【暴食の章】食都(表)
三賢者への正式招集が公表された翌日。
俺とサミエムは、食都の街へと足を踏み出した。
――圧倒された。
建築様式も、街の規模も、これまで見てきた都市とは桁が違う。
ラクスウェルは巨大な一本の「幹」を中心に形成された都市だ。
中心へ近づくほど街は高く、整い、外縁へ向かうほど低く広がっていく。
第一街区。
幹の最内周に位置するここは、文字通り別世界だった。
石畳は磨かれ、靴音が澄んで響く。
露店はなく、代わりに瀟洒な店舗が整然と並ぶ。
漂ってくるのは、香辛料と焼き菓子、煮込み料理の香り。
食都の名に恥じぬ、濃密な匂いだ。
「……すげえな」
サミエムが、思わず漏らす。
彼の視線は、料理人の手元に注がれていた。
肉の焼き加減、火の扱い、調味の一瞬。
騎士でありながら、彼は「技術」に目がいく。
「武器と同じだな」
俺が言うと、サミエムは頷いた。
「無駄がない。
積み重ねてきたものが、全部見える」
人々の表情も明るい。
食べ、笑い、語り合う。
飽食帝の領土。
その名の通り、ここには“足りない”という感覚がない。
少なくとも――表向きは。
俺は感情を見る。
街に満ちる色は、温かく、豊かで、安定している。
だが、ところどころに
不自然な空白があった。
色が薄い。
あるいは、意図的に塗り潰されたような箇所。
(……まだ、触れる段階じゃないな)
今は、表を知る。
それでいい。
第二街区、第三街区へと進むにつれ、街は少しずつ庶民的になる。
屋台が増え、声が荒くなり、活気が強まる。
それでも、秩序は崩れない。
騎士団の巡回が、自然に溶け込んでいるからだ。
その中で――
「君たちが、例の新任三賢者か」
不意に、背後から声をかけられた。
振り返る。
そこに立っていたのは、
背筋の伸びた壮年の男だった。
無駄のない体躯。
鎧は着ていないが、歩き方だけで分かる。
――騎士。
しかも、只者ではない。
「初めまして」
男は、穏やかに笑った。
「暴食帝国精鋭騎士団団長、ヴァルドだ」
サミエムの呼吸が、一瞬止まる。
レイサムの上司。
そして、彼が生涯超えられなかった壁。
俺は一礼した。
「魂術師、灰崎零です」
「サミエムです」
二人とも、形式的な礼ではない。
ヴァルドは、それを見て目を細めた。
「堅苦しいのはやめよう。
今日は非番だ」
彼は周囲を見回し、ふと笑う。
「祝いの席だ。
よければ、食事でもどうだ?」
周囲の騎士たちが、どこか安堵したように距離を取る。
どうやら、彼はこの街で
本当に慕われているらしい。
「第一街区に、いい店がある」
ヴァルドは、歩き出しながら続けた。
「三賢者になった当日に、
街を一人で歩かせるわけにもいかんだろう?」
その言葉に、打算はなかった。
ただの気遣い。
俺とサミエムは顔を見合わせ、頷く。
「……お言葉に甘えます」
ヴァルドは満足そうに笑った。
「よし。
腹が減っては、良い話もできん」
こうして俺たちは、
**食都の“最も明るい場所”**へと足を向けた。
この食事が、
後に多くの選択と分岐を生むことを、
この時はまだ、誰も知らなかった。
第一街区のさらに奥。
一般の人間が気軽に足を踏み入れない一角に、その店はあった。
外観は驚くほど質素だ。
だが、扉を開けた瞬間に分かる。
――ここは、本物だ。
静かで、騒がしくない。
だが、活気がないわけでもない。
調理場から漂う香りは強烈だが、決して鼻につかない。
火と油と香辛料の使い方を、完全に心得ている匂い。
「……すげえ」
サミエムが、また同じ言葉を呟く。
ヴァルドはそれを聞いて、愉快そうに笑った。
「分かるか。
ここはな、食都でも数えるほどしかない“技の店”だ」
席に案内される。
木製の重厚なテーブル。
磨き込まれ、年季が入っている。
「騎士団の祝い事や、
帝に近い者の会合でしか使わん」
そう言って、ヴァルドは腰を下ろした。
「今日は特別だ。
新しい三賢者の誕生だからな」
注文は、彼が一任した。
しばらくして運ばれてきた料理は、どれも豪奢だが嫌味がない。
素材の力を最大限に引き出す構成。
サミエムは、一口食べてから、しばらく黙った。
「……武器だな」
「ほう?」
「ここまで計算されてると、
戦い方と同じです」
ヴァルドは、目を細めた。
「良い目をしている」
彼はグラスを傾けながら、ふと遠くを見る。
「昔、俺の部下にもな。
同じことを言う男がいた」
サミエムの手が、わずかに止まる。
「……レイサムだ」
ヴァルドは、否定も肯定もしなかった。
「騎士としては、不器用だった。
才能だけで言えば、飛び抜けてはいない」
だが、と前置きして続ける。
「折れなかった。
負けても、傷だらけになっても、必ず戻ってきた」
静かな声だ。
「俺と、何度も試合をした」
サミエムは、意を決したように聞いた。
「……勝ったことは?」
ヴァルドは、少しだけ笑った。
「一度もない」
その言葉に、驕りはなかった。
ただ、事実を述べているだけ。
「だがな」
彼は、ナイフを置いた。
「そういえば、妙な技を練習していたな」
サミエムの視線が、鋭くなる。
「剣を振り抜いた直後、
あり得ない角度から、もう一撃を返す」
――つばめ返し。
まだ、名前は出ない。
だが、確かにそれだ。
「時間がかかる技だった。
実戦で使えるまで、どれほどかかるか分からん」
ヴァルドは、静かに言う。
「だから、完成を見る前に――」
言葉を切る。
それ以上は、語らなかった。
食事が進む。
やがて、ヴァルドは話題を変えるように、軽く咳払いした。
「さて」
視線が、サミエムに向く。
「サミエム。
お前、騎士団に入る気はないか」
直球だった。
店内の空気が、わずかに張る。
サミエムは、すぐに答えなかった。
手元の剣を見つめ、そして顔を上げる。
「……ありがたい話です」
そう前置きしてから、
「でも、断ります」
ヴァルドは、驚かなかった。
「理由を聞いても?」
「俺は、まだ弱いです」
サミエムの声は、はっきりしている。
「才能がない分、
人の何倍もやらないと、追いつけない」
彼は拳を握る。
「騎士として完成する前に、
別の道を極めたい」
エンチャント。
剣と魔を重ねる道。
ヴァルドは、しばらく黙っていたが――
やがて、豪快に笑った。
「そうか!」
その笑顔は、実におおらかだ。
「なら、仕方ないな」
彼は、杯を掲げる。
「だが覚えておけ。
騎士団の門は、いつでも開いている」
そして、サミエムを真っ直ぐ見る。
「お前が剣を振る限り、
レイサムは、無駄に死んじゃいない」
サミエムは、深く頭を下げた。
食事は、穏やかに終わった。
店を出る頃、夜の食都はさらに輝きを増していた。
人々は笑い、食べ、語り合う。
完璧な繁栄。
だが俺は、また感じていた。
この光の下に、
必ず影がある。
それを暴く時が来る。




