唯一の生き残りがイリスだった。それ以外は全員の死亡が確認されている。唯一人、イリスの姉の遺体だけは発見されていない。そして、調べて分かったことがある。あの村に魔力のある人間はいなかった。そうなると、一つの事実が浮き彫りになる。イリスのあの魔法に対する肯定的な態度から察するにもしや…、
「よお!シリウスう。」
突然、ズシリ、と肩に重みを感じる。顔を顰めて見れば酒臭い息を放つグレンがいた。
「昼間から、何してる。」
「相変わらず、堅い奴だな。俺達は海賊だぜえ?好きに飲んで食べて楽しく過ごす。それが海賊だ!」
「…見事なまでに自堕落な人間の言葉だな。」
「ノリが悪い奴だなあ。お前も飲め飲め!」
「結構だ。」
「何だよ。アレンはすぐに乗ってくれたぜ。少しはお前も見習って…、」
「アレン?グレン。お前…、まさかアレンに?」
「ああ。いい酒が手に入ったから、アレンも誘ってやったんだよ。けど、あいつってばまだ一杯も飲んでねえのにフラフラになっちまってさ。しかも、何でか泣きそうな顔で…、」
「何をした?」
「睨むなよ!あんな男相手にどうこうしようとする気はねえよ。デリックじゃあるまいし!これが美女相手だったら話は別だが…、」
「もう一度聞く。一体、何をしたんだ?」
「何もしてねえよ!ただアレンが姉を捜しているって聞いたからあいつの姉ならそれなりにいい女なんじゃないかって興味本位で聞いただけだ。この船に赤髪の女が乗ってたって話を詳しく聞いてきたから教えてやったんだよ。ほら、お前も覚えてるだろ?赤い髪の魔力持ちの女だよ。魔力が暴走して危うく船を沈みかけたあの…、って、おい!」
最後まで聞かずにシリウスはすぐさま自分の部屋に戻った。
「ふ…、う…、ヒック…、お姉ちゃん…。お姉ちゃん…。」
イリスは部屋の片隅で床に座り込み、泣きじゃくっていた。赤髪で魔力のある女性なんてそうそういる訳がない。最後の希望だったのに…。それも無駄だった。悲しくて、悔しくて…、涙が止まらなかった。
「会いたい…。会いたいよ…。お姉ちゃん…。」
でも、それは叶わない。イリスはもう諦めるしかないのかと項垂れた。その時、突然扉が開かれた。思わず顔を上げて扉を見ると、
「…イリス…。」
シリウスが立っていた。イリスは思わず下を向いて泣き顔を隠した。今は彼に顔を見られたくなかった。そんなイリスにシリウスは近づくと、
「グレンから事情は聞いた。知ってしまったんだな。」
「きっと、もう…、無理なんです。」
イリスは俯いたまま弱弱しくぽつりと呟いた。
「初めから…、希望なんてなかったんです。きっと…。姉が生きているなんてそんな可能性何処にもないのに…。」
ぽたぽたとまた涙が溢れる。
「ここが…、唯一の姉の手がかりだったのに…。それすらもなくなっては…、もうどうすればいいのか分からない…。」
シリウスは黙ったままイリスの話を聞いた。
「罰、なのかなあ…。」
イリスの乾いた声にシリウスが「罰?」と訊ねた。
「私…、最後、姉に酷いことを言ったんです。とても、実の姉に向けるとは思えない酷い言葉を…、」
イリスの肩が震える。思い出すのは姉の傷ついた表情だった。強気で口が達者な姉は一言もイリスに言い返さなかった。
「姉を突き飛ばして、おまけに暴力まで振るって…、挙句の果てには大嫌いって…、言ったんです。それなのに、姉は海賊に捕まりそうだった私を守ってくれて…、私を逃がす為に自分が捕まって…、なのに、私…、姉を見捨てて逃げたんです!」
イリスは手で顔を覆った。ずっと苛まれていた罪悪感に押しつぶされそうになる。
「姉じゃなくて、私が捕まればよかった!そうすれば、そうすれば姉が海賊に攫われることもなかったのに…、あんなに勇敢で優しい姉が殺されて、卑怯な私が生き延びて…!これが罰だというのなら…、いっそのこと姉と一緒に…!」
不意にイリスは何かに包まれた。久々に感じる人の温もり…。イリスはシリウスに抱き締められていた。
「シリ、ウス様…?」
「お前と姉の間に何があったのかは詳しく知らない。だが、お前は理由もなく、人を罵ったりする女じゃない。何か理由があったのだろう?あまり自分を責めるな。俺の勝手な憶測だがそのお前の姉は自分を責めるお前を見たら悲しむだろう。俺には…、何となく分かる気がする。姉はお前を命に代えても守りたかったんだろう。…泣きたければ泣け。ここには誰もいない。」
シリウスの言葉にイリスの涙は崩壊した。
「う、あ…、あああああああ!お姉、ちゃん!お、姉ちゃん…!」
泣きじゃくるイリスはシリウスにしがみついて号泣した。
「フッ、ウッ…!会い、たい…!会い、たいよ…!お姉ちゃん!あなたに会いたい!会って謝りたい!あ、あんなの嘘なの!大嫌い何て…!嘘だったの…!」
まるで姉に対する懺悔をするかのようにイリスは叫んだ。
「あ、あ…!好き…!大好き…!お姉ちゃんの事…、嫌いになんてなる筈がない!そんなの、絶対にありえない!ああ…!お姉ちゃん、ごめん。ごめんね…!酷い事言ったりして…、ごめんなさい…。」
ヒックヒックと嗚咽交じりに泣いてシリウスの服の裾を掴んで泣きじゃくるイリスはまるで幼い子供の様だった。そんなイリスをシリウスは黙ったまま抱き締めてくれた。
泣き疲れて寝てしまったイリスをベッドに寝かせてシリウスはそっとその頬に触れる。以前よりも痩せた気がする。心労が身体に現れているのだろう。…そこまで追い詰めたのは紛れもない自分だが。自分が思っていた以上にイリスは姉に対する強い思いがあった。寝ている時でさえ姉の名を呼び、普段は自分の意見を言わないイリスが姉の手がかりを見つけたいと願い、姉に会いたいと泣き叫ぶイリスの姿…。どれもがシリウスの心を揺さぶり、彼を責め立てる。そっとイリスの手を見る。白いほっそりとした手…。手入れのされた傷のない綺麗な手だ。戦い方を知らない平和な日常を送ってきたであろう陽の光を当たることが許された人間の手。人が殺し合う姿を見て、恐れ戦き気絶したほどだ。争いとは無縁の生活を送ってきた普通の女…。シリウスはギュッとその手を握り締める。認めるしかなかった。イリスは何も嘘偽りは言っていないのだと。彼女は本当に純粋に姉を捜しだす為だけに危険を顧みずにここまで来たのだと。




