人生の大成者について
雲の上の都に小夜子は暮らしていた。
つい先日ここフィーロゾーフィア王国にやって来た、黒髪黒目の十四才の少女である。
着替えがそろっていないため、カチューシャにワンピースと毎日似たような服装だが、本人はあまり気にしていない。ファッションについては汚くなければそれでいいといった意見である。
(今日は定休日~♡)
ルンルンと昼日中にあるメインストリートを下っていく。
天空の浮島に建造されたこの都市は、上層から下層までのエリアを大きな石畳の道路でぐるりと巡るようにしてつなげていた。
小路と呼ばれるような隘路もあるにはあり、地理に詳しい住民ならばその入り組んだ細道をくぐって近道もできるのだが、新参者の小夜子に同じ芸当をこなすのはムリである。
本日は日曜日ということもあって、大通りは学生や働きざかりの若者たちで賑わっていた。
ギターと歌声だけを持参して勝手に路上ライブを開いたり、自宅でせっせとあつらえた手製のアクセサリーや雑貨を販売している露天商もある。
あやしげなフリーマーケットを抜けてしまうと、ふいに静かになる一画に出た。住宅街だ。
「あっ」
前から人が歩いてくる。
「エチカ!」
小夜子は袋とカバンを持った若い女の名を呼んだ。
黒いサングラスの奥からチラリと黄金色の目が少女を認める。
光彩の薄いため、日中の日差しはエチカには厳しいのだ。いかんせん季節はもうすぐ夏である。
金色の前髪をいくつかの細いヘアピンでセットした若い女性。年は十八だが肩や太ももの素肌をさらした服装と、背中まで伸びたくせのある長髪のために年不相応に世間ずれした風に見える。
フィーロゾーフィア国内において王からも一目置かれる〈錬金術師〉だが、常につけている作業用のグローブと、今も携えている長杖がなければとてもそんな学のある職に就いているとは思えない。
彼女――エチカに小夜子は駆け寄った。
「どこ行ってたんですか? ぜんぜん帰って来ないから、先にお昼食べちゃいましたよ」
時刻は午後一時だった。
さる理由からエチカの店に住み込みで働く身となった小夜子は、言い換えれば彼女の下働き兼居候である。
今日は休みの日であるため二階の自室でゴロゴロしていたのだが、午前十時頃にエチカが出掛けて行ったのは知っていた。
昼食でも作って待っていればその内帰ってくるだろうとタカを括っていたのだが、十一時になっても十二時を過ぎてもエチカは帰って来なかった。
だから「もうあのアホはほっといて先に食べるか」と居候の身でありながら家主より先に食事に手をつけることに蚊に刺されるほどの痛痒も感じずに自分で作ったハンバーグとプレーンオムレツの昼食を一人で頂いた。美味しかった。
「べつに良いわよ。帰ったら勝手に食べる気でいたから」
「ってゆーかそれは――」
小夜子はエチカの口から出ている細い棒に目を留めた。
「それは、昔懐かし棒つきキャンディじゃないですか!」
「そう」
エチカはヒョッコリ口から丸い板状のキャンディを引き抜いて、止まっていた足を先に進めた。
「昔の記憶が戻ってくれたようで何よりだわ。ひょっとしたら元の世界のことも思い出してくれたのかしら」
「んんんんんん――と思ったけどよく考えたら昔懐かしは気のせいだったかも知れませんんんん」
すれ違いざまに指摘されて必死に小夜子は言いつくろう。
日本からフィーロゾーフィア国に来た小夜子だが、記憶の中に元の世界の位置情報があれば送り帰せるということを知ってから、一生懸命に記憶のないフリをしている。
当然、エチカがその気になれば、小夜子の意識を覗き見るくらいのことはできるだろう。
が、そこまではプライバシーの侵害と考えているのか、それとも別の思惑があるのか、彼女は小夜子の頭の中をムリに見るという強硬策は取っていない。
今のところは。
ともあれ小夜子にとって目下一番大事なのはそこではない。いやさっきまでは一番警戒すべき事案だったけれど、喉元過ぎればなんとやらで、数秒の差異に拘らず彼女の会話の優先順位は別のものに変わっていたのだった。
「ずるーい!! アメちゃんあったなら言って下さいよお! わたしも食べたい!」
「無いわよ」
「ウソつき! じゃあ何で食べてるんですか!?」
「ゲーム屋で買い物したらもらったのよ。新作のソフト一本につき二回クジが引けてね、八等を当てたらくれたの。つまりはハズレ」
「ハズレでキャンディもらえたならアタリじゃないですか! ねーねーわたしのはあ!?」
「うっさいわねー」
エチカはハンドバッグを開けてキャンディを取り出した。
紙棒とフィルムのついた赤色の飴を小夜子に差し出す。
「なーんだ、あるんじゃないですか♡」
「ところが二つとも私が食べてしまうので実質一人分なのであった」
「わーん、下さいよ! ちょーだい、むしろよこせ!!」
「んなことで強盗みたいなマネするんじゃないわよ」
サルみたいに懐に飛びついて拳を振り上げる小夜子にエチカはアメちゃんをあげた。
小夜子はさっそくフィルムを剥がしてペロペロ舐める。
「えへへ、生きててよかった」
「……まあ、一回でもそう思える時があったってんなら、あんたの人生は大成功なのかもね」
小夜子はもうお出掛けなどどうでもよくなった。
エチカと帰ることにする。
「ところでエチカ、どこに行ってるかと思ったら、ゲーム買いに行ってたんですね」
「ええ、めっちゃ好きなRPGの新作が出てね。明日の開店時刻までプレイしてるから、ジャマしないでね」
「それって徹夜ってことですか?」
「そう。ズル休みするよりかはマシでしょ」
「どっちもどっちの気がします……」
小夜子はエチカと坂道を上っていった。
住んでいる雑貨屋に帰るのだ。
「つーか、あんたはどこに行こうとしてたのよ」
「市場で三時のおやつでも見て来ようかなって。でももういいんです」
「ふーん」
小夜子はキャンディを頬張りながら歩いた。
エチカのくじ運がなくて良かったと思った。




