【嫉妬の章】届かない刃、届いた一矢
瓦礫の粉塵が、ゆっくりと沈んでいく。
壊された壁の向こうから流れ込む空気は、生ぬるく、湿っていた。だが、それでも閉じ込められていたあの空間よりは遥かにマシだった。
「飲め!」
灰崎は奪い取った小瓶を投げる。
サミエムがそれを受け取り、即座に蓋を開けた。
「諜報員にも回せ!」
「分かってる!」
短いやり取りの中で、状況は一気に動く。サミエムが一口飲み、残りを諜報員へと渡す。液体は少量だが、効果は明確だった。
「……っ、は……!」
サミエムの呼吸が整う。さっきまでの鈍さが嘘のように消えていく。
諜報員の一人も、壁に手をつきながら顔を上げる。
「毒が……抜けていく……!」
完全ではない。だが、戦える状態には戻った。
対してヴェルディアは、その様子を静かに見ていた。
「へえ」
低い声。
「ちゃんと使うんだ、それ」
怒りはある。だが、それ以上に“観察”している。奪われたものに対する執着よりも、今この瞬間の戦況をどう動かすかに意識を切り替えている。
やはり厄介だ。
灰崎は一歩前に出る。
「……短期で決めるぞ」
低く言う。
サミエムが頷く。
「長引かせたら終わりだな」
その通りだった。
建物を破壊した。これだけの音と被害、すぐに周囲が動く。騎士団か、近衛か、あるいは嫉妬帝直属の兵が来る可能性もある。
さらに、ここは敵の本拠地。
時間が経てば経つほど不利になる。
だから――
短期決戦。
全員が理解していた。
「行くぞ!」
サミエムが踏み込む。炎と雷を同時に纏う。複合エンチャント。熱と電撃が混ざり合い、空気が爆ぜる。
一直線にヴェルディアへ。
灰崎も同時に動く。別角度から詰める。諜報員は後方から援護。
三方向。
同時攻撃。
だが。
――弾かれる。
「……っ!」
サミエムの拳が、見えない何かに阻まれる。その瞬間、衝撃が逆流した。
「ぐっ……!」
腕が弾かれる。ダメージが返ってきた。
灰崎の攻撃も同様だった。触れた瞬間、押し返されるだけではない。衝撃がそのまま返される。
(……反射か)
理解する。
ただの防御じゃない。
受けた力を、そのまま返す。
盾。
見えないが、確実に存在している。
「いいね」
ヴェルディアが静かに言う。
「ちゃんと来るんだ」
その声には余裕が戻っていた。
遅滞戦術。
攻めさせて、削る。
時間を使わせる。
そして崩す。
灰崎は歯を食いしばる。
(……厄介すぎる)
攻撃が通らない。
むしろ、こちらが削られる。
だが止まれない。
サミエムが再び踏み込む。
「チッ……なら!」
炎を強める。雷を重ねる。出力を上げる。
だが結果は同じ。
弾かれる。
返される。
ダメージが蓄積していく。
「くそ……!」
焦りが滲む。
諜報員が矢を放つ。角度を変え、死角を狙う。だがそれも、寸前で弾かれる。
完全ではない。だが、致命的に届かない。
「……時間がねえ」
灰崎が低く呟く。
このままでは削り負ける。
だが、突破口がない。
情報が足りない。
盾の正体。
発動条件。
限界。
何も分からない。
サミエムが舌打ちする。
「増援でも来りゃな……!」
言ってから、自分で苦笑する。
「……無理か」
ここは敵地。
味方が来るはずがない。
期待するだけ無駄だ。
その瞬間。
ヴェルディアが、わずかに揺れた。
「……?」
灰崎の目が細くなる。
違和感。
次の瞬間。
――赤い線が走る。
ヴェルディアの肩口。
血が、滲んだ。
「……は?」
サミエムが呆然とする。
攻撃は届いていない。
誰も触れていない。
それなのに。
確かに、傷がついた。
ヴェルディアが、ゆっくりとその箇所を見る。
血。
自分のもの。
理解が、一瞬遅れる。
「……なに、これ」
初めて。
純粋な困惑が混じる。
灰崎は、視線を動かす。
感じる。
遠く。
だが、確かに。
“来た”。
空気が、変わる。
風が、通る。
次の瞬間。
――音が遅れて来た。
遠方からの、破裂音。
そして。
もう一閃。
見えない軌跡が走る。
ヴェルディアが反応する。
だが、完全には避けきれない。
再び、血が散る。
「……っ、どこから……!」
焦りが混じる。
視線が揺れる。
完全な“外からの干渉”。
この場にいない存在。
だが、確実に届く攻撃。
灰崎は、確信する。
(……来たな)
奇跡でも偶然でもない。
これは。
準備されていた一手。
サミエムが笑う。
「はっ……マジかよ」
その声に、力が戻る。
戦況が、変わる。
届かなかった相手に。
届く手段が現れた。
ヴェルディアが歯を食いしばる。
余裕は消えていた。
完全に。
盤面が、ひっくり返る。
灰崎は、前へ出る。
「……行くぞ」
今度こそ。
決めるために。
戦いは、最終局面へと突入する。




