02話。行く
俺こと渡辺櫂太郎。
関西地方の片隅、大阪に程近い県に住んでいる。
ネットリテラシーやら個人情報の管理、特定の怖い時代だと言うことで彩橋県と架空の県でも名乗っておくか。
彩橋県の彩橋市在住のオタク、俺こと渡辺櫂太郎。
オタク系専門学校へ進み、オタク道の奥深さに挫折し、アルバイトをしていた大型スポーツ店の社員試験を受け、そのまま契約社員から正社員へと昇格した現在23歳。
今では趣味でアニメやゲームにバーチャルアイドルの追っかけが加わり、専門学校で身につけたお絵描きの技術でファンアートを描いたりして、オタクコンテンツを楽しみ、仕事は真っ当にアウトドア用品売り場担当の店員に落ち着いている。
アウトドア用品売り場は秘密基地感があり、男の浪漫がくすぐられてなかなか楽しい。
ゆるキャン好きです。でもやっぱり俺はヤマノススメ派かな。ここなちゃんの強キャラオーラは反則ですよね。あのシーンで使われてたの、コルマンのやつですよね。なんて軽いオタク談義が通じる仲間もいてくれる。
まあ、一番好きなのは某亀五郎さんの動画なんだけど。その影響でキャンプアウトドア部門に移ったくらいだし。
「ルミエールちゃん、善き……」
「善きでしたねぇー」
遅番でも10時には仕事が終わり、時間が合えば帰り際休憩室で缶コーヒーを片手に、俺を含めて三人のオタク仲間でソシャゲをやりつつオタ談義に花を咲かせるのが日課だ。
最近はもっぱら推しバーチャルアイドルの話題で盛り上がっている。
「そうや、あっこのスーパーもつい最近っすよね、アレになったの」
「ああ、セルフレジ導入されたの?」
昨日、光の天使ルミエールが話していた話題だ。
「あの店のレジ、小さいおばあちゃんなんていたっけ?」
「さー、どうだったっすかね。店員のことなんて普通は気にしないっすよ。本社ですら気にしてないってのに……来月頭にまたテントの入荷するとか言ってるんすよ、売り場どうすりゃいいんすかねぇ」
「本社の指示だからな、とりあえずどこかに出さないと駄目だろ」
「もう棚のキャパいっぱいっすよ? 今あるやつを移動させるにしてもどこ運ぶのか……俺と渡辺さんと二人でっすか? 残業はするなって言うんすよね?」
「……うーん」
俺に言っているのだろうが、ゲームに集中しているふりをして、曖昧な相槌で聞き流す。
確かにそれも頭の痛い懸案なのだが、今の俺にそんなこと考えている余裕はなかった。
「そうね、じゃっかん手伝ってあげたいわね」
生放送中に光の天使ルミエールが言っていたセリフを、年配の先輩チーフ、吉田益男さんが声を作り言っている。
「ヴぉぇ。え、手伝ってくれるすか吉田先輩?」
同じアウトドア用品売り場担当の後輩、三河聡くんは吐く真似でツッコミを入れてから会話を続ける。
「ルミエールちゃんが善行を見守ってくれてるからな、しゃーなしだ。時間作るよ」
「本当っすかー、いやぁ尊きっすわ、ルミエールちゃんに感謝っすわ」
「べ、べつに、あんたのためにやるんじゃないんだから、勘違いしないでくださいよ!」
「ヴぉぇ。セリフリクなのに途中から本気で照れて敬語になるの、やっぱあれ演技なんすかね。自然過ぎてわかんないっすけど、善きっすよねー」
「善きだよなー」
何気なく交わされている他愛もない会話だが、俺が握るスマフォは手汗でぬめっていだったりする。
(……俺、だよな)
光の天使ルミエールの魂の人は、この地域に住んでいる。
老婆を助けた話だけなら、ここまで確信は持てなかっただろう。
微妙に俺が体験した状況とも食い違っている。単に老婆の道案内をしただけではない。
荷物が重そうだったので、大丈夫か聞いた所、変な難癖つけて絡まれてた。
だが地図アプリの情報と、意識しながら過去動画を探ってみると、ごろごろと出て来る特定出来そうなワードの数々。雑誌の発売日情報なんて危険球も平気で投げていた。
おそらく、俺が老婆に絡まれていた光景を傍から見ていたのだ。
そして生放送では少し改竄して話たのだろう。
「櫂太郎どうした? 今日元気ないけど、もしかしてルミエールちゃんの配信見逃したとか?」
会話に参加して来ない俺を、吉田先輩が心配してくれている。
「いえいえ、見ましたよ。善きでしたねー」
「ホーム画面映って慌てたルミエールちゃん見たっすか? かーいかったっすねぇ」
しみじみと言う三河くんへ、俺は曖昧に返事をして話題をソシャゲの攻略へと逸らす。
俺だけが知っているであろう秘密に、手汗が止まらない。
その後も上の空で会話に参加しつつ、切りのいい所でお開きとなった。
帰り道。
時刻は10時半。
職場から自宅のマンションは自転車で5分の距離なので、なるべく光の天使ルミエールの放送が始まる11時前後には画面の前で待機しているのだが、生放送開始の通知が来るように設定してあるので、ゲリラ配信や帰宅出来ない日なんからスマフォで見たりもする。
(……)
回り道をして駅前を道に自転車を向ければ、彩橋県にある唯一の猛禽類カフェがある。
真っ直ぐ帰るか、回り道をするか。交差点で迷う。
(ストーカーじゃねぇんだから……)
それに、今から行っても猛禽類カフェも閉まっている頃だろう。
失笑を溜め息に交え、自転車を真っ直ぐ漕ぎ出す。
吐いた失笑が白く煙って後ろに流れた。
帰宅してからは、気を紛らわせるために昨日の配信であった光の天使ルミエールが神殿で白米と漬物を美味しそうに食べている絵を描いていたのだが、俺よりも上手い絵師が同じような絵を既にSNSに上がっていたので萎えた。
でもありがたく保存させて貰って高評価をつけておく。
今日もまたラフをそのうち描くフォルダに突っ込んで筆を投げる。
そのまま光の天使ルミエールのSNSページをチェックするが、更新はない。
(今日の配信はないか……)
もやもやとした気持ちを抱えたまま布団へと入り、眠気が訪れるまで、脳内ではずっと光の天使ルミエールの魂の人物像を妄想していた。
夢で大人びた美貌を持つ金髪青目の天使のお姉さんが出て来たような気がする。
翌日は休日で、朝から家の掃除をしているのだが。
だめだ、もやもやが晴れない。
気分転換にと家を出て、散歩。自然と足は駅前へ向かう。
駅近くにあるビルのテナントの一階に入っている、猛禽類カフェの前を通り過ぎては戻って来てを繰り返している不審者の俺がいた。
知りたいけど知りたくない。知りたくないけど知りたい。
知りたくないけど、憧れのアイドル的な存在がすぐ近くにいるんだよな……。
いや、でもその人本人は光の天使ルミエールではないわけで、出会った所で俺はただの不審者だし、実際夢壊されるかも知れないし……。
好奇心と……なんだろうこれは、恐怖心?
今、楽しんでいるコンテンツに変なケチがつかないか、怖いのかも。
そんな風にもやもやとしながらこんな場所まで足を運んでしまった。
いったい自分がどう言う心理状態なのか、自分でももう良くわからない。
「……30分だけ」
30分だけ待って、それで見つからなければこの件は綺麗さっぱり忘れて、ただの一人のファンに戻って生放送を楽しもう。そうしよう。
(本気でストーカー染みてるかな……)
いやいやまあ普通に光の天使ルミエールの紹介で動物カフェとか猛禽類カフェ、気になってたし?
それは事実だし?
普通に客として行くだけだし?
そこでもしも、もしかして? と思える人見つけちゃったとしても、それは光の天使ルミエールの個人情報管理不足の落ち度だし?
俺が黙ってればバレやしないんだし?
ただの客だからなんの問題もないし?
よし、完璧な論理武装だ。
(馬鹿なことをしてるな)
今日、この時間、客として光の天使ルミエールの魂の人がこの店に来るなんてどんな確率だ。
会えるわけがないだろうに。
(たぶん、このもやもやに区切りつけたいんだろうな)
会えなかった、会える訳がないんだ、そう言う当たり前の現実を確かめて吹っ切りたいのだ、たぶん。
バーチャルアイドルを追っていると、本当に二次元のキャラクターが生きているような錯覚を起こし、現実との認識が狂うなんて言っていた吉田先輩を笑えないな。
苦笑しつつ覚悟を決めて店の扉を開ければ、二重扉になっていて肩透かしを食らう。
動物の逃走防止か。
アルコールスプレーが置いて有り、手と靴の裏をしっかり消毒しろとのことだ。
猛禽類カフェ用にデザインされた扉の雰囲気を壊すことを厭わない、大きな字で書かれている。
重要なのだろう、大人しく従う。
「……」
それが済み、もう一つの扉を押せば、もわっとした蒸し暑さと独特な臭いが顔面を襲って来て気圧された。
眉を顰めながらも店内を見渡して驚く。白を基調とした空間に、半個室のようなスーペースで仕切られた席が壁際に並び、木目調のテーブルや落ち着いた色の調度品。
店内の止まり木には数種類の大型猛禽類が止まっていて、動物園のようなガラス窓に面している中庭は、そのままガラス張りの温室となっていて小さな森がある。
店の前は何度も通っていたのに、こんなに本格的な店構えだったとは知らなかった。
だが、俺はあまり驚かず――いや、驚いているのか?――妙な既視感を覚えていた。光の天使ルミエールが語っていた内装に酷似しているのだと、遅れて理解する。
今日は平日だが、冬休みのお昼時と言うことでそこそこ席も埋まっている。
それでも混雑した雰囲気ではなく、みんな優雅なひと時を楽しんでいる様子だ。
店内を見渡していると、制服姿の若い店員さんがクリップボードを片手に近づいて来た。
一見さんに諸注意を説明してくれるのだろう。
早く席について、それらしい人がいないか探りたくてそわそわとして来る。
(一人で来ている客で、二十代中頃の女性を辺りに目をつけて行けば、案外もしかして本当に見つかるのでは?)
見つかるかも知れない。
あり得ないはずなのに、現実感が一気に湧き上がって、テンションが自分でも良くわからない風に舞い上がる。
探偵気分の好奇心に、高揚感と背徳感と罪悪感と僅かな嫌悪感が一気に渦巻いて――
「お客様、はじめてのご来店ですか?」
「おるやんけ」
思わず口から出た。
店内を危ない視線でぎょろぎょろ見回していた目玉が急停止して、眼球に痛みを覚える程の軌道変化で店員を見下ろした。
「はい?」
若い。中高生……高校生か?
黒髪のショートヘア―で前髪は長めで目にかかりそうな所で揃えられていて、顔立ちは良くも悪くも普通に見える。
背も低く化粧気もなく、第一印象としては暗そうな印象。
明らかにイメージしていた姿とは違う。もちろん光の天使ルミエールとも似ていない。
想像では俺と同年代か、少し上の明るい女性を想像していた。
目の前の少女は、どこにでもいそうな、平凡な少女だ。
この根暗そうな中高生が光の天使ルミエールだなんて想像もつかない。
脳内で微塵も繋がらない。
(なんだけど……)
親の声よりも聴いたその声を聞き違えるはずもなかった。
困惑し、フリーズしている脳とは別に、俺の口は自動で常識的な受け答えを進める。
「はい、はじめてです」
「いらっしゃいませ。当店ではご利用にあたり会員登録をして頂くか、身分証の提示をして頂く決まりとなっているのですが、宜しいでしょうか?」
「じゃあ……会員登録します」
「はい。では、こちらの用紙に記入をお願いします」
「はい」
クリップボードを受け取り、上にある用紙に記入して身分証と共に渡す。
「ありがとうございます。少々お待ちくださいね」
あ、今の「お待ちくださいね」の「ね」のイントネーション、完全に光の天使ルミエールだった。
鳥肌が立つ。
レジを操作しつつ会員特典や諸注意を説明してくれている。
その声を鼓膜だけで集中して聞いていれば、益々確信が持てる、この声だ。
口調は穏やかで抑揚があまりないので印象は相当違うが、光の天使ルミエールの声だ。
会員証は手早く出来上がり、言われるまま席に案内される。
「お決まりになりましたらまた伺いますので、どうそごゆっくり」
「はい」
女性店員がそう言い残して去って行く前に、名札に「照沢」と記されているのを確認して、謎の衝撃を受け、思考がまとまらない。
(えー……本当に……いたんだ)
現実に意識がついて行けていない。
椅子に座ってぼうっとしている。
見つかるはずがないと思っていたので、見つけてからどうしたいのか、それもわからずただひたすらぼうっとしている。
「……」
おっとこのままでは完全に不審者か。
幾分手遅れ感はあるが、周りのお客さんへの配慮も込めて奇行を取り繕う努力はすべきだ。
とりあえずメニューを手に取ってみる。
メニューの裏側に、先程受けたであろう注意点と同じことが書かれていたので助かった。
常識的なことと、店の利用ルールが書かれているだけだ。
(糞で汚れても文句言うなって、こんな所に来て言う人なんているのか?)
まあ極稀にいるのだろう。書いてある通り、手荷物は机の下に置く。
肩を竦めてメニューの表に目を向けると。
「……ほう」
お値段がお高い。ある程度予想はしていたが、予想よりも若干お高くて引く。
しばらく固まって、メニューから顔を上げる。
金額と言う現実に幾分冷静さを取り戻し、落ち着いて店内を見渡す。
(あー……でも良い場所だな)
臭いは慣れるまで仕方ないが、広くて天井も高く、清潔な店内に、健康そうな大きな鳥達があちらこちら、各所にある止まり木に数種類の猛禽類がいて、フクロウに巨大なオウムまでいる。
キャストなんて呼ぶんだったか。
テーブルその物の質も良ければ、置かれた調味料や紙ナプキン、メニュー等の備品もしっかりしてるし、それぞれのテーブルに置かれている小さな観葉植物も癒しだ。
中庭の温室から大きなガラス窓を通して入る日差しは店内を明るく照らし、開放感があって冬だと言うことを忘れさせてくれる。
鳥ではなく、森を眺めながら一時の癒しを楽しんでいる客も見受けられる。
この設備を維持していくには、これくらいの値段は妥当なのだろう。
この店があまり騒がれず、客層が上品なのも頷けた。値段で客を選んでいる。
(まさに憩いの場って感じだな)
常連客が殆どのようで、がっついたりしていないのも好印象。
鳥達と触れ合っている客も、若い人もいるのにミーハー気分で騒がず、弁え余裕を持って接しているのが、見ているとこちらまで優雅な心地になってしまう。
そこに。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
女性店員――照沢と言う名札をつけた店員さんが水を運んで来てくれて、注文を取りに来た。
俺の頭の中はおお泡、大泡慌あわあわて大慌てで適当なメニューを頼む。
「サンドイッチセットですね。かしこまりました。少々お待ちください」
単なるマニュアル応対に、また頭の中がかき乱される。
光の天使ルミエールなら、どんなにつまらないネタでも、もっと嬉しそうに喋る。
鼓膜に響く声と、目の前の現実が一致しない。
渦巻く感情をどう処理しすべきなのか、自分でもよくわからない。
行儀よく座ったまま脳内で激しくもがいていたので時間の経過は良くわからないが、別の店員が注文した料理を運んで来てくれた。
サンドイッチと珈琲。目的は飯ではないので、なんでもいい。
時代に取り残され気味の喫茶店で出されていそうな、シンプルなタマゴサンドとハムとレタスを挟んだハムレタスサンドだ。それが4つ。
サンドイッチの数え方ってこれでいいんだっけ。2枚の食パンで具をサンドして、斜めに切って2つと数えていいのかな。
どうでもいいか。三角型のサンドイッチが4つ、白い皿に並んでいる。
つけ合わせに野菜の千切りとプチトマトが二つ乗っていて、ビスケットが添えられている。
別に置かれた小さな器に入っている、カルパス見たいなつまみは美味そうだと興味を引かれ、そう言えばメニューに書いていた鳥の餌かと思い至る。危なかった。
これであのお値段かー……と小さな溜め息は飲込んでおく。
気もそぞろなまま珈琲に口をつけて。
俺は目を見開く。
(――うまっ!)
美味い。
深い苦味がすっと喉へと流れ、後には新鮮な果実のような香りが残る。
生まれてこの方珈琲なんて缶コーヒーかインスタント、良くてコンビニのカウンターコーに慣れ親しんでいた俺の舌には衝撃だった。
コーヒーじゃなくて、珈琲だ。ニュアンスわかるだろうか。
(芳醇な、なんて言うんだろうか)
改めて、香る湯気を鼻腔で吸い込み深呼吸を繰り返す。
いい香りだ。豆の種類なんて知らない俺でもわかる上質さ。
珈琲の美味さに機嫌を良くし、よく見れば、白い食器は使い込まれているが質が良く清潔に磨かれていて、スプーンやフォークは名のあるブランドの品だったった。
こちらも歴史を感じさせる品だが、きちんと丁寧に扱われて来た風格がある。
(なにからなにまで、レベル高い店なのか……)
期待は大きくなり、タマゴサンドから口をつけてみた。
口に含んで一瞬、味が薄いと感じたが、即気づく、違う。マヨネーズの味が違う。
(自家製ってやつか?)
重くてしつこい味ではなく、爽やかでまろやかな酸味とコク、それが卵の淡白な甘味と合わさり口いっぱいに広がるのを胡椒の香りが引き締めてくれている。
勢い良く半分食べた所で、珈琲を一口。
食パンの甘味と珈琲の苦味が互いに引き立て合い、口の中で広がり溶けて行く。
(……ほう)
溜め息を一つ。いいじゃないか。
正直、コンセプトカフェ的な物は、料理なんて二の次、冷凍インスタントの素材をらしくデコレーションして、その場の雰囲気を楽しむ物だと割り切り無理矢理テンションを上げる場所だと思っているのでさっさと限定品だけ貰って帰りたくなる性分なのだが、これは嬉しい予想外だった。
(まあ、最近はコンセプトカフェでも料理に気合い入れている所も増えてるなんて話聞くが)
個人的な意見としては、ああいう場では予算一万、五千円と想定して行くので、その範囲内で出来るだけ飯のクオリティを上げる方がいいんじゃないかと思ったりするのだが、リピーターを作る目的ではないなら、料理の質を落としてでも人件費や内装費に回す方が喜ばれるのだろうし、キャスト目当てで通い詰める人的にも飯は質よりリーズナブルな方が喜ばれるのだろう。学生向けにも敷居は下げたくなるのか。
たぶん。知らんけど。
ともかく。
独り暮らしもそれなりに長く、ついさっき飯にこだわるようなことを語った癖に、自分で準備するのは億劫で適当に済ませることも多くなってしまっていた今日この頃、この料理は本当に不意打ちだった。
人間、心の籠った飯を食べると幸せになれるのだなぁと思い出させてくれる。
(うむ、美味い)
タマゴサンドを食べ終えて、続いてハムレタスサンドの方も味わって行く。
期待を裏切らず、しゃきしゃきとした瑞々しいレタスの食感の中に優しいハムの味が際立ち、舌を穏やかに楽しませてくれる。
最後に野菜とミニトマトで口の中をさっぱりとさせて、パン食後のぱさぱさ感を潤す。
デザートにビスケットをかじり、珈琲を飲む。よく合う。
充実感で思わず溜め息が漏れた。
(いやぁ、美味かった)
腹も満たされ、珈琲を飲みながら落ち着いて店内を見渡せば、結構がっつりと昼食を食べている人が多いことにも気づく。
(料理で食器も色々凝ってるんだな)
パスタを食べている人が多いようで、様々な皿が使われていてお洒落だ。
猛禽類にそこまで興味がなくても、この料理目当てで足を運んでいる人もいるんだろうな。
ただのサンドイッチでこれ程なのだから、他もさぞ美味いのだろう。
「お客様、こちら、あげ方わかります?」
「ヒぇい?」
いつの間にか照沢さんが席へ来て、小さな器、鳥の餌を示しながら俺に聞く。
「あ。ああ。ええ。あ、これ、この餌ですよね」
光の天使ルミエールの魂の人を見つけて――見つけてしまって――俺は一体どうしたいんだ?
料理の美味さに気を取られて、まるで考えが纏まらなかった。
一呼吸の間で、脳は高速回転し、答えを導き出そうとして、ふはは、秘密を黙って欲しければ俺の言うことを聞け。なんて発想が浮かんだ時点で思考を完全放棄する。
常識的な対応で乗り切ろう。
「えーと、ええ、見てるだけで十分かなって……はい」
「そうですか? スタッフがつき添いますよ?」
あ、笑った。店員用の愛想笑いだけじゃなくて、地を滲ませて笑った。
普通にしていると、どこにでもいるような、これと言って特徴の無い暗そうな顔立ちなのに、笑うと途端に可愛いな。
いやいやこれは普通に、異性に対しての感想のでセーフ。
いや、単なる客が店員相手に可愛いとか十分キモいか。
それに一体なにがセーフでアウトなんだ。もう訳がわからない。
思考を手放し、普段の俺ならこう言われればこう返すであろう言葉を無意識のまま並べる。
「それじゃあ……あげて見ていいですか?」
「はい。こちらへどうぞ」
固形の餌が入っている容器を手に、後に続く。
岩のオブジェで作られた水場に止まっている鷹の所に行くようだ。
「この子なら大人しいですよ」
「みんな繋いでないんですね」
動物園のように、他にも同じくらいの大きさの鳥が数羽、好き勝手な場所に止まっている。
この手の動物カフェで諸問題が起こっているくらいのにわか知識はある。
個人的な見解では、ペットの飼育や動物園となにが違うのかと思うのだが、劣悪な環境な所は本当に、我々常識人の想像を遥かに超えることを平気でやっていたりするので、その手の連中の所為で色々と厳しい指導が入ったりするのだろう。
「ええ、行動展示に力を入れて行きたいと、オーナーの方針なんです」
「あ、飛ばない鳥を見てなにが楽しいんだってやつです?」
「そうです。どこかでこの店の話を?」
「ネットで話題になってました」
「そうなんですか?」
そんな方針の店もあるらしい的な紹介だったが、光の天使ルミエールが言っていた。
俺は愛想笑いで頷く。
照沢さんは俺の曖昧な答えを気にした様子もなく、手に厚い手袋を嵌めて鷹を呼ぶ。
声だけを聞けば完全に光の天使ルミエールなのだが、口調がどうしても違和感がある。
(……んー)
ここまで言葉を交わしていても、光の天使ルミエールと、照沢さんが一致していない。
いつも見ている光の天使ルミエールの声で、別の人が喋ってる気がずっとしてる。
(やっぱり別の人……なわけないんだけど……)
これだけ状況証拠が揃っているのに、未だに納得出来ていない自分が本当に怖い。
思考がまた混乱状態に陥りそうになる。
と。
「っう、わ!」
鷹が飛来し、照沢さんの腕に羽ばたいて止まった。
驚くがかっこいい。
「大丈夫ですよ」
「ヒゃい」
鷹に注目していた所で、死角から声だけをかけられるとそっちの方にびっくりする。
幸い鷹を目の前にして緊張しているのだと思ってくれているようだ。
俺に安心するようにと微笑みかけてくれていた。やっぱ笑うと途端に可愛いな。
「こう、わかりますか?」
「こうですか?」
掌の上に小さな器を置いて差し出せば、鷹は器用にバランスを取りながら身を屈めて手の中に顔を突っ込んで来る。
臆せず啄んでくれるのはいいのだが、遠慮が無くて尖った嘴が結構でかくて怖い。
軽く声を潜めて浮かんだ疑問を聞いてみる。
「猛禽類の餌ってグロそうなイメージあったんですけど、こう言うのでも飼える物なんですか?」
「あの子なんかは食べてくれませんけど、意外と固形飼料も食べてくれる子もいますよ。これだけじゃ栄養偏るので、店を閉めた後にお肉もあげてますけどね」
ああ、この「ね」だけは完全に光の天使ルミエールだ。
「……色々な種類の猛禽類放し飼いって、出来るものなんですね」
「雛から一緒に育てて大きさが同じなら大丈夫だろうって、現在進行形で試している節もあるんです……っと」
「うわっ」
話していると、鷹はもう用済みだとばかりに羽ばたいて向かい側の止まり木へと飛んで行った。
店内を飛ぶ鷹に、お客達は歓声をあげる。
「でも、やっぱり繋いでないのって凄いですよね」
「皆さん驚かれますけど、事故が起こるかも知れないリスクを取っている方針とも言えますので……これが正しいとはなかなか言い難いところもあるんですよね。実際に喧嘩が元の怪我で命を落とした子もいますし」
ああ、そんなこと言っていたな。光の天使ルミエールが。
お高いキャスト――洒落じゃなくて猛禽類は無茶苦茶高額だ、車が買える――の損失リスクや、お客の前で残虐ショーを開始されるようなリスクを考えれば、従来通りに繋いで管理するのもそれはそれで利点も多いのか。
イベントの時間を設けて行動の展示をすると言うのも、喫茶店と並行している以上そんな手間もなかなかかけられない、か。
実演販売なんかもたまにするアウトドア用品売り場の店員として、ついそんなことに思考が逸れる。
まあ、鳥は最初に覚えることはよく覚えて忘れない反面、後から覚えたことを変更させるのは非常難しいとも聞くので、今更方針を変えるのは無理だろう。
どうこう言っても鳥籠の鳥でしかなく、飼い主の方針次第だ。さもありなん。
「鳥や爬虫類は表情が無いだけで、ちゃんと感情もあるし知能も高い生き物ですから、普段は無益も争いはしませんし懐いてもくれます。相性や性格にも寄りますけど、結構猫に近いんですよね」
それも言ってたな。光の天使ルミエールが。
光の天使ルミエールが楽しそうに喋っていたことを、光の天使ルミエールの声で、店員として平凡に、普通に喋っている。
(……もしかしたら、この子もリスナーとか、光の天使ルミエールの友達だって路線はないだろうか?)
この期に及んでまだ別人の可能性を探している。
「店内、鳥達の撮影は自由となっていますので、どうぞごゆっくり」
ぼーと聞いている俺に、たぶん一度説明してくれたことをもう一回言ってくれたんだろうな。
照沢さんが店員用の平凡な愛想を浮かべ、済んだ食器を下げてカウンターへと去って行くのを見送った。
椅子に戻り、手をつけていなかった水を一口。うむ、水も美味い。
料理だけでも、このお値段で納得するかも知れない。
「……ふぅ」
一息ついて。
普段見慣れない珍しい鳥より、意識は光の天使ルミエールの魂の人であろう、照沢さんへ向いてしまう。
カウンターの方を気にしていると、厨房から料理を盆に乗せて出て来た。
そのまま慣れた足取りでパスタを並べ、淡々と接客をして引っ込んで行く。
傍から客観視すると、本当に普通の、どこにでもいるような店員だ。
(単なるアルバイト慣れしてるからって、あんな綺麗な喋り方が身につくもんかね?)
接客中の口調と抑揚は平坦で、良く言えば無難、悪く言えばやる気を感じられない。
弾けるような声で楽しそうに「初見さんいらっしゃい!」と呼んでくれる光の天使ルミエールと、どうしても重ならない。
その後も、照沢さんはそれなりに忙しそうに店内業務をこなしている。
いつまで眺めてみても、一風変わったカフェだがそこには平和な日常があるだけだ。
(……帰るか)
照沢さんと言う名の店員さんに応対して貰い、会計を済ませて店を出る。
お決まりの、ありがとうございました。の声を背に店を出る。
間違ってもおつはれーしょんなんて言いそうにない口調だ。
(なにしに来たんだっけ……)
店から出て、冬の寒さに一気に頭が冷えた。
ただの現実がそこにあった。
「……」
食事は済んだし、鳥のキャストとも触れ合って猛禽類カフェを堪能した。
予想外の出費だが、お値段なりには楽しめた。
そう言うことにして帰ろう。




