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フィーロゾーフィア  作者: とり
第2話 バカじゃないことを証明せよ
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バカじゃないことを証明せよ-⑦

 




 ――記憶(きおく)を失(うしな)ったふりをする。


 そのためにエチカの知的探究を阻害(そがい)することについて、小夜子(さよこ)は心のなかで体感(たいかん)百回ほど「ごめんなさい」を繰(く)りかえした。が、およそ一秒(いちびょう)後にそんな誠実な所業(しょぎょう)に走ったのを後悔(こうかい)した。


 謝(あやま)ることなかった。


「はあっ!?」

 エチカがまくしたてる。

「てめえなんで雲(くも)のなかに突撃した時のことは覚(おぼ)えててこっちにくるまでのことは覚えてないのよ!! んなツゴーのいい頭(あたま)してんじゃないわよ思い出せすぐに思い出しなさい全(すべ)てを!!」

 と病(や)み上(あ)がりの小夜子(さよこ)の胸倉(むなぐら)をひっつかみ、昔(むかし)なつかしブラウン管(かん)テレビを叩(たた)いて映像の乱(みだ)れをなおす大老(たいろう)の如(ごと)く黒くてサラサラヘアーでたいへん都合(つごう)のよろしい頭を殴打(おうだ)する。


 小夜子(さよこ)は切りかえした。

 エチカと話していた医者の言葉(ことば)を使(つか)って。


「うう……そんなこと言われても――後遺症(こういしょう)ってやつでしょうかね」


 ぴた。


 エチカの鉄拳(てっけん)が止まる。

 作業用(さぎょうよう)の白手袋(しろてぶくろ)がいやに眩(まぶ)しいエチカの手が、空中でぶるぶる震(ふる)えている。


 小夜子(さよこ)は頭痛をこらえる風(ふう)に自分のこめかみを押(お)さえた。

 もちろんエチカに殴られた部分(ぶぶん)である。

 的確(てきかく)に押さえる。


「あの雲のなかですごく変な臭(にお)いがして、くらくらってなったんです。幻覚(げんかく)も見えた。光とか、亡(な)くなったはずの人の顔が見えたんです」

「…………」


 エチカは振(ふ)りあげていた拳(こぶし)をゆっくりとおろした。

 小夜子(さよこ)の服も放(はな)す。

 細(ほそ)いヘアピンをいくつか使って前髪を掻(か)きあげた額(ひたい)に、布(ぬの)に覆(おお)われた人差し指を押し当(あ)てて、

「わかった。わーかったわよ」


 医者(いしゃ)との会話が多分(たぶん)に効いているのだろう。


 後遺症(こういしょう)。


 深刻(しんこく)に交(か)わされていた二人(ふたり)の会話に聞き耳をたてていてよかったと小夜子(さよこ)は自分の采配(さいはい)をほめた。

 ほめちぎった。


 エチカがイスから立ちあがる。

「なんにしても、あんたはしばらくうちで暮らすことになるのよね」

 ベルトを巻(ま)いた細(ほそ)い腰をうんとのばして、壁掛け時計をかくにんする。

 夜(よる)の七時を差(さ)している。


「いまからでも採用(さいよう)試験を受けてもらおうかしら。具合がわるいっていうなら、一週間(いっしゅうかん)くらい待(ま)ってもいいけど」

「試験? テストがあるんですか?」

 小夜子はベッドから這(は)い出した。

「それに落(お)ちたらわたし、どうなるんですか?」

「食(く)い扶持(ぶち)をよそで稼(かせ)いでもらうことになる。住む部屋は貸(か)してあげるけどね、家賃(やちん)はもらうわよ。受かったら無料(ただ)」

「めちゃくちゃな!」


 フローリングの床に小夜子(さよこ)は飛びおりた。

 靴下(くつした)であるのに気づいて、揃(そろ)えて置いてあったローファーに足(あし)をねじこむ。

「てっきり無条件で雇(やと)い入(い)れてくれるのかと……あるいは面接(めんせつ)だけとか」

「そういうところもあるけど、私(わたし)んとこはちょっとやり方(かた)がちがうのよ。ばかな人間は雇(やと)いたくないからね、なぜならばかは私の邪魔(じゃま)をするから」

「ばっ……」


 歌(うた)うように言ってエチカは出口(でぐち)に向かっていく。

「いまからでも受けてみるって言うならついてきなさい。ただし、落ちたところで『あの時は不調だったんです』は通用(つうよう)しないわよ」

「のっ……」


 はたしてこの時、なぜこんなことを言ってしまったのか。

 小夜子(さよこ)自身にもわからない。

 それこそ毒(どく)の雲につっこんで、頭がどうかしていたとでも説明しないことには。


「のぞむところですよおっ! 受けて立とうじゃありませんか!」

「あんたその性格で損(そん)をすることって多(おお)くない?」

 と言(い)いながらも呆(あき)れるでもなく哀(あわ)れむでもなく同情するわけでもなく笑って、エチカは部屋(へや)を出(で)ていった。







 

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