認められた日
「今回のみかじめ料は以上でございます」
「まずまずだな。いつもより衣料が少ねぇ気がするが」
「随分暑くなってきましたので、衣料が薄手のものしか売れなくなっておりまして。その分、武器や防具などを主に取り扱っております。何でしたら次回までに、ジェイク様のために特注のアクセサリーでもお作りいたしましょうか?」
「……いらねぇよ。まぁいいだろ。道中気ぃつけな」
ジェイクがそう、ホプキンスに事務的に告げる。
しかしホプキンスは、少しだけ眉根を寄せて腕を組んだ。
「ええ。私どもとしても気をつけたいところなのですが、どうにも最近、きな臭い噂を聞いておりまして」
「……きな臭ぇ噂?」
「はい。ジェイク様は、『鉄腕』という海賊をご存知ですか?」
「『鉄腕』っつーと……確か帝国で指名手配されてる海賊だったか。確か、懸賞金五百万アルくらいだったか?」
「はい、その通りです。私どもも名前くらいしか知らない海賊なのですが……どうにも最近、帝国周辺の海域を追われて、このあたりに来ているとか。仲間の商船も襲われまして」
「……マジか?」
ジェイクの口角が、僅かに吊り上がる。
竜也に詳しいことは分からないが、『鉄腕』というのは、かなり恐れられている海賊なのだろう。
「はい。ジェイク様と違って、『鉄腕』の一味は積荷を根こそぎ奪っていきますから。幸いにして怪我人のみで死者は出なかったそうなのですが、積荷は全て奪われたそうです」
「困るじゃねぇか。この海域で好き勝手されちゃよぉ」
「私どもの航海の安全のためにも、是非宜しくお願い致します、ジェイク様」
「ああ。今、『鉄腕』の一味がどこにいるか分かるか?」
「詳しくは分かりませんが、仲間の商船が襲われたのがイムルレリアからサン・ユディーノまでの航路で、二日目に襲われたと言っておりました。比較的、イムルレリア近海で活動しているようですね」
「ってことは、俺たちがこのまま行けば鉢合わせになる可能性が高ぇな。ブッ潰すついでに、懸賞金も頂こうじゃねぇか」
物騒な世間話に、ジェイクが笑みを浮かべる。
そして、その会話を聞いているクルーの連中も同じく、嬉しそうな笑みを浮かべていた。特に、エミリアあたりが。
「それでは、私どもはこれで」
「おう、貴重な情報ありがとよ」
「はい。あなたに海神の加護があらんことを」
そう言って、ホプキンスが自分の船へと帰ってゆく。
それと共に縄梯子を外し、船が離れ始めた。
「よぉし! 錨を上げろぉ!」
ジェイクの掛け声と共に、クルーたちがそれぞれ動き始める。
ある者は操舵を。ある者は錨の回収を。ある者は展望台からの監視を。
散ってゆくクルーたちを見ながら、冷静になった頭で考える。恐らくジェイクがクルー全員を甲板に集めたのは、威嚇の意味を込めてなのだろう。ホプキンスは素直に積荷の一部を渡してきたけれど、中には海賊に積荷を渡したくない、という商船だって存在するはずだ。
だからこそ、直接的ではないにせよ、数の力を見せ付ける。恐らく、そういう意味を込めて甲板に集合させたのだ。
「……リューヤ」
そろそろ厨房に戻って、サバの三枚おろしの続きでもやるか――そう思っていた矢先に、ふとそんな風に声がかけられた。
声の主は、フィリーネ。
「どうした?」
「……リューヤは、来ない、方がいい」
「へ?」
「……集合、命令」
言葉はたどたどしく、相変わらずの無表情で、しかし真剣な眼差しで竜也を見つめるフィリーネ。
集合命令があっても来ない方がいい――それは、ヴォイド号のクルーとしての責務の放棄にもなるものだ。そんなこと、副船長という立場にあるフィリーネが言って良いことではあるまい。
「どうしてだ? 俺だってヴォイド号のクルーなんだけど」
「……ジェイクに、言う」
「へ?」
とてとて、とそのまま、竜也のもとを離れて歩いてゆくフィリーネ。
その向かう先は、ホプキンスの商船を見送っているジェイク。
厨房に戻るに戻れない状況に、そこに立ち尽くしてしまう。できれば生魚を常温で放置しているわけだから、すぐにでも戻って続きをさばきたいのだが。
しかしフィリーネはジェイクと二言三言話して、そしてジェイクと共に戻ってきた。
「えーと……?」
「確かにその通りだな。リューヤは甲板への集合命令があっても、来んな。厨房にいろ」
「はぁ!?」
思わぬ方向からのフィリーネに対する援護に、思わずそう驚く。
船長であるジェイク自身が、船長命令に対して従わなくても良いなどと言ってくるなど、本末転倒にも程があるだろう。
しかしジェイクは腕を組み、竜也を真剣に見据えた。
「リューヤ。手前はヴォイド号に欠かせない人間だ。手前がいないと、日々の食事がまたあの生ゴミスープに戻んだからな。悪ぃが、俺にはもう耐えられねぇ。だから、戦闘には参加すんな。戦闘に出てこなくても、ちゃんと山分けの対象にはしてやるから安心しろ」
「い、いや……だって、それは……」
ジェイクの言葉は、竜也にしてみれば渡りに船だ。
元より戦闘能力などなく、ケンカもしたことのない竜也が、海賊との戦いで活躍できるとは思えない。むしろ、恐怖で体が強張ってしまうだろう。そうなれば待っている末路は唯一つ――死だけだ。
だからこそ船長命令での戦闘不参加は、むしろありがたい。しかも、参加しなくても山分けの対象になるということは、それにより信頼を失うわけでもないということだ。
だがそれは、あくまでも竜也の希望だ。えてして、希望がそのまま叶うことなどあり得ない。
「……リューヤ、少しでも、死ぬ可能性があるなら、来なくて、いい」
「え……フィー……?」
「……絶対に、来なくて、いい」
「で、でも、フィー、それだと、他の奴らに面目が……」
「……不満を持つクルーは、いない」
言いながら、フィリーネが周囲をぐるりと見る。
一部の仕事をしに向かったクルー以外、ほぼ全員が揃っている甲板。
その全員が。
うんうん、と頷いていた。
「確かになー、料理長死んじまったら困るっすねー。またあのメシは食えないっすよ」
「なぁに、料理長は厨房で料理作ってくれりゃいいさ。戦うのは俺らの仕事で、料理作るのがアンタの仕事だろ」
「がっはっは! 料理長よぉ、アンタのいる厨房にぁ誰一人通さねぇよ!」
「ふん。まぁ別に守ってやってもいいさ、料理長。僕のメシは多くしろよ」
「料理長死んじゃったら、正直別の意味で僕ら死んじゃうんで勘弁してください。具体的には飢え死にで」
「料理長に死なれたら困るぜ! 一体次の日から何食えばいいんだよ? 戦いなんてしなくていーから、終わった後の美味いメシ頼むぜぇ!」
「うーん? 女の子以外を守るのはポリシーに反するんだけど、料理長ならいいかぁ。毎日料理長のおかげで美味しいゴハン食べれるしねぇ」
「船長の仰る通りですな。料理長がおらねば船内の規律も保つのが難しくなりましょう。例外としての扱いも仕方ありますまい」
「料理長。あんたは、守ってやる。感謝しろ」
周囲のクルーたちが、竜也に向ける言葉。
――料理長。
最初はこそばゆかった呼び名。それをまるで当然のように、竜也に向けて言ってくれるクルーたち。
いつの間にか。
こんなにも。
竜也は、彼らに、認められていた。
「にひひっ、んじゃきっちり守んないとねー。リューヤはちゃんとアタシが守るかんね!」
「いい兄貴分に恵まれたな、リューヤ」
そして、そう言葉をかけてくれるエミリア、ジェイク。
寄せられるのは、信頼。
竜也のことを仲間だと思ってくれている、その証左。
戦闘に参加しなければ、信頼を失う。ヴォイド号という居場所を失ってしまう。
そんな風に考えていた自分が馬鹿らしくなってしまうような、泣きたくなるほどに暖かい信頼の言葉。
「……ん。良かった。絶対に、死なせない、から」
フィリーネが、微かに微笑んで竜也を見上げる。
右も左も分からない異世界で、頼れるものは何もなかった。
料理をすること以外に何もできない自分を、最初に認めてくれたのはヴォイド号のクルーたちだった。
数少ない調味料で、必死に味を追求して、なるべく満足いく出来のものを提供してきた。それが、竜也という男に対しての、クルーたちの信頼に繋がったのだろう。
だというのに、竜也は必死にしがみつこうとしていた。
居場所を失くさないために。
ヴォイド号から追い出されないために。
そんなこと――。
あるわけ、なかったのに。
「フィー……」
「……リューヤ。ん。はい」
そっと、竜也の肩に手が回され、そのまま乱暴に、フィリーネに引き寄せられる。
竜也の目元が、フィリーネの黒いローブ――その肩口に当たる。同時に、下顎に柔らかいものが触れた。
それはフィリーネが、竜也の涙を拭うために。
「フィー……ローブ、が……」
「……別に、いい。大丈夫」
ぽんぽん、と肩を叩かれる。その仕草すら、嬉しい。
まるで、自分に新しい家族ができたような。
否。
竜也は知っていた。だけれど、感じられていなかったのだ。
ヴォイド号のクルーは、全員が家族。
そんな単純な言葉が、本当に暖かいのだと。
「全く、世話の焼ける奴だな。おい手前ら、さっさと仕事行け! エミリア、リューヤはしばらく使い物になりそうにねぇから、先に厨房に行ってろ」
「はーい、せんちょー」
「おい、操舵手に取り舵いっぱいって伝えろ! イムルレリアに向かうぜ!」
「アイサー! 船長!」
ジェイクの的確な指示で、クルーたちが散ってゆくのが分かる。
中には通りすがりに「ひゅーひゅー」と口笛を吹いてゆく者もいたけれど、すぐに誰かに殴られていた。
そして、気を利かせたのだろうジェイクが、フィリーネに抱きしめられて泣いている竜也から、なるべく人を遠ざけて。
周囲に人の気配がなくなってから、竜也は思い切り泣いた。