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【暴食の章】外樹へ

 翌朝、俺たちはこの国の闇を見るため、街外れを探索する事にした。

 一番街を離れた瞬間、空気の質が変わった。


 それは気温の違いではない。

 湿度でも、匂いでもなかった。


 ただ、肌に触れる“重さ”が変わる。


 背後からは、まだ光が届いている。

 白石で作られた建物の壁面が陽光を反射し、道を照らしている。

 舗装された通りには汚れ一つなく、人々は笑顔で行き交い、店先からは香ばしい匂いが漂っていた。


 食都一番街。

 暴食帝国の象徴とも言える、飽食と繁栄の中心。


 そこから、ほんの数十歩。


 主人公たちが踏み出した先は、まるで別の世界だった。


 舗装は続いている。

 建物も、崩れてはいない。


 だが、色が違う。


 白ではなく、くすんだ灰色。

 装飾のない壁。

 看板の文字は掠れ、塗料は剥げ落ちている。


 人はいる。

 確かに、いる。


 それなのに――音がない。


「……静かだな」


 サミエムが、無意識に声を潜めた。


 彼の言葉が、やけに大きく響いた気がして、思わず口を閉じる。


 笑い声がない。

 呼び込みも、立ち話もない。


 聞こえるのは、靴底が地面を叩く音と、どこかで木が軋む乾いた音だけだった。


 主人公は、歩きながら意識を集中させる。


 魂術師として、最も自然な感覚。

 周囲の感情を“見る”。


 ――色が、濁っていた。


 明確な怒りの赤ではない。

 深い悲嘆の青でもない。


 灰色に、くすんだ黄が混ざり、底に沈殿したような色。


 諦めとも、慣れとも違う。

 感情が“動くことをやめた”色だった。


(……まずいな)


 主人公は、内心でそう呟く。


 魂術は、感情の揺らぎを糧とする。

 喜び、怒り、恐怖、憎悪――どれも術の触媒になる。


 だが、ここにはそれがない。


 何も感じないわけではない。

 ただ、動かないのだ。


 水が澱んで腐るように、感情が沈み切っている。


「ここが……」


 言葉を探すサミエムに、誰かが短く答えた。


「餓鬼の外樹だ」


 その声には、感情がなかった。

 職務として言っているだけの、事務的な声音。


 餓鬼の外樹。

 その名を、主人公はすでに耳にしている。


 だが、実際に目にするのは初めてだった。


 通りの脇に、籠がいくつも積まれているのが見えた。


 中には、食材。


 形の悪い根菜。

 脂のほとんどない肉の切れ端。

 乾燥が不十分な穀物。


 腐ってはいない。

 量も、決して少なくはない。


「……捨てられたものか?」


 主人公の問いに、彼は首を横に振った。


「余ったものだ。流通に乗せるには質が足りないが、廃棄するほどでもない」


「なら、食べれば――」


「調理する者がいない」


 遮るような即答だった。


 主人公は、言葉を失う。


 周囲を見回せば、火を起こせそうな場所はいくらでもある。

 水場も整備されている。


 それでも、料理はされない。


 理由は、単純だった。


 知識がない。

 余裕がない。

 教える者がいない。


 制度が、そこまでしか手を伸ばしていない。


 通りの端で、子供が一人、座り込んでいた。


 年は、七、八歳といったところか。

 痩せてはいるが、骨ばってはいない。


 主人公と視線が合う。


 一瞬、何かを期待するような揺らぎが見えた。

 だが、それはすぐに消え、子供は目を伏せた。


 怯えでも、敵意でもない。


 ただ――関心がない。


(……助けを求めることすら、諦めている)


 胸の奥が、じくりと痛む。


 怒りが湧かないことが、こんなにも苦しいとは思わなかった。


 誰かを責めることが出来れば、まだ楽だった。

 だが、この光景には、明確な悪が存在しない。


「ここは、制度の外だ」


 深く被ったフードを取り、クロノスが、静かに言った。


「外……?」


「失敗ではない。排除だ」


 冷酷な言葉だった。

 だが、彼の感情の色は、ほとんど動いていない。


「国家は、回らない歯車を抱え続けない。外して、別の場所に置く」


「それが……ここか」


「そうだ」


 誰も殴っていない。

 誰も奪っていない。


 ただ、手を伸ばさなかっただけ。


 主人公は、無意識に拳を握りしめていた。


 何かをしたい。

 だが、何をすればいいのか分からない。


 戦う敵がいない。

 癒す傷も、目に見えない。


 魂縛は論外だ。

 ここで縛られるべき魂は、誰一人としていない。


 ただ、見ていることしか出来ない。


 餓鬼の外樹は、

 暴食帝国が抱え込んだ“飽食の影”だった。


 一番街の光は、まだ視界に入っている。


 だが、その距離は、歩いて来た道の長さよりも、

 はるかに遠く感じられた。


 主人公は、静かに息を吐いた。


(……ここからだ)


 理由は分からない。

 だが、この国の中枢に近づく理由が、確かに一つ増えた気がした。

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