絶ち切った運命で二人
これで二人のお話は終わりです。
サブタイトルを少し変えました。
王家の思惑など何も知らないリリスは、ひっそりとこの恋を諦めるにはどうしたものかと、研究の合間に考えていた。
1番良いのは物理的に離れてしまうことではないだろうか。
そして、人の輪に混じって次の人を探すのだ。
恋はいつか薄れるもので、人は何度でも恋ができるとリリスも知っていた。
ただ、こびりついた記憶の中の自分は、愛する人を目の前で失っているからこそ、それが難しかっただけの事だろう。と、分析し、それならば可能性はいくらでもあると思ったのだ。
「今の季節、旅って向かないですかね。」
研究の途中経過を報告しに、老師のもとを訪れたリリスはなんの前触れもなくぽつりとそんなことを口にした。報告書を読み込んでいた老師は、一拍遅れてバサバサと紙束を床にばらまく。
「老師!?報告書が」
目の前でバサバサと舞い落ちていく報告書に慌てるリリス。
だが、老師の脳内はそれどころではなく、報告書を持っていた姿勢で固まり、呆然とリリスを見ている。
「り、リリス」
「なんですか?あぁ、動かないでください。報告書が」
「いや、それはいい。それどころじゃない。」
「いえいえ、老師。それどころなんですってば。」
慌てて紙をかき集め、順番をまとめ直そうとするリリス。その目の前で、老師はやっと体を動かしたと思えば、そのリリスの手首をがしっとつかんだ。
再度、散らばる報告書達。
「ああ…ほうこくしょ…」
かわいそうな報告書達。それらは拾われることなく、リリスの手首をつかんで歩き出した老師に蹴散らされた。
「老師?」
意味がわからないリリスは老師に声をかけるが、老師は黙って足早にどこかへ向かう。
どこへ向かっているのか、なぜ老師がそんなに慌てているのか、皆目見当もつかないリリスは、あまりにも早い歩調に半ば駆け足になりながら懸命についていくことしかできなかった。
ずんずんと進んで行く先の廊下がよく知った場所だとリリスが気づいた時には、目的地である扉を老子が荒々しく叩いていた。
返事も待たずに開かれる扉。
「殿下!」
「なっ!?」
「ろ、老師!不敬ですぞ!」
その勢いに反応が間に合わなかった廊下の騎士はぽかんとそれを見送ってしまい、バタンと開かれた扉の中にいた部屋の主は驚きに二の句が出てこず、辛うじて仕事の補佐をしていた文官が注意を発した。
だが、次の瞬間、全員が別の意味で慌てることになった。
「殿下、リリスが旅に出ると言い出しました!」
「は!?」
「なんと!」
「ど、どういうことですか!?」
リリスは胸中で、まだ言ってない。と、呟きながら、あわてふためきおろおろとする周囲の様子に圧倒される。
なぜ周囲が蜂の巣をつついたような騒ぎになるのか、リリスには見当もつかない。
困った顔で周囲をキョロキョロと見渡していると、突然ダンッと、大きな音がしてリリスは肩をはねさせた。驚き、音のした方を見れば、執務机でペンを持っていたはずの部屋の主が机の上に手のひらを置いた姿勢でニコリと微笑んだ。
それは、どれくらいぶりかにようやく会えたイシスであった。
周囲は静けさを取り戻し、笑顔の圧を感じ、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
「全員、部屋からでて。それから誰も入れないでくれるかな。」
机をすごい勢いで叩いた直後とは思えない優しい声。そんなイシスにリリス以外の全員が背筋を凍らせ、脱兎のごとく部屋から出ていく。
その背中を見送って、ポカンとしていたリリスは、イシスがすぐ傍らに来たことにも気づかなかった。
「リリィ」
優しい声が耳元で聞こえ、リリスはようやくその距離に気が付いた。見上げるとすぐ傍らにイシスがいて、顔を覗き込むようにかがんでいた。
直ぐ近くにある顔は優しいのに、なぜだかひんやりとした笑みで、リリスは首を傾げる。
「久しぶり。」
「うん、久しぶり。」
「旅に出るの?」
「まだ出るとは言ってないよ。」
「じゃあ、そのうち出るの?」
「わからないけど、必要かもしれないと思って。」
リリスの言う、必要の意味が分からず、今度はイシスが首を傾げた。
「必要になるの?」
「なるかもしれない。」
「なんで?」
シンプルな質問に、リリスは言葉を詰まらせる。なぜ。なぜかと聞かれれば、イシスが王子様だからに他ならないし、リリスがイシスを好きだからである。
しかしそれを当の本人に言うのは…込み上げる羞恥心にリリスは顔を真っ赤にして俯いた。
短く切った前髪と、ひとつにしばった髪のため、真っ赤な頬はイシスに丸見えだ。
そのあまりのかわいさに、戦場で見た情熱的な彼女の姿を思い出す。
「ねえ、リリィ。」
「う、うん。」
「顔をあげて?」
「やだ。」
「だーめ。上げて?」
「うぅ…」
強固に言い募るイシスに、簡単に負けてリリスは顔をそろりとあげる。恥ずかしさから、完全にあげることができなくて、その目が上目遣いにイシスを見るものだから、愛しさが溢れて止まらなくなる。
「リリィ、あのね…」
と、少しだけ言いよどんだイシスだったが、すぐにその気持ちを固めて、リリスの目の前に膝を折った。
片膝を着き、恭しくリリスの手を握ると、優しく両手で包み込む。
「僕と、結婚して欲しい。互いが死んでも永遠に傍に居させて欲しい。空に月がある限り。」
それは、この国で1番神聖な誓いの言葉。
空に上る月は、この国の象徴であり、導きであり、運命の神である。
姿を変え、見え方が変われど、本質の変わらないただ1つの存在として、崇められている女神そのもの。見えない昼も、昇らぬ夜も、それでも女神は存在している。
リリスは、その告白に何と答えて良いかわからなかった。真っ白な頭ではなんにも考えが浮かばず、ひたすら巡るのは、イシスの言葉だった。
「リリス、僕は君がずっと前から好きなんだ。」
イシスの至極幸せそうな笑みを見て、リリスはほろりとあたたかいものが頬を伝ったのを感じた。
「リリィの気持ちを教えて欲しいな。」
「私…」
「うん。」
「私、平民だよ?」
「僕もただの第5王子だ。」
「王族だよ。」
「どうせ臣籍降下で一代限りの貴族位しかなくなるよ。」
「それだって貴族だよ。」
「仕事しなきゃ食べてけないのは一緒だよ。」
「平民で、いいの?」
「リリィがいいな。」
リリスは、息をのんだ。
「リリィがいい。結婚して欲しい。」
またぽろぽろと涙がこぼれた。
喉が震えて声がでない。
それでもリリスは懸命に声を絞り出した。
「私も、イシスが好き…」
リリスがゆっくりとイシスに屈み込み、優しく頬にキスをした。
イシスは驚きに一度固まってから苦笑し
「君には叶わないな」
と、優しくキスをし返した。
国に奇跡の天才がいた。
研究だけに打ち込み続ける変人だったが、愛する人の傍らで、それは幸せそうに微笑み続けていたという。
それは、人知れず悲しい運命を絶ちきった、少女の長い物語。
短編として書き始めましたが、途中で長くなるのもやむ無しと割りきって書いたお陰で楽しく色んなことを詰め込めました。
リリスとイシスの二人の世界は、書いててずいぶん楽しかったです。
少しでもこのお話を楽しんでくださる方がいらっしゃれば幸いです。
では、またどこかでお会いしましたら。
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