第一話 世界最強、異世界に降り立つ
「好きだ! 付き合ってくれ!」
小学生の俺には、好きな人がいる。少し天然と噂されている転校生。
艶やかなショートヘアに、小動物のような優しい目をした女の子。
柊 小鳥さん。俺は彼女に、一目惚れをした。
人生で初めての告白。武田 一心として名を与えられ、生を受けたあの時から、俺はこの瞬間のために、今まで生きてきたのだと悟った。
だが、彼女は俺にこう答える。
「んー……『ディプロドクス』ぐらい、強くなってくれたらいいよ?」
「ディプロ……えっ?」
俺は失念していた。彼女が天然だということを。
俺は図書館で調べてみることにした。本によると、ディプロドクスは首の長い恐竜らしい。
とりあえず強くなればいいのだろうか。そう思って家に帰り、博識な父を頼った。
「強くなりたいか……それなら、僕の父に頼むのはどうかな? たぶん、人類で一番強い人だよ。まあ、忙しくてあんまり会えないんだけどね。連絡が来たら相談しておいてあげるよ」
「ありがとう、父さん」
だが、その翌年。交通事故で俺の両親は亡くなった。急な話だった。
一人になった俺は、日本に訃報を聞いて帰ってきたじいちゃんと暮らすことになり、じいちゃんの経歴を知った。
父さんの言う通り、じいちゃんはすごい人だった。
総合格闘技の世界王者であり、裏格闘技界でも最強と名を馳せた凄腕の格闘家だったらしい。
本当に人類で一番強いと言われていた人だった。
だが、俺の両親が死んだショックで、格闘技界からは引退するつもりのようだ。
そこで、俺は最後のチャンスだと思い、じいちゃんに頼み込んだ。
「じいちゃん、俺を強くしてくれ!」
人生で初めての土下座。俺は本気で強くなりたかった。
その思いが実り、じいちゃんはむず痒い顔をしながら、承諾してくれた。
「一心。本当に……わしでいいのか?」
「ああ、頼む!」
「わかった。だが、やるからには本気でやるぞ。もうお前を孫だとは思わん。その覚悟はあるか?」
「ある!!」
「ならば、わしの極めた人類の最終極地、豪魔獣王流をお前に伝授しよう」
「ありがとう、じいちゃん! よろしくお願いします!」
じいちゃんの修業は過酷だった。ひたすらに自分の限界を超えるための修業。
山を、海を、谷を歩き、何度もゲロを吐き、気絶し、自分の限界を超え続けた。
月日が経ち、体を鍛え上げた俺は、小鳥さんを学校のグラウンドに呼び出す。
彼女の前で自分よりも大きな岩を正拳突きで破壊して見せた。
すると、彼女はパチパチと拍手をしてくれる。
「お~~」
「どうだ? これで認めてくれるか?」
「えーと、じゃあ次は……」
「次があるの!?」
「アクロカントサウルスみたいに、強くなってくれたらうれしいな!」
彼女は上目遣いで俺に微笑み、そう言った。
くそっ、かわいい。
俺は頑張った。血を吐く努力をし、体を鍛えて鍛えて鍛えまくって、筋肉を絞り、極限まで強くなる努力をした。
鉄板を正拳突きで破壊できるようになり、彼女にそれを見せると……。
「すごーい!」
「ど……どうかな? これでアクロなんとかよりは強いかな?」
「じゃあ、次は……」
「まだあるの!?」
「ティラノサウルスくらい!」
ついに来た。いつか来るとは思っていた。やっぱり、恐竜といえばティラノサウルスだろう。だが、奴より強くなるということはそう半端なことではない。
それこそ、人類で一番強くならなければ……。
俺は本気で人類の頂点を目指す修行を開始した。
じいちゃんに協力してもらい、豪魔獣王流を極めるために来る日も来る日も修行をした。修行の果てに、俺は総合格闘技の世界王者の栄光を手にするまでに至る。
チャンピオンベルトを手にした俺は、小鳥さんに電話で連絡を取ろうとした。
だが……。
『プー……プー……』彼女は音信不通になっていた。
待たせすぎたのだろうか。俺はもう二十八歳、格闘技の世界王者としては若い方だが、女の子がそんな年になるまで待ってくれる保証はなかった。
目的がなくなった俺は、ただ挑戦者を倒し続けることにした。
挑戦者との熱い戦いを繰り広げ、勝っても負けてもお互いを称え合う。
最初の頃はその瞬間が心地良かった。
でも、いつの日かそれは称え合う瞬間ではなくなっていた。
「あんたに……勝てるわけねえよ」
そう呟かれるようになったのはいつからだろう。
五十三回目の防衛線を終えた頃だろうか。
俺が拳を振るうと同時に、相手の目から闘志の炎が消えていく。
その瞬間が、死ぬほど嫌だった。
戦いが終わるゴングが鳴ると、審判が当たり前のようにいつも俺の腕を上げる。
「ごめん……」
つい、言葉が出てしまった。
言ってはならない言葉だと気づいたのは、挑戦者の目を見た時だ。
その目がどんな感情かはわからない。ただ、絶望が彼の目を黒く染めていた。
「はは……」
乾いた笑いをして彼は俺を見る。
今日のために、自分の人生の全てを費やし、文字通りの全力を尽くして戦った相手に歯が立たず、挙句の上に勝ったことを謝られたのだ。格闘家としての人生のプライドを踏みにじったといっても過言ではない。そのことにちゃんと気づけたのは、彼の拳が俺の頬に放たれた時だった。
避けられなかった。
見えていたのに、とても遅く感じていたのに、避けることができなかった。
涙がついたその拳は、今までのどんな拳よりも深く、俺の心に突き刺さった。
「……もう……やめるか」
その拳を機に、俺は格闘家を辞めることを決意した。
俺を一人で育て、立派に格闘家として育ててくれた祖父には申し訳なかったが、これは決めたことだった。
最後に、俺は夜の街で飲み歩いた。食事制限で飲めなかった酒をたらふく飲み、酔っ払いながら街を歩く。だがそんな時、俺は運命と出会った。
俺が好きだった小鳥さんが、街を歩いていたのだ。
やっと見つけた。酔いはすぐに覚め、小鳥さんの元へと走った。
だが、同時に信号無視をしたトラックが横断歩道を渡ろうとしている彼女に向かって突っ込もうとしている。
「あぶない!!!!」
俺は咄嗟に飛び出し、彼女を背中で守った。
直後、トラックの衝突により、すさまじい衝撃が俺の体を襲う。
吹っ飛ばされた俺の体は近くにある外壁にぶち当たった。
「があああっ……!!」
更に、そのままトラックが押し潰すように俺の体ごと外壁に衝突する。
「あああああああああああ!!!!」
鼓膜が破裂するような衝撃の音がした。耳が、頭が痛い。
トラックからブーッ……ブーッ……とクラクションの音がかすかに聞こえる。
視界が、ぼやけていた。血の匂いがする。体が燃えるように熱い。
赤く染まった視界で、彼女の意識を確かめた。
「……こ、小鳥さん……大丈夫?」
「う……」
彼女は意識があった。ほっとした次の瞬間、彼女は言う。
「すごい……アランボウルギアニアみたい……かっこいい……」
キラキラとした目で彼女は俺にそう言った。良かった、最後に彼女と会えて。
しかもかっこいいと言ってくれる。こんなに嬉しいことはない。
なんとなく、わかっていた。自分がもうすぐ死ぬということを。
だが、意識がなくなる前に一つの疑問が思い浮かぶ。
『アランボウルギアニア』って……何?
きっと恐竜なのだろうが、俺はその疑問が解けないまま意識をなくし、目の前が真っ暗になった。
――目が覚めると、俺は森にいた。
日の光に照らされた木々と土の匂いが混じり、自然の香りがする。良い空気だと、干渉に浸っている場合ではなかった。
「なんで俺、裸なんだ!?」
何故か、裸だった。周囲を見渡すが、ここがどこか全く見当がつかない。とりあえず、近くの茂みにある葉っぱを手に取り、大事な部分だけは隠した。
「ここはどこだ? なんで俺はここに……?」
確か、トラックに轢かれそうになった小鳥さんを助けようとしたのは覚えている。だが、そこからの記憶が無い。
「死んだのか? 俺?」
裸の体、目の前にある大きな自然。天国と思わずにはいられなかった。
「なんだ、死んだのか……。じゃあ、いいか……」
面倒くさくなってしまった。どうせ死んだのなら、少し休みたい。
葉っぱを捨て、素っ裸の状態で地面をベッドにして寝ころんだ。
「はぁ~」とため息をついた時、寝ころんだおかげか、地面から音が聞こえた。
ドドドドドドと連続した地響き。
「なんだ?」
起き上がり、周囲を確認すると、地響きと同じタイミングで木々が揺れ始めている。目を凝らすと、遠くの方で黒い影が見えた。
その影は地響きと共にどんどん俺に近づいてきている。
「なんだ……あれ? 動物?」
影が視認できる距離になると、その正体が大きな黒い豚のような獣とそれに追われている女性だとわかった。
「ギャー!!」と走っている女性はどんどんこっちに向かってくる。
俺の存在に気づいたのか、更に叫び声をあげた。
「キャー!! なんで変態までいんのよー!!」
俺は慌ててそばに置いた葉っぱでもう一度大事な部分を隠した。
「俺は変態じゃねえ! 気づいたらここに……てかっ、あんた大丈夫か!」
「これが大丈夫に見える!?」
「……だよな!!」
俺は地面の土をかきわけ、泥を手の中で握りしめる。
女性が俺の後ろを走り抜けた瞬間に、豚のような獣の目に向かって泥を投げつけた。
泥は獣の目の中に入り、「グヒィー!」と叫びを上げ、動きを止める。
豚のような獣は泥を落とそうと、顔を何度も振っていた。
「あんた……やるじゃない! 助かったわ、今の内に身を隠しましょう!」
「ああ、そうだな!」
女性は何かの種を地面にばらまき、俺達は少し離れた茂みに隠れた。茂みから獣の動きを観察する。どうやら、泥は落ちたみたいだが、俺達を見失ったようだ。
「ふう……助かったみたいね」
女性は安心していると、俺に聞いてきた。
「ねえあんた、なんで裸なの? 変質者?」
「変質者じゃねえよ! 気づいたらここに……」
「そう……。まあ助けてくれたことには感謝しているけど、私の邪魔はしないでね。私はあの『ヘビィーピッグ』を狩らないと帰らないって決めているから」
「ヘビィーピッグ? あの獣のことか?」
「ええ。あいつを狩れば私の欲しい素材が手に入るの。だから邪魔しないでね」
女性はそう言って自分の装備の手入れをし始めた。ボウガンのような弓の武器に、獣の皮や鉱石で作られた身軽そうな鎧。装備の邪魔にならないように短く切ったブロンドの髪からは汗がポタポタと垂れている。装備の間から見える腕や太ももには怪我をしたのか、包帯が巻かれていた。
「ハァ……ハァ……」と荒い息遣いだが、その蒼い眼から闘志が消えていないことがわかる。
「なあ、俺も手伝っていいか?」
「はあ? 裸のあんたに何ができんのよ」
「注意を引くことはできる。それにあんた、ボウガンを使うんだろ? 囮役がいた方がやりやすいんじゃないか?」
「ダメって言いたいけど、そうね……。私の持っている矢は残り三発、これで仕留められなければ失敗に終わる。……いいわ、手伝わせてあげる」
「ほんとか?」
「ええ。ただし、無理だと判断したらさっさと逃げなさい。私は見捨てるからね」
「ああ、わかった」
俺は彼女に右手を差し伸べる。だが、彼女は俺の手を受け取らず、下を向いた。
「ごめん……下、なんとかして。その……葉っぱの隙間から、見えてるから……」
彼女の言葉に俺は自分のそれを見た。
「あっ……す、すまん!」
俺は左手に持っている葉をそこらへんに生えていた木のつるを使って縛り、なんとか俺の大切なそれが見えないように守った。
「じゃ、じゃあ……作戦考えるか」
「えっ、ええ……」
俺達は作戦会議の前にヘビィーピッグの様子を伺う。まだこちらには気づいていないようだった。
「それで、あのヘビィーピッグってのはどんな奴なんだ?」
「ヘビィーピッグは嗅覚が鋭いの。少しの匂いでも敵の匂いを嗅ぎわけて突進してくる。さっきは私が『迷香種』っていう匂いを誤魔化す種をばらまいておいたからいいけど、次バレたらもう通用しないわ。つまり、一度戦闘が始まったらさっきみたいに逃げることは出来ない。いいわね?」
「ああ、わかった。作戦はさっき言ったように俺が囮で、あんたが仕留める。それでいいんだな?」
「ええ、死なないでね」
「あんたもな。……あっ、そういやあんた名前は?」
「ナビィよ。ナビィ・ガーデン」
「そうか、俺は武田一心だ。よろしくな」
「ええ、よろしくね、イッシン。それじゃ、狩るわよ!」
「ああ!!」
俺は茂みから出てヘビィーピッグの前に立つ。
俺の存在に気づいたヘビィーピッグは「グモォォォォ!!」と雄叫びを上げた。
黒い毛皮が逆立ち、形相を変えてこちらを睨みつけ、突進してくる。
およそ自分の二倍以上もある黒い巨体が俺を狩ろうと殺意の塊をぶつけてきた。
崩れそうになる足に鞭を打ち、俺は気合を入れる。
「来い!!!!」
「グモォォォォ!!」
その大きな足音が地響きを起こしながら近づいてきた。
ヘビィーピッグが俺に触れられる距離になるまで俺は動かない。
眼前、ヘビィーピッグが手の届く距離にきた瞬間、俺は奴の両耳を掴んだ。
「うおおおおっ!!!!」
足を踏ん張らせ、ヘビィーピッグの動きを止めるために腰を落とす。
地面をえぐる音と共に、足を引きずった跡が地面にできる。
ヘビィーピッグは突進の勢いをなくし、足を進めようと動かすが、力が入りきらない。
そこから一歩も動けなくなり、鼻息を荒くして恨むように俺を睨みつけている。
「ナビィ! 今だ!」
俺の合図と共にナビィの持っているボウガンから矢が放たれた。
矢はヘビィーピッグの腹に直撃し、ヘビィーピッグは雄叫びを上げる。
「グモオオオオオオ!!!!」
「よし!」
だがその瞬間、ヘビィーピッグは顔を振り回して暴れ始めた。
「うわあ!!」
地面に振り落とされた俺はすぐに立ち上がろうとしたが、直後、ヘビィーピッグの急な突進を避けることができず、大きな衝撃が俺の体を襲った。
「ぐほあああああ!!」
勢いよく吹っ飛ばされた俺の体は宙に浮き、近くにあった木まで激突した。
「あがっっ……!!」
「イッシン!!」
ナビィはすかさずボウガンでヘビィーピッグに矢を放つ。矢はヘビィーピッグの片目に命中し、俺への追撃を止めていた。
「グオォォォォ!!」
ヘビィーピッグは怒りの雄叫びで地面を揺らし、ナビィに視線を向ける。
「やばっ……まずい!!」
ナビィは逃げるために立ち上がろうとするが、怪我をしている足に激痛が走った。
「いっ……!!」
その瞬間、ヘビィーピッグの突進がナビィの体に直撃し、吹っ飛ばされる。
体は宙を浮き、地面に落ちたナビィの体から骨がきしむような鈍い音が聞こえた。
「がっ……あっ……」
俺と出会う前にヘビィーピッグから攻撃を受けた箇所が痛んだのだろう。
最悪のタイミングだ。
だが、俺はただその姿を眺めることしかできなかった。
頭からたらりと血が流れているのが感覚でわかる。
頭が熱い……。俺達はこのまま……死ぬのか?
体の感覚がなくなっていき、視界が悪くなっていく。
俺はぼんやりとした視界から、走馬灯のように昔の記憶を思い出していた。
「おい、一心! なんじゃその構えは! やり直せ!」
「やり直せって、じいちゃん! 俺はもう世界王者なんだぜ! これ以上訓練しても意味ないだろ!」
「ばかもん! そんなもん取れてあたりまえじゃ!」
俺のじいちゃん。
古代武術『豪魔獣王流』の正統後継者であり、俺の師匠でもある。
そんなじいちゃんは俺を子供の頃から武道場で鍛え上げてくれた。
後に俺は豪魔獣王流をじいちゃんから受け継ぎ、正統後継者となった。
だけど、俺にはもうモチベーションが無くなっていた。
あの日から……ずっと。
「いいか、一心。よく聞け。わしらの使う豪魔獣王流は世界中の武を集約させて作られた太古から受け継がれし、伝説の武術。その技は対人戦闘だけではなく、自分よりはるかに強いマンモスや恐竜、太古の最強の怪物と立ち向かうために作られた。それが、豪魔獣王流なんじゃ。例え、人類の頂点に立とうが、お前は豪魔獣王流を極められておらん」
「そんなこと言ったってよお。今の時代にそんなマンモスや恐竜なんていねえし、世界王者になってから俺に本気で立ち向かってくれる奴もいなくなっちまった。俺……もうなんの為に強くなんのかわかんねえよ」
「ばかもん! それでも強くあり続け、心技体を磨くのが武術家じゃ! なぜそれがわからん!」
「わかんねえよ! わかるわけねえだろ!! 俺は……俺は!!」
初めてだった。じいちゃんに怒鳴り返したのは。
だけど、俺が強くなるほど、挑戦してきた格闘家の人生を壊すことになる。俺の拳は、心まで壊す凶器になってしまった。
それでも、まだ強くなれというのか。それが、どれほど残酷なことか。
そんなのはもう、俺の心が耐えられない。
「ごめん……。俺はもう……降りるよ」
「一心。お前……今なんと?」
そうして俺は、道場を出た後に酒で酔っ払い、夜道を歩いている時にトラックに轢かれて……気づいたら化け物と戦っている。
笑えるぜ、何が世界王者だ。じいちゃんの言う通りだ。いざ化け物と戦ったら、コテンパンじゃねえか。ダッセェな……俺。
そう思った時だった。暗闇からじいちゃんの声が聞こえてきたのは。
――本当に戦ったのか、一心。
その言葉に独り言のように呟く。
「なんだよ、じいちゃん。……死に際に声をかけるなんて、びっくりさせんなよ」
「一心。お前は、お前の心は、本当に戦っておるのか?」
「何言ってんだよ、戦っているに決まってんだろ」
「一心。わしには今、お前が戦う前から負けておるように見える」
「どういうことだよ、俺は戦っただろ? それに、あんな化け物に勝てるわけがねえよ」
「本当にそうか? 嫌だったんじゃないのか? 戦う前から負けを認めている奴らの目が、拳を交える前から諦めているその顔が、嫌だったんじゃないのか?」
「諦めている顔……?」
……そうだ、ずっと思っていた。
あの顔が、あの目が、あの諦めた心を見るのが嫌だった。
なんで諦めるんだよって、もっと……戦えよって。
もっと強くなるためにがんばれよって、ずっと思っていた。
なんで……なんで諦めるんだよ。
なんで……なんでもっと……。あっ……そうか……。
俺は気づいてしまった。
自分がいつの間にか、あいつらと同じ諦めた顔をしていることに。
「一心。戦うんじゃ! お前の心はまだ燃え尽きておらんじゃろ!」
俺の……心……。
「闘志を燃やすんじゃ、戦え! 一心!!」
じいちゃんの言葉の喝が、俺の心を熱くしていく。
そうだ……忘れていた、この気持ち。
心臓が滾る。心が熱い。燃え盛る炎の様に、俺の闘志が燃えていく。
そうだよ、久々の挑戦者じゃねえか。何を寝ている暇がある!
挑戦者を前に、どうして俺が諦めた顔をしなきゃならねえんだ!
俺はまだやれる、戦える!! 戦うんだ!!
闘志の炎を心に灯し、俺は目を覚ました。いまだ頭痛が響く中、状況を確認する。
「痛いな……だけど、スッキリした気分だぜ。悪くねえ」
ヘビィーピッグはナビィに追撃の突進をしようと足に踏ん張りをきかせていた。
「グモォ?」
だが、獣の直感が目覚めた殺気に瞬時に勘づく。
「よお……待たせたな。戦ろうぜ、ヘビィーピッグ!!」
目つきの変わったその男に、ヘビィーピッグは標的を定めた。
その闘志が、戦う意思を秘めた視線が、ヘビィーピッグに敵と認識させる。
「グモオオオオオオ!!!!」
今までで一番大きな雄叫びが森を揺らし、地面を揺らした。
ヘビィーピッグは地面に二回強い踏み込みを入れる。盛り上がった地面で足場を作り、次の一歩の準備を完了させた。荒い鼻息がその時だけは静かになる。
俺は構えを取った。右足を後ろに、体の重心を全て背中に預ける。体を斜めに構え、左足を前に置く。腰を引き、右腕を弓のようにしならせながら、限界まで拳を握り、引き絞る。左腕は狙いを定めるために顔の前に出し、手を広げた。拳の着弾地点を予測し、力を一点に溜める。
お互いにわかっていた。次の一撃に全てを込めると。
言葉を交わしているわけではない、互いの闘志が、わかり合っていた。
空気が張り付き、緊張が世界を包み込む。
「フゥーー……」
「グゥーー……」
互いの浅い呼吸が重なり合い、呼吸の終わりの静けさが緊張の空気を限界まで張りつめさせる。少しの砂埃が舞うと同時に一気に弾けた。
「グモオオオオオオオオ!!!!」
地面をえぐる踏み出しの轟音と共に、ヘビィーピッグは走り出した。
大きな空気の圧力が殺意となって向かってくる。
だが、俺はまだ動かなかった。
奴が一度突進を始めれば、その威力は絶大だ。だとすれば、そこに闇雲に打撃を加えれば威力は相殺されてしまう可能性がある。
狙うは反撃。奴の突進の威力を利用して俺の全力を上乗せしてぶつける。
ヘビィーピッグが眼前にくる、その瞬間。その時まで力を溜める。
まだ射程外。もう少し、あと少し、三、二、一メートル……!!
その一撃は体中の気、力、重心、全てを自分の背に預け、極限まで引き絞り、その力を右拳に集中させる。極限まで溜まったその力を相手の攻撃と同時に放つことにより、相手の威力に上乗せして放つ。外せば大ぶりの隙ができる一発限りの反撃技!
「豪魔獣王流、戦騎の構え! 戦乙姫の剛弓!!」
まるで銃撃のような、打撃とは思えない轟音が鳴り響く。めり込んだ拳はヘビィーピッグの顎に命中し、その黒い巨体が初めて、天を仰いだ。
「グォォォォ……!!」
地面に落ちる衝撃と共に砂煙が舞う。ヘビィーピッグは白目になり、気絶して動かなくなった。
「ハァ……ハァ……」
振り上げた拳が、体の熱が、俺の心に熱い何かを呼び覚ます。
忘れていたこの喜び。勝利の快感だった。
「……っしゃああああ!!!!」
大きな叫びと共に痛みを忘れ、無邪気に飛び跳ねた。
だが、喜びもつかの間、現実に気づく。
「あっ……そうだ、ナビィ!」
ナビィに駆け寄り、意識があるかを確かめた。
「大丈夫か……ナビィ?」
ナビィは胸を手で抑えながら答える。
「ありがとう、大丈夫よ……。それにしても、まさか素手でヘビィーピッグを倒すなんて……すごいじゃない」
「ああ。……でも、本当に大丈夫か? あのやられ方、骨が何本かいったんじゃないのか?」
「ええ。二、三本ね。でも、大丈夫。さっき回復液を飲んだから」
「回復液?」
「傷を修復してくれる特殊な薬を含んだ液体よ。内側から傷を修復してくれるの。時間はかかるけどね。骨も元通りになるわ」
「へえ~便利だな。現代医学もここまで進化するなんて……」
「あんた、回復液を知らないってことはハンターじゃないの? 何者?」
「えっ?……えーとっ……俺は……」
ハンター? なんのことだ? そんなゲームみたいな言葉……。
何かがおかしい。どういうことだ?
とりあえず、咄嗟に頭に浮かんだ言い訳を使うことにした。
「俺……遠い所からきた田舎者でさ、知らないことが多いんだ」
「ふぅ~ん、そうなんだ。まあ、いいけど。で、どうすんの? あれ」
「あれって?」
ナビィはヘビィーピッグに指を差す。
「狩ったのはあんたでしょ。横取りはしないわ。取り分はもらうけどね」
「いや、俺は別に……ナビィがもらってくれ。素材、欲しかったんだろ?」
「えっ、いいの?」
「ああ。それに、俺はもっといいもんもらったからな」
「……?」
ナビィは俺の言葉に首を傾げていた。まあ、無理もないだろう。
でも、それでいい。
「……じゃあ、遠慮なくもらってくけど。やっぱなしはダメだからね」
「言わねえよ」
「そう、じゃあお言葉に甘えて」
ナビィは腰につけている手持ちの袋からナイフを取り出し、ヘビィーピッグの剥ぎ取りを始めた。怪我をしている体だが、器用に自分の体を痛めない体勢で手際よくはぎ取っている。
俺もやり方を聞きながら、一緒にヘビィーピッグを解体した。
皮、肉、内臓など。全ての解体が終わり、ナビィは素材用の伸縮性のゴム袋を取り出す。ゴム袋に出来る限りの素材を詰めたが、少し素材が余ってしまった。
「ナビィ。これ、どうするんだ?」
「その皮と肉はいいの。そのままにして」
「えっ、でも……」
「いいの。これはハンターの習わしみたいなものでね、狩った獲物の素材は少し自然に帰すの。その素材を食べて成長する動物もいれば、腐って土に帰ることもある。なんにせよ、自然に帰すことも大事なのよ」
「へえ~そういうもんなのか……で、誰が持つんだ、これ?」
ナビィが持っている素材の袋は、はぎ取った素材のほんの一部だった。
もう一つ、素材が入った大きなゴム袋が地面に置いてある。ナビィの怪我で持てるはずもないと思ったのだが、何か方法があるのだろうか。まさか、俺が持つなんてことは……。
「え? あんたが持ってよ、当たり前でしょ?」
「まじかぁ……」
「いいじゃない、どうせあんたもギルドに行くんでしょ? 道案内してあげるから」
「え? ギルド?」
「はあ!? ギルドも知らないの?」
「わ、わるい……」
「まあ……別にいいけど、むしろ、この後どうするつもりだったわけ? 野宿でもするつもり?」
「あっ、そっか……」
全然考えていなかった。さすがにこんな所で野宿していたら命がいくつあっても足りないだろう。しかも、裸だし。
「言っとくけど、あんたその格好でギルドに行ったとしても門番に追い払われて終わりよ? 私が代わりに説明してあげるから荷物持ちぐらいしなさいよ」
「そっか。助かるよ、ありがとう」
「いいのよ。それに、私も危ない所を助けてもらったしね。じゃあ、行きましょうか」
「ああ、よろしく頼む」
ナビィの案内でギルドへと向かう。
森を抜けて草原に入ると、道の先に石の壁で囲まれた大きな門が見えた。




