1話
誰かの声が雨音と共に聞こえたが、水溜まりの上を走るこども達の足音とちゃぷちゃぷという水音で、雨宿りをしている女の子には聞こえなかった。
「ふぅぅ……。突然雨が降ってきたから髪の毛濡れちゃったよ」
右手で髪を触りながら、早起きして髪の毛整えたのに、と呟く。ほっぺたをぷく〜と膨らましてその場にしゃがみ込み、前を通る相合傘のラブラブカップルや持運びに便利な折り畳み傘を差しているサラリーマンを見て、あっかんべーをした。
「今朝お天気お兄さんは、雨なんて絶対降らないって言ってたもん。降水確率0って白い歯を見せながら言ってたもん! お天気お兄さんの馬鹿馬鹿!」
女の子はお天気お兄さんに怒りだした。裏切られたと思っているのかも。
「明日からお天気お姉さんにしよう……」
女の子は涙目で、お兄さんのファンなんてやめるもん、と付け足した。
雨は止む気配はなくて、木々の葉っぱに当たり地面へ落ちていく。近くの河川はいつものように穏やかな流れとは正反対の、はげしい水の流れだ。晴れた日なんかは水遊びをしている子ども達の元気な声が聞こえるが、今はザーとかゴーとかとても大きな音が聞こえる。真っ暗な空は一面厚い雲で覆われ、真っ赤な太陽の姿はそこになかった。
「そろそろ帰らないとママが心配するなぁ……」
そう言いながら、左手の親指と人差し指の指先をくっつけ丸を作った。右手も同じように円を作る。そして、それを目の前にもってきて口をお猪口にした。
「理紗はまだ帰ってないの! どうしましょう、ひょっとしてあの子迷子になってるんじゃないのかしら? 警察に電話しなくちゃ、今直ぐ電話しなくちゃ! って今頃騒いでいるような〜」
その手はメガネのつもりなんだろうか? コレはモノマネのつもりなんだろうか? 女の子の名前は理紗というのか!
「……ヤバいよ、ママなら本当に電話してるかもしれない。モノマネしてるお暇なんてないよ!」
ピンクの靴で地面を蹴り上げ、雨が降る中を走る。ランドセルを頭上に乗せて濡れないようにしてるけど、水溜まりに足を入れ水が飛び跳ね服にかかったからあまり意味がない。
「一刻も早くお家に帰らないとママが先走ってしまうよ!」
この事しか考えてなくて、雨とか水溜まりとかどーでも良いのですか、と聞きたくなるぐらいビショビショ。家に着いたらお風呂に直行しないと、風邪ひいちゃいます。
「はぁ、はぁ」
息を切らしながら歩道橋にやってきた。この大通りの向こうに理紗ちゃんのお家はあるけれど、階段はキツイのか一段ずつゆっくり上る。下の方からは車が走る音が聞こえてくる。
下の方を見ながら階段を上っている理紗ちゃんは、足を止めた。
反対側の階段を下りてきている背の高い女性は、理紗ちゃんを横目で見て首を傾げ歩くスピードが遅くなったが、声を掛ける事なく通り過ぎた。背の高い女性はきっと、雨の中頭上にランドセルを乗せて下の方を見ながら立ち止まっている女の子が気になったのだろう。声を掛けようか迷ったが時計を見ていたから、何か用事があったに違いない。そうだとしても、一言
「風邪ひくよ」ぐらいは言ってほしい。
「ん? 切符かな?」
理紗ちゃんは階段の上で寝転がっている切符を取り、裏と表を何回も交互に見る。雨によって染みているどこにでもあるような切符を。
「何よこれ」
切符には
「天国逝き」と書かれていた。理紗ちゃんは目を細め、また悪質なイタズラね、とあきれ気味に言って破ろうとしたが、ポケットに入れた。
「新たなイタズラに気を付けましょうって、先生に明日渡そう」
階段を上りきり前を向いた。歩行者は皆傘を差していて、一人だけ傘を差していない仲間外れの理紗ちゃんは気にせず歩く。その時、クシュンとくしゃみが出た。これはますます早く帰らないとヤバい、と理紗ちゃんの表情から伺える。
ヒュー。横から風邪じゃなくて、風が吹いた。理紗ちゃんは目を閉じている。真っ白な腕には鳥肌が立っていた。
「あの〜、ちょっと聞きたい事があるんですが」
突然の声は、前から聞こえた。理紗ちゃんはゆっくり目を開ける。
「スミマセン、お急ぎでしょうが僕の質問に答えて下さい」
そこにいたのは、この雨の中傘も差さずに笑っている男の子。そして水玉模様の帽子・上着・シャツ・ズボン・靴。全身水玉模様で統一されている。
「傘差してなかったら風邪ひくよ?」
理紗ちゃんは言った。頭上にランドセルを乗せながら。