【嫉妬の章】均された街
門の前で、足が止まった。
首都――シレヴァルト。
高い石壁に囲まれたその都市は、外から見ても整っていた。
綺麗すぎるほどに。
無駄がない。
無秩序がない。
そして――違和感も、外からは見えない。
「通行目的を」
門番が言った。
声は平坦だった。
威圧も、無関心もない。
ただ、手順をなぞる声。
ヘリオが一歩前に出る。
「行商だ。数日滞在する」
嘘を、迷いなく置く。
門番は頷いた。
疑いもしない。
紙に何かを書き込む。
視線を上げる。
「問題なし。通れ」
それだけだった。
あまりにもあっさりと。
サミエムが小さく呟く。
「……緩いな」
「そうでもない」
ヘリオは前を見たまま言う。
「見てみろ」
三人は門をくぐった。
その瞬間。
空気が、変わった。
湿度ではない。
重さ。
圧。
見えない膜を一枚くぐったような感覚。
灰崎はわずかに目を細めた。
視界に入るのは、人、人、人。
多い。
通りには人が溢れている。
商人。
荷運び。
住民。
だが。
騒がしくない。
静かすぎるわけでもない。
声はある。
会話もある。
だが――
揃っている。
「……なんだこれ」
サミエムが低く言う。
違和感は同じだった。
人の動き。
歩く速さ。
声の大きさ。
笑い方。
怒り方。
全部が、似ている。
個人差が、薄い。
「均されてるな」
灰崎が言う。
ヘリオは小さく頷いた。
「目立つなよ」
短い忠告。
それで十分だった。
三人は通りを進む。
露店が並ぶ。
商品は豊富だ。
人もいる。
売買も成立している。
だが、活気がない。
熱がない。
値切る声も、呼び込みも、どこか弱い。
やっている。
だが、やりすぎない。
線を越えない。
そんな空気。
灰崎は一人の店主を見た。
笑っている。
客に商品を勧めている。
だが。
その感情の色は、薄い。
表面だけの笑い。
奥にあるのは――抑制。
「……出すな、ってことか」
灰崎が呟く。
「何をだよ」
サミエムが聞く。
「全部だ」
短い答え。
強すぎる感情。
大きすぎる声。
突出した行動。
それら全てが、この街では“余計なもの”として削られる。
自然と。
誰に言われるでもなく。
「監視されてるわけじゃないのか?」
サミエムが言う。
「されてる」
ヘリオが即答する。
「ただし、“見張られてる”って形じゃない」
「……どういうことだ」
「見られてると思ってるから、出さない」
サミエムが顔をしかめる。
「最悪だな」
「一番効率がいい」
ヘリオは淡々と続ける。
「全員が抑えれば、誰も突出しない」
「突出しなければ、壊されない」
灰崎は歩きながら周囲を見ていた。
見える。
感情の色。
薄い。
均一。
だが、完全に死んでいるわけではない。
押し込められている。
蓋をされている。
その下にあるのは――
羨望。
嫉妬。
諦め。
それらが混ざり合って、濁っている。
「……歪んでるな」
灰崎が言う。
「ああ」
ヘリオも同意する。
「だが、壊れてはいない」
その言葉が、妙に引っかかった。
壊れていない。
つまり――壊されていない。
まだ。
その時だった。
通りの端で、小さな騒ぎが起きた。
一人の男が声を荒げている。
「だから違うって言ってるだろ!」
その声だけが、浮いていた。
大きい。
この街では、明らかに大きすぎる。
周囲の人間が、一斉に視線を向ける。
だが、誰も近づかない。
止めない。
関わらない。
ただ、見る。
男は息を荒げていた。
感情を抑えきれていない。
怒り。
焦り。
その色が、はっきりと見える。
灰崎は一瞬、足を止めた。
その瞬間。
空気が、わずかに変わった。
説明できない。
だが確かに。
“何か”が動いた気がした。
男が、ぴたりと止まる。
さっきまで荒れていた呼吸が、止まる。
目が見開かれる。
次の瞬間。
男は、何もなかったかのように口を閉じた。
視線を落とす。
そして、静かにその場を離れた。
誰も追わない。
誰も何も言わない。
ただ、元に戻る。
最初から何もなかったかのように。
「……なんだ今の」
サミエムが低く言う。
ヘリオは答えない。
だが、視線はわずかに鋭くなっていた。
灰崎は、その場を見つめていた。
見えた。
一瞬だけ。
色が消えた。
強く出ていた感情が、消された。
押し潰された。
外からではない。
内側から。
自分で、抑えた。
「……そういうことか」
灰崎が呟く。
「“やられる前にやめる”」
誰も言わない。
だが全員が知っている。
ここで突出すれば、どうなるか。
だから、出さない。
出る前に、消す。
それが、この街のルールだった。
三人はそのまま歩く。
通りを抜ける。
街の奥へ。
中心へ。
シレヴァルトの中枢へ。
空は見えない。
建物に遮られている。
だが、灰崎は思った。
あの青すぎる空よりも。
ここは、よほど息苦しい。




