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【嫉妬の章】空洞に触れる

 図書館の奥。


 灯りは最小限。


 外からの遮断は完全。


 だが――


 空気は重かった。


 


 リュミエラは、椅子に座ったまま動かない。


 その前に。


 アルヴェイン・カリエス。


 かつて“本屋”を束ねていた男が、静かに座っている。


 


「……父様」


 


 呼びかける。


 


 男は顔を上げる。


 穏やかな笑み。


 


「どうした、リュミエラ」


 


 優しい声。


 


 だが――


 


 それ以上でも、それ以下でもない。


 


 リュミエラは、何も言えなかった。


 


 目の前にいるのは、父だ。


 顔も。


 声も。


 言葉も。


 


 変わらない。


 


 なのに。


 


(……違う)


 


 分かってしまう。


 


 幼い頃、膝の上で聞いた話。


 夜遅くまで議論を重ねていた背中。


 迷った時に示された道。


 


 その全てが。


 


 “感じられない”。


 


 そこにあったはずの重みが、ない。


 


「……無事でよかった」


 


 アルヴェインは言う。


 


 その言葉は、正しい。


 


 だが。


 


 軽い。


 


 リュミエラの喉が詰まる。


 


「……うん」


 


 それしか言えない。


 


 沈黙。


 


 重い。


 


 サミエムが、少し離れた場所で壁にもたれる。


 視線は逸らしている。


 


 見ていられない。


 


 ヘリオは、ただ観察していた。


 感情を表に出さず。


 


 灰崎は――


 見ている。


 


 色を。


 


 アルヴェインの内側。


 


 薄い。


 


 感情はある。


 優しさもある。


 


 だが。


 


 深さがない。


 


 積み重ねがない。


 


(……削られてる)


 


 完全に消されたわけじゃない。


 


 だが。


 


 “蓄積”がない。


 


 だから。


 


 言葉が、響かない。


 


 リュミエラが、ゆっくりと口を開く。


 


「……父様」


 


 一拍。


 


「私たち、まだ戦ってるよ」


 


 その言葉。


 


 かつてなら。


 


 きっと。


 


 違う反応があった。


 


 叱責か。


 称賛か。


 あるいは、問い返し。


 


 だが。


 


「そうか」


 


 それだけだった。


 


 理解している。


 


 だが、踏み込まない。


 


 導かない。


 


 支えない。


 


 ただ、受け取るだけ。


 


 リュミエラの手が、膝の上で強く握られる。


 


(……違う)


 


 これじゃない。


 


 父は。


 


 こんな人じゃない。


 


 涙が滲む。


 


 だが、こぼさない。


 


 さっき、全部出した。


 


 だからもう。


 


 泣かない。


 


「……ねえ」


 


 小さく言う。


 


「怖い?」


 


 アルヴェインは、少しだけ考える。


 


「……分からない」


 


 その答えに。


 


 リュミエラの心が、音を立てて崩れる。


 


 かつての父なら。


 


 怖さを知っていた。


 


 だからこそ、戦っていた。


 


 今は。


 


 それすら、ない。


 


「……そっか」


 


 微笑む。


 


 無理やり。


 


 崩れないように。


 


「大丈夫だよ」


 


 今度は、自分が言う。


 


「私がやるから」


 


 その言葉は。


 


 誰に向けたものか。


 


 父か。


 


 自分か。


 


 分からない。


 


 ただ。


 


 決まった。


 


 完全に。


 


 リュミエラの中で。


 


 “継ぐ”と。


 


 沈黙が落ちる。


 


 その中で。


 


 ヘリオが紙を差し出す。


 


『作戦を再構築する』


 


 現実に戻る。


 


 サミエムが顔を上げる。


 


「だな」


 


 さっきの軽さはない。


 


 理解している。


 


 これは遊びじゃない。


 


 灰崎が資料を見る。


 


 偽の情報。


 


 だが。


 


 “使える”。


 


「こっちが踊る必要はない」


 


 静かに言う。


 


「踊ってるように見せればいい」


 


 ヘリオが頷く。


 


『偽情報を採用したと見せる』


 


 サミエムが笑う。


 


「で、その裏で本命か」


 


 灰崎は首を振る。


 


「違う」


 


 一拍。


 


「“本命も見せる”」


 


 沈黙。


 


 ヘリオの目が細くなる。


 


『二重偽装か』


 


「いや」


 


 灰崎は言う。


 


「三重だ」


 


 サミエムが吹き出す。


 


「ややこしすぎんだろ」


 


「だからいい」


 


 嫉妬帝は見ている。


 


 なら。


 


 見せる。


 


 複数の答えを。


 


 どれが本物か分からなくなるように。


 


「選ばせる」


 


 その言葉に、リュミエラが顔を上げる。


 


 目に、わずかな光が戻る。


 


「……間違わせる」


 


 理解した。


 


 灰崎は頷く。


 


「そうだ」


 


 完全な情報支配は、不可能だ。


 


 だが。


 


 判断を狂わせることはできる。


 


 その一瞬。


 


 そこが。


 


 刺す場所になる。


 


 ヘリオが紙に書く。


 


『時間がいる』


 


「作る」


 


 灰崎は即答する。


 


 サミエムが肩を鳴らす。


 


「派手にやるか?」


 


「いや」


 


 首を振る。


 


「静かにだ」


 


 この街では。


 


 “目立つこと”は死だ。


 


 だから。


 


 溶ける。


 


 その中で。


 


 歪ませる。


 


 情報を。


 


 流れを。


 


 判断を。


 


 リュミエラが、ゆっくりと立ち上がる。


 


 もう震えていない。


 


 父を見る。


 


 一瞬だけ。


 


 そして。


 


 前を向く。


 


「……やる」


 


 その声は、小さい。


 


 だが、強い。


 


 アルヴェインは、何も言わない。


 


 ただ、見ている。


 


 その視線には。


 


 何もない。


 


 だが。


 


 リュミエラは、もう迷わなかった。


 


 たとえ。


 


 何も返ってこなくても。


 


 進む。


 


 それが。


 


 今の自分の役割だから。


 


 灰崎はその背中を見る。


 


(……変わったな)


 


 少女は。


 


 もう。


 


 “指導者”だった。


 


 静かに。


 


 だが確実に。


 


 戦いは、次の段階へ進む。

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