第二十三話 秘密の相談/剛と柔
屋敷の裏口が近づいてくると、やはりというか、殿下が一度振り向いてこちらを見てくる。
「……少し時間をずらした方がいいだろうか?」
「屋敷に戻る時に誰かに見られたら、どのみち察する人はいるかと思いますが……」
俺の魔力を性質変化させて、気配を隠蔽するという手はあるが――殿下の身体に魔力を纏わせたまま固定するというのは気が引ける。全身を包み込むということは、身体の形状が把握できるということだからだ。
もちろんそれが必要ならば迷ってはいられないが、二人で何をしていたかというのを秘密にしたいからというくらいで、能力を駆使するのもどうかと思う。
「と、特に隠すようなことはしていないからな……しかしなぜだろう、こっそり外に出てから二人で戻ってきたところを見られるというのは、なんとも決まりが悪い……」
手紙を使って俺を呼び出したのは殿下なので、今さら恥ずかしがっても――と思いはするが。主君が気後れしているならば、何がしかの助言をするのが俺の役目だ。
「分かりました、少し時間をずらしましょう。殿下のご武運を祈ります」
「……何か二人で悪いことをしているようだな。私が呼び出しておいて何をと思うだろうが」
「いや、全く思いません。俺も同じように考えていたところです」
殿下は俺の答えが意外だったのか、しばらく俺をじっと見ていた――そして。
「なんだ、君も同じか。それなら安心だな」
そう言って楽しそうに笑うと、殿下は裏口に向かおうとして――いったん戻ってきた。
「言い忘れていた。おやすみ、ゆっくり休んでくれ」
「お気遣いありがとうございます、殿下」
今度はどうしたのだろう――殿下は何か言いたそうに、じっとりとこちらを見る。
「……その、殿下というのは私の立場を考慮してくれてのことだと思うが。私はアトルと呼んでいるから、君からもそれに近い形の方が……肩がこらないというか……」
「失礼しました。では……エルシェ様、でしょうか」
「っ……う、うん、それでいいが……やはり『様』をつけることになるか……」
「それは……何と言うか、俺はただの村人で、殿下は貴い方ですから。敬称をつけるのは自然なことです」
「……貴いということはない、ただそういう身分に生まれただけだ。けれど君がそう言ってくれるのなら、私は感謝するべきなんだろうな」
殿下――エルシェ様はそう言うと、先に屋敷の中に戻っていく。
しばらく待ってから後に続くと、前のときと同じように、トオハが俺のことを待っていた。
『……私は何も見なかったことした方が良いようですね』
「ま、まあ……そうしてくれると助かるな」
『とは言っても、私はアトル様としか意志の疎通ができませんので。今のは悪戯ごとを申しました』
トオハはそれだけ言ってどこかに歩いていく――敷地内のどこかに寝床があるのだろう。
それからは誰にも見られることなく部屋に帰り着き、風呂の番が回ってきたので入りに向かった――広い浴場に一人でいると、さっきあったばかりの出来事を思い出してしまう。
――気にしなくていい。私の方が、君に怪我をさせるところだったからな……。
この屋敷で暮らしていく上で――そして皇女の護衛をする上で、雑念など欠片も持ってはならない。そう思いながらも、確かめるように右手を見てしまう。
俺はもっと心が静かな人間であったはずだが――と考えて、リベールにいたころのことを思い出す。シスナさんと一緒にいたときに、俺の心は凪の海のように落ち着いていたと言えるだろうか。
気分を切り替えるために、お湯ではなく冷水を浴びる。そうしてもなお身体が火照って感じるのだから、まだまだ精神の鍛錬が足りないと言うほかない。
◆◇◆
深夜――エルシェリアスとアトルが別れて、数刻が過ぎたころ。
エルシェリアスは寝室で眠っていたが、ふと目を覚まし、身体を起こす。
夢を見ていた。これまでは、夢の内容は悪いものであることが多く、学園に通い始めてからはほとんどが悪夢に近いものだった。
しかし今は、違っていた。夢の中に知っている人物が出てきて、起きてからも内容を鮮明に覚えている。
「いくらあんなことがあったからって、夢に見なくても……」
エルシェリアスは呆れるように言う――それは、自分に対しての言葉だった。
夢に出てきたのはアトルだった。夢の中でなぜかエルシェリアスは、アトルに対してお礼をすると言って、彼に手製の料理を食べさせていた。
エルシェリアスは料理をしたことはあるが、メイドたちに比べると拙いものだと考えている。それなのに夢の中の料理は完璧で、アトルは美味しいと言って笑うのだ。
なぜそんな夢を見るのか――エルシェリアスは考えた末に、ひとつの推測に至る。
アトルに助けられて、エルシェリアスは言葉で感謝を伝えた。しかしそれだけでは不十分だというのが、自分の本心なのかもしれないと。
(何か別のお礼がしたいな……アトルが喜んでくれることって何だろう)
考え始めるとそればかりで頭が占められてしまい、もう一度眠るどころではなくなったエルシェリアスは、ガウンを羽織って部屋を出る。
「……ユナ?」
「や、夜分に失礼いたします……エルシェ様、いかがなさいました?」
廊下に出ると、ユナがこちらに向かって歩いてきていた。エルシェリアスは微笑して、少し緊張している様子のユナに近づく。
「なんだ、ユナも眠れないのか? 実は私も……」
「い、いえっ。その……姉が、明日調査隊に参加すると話してくれて、エルシェ様も同行されると……私もぜひ、連れて行っていただきたいと思いましてっ……」
「そうか……それを私に聞きにこようとしていたのか。この時間まで悩んでいたのか?」
「あっ……そ、そうでした、こんな夜分に……申し訳ありません、この非礼については……っ」
「そんなにかしこまらなくてもいい。まあ……夜遅くに、アトルに直接直談判をするようなことは止めておいた方がいいが。これは友人としての忠告だな」
「アトル様に直接……そ、それは全く考えていませんでした。エルシェ様とご相談したかったことが、もう一つございまして……」
急にユナがそわそわとし始める――そして、ここからは離れた位置にあるアトルの部屋の方を見る。
「その……私は気を失っていたのですが、アトル様に助けていただいたのですよね。そのお礼をしたいと思っているのですが、私がそのようなことを考えるのはアトル様に失礼にあたらないかと……ふゃっ」
話の途中からすでに動き始めていたエルシェリアスは、ユナの頬をそっとつまむ。
「彼はそんなことは気にしないだろう……というほどは、私も彼のことをまだ知らないが。そうか、ユナもそのことを考えていたのか」
「っ……ということは、エルシェ様も……」
「人にお礼をするというのは難しいな。それも同じ年頃の男子というのは……私も単純ということか、得意というわけでもないのに料理を作ろうとか、そういう発想しか出てこないんだ」
「さすがエルシェ様です、お料理……そうですよね、美味しいものを作れたらきっと喜んでいただけます。私はアトル様が欲しいものをプレゼントすることを考えたのですが、そもそも欲しいものが分からず……」
「それはこれから、アトルと話していけば分かるだろう。君が賛成してくれるなら、明日の朝は朝食作りに参加させてもらおうと思う」
「もちろん賛成させていただきます。それにエルシェ様はご謙遜なさいますが、とてもお料理はお上手でいらっしゃいますよね」
「いや……そんなことはないと思うのだが。オムレツくらいだぞ、私が得意だと言えるのは」
「ああ、楽しみです、エルシェ様と一緒に……いえ、はしゃいではダメですね。朝食作りの現場は、いつでも真剣勝負ですからっ」
ユナは両手をぐっと握って意気込みを示す――エルシェリアスは微笑み、やる気が前のめりになりすぎないようユナの二の腕に触れて宥める。
「あっ……も、申し訳ありません、最初にしようとしていたお話のことですが……っ」
「ユナも同行してもらうことにしよう。これまでの報告を聞く限り、気を引き締めて臨まなければならないが」
「っ……あ、ありがとうございます! 粉骨砕身の覚悟で頑張ります!」
「私もそうするつもりだ。アトルがいると、何が起きても安心だろうという信頼感はあるが……それとは別に、緊張感は持たなくてはいけない」
「……エルシェ様、あの森には何があるんでしょう? 昔魔物が出たという噂ですが、こんなに長い間外に出てこなくて、今出てくることがあるんでしょうか」
「魔物の生態についての本などには、多種多様な性質が書かれているが……魔物がいるとして、何か理由があって決まった場所から外に出てこないということはありうる。それでも、あの土地の安全を確認できると領地にとっては大きな利益になるだろうし、アトルが調査を進言してくれてよかったと私は思う」
「なるほど~……」
分かったような分からないようなというユナの反応に、エルシェリアスは苦笑する。二人はそれからもしばらく話したあと、それぞれの部屋に戻っていった。
◆◇◆
例の森の調査に出向くので、今朝の訓練は休みだ――しかし俺個人としては多少身体を動かしておきたいと思い、裏庭にやってきて剣を振る。
まだ早朝ということもあり、刃が風を切る音がしないようにする。身体強化の延長で、魔力で剣を覆うこともできるのだが、そうすることで剣に様々な性質を持たせられる。
「っ……アトル殿、今日も呼吸するようにそのような奥義を……」
「あ……おはようございます、シュタルトさん」
シュタルトさんも毎日の鍛錬を欠かさないほうらしく、訓練用の錘がついた棒を持ってきていた。
「これを振るのは、マキアが得意としているのですが……」
そう前置きをしつつも、シュタルトさんが棒を振り始める。重量のある騎士剣をより自在に扱うために、さらに重いものを練習に使うのは良いが――そのやり方は少し手首に負担がかかる。それを示すように、シュタルトさんの手首には包帯が巻かれていた。
汗をかくからということか、シュタルトさんはラフな服装をしている。これほど重点的に筋力を鍛えるような鍛錬をしていながら、その二の腕は細く、真っ白といっていいほど白く見えた。
「少しいいですか? シュタルトさんは『剛の剣』を使っていますが、『柔の剣』を取り入れるのも良いんじゃないかと思います」
「柔の剣……と言いますと、筋力については物足りないものがあると……」
「いえ、むしろその筋肉のつき方で、『剛の剣』を会得できているのは本当に素晴らしいんですが……手首に負荷がかかっているので、『柔の剣』を覚えると負荷も軽くできます」
「なるほど……ア、アトル殿……っ……」
シュタルトさんの手首に巻かれている包帯は、手首の負担を軽減するためのものだった。いったん外させてもらって、魔力を送り込んで痛みを取っていく。
「……も、申し訳ありません。このことを見抜いておられましたか」
「これも記憶がないうちのことだとは思うんですが……そうやって負荷のかかる訓練をしている人を、俺は近くで見ていたような気がします。苦痛を乗り越えて強くなるというのも無いとは言いませんが、先々のことを考えると、過剰な負荷をかけ続けない方がいい」
手首の傷む箇所を調べ、指先から魔力を送り込みながら圧迫し、解していく。
「……んっ……」
「っ……すみません、痛かったですか」
「い、いえ……アトル殿が触れた部分が、じんわりと温まるようで……その感覚が手首だけでなく……」
「俺の魔力を送り込んでいるので、最初は違和感があるかもしれません……もう少し上手くやれるように努力します」
「……本職の医療魔法師もできないようなことをなさっていると思うので、これ以上上手くなったらどうなってしまうのかと……んぁっ……!」
「肩から二の腕にかけても少し張っているので、解しておきます……最初は痛いかもしれません」
「……痛くはないというか、修練のために出てきたのに、このようなことをして頂いていいものなのか……くぅっ……」
背中の筋肉にも張りがあったので、筋の流れに沿って魔力を流す。しかし、やはり思ったより柔らかいというか、シュタルトさんは関節の動く範囲が本来広い――しっかりと解せば、本来は俺よりも柔軟な身体をしているようだ。
「よし……これで終わりです。この状態で、こっちの木剣を振ってみてください」
「は、はい。しかしこの程度の負荷では……」
シュタルトさんは目に見えて負荷がかかる修練の方が好みらしい――しかし、筋肉を解したあとで放たれる上段の振り下ろしは、目を瞠るほど鋭いものだった。
何より驚いているのはシュタルトさん自身だ――その反応を見ていると、こちらの方が嬉しくなる。
「アトル殿に一度見ていただいただけで、これほど手応えが変わるとは……修練というものを、安直に考えすぎていました。猛省の極みです」
「負荷をかけることをやるときは、その都度俺が見させてもらいます。日頃の修練では精度、速さ、手首を柔らかく使うことを心がけるほうが、シュタルトさんには合っていると思います。『柔の剣』が使えれば、こういうことができるようにもなります……シュタルトさん、騎士剣で打ってきてみてください」
「っ……し、しかし……」
俺が使う獲物は練習用の木剣――シュタルトさんは金属の剣。普通に打ち合えば、木剣の方が断ち割られるところだろう。
だがシュタルトさんは俺が冗談を言っていないと理解すると、集中して騎士剣を構える――そして。
「――やぁぁぁぁっ!」
上段の振り下ろし。彼がこれまで鍛えてきた『剛の剣』――俺はそれを魔力を使わず、木刀を折ることもなく、しなる枝のように受け流した。
「なっ……!」
振り下ろしたあとは大きな隙ができる。すかさず繰り出すのは七連撃――全て当てずに寸止めして、木剣を鞘に納める――例のごとく鞘がないことに気づき、苦笑いする。
「手首を柔らかく使えると、こうやって『剛の剣』に相対することができます」
「……アトル殿のことを達人として見させてもらっていましたが、その認識すらも甘かったようですね」
シュタルトさんは薄っすらと汗をかいている――俺に斬りかかることの緊張もあったのだろうが、今は清々しい顔をしていた。
「可能であれば、今後は『柔の剣』についてもご指南いただきたい……それと……」
「……ん?」
物陰で見ていたのは、まだ寝ているものだとばかり思っていた兵の皆だった。俺とシュタルトさんに見られてビクッとしたあと、七人が揃って出てくる。
「その……今日はお休みとのことでしたが、お二人が訓練をされているところを見て、いても立ってもいられず……」
「隊長がやる気だと、あたしらも感化されるっていうかさ……ていうか、うちらの仕事って訓練もその中に入ってるしさ。別に毎日呼んでくれていいっていうか……」
「アトル殿、『剛の剣』『柔の剣』の話を聞かせてもらったが、実に興味深いな。私は『剛の剣』が向いているのだろうか」
「そうですね、マキアさんは……」
説明を始めようとして気づく――他の皆も、こういう話にはかなり興味があるようだ。そして、強くなるということ自体にも。
訓練に対するやる気が全員同じだけあるというわけではないが、自主的に来てくれたのならば、何かを得ていってもらいたい。そんな思いで、俺はシュタルトさんとの実演を交えて、皆に剣についての指南をした。




