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第二の季節…火   (前編)

 昔むかし。

 アラウダという名の少女がいた。


 世界中に戦争の絶えない時代。

 少女の国も隣国との長い戦争を行っていた。


 死に逝く人々のために少女は敵も味方もなく唄った。

 少女のレクイエム(鎮魂歌)を耳にした敵国の王は、その美しさに心をほだされ、少女が49の曲を誤ることなく歌い上げたのなら、兵を引くことを約束した。


 少女は唄い、王は二度と少女の国を攻めることがなかった。










 ▲▽










 要するに。


 そう言い吐き、オルウェンはルーグに向かって人差し指を突き立てた。


 ルーグは身構えた。

 彼女の言わんとすることは言われなくともよく分かっている。


「さっさとアラウダ(歌姫)を選べということですよね?」


「そういうことだ。直にベルティネ祭なのだぞ。アラウダ不在の祭りなど、みっともない」


「分かっています。……けど」


 ルーグが俯き押し黙ると、オルウェンのストロベリーブロンドがふわりと揺れた。

 その下から除く瞳はルビーで、健康そうな肌は小麦色。


 彼女の美貌は際立っていたが、それ以上に目を引くものは、スイカでも隠し持っているのかと思うほどの巨乳である。


 彼女と初めて会して、顔や腰までスリットの入った服から覗ける足よりもまず胸元に目を向ける者の方が多かった。


 ところが、である。


 この彼女の教え子は不幸なことにその辺りのことが疎い。

 図体ばかりがニョキニョキと大きくなり、精神面はサッパリ。

 子どもも良いどころ、ガキである。


 アラウダを選べないでいることにもここら辺に原因があるのではないかと、オルウェンは睨んでいる。




「アミ(恋人)の方はどうだ? 決めたのか?」


「それがまだなんです。ブロアがなかなか良い返事をくれないもので」


「いい加減、ブロアは諦めたらどうだ?」


 ブロア。

 風の民であり、今年の風のプリフェクト(監督生)である少女だ。


 ルーグは学園に入学してきた当初からブロア以外のアミは考えられないと公言し続けている。


 ところが、ブロアにそんな気はさらさら無い。

 当然だ。

 ルーグが幼稚すぎるからだ。




 プリフェクトは教師たちの推薦の上、学生たちの承認を得てその任に付く。


 火の民としての力量、知識、カリスマ性においてルーグは抜群であったため、彼がプリフェクトになることに対して異論を唱える者はなかった。


 そんな彼の欠点と言えば、たった一人を選べないことだ。


 18歳にもなってアミを見つけられない火の民は極めて珍しい。

 一度か二度の失敗を乗り越えて最終的に決定したアミがいても良い年齢であるはずなのに、この教え子ときたら、未だに一人もアミの契約をしたことがないときた。


「時には切り捨てることも必要だ。切り捨てることが常に非情であるとは限らない。切り捨てないことの方が非情である時がある。また、非情になれないのは、他人に非情だと思われたくないからだ。思われることを甘んじて受け入れなければならない時もある」


 オルウェンは大きく頭を左右に振った。


「――分からないか」


 分かりませんと首を横に振るのは容易だ。

 また、分かりましたと頷くのも易い。


 だが、そのどちらの答えもオルウェンは望んでいなかった。



「ほら。これを貸してやるから、さっさとアラウダを決めて来い」


「……はい」


 頷いてからルーグは手渡された雑誌に目を落とした。

 ギョッとする。

 オルウェンに匹敵する巨乳の美女たちがその表紙を飾っていた。


「なんですか、これ?」


「お前専用の教科書だ。わざわざ取り寄せてやったんだぞ」


 感謝しろと言って、オルウェンは片手を振った。

 部屋から出て行けという合図だ。


 仕方が無くルーグは雑誌を手にオルウェンの部屋を後にした。









 ▲▽











 ベルティネ寮。

 歌声は重なるほど美しく聞こえるものだと言うが、現在寮内に響く歌声にルーグは目眩を覚えた。


 重なり具合が絶妙に気持ち悪いのだ。


 皆で同じ歌を同時に唄ってこそ美しいものなのだが、バラバラの歌をバラバラに唄うものだから、聞けたものではなくなっている。


「酔いそうだ」


 ルーグは廊下の真ん中でしゃがみ込んだ。


 歌声はルーグを求めて、大きな波のように押し寄せて来る。

 頭痛がする。

 耳を塞いでも割れるような音は変わらない。



(耐えられん)


 ルーグは立ち上がり、寮から逃げ出した。

 ――だが、向かった先も寮だ。

 ただし、ルグナザド寮。

 土の学生寮である。


 ルーグはサロンの前を突っ切って、中庭に出た。

 剥き出しの大地に、唐突に生えた大樹。

 その幹に背を預け、根を椅子にしている少年を見付け、ルーグは思わず笑みを浮かべた。


 軽く瞼を閉ざしているが、彼が夢の住人ではないことはよく分かっている。

 案の定、ルーグの影が彼の顔を覆うと、鉛色の瞳は開かれた。




「――どうした?」


「ここは静かでいい」


「座ったらどうだ?」


 頷いて、ルーグはロクマリア同様大樹の根元に腰を降ろした。


 後頭部を幹に押し当てると、すぅっとそこから何かが抜けていくような心地になり、胸が静かになる。


(不思議だ)


 幼い頃からそうだった。

 ロクマリアの側にいると、ルーグのサラマンダーたちが大人しくなる。


 彼を真似て瞼を閉ざす。

 しーん、という音が聞こえてくるようだ。


「おい、眠ったのか?」


「いや、起きている」



 ふとロクマリアの手に視線が向く。

 白い手袋。

 最近よく着けているのを目にする。


「手、どうかしたのか?」


 細く長い彼の指が好きだった。

 触れられると、ひんやりと冷たい。

 常に体温が高い火の民とは明らかに異なる。


 手袋を残念に思いながらルーグが言うと、ロクマリアは目を伏せた。


「――怪我をした」


「手に? 見せてみろよ」


「火傷だ。触るな。お前に触れられると、痛む」


「……悪い」


 ルーグは短く謝り、身を引いた。


「アルメリアに治して貰え」


「だいたいは治っている」


「けど、痛むんだろ?」


「……」


 頑固な彼はおそらくアルメリアには頼まないだろう。

 ルーグはやれやれと頭を左右に振った。


「両手か?」


「右手だ。右の手の甲」


「目立つのか?」


「跡が残りそうだ」


「それはひどいな」


 色の白い綺麗な手だったのに、もったいない。



 再び、どうしたんだ、とロクマリアは問う。

 ルーグは項垂れた。


「お前はどうやってアラウダを選んだんだ?」


「どう?――どうってことはないな。この娘だと思った」


「それだけ?」


「ブロアほどの即決をしたわけではないが、お前ほど悩まなかったな」


「……ブロアが羨ましい」


「数人の歌声しか聞かなかったそうだ。ハルの歌声もほんのわずかしか聞かずに決めたらしい。あれはあれで失礼だ。――アルメリアは友人をアラウダに選んだ。誉められたことではないが、文句なしに綺麗な歌声だったため、批判はされなかった」



「やっぱりダチだからって選ぶと、批判されるものなのか?」


「そうだな。されても仕方がないな」


 ロクマリアの淡々とした口調は皆に好かれている。

 それはルーグも例外ではない。


 アルメリアは彼の声を水の滴る音に喩えたが、ルーグは薪がはぜる音に喩えられる。

 また、ブロアは木々を揺らすそよ風だと言った。


 つまり、ロクマリアの声はその者にとって心地よいとする音に聞こえるようだ。




「誰もが納得する答えを捜すのは難しい。何かを選べば、何かが選べない。お前の手は二つしかない。お前がその手に掴めるものはわずかだ。――だからお前は選ばなければならない。何かを選ばないために」


 ルーグは言葉を返さなかった。

 押し黙って、瞳を閉ざした。










 ▽▲









 どのくらいそうしていただろう。

 サラマンダーのざわめきでルーグは目を覚ました。


 さっと上体を起こすと、ロクマリアの呆れたような瞳と目が合う。


「ずいぶん眠っていたな」


「歌声が……」


「ああ、メンヒルがハルとマグエヴァと一緒に唄っている」


「メンヒルとハルとマグエヴァだけ? ――もう一人いるだろう?」


 メンヒルは土の、ハルは風の、マグエヴァは水のアラウダだ。


 薪のはせる音。

 炎が弾け飛ぶ。

 喜び散って、沈むように灰になる。


 ロクマリアも耳を澄ませ、分かったとばかりに頷いた。



「あの歌は四つの旋律が重なって初めて曲となる歌だ。お前がなかなか火のアラウダを選ばないものだから、他のアラウダたちは勝手に選んだ火の娘と一緒に唄っているのだろう」


「……すごい」


「そうだな。綺麗な歌声だ」


(いったい誰だろうか)


 気が付くとルーグは駆けだしていた。

 呼び止めるような、呆れたような声が追ってきたが、構わなかった。


 火がついてしまった導火線のように、ルーグはルグナザド寮内を駆けた。


 けたたましく扉を押し開いた後、すぐにそのことを後悔した。



 驚いて振り返った四人。

 一人は湖のような青髪の少年。

 一人は銀髪の儚い印象の少女。

 漆黒の髪を持った少女は凜としてルーグを見つめ返し、最後の一人は三人の影に隠れるようにして立っていた。


 髪色はワインレッド。

 驚いた瞳はガーネット。

 どくん、とルーグの胸が鳴った。


(この子が今の歌声を)


 初めて見る顔だった。

 いや、どこかで会っているのは間違いない。

 学生の数はさほど多くはないし、同じ火の民であるのなら家族同然だ。


 何度か擦れ違っていたはずだ。

 学園の廊下でも、寮のサロンでも。


 それなのにどうして今まで自分はこの少女に気が付かなかったのだろう。



「ルーグ先輩、歌の練習の邪魔です。出て行って下さい」


 言ったのは、ハルだ。

 ブロアが選んだアラウダは13歳の少年だが、こうして少女たちに紛れていても何の違和感もない。


 可哀想なことだが、声変わり前である上、背が低く、女装もこなせるとあってはそれも仕方がない。


 ルーグはハルの言葉を無視して、赤髪の少女に歩み寄った。


「名前は?」


 ルーグの胸ほどにしかない小さな少女は、目を大きく見開いて彼を見上げた。


「……ブリジット」


 ルーグは赤い瞳を細めた。

 膝を折り、少女の手を取る。

 そうして、その甲に唇を当てた。


「ブリジット。今この瞬間からお前は俺のアラウダだ」  











 ▲▽










 面白いことになっている、とブロアが事の次第を聞いたのは、アファンの口からだった。


 この頃のブロアはルーグから逃げ回る日々を送っている。

 見つかれば、ベルティネ寮に連行され、劇の練習をさせられるからだ。


 直にベルティネ祭だが、ブロアにとってはまだ先のことである。

 今から練習をしてどうするのだ、と言いたい。


 ところが、祭り好きな火の民ときたら、一ヶ月前から祭り気分なので付き合いきれない。

 ベルティネ寮はすっかり祭りに備えた装飾でいっぱいになっている。


(なんであんなに気持ちが持続できるんだ?)



 風の民ならとっくに気持ちが萎えている。

 飽きっぽい自分たちはすぐに次の目新しいものに駆けだしていってしまう。


 練習や準備までも楽しんでしまう火の民とは根底から異なる。


 気配がして、ブロアは振り返った。

 ホッと息を付く。

 ついに彼に見つかってしまったのかと思ったが、シルフたちに導かれて屋根の上を移動してくるのはブリガだった。


「捜したわ」


「だろうね」



「ここずっとみんながあなたを捜しているわ」


「逃げ回っているんだ」


「そのようね。――ルーグのこと、聞いた?」


「ついにアラウダを選んだんだって? アファン先生から聞いた」


「先生から聞くなんて、ずいぶんと情報が遅いわね。じゃあ、これはどう? ルーグはね、断られたのよ」


「まさか」


 振り返ると、ブリガは両肩を竦めた。


「そのまさかよ。――ブリジットって知っている? 5年生の女の子よ」


「ああ、ハルから聞いたことがあるな。綺麗な声をした子だって。いつかアラウダに選ばれるに違いないって、ハルが言っていた」



 火の民にしては珍しく物静かな子で、歌を唄っている時以外は存在感が薄いのだともハルは言っていた。


 ――だが、それは逆に、歌さえ唄わせればその存在感を増し、誰もが目を引く少女だということだ。


「なんでブリジットはアラウダを断ったんだ?」


 皆の憧れであるプリフェクト。

 火の民にとってルーグは自分たちの象徴である。

 そんな彼から望まれれば断れる者はいないだろうと思われた。


 ブリガは表情を引き締め、声を低めた。


「ブリジットはね、お祭りを盛り上げる職に就きたいんですって。――お祭りの多くは豊作を祝うものや平和を願うもの。あの子は争いごとが嫌いなのよ。ところが、ルーグは……。ルーグの戦争好きを知らない人はいないわ」



 戦争を望むルーグのアラウダにはなれない。

 ブリジットの気持ちは痛いほどブロアには理解できた。


「そうか」


 ――仕方がない。ルーグが諦めるしかないだろう。


 だが、できれば諦めないで欲しいともブロアは思っている。


 ルーグが戦争を欲さなければブリジットは彼のアラウダになることを承諾するのだ。


「ルーグは餓鬼だ」


 ブロアは吐き捨てた。


「あいつは戦争と花火の違いが分からないんだ。戦争は花火ほど華やかなものではないし、格好いいものでもない。――あいつにも私たちのように世界中を駆け回れる力があったのなら良かったのに」



 偶然通りがかった国で戦場を目にして、ブロアはルーグの幼さに気が付いた。


 積み重ねられた死体の山。

 見てしまった瞬間、墓守という職を希望しているロクマリアを思い出して、彼の元へ一目散に駆け出した。


 そうして、彼を前にして、声を殺し涙した。


 ブロアの突然の訪問に驚いただろうに、彼は何も言わずにブロアの涙を指先で拭ってくれた。


 あれは数年前。

 何をしても華やかで目立つルーグよりも、物静かで無愛想なロクマリアの胸の方が大きいと感じた出来事だった。


 ブロアは屋根の上に仰向けに転がった。

 青く澄んだ空。

 柔らかそうな白い雲がふわりふわりと浮かんでいる。



「あいつ、本当は優しいヤツなのにな」


 たった一人を選べないくらいにルーグは優しい。

 選ばれなかった者の気持ちを気遣ってしまう彼に、戦場なんて似合わない。


 戦場には非条理に命を奪われた者たちで溢れている。


 ブロアは青髪を風に遊ばせ、呟いた。


「――そろそろ劇の練習に出ないとマズイかなぁ」


 独り言のつもりだったのだが、そうね、とブリガの答えが返ってきて、苦笑した。











 ▽▲









 大混乱。

 ――という言葉がまさに当てはまる状況だった。


 うんざりする。

 ルーグはブロアのように姿を隠したい気持ちで、パーティー会場を見回した。


 ベルティネ祭の準備の進む寮内。

 喧嘩の原因は装飾方法の対立だ。


 ダイアンは窓枠に薔薇の花を飾るべきだと言い、クラナドは芙蓉を飾ろうと言い、サモンは何も飾らないと言い張る。


 三人それぞれが支持者を従えて、まさに一触即発というところにルーグは呼びつけられた。

 喧嘩の仲裁もプリフェクトの役目だ。


 言い分を人通り聞いてやることにして、まずダイアンの方へと向き直った。

 ――が、その一瞬。

 クラナドがサモンに殴りかかり、場は騒然となった。




「やめろ、お前ら!」


 殴られた仕返しにと、クラナドを殴り返すサモン。

 それを見たクラナドの取り巻きたちがサモンの取り巻きたちに殴りかかり、放って置かれて堪るものかとダイアンたち一派も誰構わず殴りかかる。


 悲鳴を上げる少女たち。

 野次馬たちが殺到して、喧嘩を煽り出す。

 まるっきり無関係な者たちまでも殴り合いに関わり、ひどい有様だ。


「いい加減にしろ!」


 ルーグが片手を振り上げ、巨大なサラマンダーを召喚しようとした時だった。


 ザバァー、と雨。


 ――屋内なのに?


 振り返ると、冷ややかな表情をしたアルメリアがそこに立っていた。



 一人漏らさずずぶ濡れになった火の学生たちは情けない顔で水のプリフェクトを見やり、それから自分たちのプリフェクトに助けを求めて振り返った。


「アルメリア、その……。どうしてここに?」


「あなたに会いに来たのよ、ルーグ。――ものすごい騒ぎね。さすが火の民だわ」


 氷のような口ぶりにゾッとする。

 サラマンダーが水を何よりも嫌がることを承知で大量の水をぶっかけてくれたのだ。


 恐怖の大王が降臨した、と火の学生たちから囁かれてもルーグにはどうすることもできないと思う。


 アルメリアはすっと目を細めて彼らを一瞥すると、ルーグを見上げた。



「ちょっと来てくれる? 話があるの」


 逆らえるわけがない。

 ルーグはアルメリアの背を追って会場を出た。


「ブリジットのことなんだけど。――あなた、知ってる? あの子ひどい嫌がらせを受けているわよ」


「なんだって?」


 ルーグは驚きのあまり歩みを止めた。

 構わずアルメリアは足を進め、どうやらサロンの方へと向かっているらしかった。


「当然でしょう? アラウダになりたがっている女の子たちは大勢いるわ。それもルーグ、あなたに選ばれたがっている女の子がね」


 常に人気の多いサロンもベルティネ祭間近になると、ガランとしている。


 アルメリアはバルコニーに出ると、手摺りに身を乗り出し、爪先立ちになった。


「ここからでは見えにくいわね。――ほら、あそこ。あのあたりの屋根の上にブロアが寝そべっているわよ」


 サウィン寮からだと丸見えなの、と言いながらアルメリアは指差した。


 ルーグも隣に並んでブロアの青髪を捜したが、見つけられなかった。

 アルメリアは諦めたようにため息を着き、手摺りに背を預ける。


「ルーグは喧嘩を止めようとするくせに、戦争が好きなのね? 争いごとが好きなくせに、ブリジットが嫌がらせを受けていると聞けば、心を痛めるのね?」


 アルメリアの黒曜石の瞳が揺らぎ、その奥に映るルーグの表情もどこか切なげに揺らいだ。



「あなたとブロアが背中を預けるようにして立っている姿を見るのが、私は好きよ。でもね、ルーグ、お願いよ。ブロアを戦場に連れて行かないで。そして、できれば、あなたも戦場には行かないで。――それが火の民の気質なのだと言われてしまえば、水の民である私には何も言い返せないけれど。でも、私は、あなたにはブリジットの歌に耳を傾ける資格があると思うの」


 アルメリアはそっとルーグから視線を外した。

 見下ろす大地はさほど遠いわけではなかったが、どうしたわけか、足下がひどく心許ない。


「ブリジットはあなたが初めて選んだ‘たった一人’でしょう? 諦めてはダメよ」










 ▽▲








 ベルティネ祭前日。

 オルウェンの呼び出しを受けて、ルーグは彼女の部屋に訪れた。


 マゼンタ色のドレスを着た彼女の美貌は相変わらず際立っていたが、それによってルーグの顔色が変化することのないのも相変わらずだった。


 つまらなそうにオルウェンは肩を竦めた。


「あれは目を通したのか?」


「あのエロ雑誌のことですか? 見ましたよ、一応」


「で? ちゃんと出来たのか?」


「何がですか?」


 すっとぼけたのではなく、真顔で答えたルーグにオルウェンは心から嘆息した。


「お前がブリジットを押し倒したら教えろ。即卒業させてやる。卒論の提出も不要だぞ」


「何を言っているんですか」


 こちらも心底呆れて、頭を左右に振る。


「準備が忙しいので、会場に戻ってもいいですか?」


「まあ待て。――風のブロアはちゃんと劇の練習には参加しているか?」


「ようやく昨日から来だしましたよ。今日は徹夜で猛練習です」


「ブリジットはどうしている? アラウダを承諾しそうか?」


 答えようとして、ルーグは息を詰まらせた。




 ルーグの方こそ知りたい。

 ブリジットはどうしているのだろう? 

 どうしたらアラウダを引き受けてくれる?


 彼女以外のアラウダなど、もはや考えられなかった。


「ここ数日の間、何度か見かけました」


 他の少女たちに囲まれ、嫌味を言われているところを何度かルーグがさり気なく救ってやっている。


 ルーグがきっぱりと彼女を諦めるか、ブリジットがアラウダを引き受けてくれれば、彼女がそういった目に遭うようなことはなくなるのだが、相変わらず二人の状態は中途半端なままだ。


 そのため、少女たちの嫉妬をブリジットが一身に負うことになる。



「次は『女性の口説き方』という本を貸してやろう。お前は小さい頃、英雄物語ばかり好んで読んでいた。きっとそれがすべての原因なんだろうな。――くそっ。こんな風に育つと分かっていたら、ぶっ叩いてでも本を取り上げたんだが」


 オルウェンはさも悔しそうに地団駄を踏んだ。



 爆音。


 二人は顔を見合わせ、即座にバルコニーに飛び出した。

 小さな音だったが、サラマンダーたちが騒いでいる。

 あってはならない火気に、ルーグはその元を捜した。


「あいつら、また……」


 中庭に少女たちの塊。

 その中心はブリジットだ。


 ルーグは手摺りに足を掛け、一息に下へと飛び降りた。


 幸い、オルウェンの部屋は二階だ。

 苦もなく着地してみせると、少女たちに向けて低い声を出した。


「ブリジットに何をした?」


「ルーグ先輩!?」


 突然の火のプリフェクトの登場に少女たちは一様に驚きの表情を浮かべた。

 だが、それだけではない。

 彼は今にも燃え上がらんばかりの怒気を放っている。


 彼にしては珍しいことだ。

 火の民にしては穏やかで、どこか冷めたところのあるルーグはめったに怒りを露わにしない。


 だが、今の彼は明らかに怒っている。


「ルーグ先輩、私たちはその……」


 少女たちの膝が笑っている。

 ぺたん、と一人が尻餅を着いた。




 ルーグはブリジットの袖が裂けているのを見つけて、冷ややかで鋭い眼を彼女たちに向けた。


 ざわり、とルーグの赤髪が揺らぐ。

 彼のサラマンダーが熱い吐息を漏らした。


「行け。さっさと逃げるんだ。燃やされたいのか?」


 堪えきれない怒りにルーグの瞳が鮮やかな光を見せる。

 だが、彼女たちを炭にするわけにはいかない。


 にげろ、と怒鳴って少女たちを追い払った。


 悲鳴を上げながら、あたあたと逃げていく背中にルーグ自身も吐息を漏らした。


(胸が苦しい)


 こんなにも誰を想い苦しくなるのは初めてだ。


「ブリジット」


 彼女の名前を呼んで、ルーグはその場にしゃがみ込んだ。



 無理に押さえ込んだ炎が躰の奥で暴れている。

 吐き出したくて、吐き出したくて、堪らない。


「ルーグ先輩?」


 心配げなブリジットの顔が覗き込んできて、ルーグは無理矢理に笑みを浮かべた。


「髪が焦げているな。ここだ」


 ブリジットの左耳に触れる。

 熱い。

 先程の爆発はブリジットの髪を燃やしたのだと知って、胸が焼けるように締め付けられた。


 頬に触れ、肩に触れ、背中へと腕を移動させると、ぐいっと彼女の躰を引き寄せた。


「もう二度とこんな思いをさせたくない。俺の側にいるんだ、ブリジット。お前を守らせてくれ」


 腕の中で小さな躰が震えるのが分かった。

 そうして、彼女は首を横に振る。


「命を奪うことを欲する方に守って頂きたくございません」


 ブリジットは両手をルーグの胸に着き、肘を突っぱねた。

 躰を離し、ルーグを睨み付ける。


「私は、戦争を望むあなたが嫌いです」










 ▽▲










 舞台裏に紺色の衣装を着たブロアが優雅に紅茶を飲んで寛いでいる。

 緊張とは無縁の風の民。


 緊張するほど力を入れて練習してきたわけではない、という説もある。


 彼女たちからしてみれば、劇なんかの練習に命がけで取り組む火の民は正気の沙汰ではない、という言い分もある。


 どちらにせよ、このことに関しては数百年かけたって相容れないだろう。





 サラマンダーの王子の衣装を身に着けたルーグが舞台裏にやってくると、アルティオの残念そうな顔と目があった。


「どうかしたのか?」


「ルーグは何も思わないの? せっかく作ったアラウダの衣装が無駄になってしまったのよ」


 結局、ルーグはベルティネ祭当日になってもブリジットを説得できず、まだ他の少女をアラウダに選ぶこともできなかった。


「それからもう一つ。ブロアもちゃんとした格好をしたら相当な美人だと思うんだけど、普段もああだし、劇でも男装なのよね。残念だと思わない? ――ねえ、ルーグ。見たくない? ブロアのドレス姿」



 ブロアとは学園に入学して以来の長い付き合いだが、言われてみれば一度も彼女のドレス姿を見た記憶がない。


 だが、アルティオの言うようにそれを残念だとは思わなかった。


「ブロアは何を着ていてもブロアだろ?」


「もちろんよ。けど、見たいじゃないの。綺麗に着飾ったブロアが」


 プリフェクトであるブロアは行事の度に着飾っている。

 だが、それはアルティオにしてみれば数の内に入らないのだという。


「ドレスじゃなくちゃ! ブロアのドレス姿が見たいの」


 言って、アルティオは反応の悪いルーグに小首を傾げた。



「意外だわ。ルーグはブロアにアミの契約を迫っているくらいだから、絶対賛同してくれるって思ったのに」


「俺は別にブロアにドレス姿を求めてないからな」


「女らしさは必要ないってこと?」


「そうだな。ブロアにはずっと一緒にいて、同じものを見つめていて欲しいんだ」


 ――共に笑い、共に哀しみ、同じもので心を動かし、同じ時を共有したい。

 幼い頃からそうしてきたように、これからもずっと。


「そんなの違うわ!」


 不意に、アルティオが声を荒げた。





「ルーグはブロアに対して、抱き締めたいとか、キスしたいとか、思ったことないの? 胸がキュンと苦しくなったり、切なくなったりしたことはないの?」


「当たり前だ。ブロアはダチだ」


 即座に言い返して、ルーグはハッとする。

 驚いた表情の彼に、アルティオも驚く。


「ルーグ。あなたって、ずいぶんと子どもだったのね」


 アラウダの衣装が誰にも着られることなく、壁の装飾になっている理由をアルティオは知った。


 アラウダの歌を理解できない子どもに、アラウダを選ぶことは不可能だ。


 アルティオは顔を引き締めて、ルーグに向き直った。

 両手にぎゅっと劇の台本を握り締める。


「アラウダはね。命をかけて歌を唄って、平和を勝ち取った少女なのよ。愛する人々と愛する祖国を歌で救ったの。――そのことをよぉく考えながら、今日の劇を演じることね」


 劇は例年同じ内容である。

 だが、今年はアルティオによって台本の手直しをされ、特に火のアラウダが不在のため、彼女の出番がなくともストーリーが通じるように直された。


 アルティオは自分の台本に自信を持っていた。

 だからこそ言えた言葉だった。


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