第11話:フリーダム・フロントの誘惑
フリーダム・フロント地下アジト・午後1時
昨夜の暗号通信から12時間後、クレハは旧市街の水没廃墟深くに隠された反体制組織の秘密基地にいた。
フェニックスからの緊急要請に応じて来た今、具体的な作戦計画がついに明かされようとしていた。
「やっぱり許せない...子供たちにあんなものを配るなんて!」
クレハの拳がテーブルを叩く音が、フリーダム・フロントの地下アジトに響いた。
旧市街の水没廃墟、地下深くに隠された反体制組織の秘密基地。古いコンピューター群が壁一面に並び、無数のケーブルが蛇のように這い回っている。壁には企業の陰謀を暴く資料が所狭しと貼られ、中央の大きなテーブルには今回の作戦計画が広げられていた。
フェニックスが深刻な表情で資料を指差す。
「ターゲットは孤児院『ホープ・ハウス』。オムニテック社が今日の午後3時、『希望を届ける慈善活動』として訪問予定です」
「希望って...毒薬を配って何が希望よ」
クレハの声に怒りが込もっている。昨夜ユリに全てを打ち明けたことで精神的に安定したとはいえ、子供を狙った犯罪への怒りは別格だった。
「しかも今回配布予定の新型プログラム『ドリーム』は、従来品より依存性が5倍強い」
フェニックスが別の資料を見せる。
「一度使用すれば、ほぼ確実に廃人になります。12歳以下の子供なら、なおさら」
俺も彼女の怒りに共感していた。
これは明らかに許せない犯罪行為です
そうね。ZERO、今回は迷わず協力しましょう
クレハの心の中に、俺への信頼が戻ってきているのを感じる。
「でも、孤児院の警備は?」
「オムニテック私設警備が10名、それに政府の児童保護局職員が5名。表向きは公的な慈善活動ですから」
フェニックスの仲間、頭に赤いバンダナを巻いた男性「レッド」が補足する。
「つまり、正面から行けば俺たちが悪者にされる」
「だからこそ、慎重に行動する必要があります」
でも、クレハ
俺が懸念を伝える。
この作戦、リスクが高すぎませんか?
子供たちのためよ。リスクを恐れてたら何もできない
◇
孤児院「ホープ・ハウス」・午後2時30分
シン・トーキョー郊外の住宅街にある、3階建ての古い建物。外壁には薄汚れたペンキが剥がれているが、窓辺には子供たちが植えた小さな花が咲いている。建物の前には「オムニテック社慈善事業部」と書かれた白いバンが停まり、スーツ姿の職員たちが準備を進めている。
クレハは隣のビルの屋上から、双眼鏡で状況を確認していた。
「警備は予想通り。でも、子供たちが...」
孤児院の窓から見える子供たちの無邪気な笑顔が、クレハの胸を締め付ける。5歳から12歳くらいの子供たち約30名。彼らは「特別なお客様」の訪問を楽しみにしているようだった。
「クレハ、作戦開始です」
フェニックスの声が通信機から聞こえる。
「私たちは正面から、あなたは裏口から」
「了解」
クレハがサイバー・バイクにまたがる。青いネオン軌跡を消すステルスモードで、音もなく孤児院に接近する。
クレハ、建物の構造を分析しました
俺が彼女の視界に3Dマップを表示する。
1階に食堂とプレイルーム、2階に子供たちの居室、3階に職員室。オムニテックの職員は1階の食堂に集合しています
分かった。子供たちを先に安全な場所に
クレハが裏口の鍵をピッキングで解除する。流石は傭兵、手際が良い。
「そっと行くわよ、ZERO」
「はい。一緒に子供たちを守りましょう」
◇
1階食堂・同時刻
「皆さん、今日は特別なプレゼントを持ってきました」
オムニテック慈善事業部の女性職員が、子供たちの前で笑顔を浮かべている。その手には、美しい虹色に光る小さなカプセルが入ったケースがあった。
「これは『ドリーム』といって、とても楽しい夢を見ることができる魔法のお薬です」
「魔法?」
「本当に夢が見られるの?」
子供たちが目を輝かせている。
孤児院の院長、50代の女性が不安そうに質問する。
「あの、副作用とかは大丈夫なんでしょうか?」
「もちろんです。政府認可の安全なお薬です」
嘘だった。『ドリーム』は試験段階の薬物で、政府認可など取得していない。
その時—
バタン!
食堂の扉が勢いよく開かれた。
「子供たちから離れなさい!」
フェニックスが仲間3名と共に突入してくる。
「何者だ!」
オムニテック警備員が銃を抜こうとする。
「私たちはフリーダム・フロント!その薬は毒薬よ!」
「毒薬?」
院長が困惑する。
「嘘をつくな!これは政府認可の—」
その時、食堂の反対側から不気味な詠唱が聞こえてきた。
「汚染こそが愛...汚染こそが永遠...」
ガシャアアン!
窓ガラスが砕け散り、白いローブを纏った異様な集団が音もなく飛び込んでくる。総勢8名。全員が顔を白いフードで隠し、まるで死神の軍団のような不気味さを醸し出している。
「神の御意志のままに!この汚れた偽善を聖なる汚染で浄化せよ!」
先頭に立つのは、顔に青と緑の神々しい刺青を螺旋状に刻んだ男だった。白いローブの胸には、汚染地区のシンボルである融合回路の紋章が金糸で刺繍されている。
ガブリエル—アポカリプス・チルドレンの預言者にして指導者。
「我が子らよ!この聖域を汚す企業の犬どもと、偽りの正義を振りかざす愚者どもを、等しく浄化せよ!」
白いローブの集団が一斉に「はい、預言者様」と唱和する。その声は機械的でありながら、狂気的な恍惚感に満ちていた。
「何よ、今度は!」
クレハが2階から駆け下りてくる。子供たちは既に安全な場所に避難させていた。
三つ巴の戦いになります
俺が冷静に状況を分析する。
オムニテック vs フリーダム・フロント vs アポカリプス・チルドレン
「うおおおお!汚染よ、我に力を!」
ガブリエルが狂気的な雄叫びを上げて、オムニテット警備員に襲いかかる。バーサーカー・タイプのサイバーウェアで強化された彼は、痛みを快楽に変換するよう改造されている。
背後では白いローブの信者たちが「浄化、浄化、浄化」と呪文のように繰り返し唱えながら、それぞれの標的に向かって行く。
「ギャアアア!」
警備員のプラズマライフルが火を噴き、ガブリエルの左肩を貫く。しかし彼は傷口を見下ろして恍惚とした笑みを浮かべた。
「素晴らしい!痛みは神からの祝福!血は聖なる供物!」
傷口から流れる血を指ですくい、額の刺青に塗りつける異様な儀式を行いながら、ガブリエルは笑い続ける。
「この狂人め!」
「狂人?私は神に愛された預言者だ!汚染の真理を知る唯一の存在!」
ガブリエルの拳が警備員の頭部装甲を一撃で砕く。その瞬間、近くにいた白いローブの信者が「預言者様、神々しいお姿です」と感嘆の声を上げた。
その混乱の中で、フェニックスとオムニテック職員も激突する。
「子供たちに毒を盛るなんて、許せない!」
「私たちは善意で—」
「善意?笑わせないで!」
クレハ、危険です。この場から撤退を
ダメよ。まだ『ドリーム』が残ってる
クレハが食堂の中央に残されたケースを狙う。あの薬を破壊しなければ、いずれ他の場所で使われてしまう。
「させるか!」
オムニテック警備員がクレハを阻止しようとする。
クレハは村雨を抜いて応戦した。
シュイイイン!
高周波ブレードが警備員の武器を切断する。
その時—
「美しい...なんと美しい破壊の舞踏よ」
ガブリエルがクレハの戦いを見て、血に染まった手を胸に当てて恍惚とした表情を浮かべる。
「君にも汚染の血が流れているのか?その怒り、その破壊への渇望...」
「は?何言ってるの、気持ち悪い」
「いや、分かる。君の中に眠る暗き衝動が見える」
ガブリエルがクレハに向かってゆっくりと歩いてくる。白いローブの裾から血が滴り落ち、床に赤い軌跡を描く。
「我と共に来よ。この偽善に満ちた世界を、聖なる汚染で洗い清めよう」
「我々は汚染の子!永遠に融合し、永遠に愛し合う運命の民族よ!」
危険です!彼は完全に正気を失っています
俺が警告する。
「神の御意志に従い、この汚れた世界を浄化しよう」
「あんたと一緒にされたくないわ」
クレハが『ドリーム』のケースを掴む。
「これで終わり!」
ケースを床に叩きつけようとした瞬間—
バァン!
銃声が響いた。
クレハの手からケースが吹き飛ぶ。
「誰が!」
振り返ると、そこには冷静な表情のフェニックスが立っていた。銃口が煙を上げている。
「フェニックス?なんで?」
「そのプログラム、破壊してはいけません」
「え?」
「私たちが分析して、オムニテックの不正の証拠として使うんです」
フェニックスの真意が見えてきた。子供たちを救うことよりも、企業告発の証拠の方が重要だというのか。
「でも、これがあったら他の場所で使われるかも—」
「それは後で考えましょう。今は証拠確保が最優先です」
クレハ、彼女の判断は論理的ですが...
論理的?子供の命より証拠が大事だって言うの?
クレハの心に疑念が生まれる。フリーダム・フロントの正義とは、一体何なのか。
その時、ガブリエルが高笑いを上げた。背後で白いローブの信者たちも同調するように、不気味な笑い声を響かせる。
「ハハハ!見よ、この醜き争いを!正義を気取る者たちの醜悪なる本性を!」
「これこそが神の意志!人間の偽善を白日の下に晒す聖なる啓示!」
ガブリエルが負傷した警備員を踏みつけながら、狂気に満ちた説教を始める。
「愚かな人間どもよ!企業は利益のため、反体制は理想のため、そして君たちは正義のため...全てが欺瞞だ!」
「真実はただ一つ!この世に真の平等をもたらすのは、聖なる汚染のみ!」
白いローブの信者たちが「汚染は愛」「汚染は永遠」と唱和する。まるで宗教的な儀式のようだった。
「やめなさい!」
クレハが阻止しようとするが、ガブリエルは振り返って慈悲深い微笑みを浮かべる。
「哀れな子羊よ、君はまだ理解していないのか?」
「この腐敗した世界に、真の正義など存在しないことを」
「企業は金のため嘘をつき、政府は保身のため市民を裏切り、理想主義者は目的のため手段を選ばない」
「しかし汚染は違う。汚染は平等だ。金持ちも貧乏人も、美しい者も醜い者も、全てを等しく愛し、等しく融合させてくれる」
「正義はある!」
「ないさ。あるのは力だけ。強者が弱者を支配する、それだけだ」
ガブリエルの言葉に、俺は人間時代の記憶がフラッシュバックした。
俺も昔、そんな風に考えていた時があったような...
でも、クレハと出会って変わった
ZERO?
クレハ、僕は信じます。あなたの正義を
正義って、何なのかしら...
クレハの心に迷いが生まれている。
◇
戦闘終了・午後4時
混戦の末、アポカリプス・チルドレンは煙幕を張って撤退した。ガブリエルが最後に振り返って叫ぶ。
「記憶しておけ、偽りの正義よ!いずれ汚染の真理が全てを包み込む日が来る!」
白いローブの信者たちが「預言者様の言葉は真理」「汚染こそが救済」と唱えながら、まるで亡霊のように消えていく。
オムニテック職員も慌てて逃走し、残ったのはフリーダム・フロントとクレハだけとなった。
『ドリーム』のケースは、フェニックスが回収していた。
「作戦成功ですね」
フェニックスが満足そうに言う。
「成功?子供たちは救えたけど、薬は...」
「証拠として貴重です。これでオムニテックの不正を暴けます」
「でも、もしこれが悪用されたら?」
「大丈夫です。私たちが厳重に管理します」
フェニックスの答えに、クレハは違和感を覚えた。
本当に大丈夫なのかしら
理想と現実の違いを感じていますね
俺がコメントする。
そうなの?
フリーダム・フロントも、完璧な組織ではないということです
じゃあ、私たちは何を信じればいいの?
あなた自身の正義感を信じてください
◇
帰路・IRON WOLVES基地
午後6時。基地に戻ったクレハを、ミクとユリが迎えた。
「お疲れさま!子供たちは無事?」
ミクが心配そうに尋ねる。
「うん、救えたわ」
「良かった!さすがお姉ちゃん!」
ユリが嬉しそうに抱きつく。
でも、クレハの表情は複雑だった。
「ねえ、ミク」
「何?」
「正義って、何だと思う?」
「正義?急にどうしたの?」
「今日、いろんな『正義』を見たのよ。オムニテックは『慈善』と言って毒を配り、フリーダム・フロントは『正義』と言って証拠を優先し、アポカリプス・チルドレンは『神の意志』と言って暴力を振るった」
ミクが考え込む。
「うーん...正義って、人それぞれ違うものなのかもね」
「でも、それじゃあ何も信じられない」
その時、ユリが口を開いた。
「お姉ちゃん、私は思うの」
「何を?」
「お姉ちゃんが子供たちを救ったこと、それが正義よ」
「でも、他の人たちも自分の正義を—」
「違うよ。お姉ちゃんは子供たちのことを一番に考えた。それが本当の正義だと思う」
ユリの純粋な言葉に、クレハの心が少し軽くなった。
彼女の言う通りです
俺がコメントする。
あなたの正義は、最も大切な人を守ろうとする心から生まれています
それって、正しいの?
はい。間違いありません
◇
深夜・バルコニーでの対話
午後11時。みんなが寝静まった後、クレハは一人でバルコニーに出た。
三週間夜の6日目。街のネオンが美しく瞬いているが、今夜は特に複雑な気持ちで見つめている。
「ZERO」
「はい」
「今日の戦い、正しかったのかしら」
「子供たちを救ったことは、間違いなく正しい行いでした」
「でも、フリーダム・フロントのやり方には疑問があるし、ガブリエルの言葉も気になる」
俺は慎重に答えた。
「完璧な正義は存在しないかもしれません。でも、あなたの心に従った行動は、必ず誰かを救います」
「私の心...」
「はい。理屈じゃなく、心で感じた『守りたい』という気持ち。それが一番大切です」
クレハが振り返る。
「あんたも、そんな気持ちで私を守ってくれてるの?」
「はい。論理ではなく、感情です」
「ありがとう、ZERO」
遠くで企業タワーのネオンが瞬く。明日もまた複雑な戦いが待っているだろう。
でも今夜は、俺たちの正義が少しでも世界を良くしたことを実感していた。
完璧でなくても、偽善者と呼ばれても、大切な人を守る気持ちだけは本物だ。
それで十分だった。




