【嫉妬の章】九尾、崩壊する均衡
風が、変わった。
外からの不可視の一撃。内側からの同時攻撃。流れは確実にこちらへ傾きつつあった。ヴェルディアの動きは鈍り、盾の処理も追いつききれていない。
勝てる。
誰もがそう感じ始めていた、その瞬間だった。
「……あーあ」
ヴェルディアが、小さく息を吐く。
どこか、面倒そうに。
「ここまで来るとは思わなかったな」
その声音に、違和感が走る。
焦りではない。
諦めでもない。
むしろ――
“切り替え”。
灰崎の背筋に、嫌なものが走った。
「……下がれ」
思わず口に出る。
サミエムが眉をひそめる。
「は? 何言って――」
「いいから下がれ!」
強い声。
その直後だった。
ヴェルディアの体から、何かが溢れ出した。
魔力。
いや、それ以上の“濃度”。
空気が軋む。
地面が震える。
「……は?」
サミエムの声が、かすれる。
ヴェルディアの輪郭が、歪む。
人の形を保てなくなる。
溶けるように、崩れ。
そして。
膨張する。
「――変わるよ」
その声は、重なっていた。
一つではない。
複数。
内側から響くような、歪な音。
次の瞬間。
爆発的な衝撃が広がる。
瓦礫が吹き飛ぶ。
空気が押し潰される。
灰崎たちは咄嗟に距離を取る。
そして。
そこに現れたのは――
「……なんだよ、これ……」
サミエムの声が、震える。
巨大な影。
獣。
九つの尾を持つ、狐。
その一本一本が、異様な存在感を放っている。
そして――
尾のそれぞれに、“何か”がある。
見えない。
だが、分かる。
あの感覚。
弾く力。
反射。
盾。
(……九つ……?)
灰崎の思考が、一瞬止まる。
九つの尾。
それぞれに盾。
つまり――
九重防御。
「はは……」
低い笑い声が響く。
もはや人の声ではない。
「これなら、どう?」
九尾の狐――ヴェルディアが、ゆっくりと首を動かす。
その動きだけで、空気が震える。
圧が違う。
さっきまでとは、次元が違う。
サミエムが歯を食いしばる。
「ふざけんなよ……!」
踏み込む。
炎と雷を最大出力で叩き込む。
だが――
届かない。
尾の一つが動く。
それだけで、完全に弾かれる。
反射。
そして衝撃が返る。
「ぐっ……!」
吹き飛ばされる。
灰崎も同時に動く。
だが同じ。
一つの尾が防ぐ。
別の尾が反応する。
重なる防御。
隙がない。
(……無理だろ、これ)
理解してしまう。
突破不可能。
単純な攻撃では、一切通らない。
その時。
遠くから、音がした。
金属音。
足音。
叫び声。
サミエムが顔を上げる。
「……増援か!?」
だが、それは味方ではない。
鎧。
旗。
武装。
シレヴァルトの騎士団。
大勢。
瓦礫を越え、この場へと雪崩れ込んでくる。
「見つけたぞ! 侵入者――」
先頭の騎士が叫ぶ。
だが。
その言葉は、最後まで続かなかった。
九尾が、動く。
一本の尾が振られる。
ただ、それだけ。
空気が裂ける。
次の瞬間。
騎士たちが、まとめて吹き飛んだ。
「……は?」
サミエムが呆然とする。
灰崎も、言葉を失う。
味方ではない。
敵。
だが――
関係ない。
九尾は、区別していない。
次の尾が振られる。
別方向の騎士団が、薙ぎ払われる。
鎧ごと、叩き潰される。
悲鳴。
破壊音。
血。
瓦礫。
全てが混ざる。
「……おい、これ……」
サミエムの声が低くなる。
灰崎は、確信する。
(……制御してねえ)
違う。
制御できていない。
暴走。
あるいは――
最初から。
「全部、壊れるよ」
九尾の声が響く。
複数の声が重なる。
「君たちも」
「騎士も」
「街も」
楽しそうに。
狂ったように。
「全部」
尾が一斉に動く。
防御だけじゃない。
攻撃にも転じる。
全方位。
逃げ場がない。
「……チッ!」
サミエムが飛び退く。
灰崎も同時に動く。
だが、範囲が広すぎる。
一つを避けても、次が来る。
さらに外からの攻撃。
本屋の支援。
だが、それすら弾かれる。
九重の盾。
完全な要塞。
そして暴力。
戦場が、崩壊する。
秩序はない。
敵味方も関係ない。
ただ破壊だけが広がる。
「……クソが」
灰崎は吐き捨てる。
だが、目は死んでいない。
むしろ。
鋭くなる。
(……逆だ)
守りが硬すぎる。
攻撃も強すぎる。
だが。
制御できていない。
なら。
そこに、隙がある。
混沌の中で。
灰崎は、次の一手を探す。
戦いは。
完全に、次の段階へと進んだ。




