07話。問い
連行された先は、俺のマンションから徒歩五分の範囲にあった喫茶店だった。
住宅街の中にある老舗の隠れ家的な店内には、重さすら感じられそうな程、珈琲の香りが充満している。
奥まった席に座り、照沢さんはメニューも見ずに、ブレンドでいいかと聞いて来た。
俺は頷く。奢ってくれると言うことなのだろうか?
水とメニューを持って来てくれたマスターに注文を通して、お互いきちんと向き合う。
「……」
「……」
じっと見られている。
お互いに無言。結構な時間無言のまま向き合い、珈琲が届いた。
マスターは静かに珈琲を並べて去って行く。
奥まった席が、一層濃厚な珈琲の香りで塗り潰されている。
いい香りなのだが、心情的にははそれ所ではない。
照沢さんが珈琲に口をつけるのに習い、俺も口へと運ぶ。
(……っま!)
美味い!
珈琲の香りの格調高さが半端ない。
最近、猛禽類カフェで珈琲の美味さを知ったつもりになっていた俺にとって、まだ上があるのかと衝撃的な心地で放心状態だ。
「こちら、お釣りです。ご確認ください」
「あ。ああ、はい。ありがとう」
珈琲の美味さに驚き、気を取られていると、レシートと小銭がテーブルの上に差し出された。
猛禽類カフェの会計だろう。受け取る。
受け取り、また無言。
コミュ障の気はなかったはずだが、言葉がまったく出て来ない。
マニュアル人間な所あるよな、俺。
美味い珈琲をもう一口飲む。
こんな時どうすればいいのかなんて、どんな教科書にも書いていない。
俺は口から放したカップから珈琲の香りを吸って、吐き出す勢いに乗せて、言う。
「ストーカー紛いな真似して、ごめんなさいっ」
今この場に相応しいのかどうかわからないが、後ろめたく思っているならとにかく謝るべきだろうと言う判断。結局常識に頼る。
俺はテーブルに両手をついて頭を下げる。
「ふふっ、なんでですか?」
あ。今の笑い声、完璧に光の天使ルミエールだった。
顔を上げれば、珈琲カップを手に笑っていた。
「……通報するとか、そう言う話じゃ?」
「お礼を言いに来たんですよ。私は照沢瑠理香と言います。放送の切り忘れを教えてくれてありがとうございました」
名乗られてしまった。ルリカ、瑠理香さん、か。ほほう。
それ、俺に教えて大丈夫なのか?
「……不気味じゃないのか? その、特定して、店まで通ってたんですけど……」
「そうですね、正直に言えば、かなり」
冷ややかな声。ですよね。実質犯罪だ。
「あの、誓って言うけど、初回以外は普通に客として利用していたんだけど……いや、信じて貰えるとは思わないけど……」
どうしたって言い訳がましくなってしまい、しどろもどろになる。
「信じます。おばあちゃんに良くしてくれていましたから。少なくとも悪人ではないと思います。うちのおばあちゃん、人を見る目はとても確かなので」
天使か。本物の天使か。
天使過ぎて、若干不安を覚える。
「……絶対じゃないだろ、頭のおかしなストーカーかも知れない」
「店内のお客さんの動向を見ていれば、不審者かそうじゃないかくらいわかりますよ。本物ならもっと隠れて来るでしょうし」
その逆もあるのでは?
怪訝に思うが、照沢さんは珈琲を置いて続ける。
「昔、芸能活動をしていた経験がありますので。そう言うファンを見分ける心得は少々あります。普通に常連のお客様として接しますので、ご安心ください」
軽く上げられた目は、前髪に隠れて陽と知れない。
昔と言うほど昔ではないはずだ。
12歳まではジュニアアイドルを続けていたようだし、見た感じ、照沢さんもまだ中高生と言った年頃だ。
そうだ、学校はどうしたんだ?
「もしかして、昔の私も知ってます?」
疑問に思っていると、先に問われた。
問われてしまえば、下手に誤魔化すよりも正直に答えるべきか。
「美沢ひかる?」
「んぅー……恥ずかしいですね」
肯定の意味だろう。今、光の天使ルミエールの困ったときの癖、んぅーが出ていた。
それはともかく。
「それは……なんで特定されたんだ? ストーカーか?」
なにを知っていれば、光の天使ルミエールと美沢ひかるが直で結びつくのか。
「インタビューのシーンで、キャラメル味が大好きだって言っていたのを、そのまま光の天使ルミエールで言った次の日にそう言う話が出ていました。自分のミスです」
あ、インタビューシーンなんてあるのか。
意外と単純な答えだった。
大人の俺相手に全く萎縮せず自然体で、綺麗な敬語が身についているのも、そう言う場をこなして来たからなのだろう。
光の天使ルミエールの堂に入ったトーク力でかなりの放送頻度だったのは、プロではないが完全な素人でもはなかったからか。なるほど。
「うん? あ、じゃあ子供の頃の声と顔だけなら、完全に特定されてるわけじゃないんだ?」
「そうですね、憶測です。その手のコメントはもう相手にしていませんし……子供の頃の声と、今の声、自分ではあんまり似てないと思うんですが、似てます?」
「いや、ええと、買ってないから、内容は知らないけど」
どう答えれば良いのかわからず、言い淀んだ。
買ったよ! 美沢ひかるのファンだよ! 的な反応の方が良かったのか?
照沢さんはと特に気にする様子もなく、会話を続ける。
「そうなんですか。DVDを見て貰ってもいいんですけど、私が持っているのは編集前のマスターなので人にお見せ出来ない部分が所々あるんですよね」
「いや、大丈夫」
俺は珈琲を一口飲んでから、聞き辛いことを切り出した。
「……特定されたら引退するって話は?」
「全部を知っているのは、たぶんおばあちゃん以外では貴方だけです」
つまり、俺を始末すれば……な訳ないか。
照沢さんは、背筋を伸ばして真っ直ぐに俺を見ながら言う。
「私の活動は秘密にしていてください」
「もちろん。美沢ひかるさんの方は正直よくわからないけど……光の天使ルミエールは大ファンだから、うん、大丈夫、推しが困るようなことはしたくないよ」
予想していたので快諾する。
冗談でも秘密にしておいて欲しければ俺の言うことを……なんてことは浮かばなかった自分の良識を褒めてあげたい。
「……」
「?」
照沢さんは真っ直ぐの姿勢から、やや首を傾げる。
「なんだか、不思議な感覚です……ファンと言われて嬉しいことは、嬉しいんでしょうが……なんでしょう、この、私に言われてもしっくりと来ない感覚は?」
「じゃあルミエールさんに伝えておいてください、って感じでどう?」
「ポン子さん形式ですか?」
「知ってるのか」
「当然です」
そんな話題をきっかけに、バーチャルアイドルの話が始まった。
少し話しただけでも、俺よりもバーチャルアイドル界隈の事情に詳しく、配信では滅多にしないが声優アイドルやリアルのアイドルについても詳しいことも知れた。
特に彩橋46のメンバーは全員一期生から把握しているとのことだ。
(と言うか、結構喋るな)
根暗そうな雰囲気なのに、丁寧口調の早口ですらすらと話しているのは、流石はアイドル志望と言うことか。
「ルーンさんですか。先日のあれは……」
「ああ、イットウくん酷かったね」
「……」
おっと、ディスりは良くないか。
照沢さんは口を噤んで、少し考えて言葉を選ぶ。
「イットウさんだけではないと思います。ルーンさんの……いえ」
言いかけて止める。意外と辛口な意見も持っている感じだ。
ファン心理と言うのもあるのだろうが、アイドル志望として色々と勤勉なのだろう。
漫画や小説がメインの、原作派の俺とは少々趣味が外れているが、女の子とオタク談義をするなんてとても新鮮だった。
「ふふっ、そうですか、カイタさんって貴方だったんですか」
「俺が描いた絵も見てくれてたんだな」
こちらのネット上での活動も晒しておくのフェアかなと思い、SNSのアカウントを教えつつ俺が投稿した絵の話題になった。
「はい。ルミさん、いつも喜んでいましたよ」
リアルで光の天使ルミエール呼びもどうかと、略したのだろう。
光の天使ルミエールがいいねを押してくれているので、もちろん見てくれていたのだろうが、照沢さんに言われるのもなんとも不思議な感覚だ。
「ルミエさんか……怒られそうだな」
「怒られそうですね」
二人で笑う。
俺はバーチャルアイドル光の天使ルミエールのファンで、照沢さんはその知り合いだと言う体で会話は弾む。
正直、とても面白い。
(それに……)
ほんと、笑うと途端に可愛いな。
「私のことは気にせず、これからもカフェの方に来て頂いても大丈夫ですよ?」
「あー……行きたいんだけど、割引券あと一枚なんだよなぁ」
すっかり砕けた口調で、気安く呟いていると。
「これ、差し上げます。確かにいいお値段しますものね」
自分の鞄から割引券を出してくれた。
俺は慌てて手を振って断わる。
「あ、いや、いやいや、そんなつもりじゃないから!」
「そうですか?」
「うん、大丈夫。こちとら社会人だぞ」
「そうなんですか」
「大型スポーツ用品店、わかる? あっこに勤務してるよ」
勢いで職場も晒してしまったが、もう今更か。
「そうなんですね。私もたまに靴買いに行ってますよ。以前から会っていたかも知れませんね」
「アウトドア用品売り場担当だから、どうかな?」
「そちらの方にはあまり足を運びませんね」
「キャンプとかしない?」
「はい。昔からインドア派です。遠出は……昔、グアムに行ったことがあるくらいですね」
へぇ、羨ましいなと声が出かけて、考え直す。
「それは……撮影とかで?」
「はい。12歳の頃、最後の撮影で行かせて貰えました」
「それはー……それは、普通に話題にしても大丈夫なの?」
「一応あれは私ですので。私の芸名です。渡辺さんは、あの手のジャンルには抵抗ある人でしたか?」
「いやいやいや、よくわかってない世界の話だから、どう反応すればいいのやらわからないかなって感じです、はい」
「DVD見ます?」
「いや、大丈夫です」
そんな風に会話は弾み、時間も過ぎて行く。
話題はルミさんと瑠理香さんが一致せず、不思議な感情を持て余していた件や、こうして話していればいる程、乖離は進んで行き、それもまた不可思議な感覚として、収まりが悪く感じている等の話になった。
「そうですか……それは、私が謝る所でしょうか?」
「いえいえ、それはもう俺が全面的に悪いから。今では本当に割り切って一ファンとして楽しんでるから。それがまた、こうして照沢さんと会って、なんだか不思議な感覚なんだ」
笑いながら言う。
照沢さんは、そうですか。と浮かない顔で小さく呟く。
「……私も、微妙にその気持ち、わかるかも知れません。ジュニアアイドルをやっていた頃は、私のファンだと言って貰えると素直に喜べていたと思うんですけど……私にルミさんのファンだと言われても、しっくり来ません……ルミさんは、私じゃありません」
本気でそう感じているようだ。神妙な真顔で腕を組み、顎に手を当てて考えている。
二人して首を傾げる。
「本物の光の天使ルミエールは、どこにいるんでしょう?」
それを光の天使ルミエールとそっくりな声で、だが全然違う容姿で言うのだから、本当に謎めいた呟きだった。
俺から答えられる質問ではないだろう。
そうこうして。
程よく会話も途切れ、頃合いだろうとどちらともなく察してお開きとなった。
奢ると申し出てくれたが、流石に年下の女の子に出させるのも格好悪い。
自分の分は自分で払い、喫茶店の前で別れた。
(不思議な時間だったな……)
のんびり歩いてマンションに戻る。
途中、フマフォが震える。
俺のSNSアカウントにダイレクトメッセージが届いていた。
送り主の名前は、ラピスラズベリー。誰?
しかも長文だ。
――フォロー外から突然のダイレクトメッセージ失礼します。本日は突然の訪問で失礼いたしました。快く応対して頂き、ありがとうございます。配信停止の件も、重ね重ねになりますがありがとうございました。私の用件はあれで全てですので、今後も気にせずお店を利用してください。それでは、またのご来店をお待ちしています――
……ああ、ラピスラズリね。瑠理香さんのプライベートなアカウントか。
言葉遣いもだが、文章もすさまじく丁寧だな。
わかりました。だけでは味気なかろうと、申し訳程度にお愛想の文章を少々つけて返信しておく。
(……たぶん、もう行かないけどな)
一枚残った割引券は勿体無いが、普通に顔を出し辛い。
光の天使ルミエール、ルミさん。照沢瑠理香、美沢ひかる、ラピスラスベリー。
沢山名前が出て来たが、結局の所、本当は一人の人間なのに、やはり光の天使ルミエールだけが浮いている。
考えれば考える程複雑な感情が湧いて来て、頭がもやもやする。
(バーチャルアイドル……か)
これは本当に、色々と認識が狂ってしまうな。
もしかしたら、平気でセクハラ染みたコメントをしたり、悪びれなく個人特定や晒しなんてストーカー行為をしている人達も、キャラクター感覚で現実感の無いまま認識がおかしくなっているのかも知れないなと、ふと思った。




