魔王の娘、レッツ留学!
長年続いた人間と魔族の戦いが終わってから十数年。
双方に数え切れないほどの犠牲を出した末、和平条約が結ばれたのだが長きにわたる争いの末に結ばれた和平はまだ脆く、少しのきっかけで崩れかねない均衡の上に成り立っていた。
父から呼び出されたのは、彼女が学園へやって来る前日のことだった。
「明日から、お前には一人の留学生の監視を任せる」
現勇者であるアレンは、父の言葉に眉をひそめた。
「監視?ただの留学生ではないんですか」
「表向きは、遠方のリゼル国から来た公爵令嬢だ」
「表向きは?」
わざわざそんな言い方をする時点で、ただの令嬢ではないことは明らかだった。
父は一度周囲を確認すると、声を落とした。
「本当の身分は、魔王の娘だ」
一瞬、聞き間違いかと思った。
「……魔王の娘?」
「ああ。名はルナ。人間と魔族の和平の証として、こちらの学園へ留学することになった」
条約が結ばれたからといって、敵だった相手をすぐに信用できる者ばかりではない。
そのため両国は、新たな友好の象徴として一つの決断を下す。
魔王の一人娘、ルナを人間の学園へ留学させること。
だが、魔王の娘が人間の国へ来るなどと知られれば、反発する者も現れるだろう。
「彼女が魔王の娘であることも、魔族であることも、決して知られてはならない。正体を知っているのは国王陛下と学園長、それから一部の教師だけだ」
「それで、俺が監視を?」
「監視だけではない。護衛もだ」
「護衛?」
アレンは思わず聞き返した。
魔王の娘を、人間である自分が守る。
あまりに奇妙な話だった。
「人間側にも和平に反対する者はいる。彼女の正体を知り、危害を加えようとする可能性もある。それに、本人は人間社会の常識をほとんど知らないらしい」
「魔王城で教育を受けていないんですか」
「教育は受けている。魔法や歴史、政治については、お前以上に詳しいかもしれん。ただし、魔王城で大切に育てられすぎたようだ」
父は何とも言えない顔をした。
「大切に育てられすぎた?」
「本人に会えば分かる。だが悪い子ではない」
それ以上、父は詳しく説明せず、百聞は一見に如かずということかと察する。
魔族を信用していないアレンにとって、魔王の娘を監視することに異論はなかった。
むしろ自分が適任だと思った。18歳という若さではあるが、アレンはすでに父から勇者の称号を受け継いでいる。
学園でも剣術、魔法、学問のすべてにおいて優秀な成績を収めており、実戦経験も豊富でギルドでは既に最高評価のSランクを獲得していくつものダンジョンを制覇済み。
魔王の娘が何か企んでいるのなら、自分が止めなければならない。
たとえ相手が、国一つを滅ぼせるほどの力を持っていたとしても。
「分かりました。俺が監視します」
「頼んだぞ。ただし、くれぐれも刺激するな」
「俺を何だと思っているんですか」
「真面目で正義感が強く、魔族に対して少々思うところのある息子だ」
否定できず、アレンは黙り込んだ。
◇ ◇ ◇
そして翌日。
学園長室へ向かったアレンは、魔王の娘がどんな人物なのか考えながら歩いていた。
危害を加える気があるならすぐに動けるように剣も腰に携えている。
そして学園長室の扉をあけて、そこで初めて魔王の娘と対面した。
窓際に、一人の少女が立っている。
艶のある長くて赤紫を帯びた黒髪に、白い肌。
人形のように整った顔立ちをしており、細い腰とは対照的に女性らしい身体つきをしている。
年齢はアレンと同じ18歳だと聞いていたが、落ち着いた無表情のせいか、どこか大人びて見えた。
しかし、その美貌以上にアレンが気になったのは、彼女の内側に秘められた魔力量が恐ろしいほど巨大だ。
普段は抑えているようだが、注意深く探れば底が見えない。
もし彼女が本気で魔法を放てば、学園どころか王都そのものが消し飛びかねない。
アレンが警戒しながら見つめていると、少女もこちらへ顔を向けた。
赤い瞳が、じっとアレンを捉える。
「この者が私の監視役か?魔王の娘相手に怖気づかないのだな」
いきなり正体を口にしてアレンは周囲を確認した。
幸い、室内にいるのは学園長と事情を知る教師だけ。
「監視役ではあるが少し違うのぅ」
学園長が困ったように訂正する。どうやら学園長も彼女の顔色を窺いながら話していて彼女の機嫌を損ねれば学園なんて木端微塵になると思っているようだ。
ちょっと怯えているのは情けなく見えてしまうが相手が魔王の娘なので仕方ない。
「学園でルナ様を案内し、困った時には手助けをする生徒じゃ」
「それを監視役と言うのではないのか?」
「少なくとも、人前では言わないでほしいのじゃが…」
「分かった。秘密なのだな。次からは護衛と言う」
素直に頷くルナを見て、アレンはわずかに拍子抜けした。
もっと傲慢で、人間を見下すような態度を想像していたのだ。
ルナは再びアレンへ視線を向けると、そのまま数歩近づいてきたがもの凄く至近距離。
アレンは1歩下がるが初対面の相手に対するものとは思えないほど近い。
「お前がアレンか」
「ああ」
「勇者の息子であり、お前自身も勇者だと聞いた」
「そうだ」
「強いのか?」
ルナは無表情のままだが、赤い瞳にはわずかな好奇心が浮かんでいた。
こうして見ると普通の人間と変わりなく見える。
「それなりには」
「どれくらいだ?」
「説明するのは難しいな」
「私と戦えば分かるか?」
「学園長室で戦おうとするな」
アレンが即座に止めると、ルナは不思議そうに首を傾げた。
「人間は、強さを知るために戦わないのか?」
「少なくとも、初対面の挨拶では戦わない」
「そうなのか」
本当に知らなかったらしい。
ルナは少し考えた後、片手を差し出した。
「では、人間式の挨拶をする」
握手だろう。
そう判断してアレンも手を差し出した。
ルナはアレンの手を握るとそのまま顔を近づけ、じっと観察し始めた。
「何をしている?」
「人間の雄を近くで見るのは初めてだ」
「雄と言うな。男と言え」
「男」
「そうだ」
「人間の男を近くで見るのは初めてだ」
言い直したが、状況は何も改善していない。
アレンが手を離そうとしても、ルナは握ったままだった。
「離してくれないか」
「なぜだ?」
「挨拶の握手は、いつまでも続けるものではない」
「そうなのか」
ルナは素直に手を離した。
どうやら、わざと困らせているわけではないらしい。
魔族特有の感覚なのか、それとも本当に世間知らずなのか。
「アレン」
「何だ」
「お前は顔がいいな」
「……初対面で急に何を言っている」
「顔が整っていると聞いていた。実際見てみると事実だった」
褒めているつもりなのだろう。
アレンは学園の女子生徒から何度も容姿を褒められ、告白もされてきた。
そのすべてを断っているため、今さら顔を褒められた程度では動揺しない。
だが、ルナの場合はあまりにも無表情で、まるで武器の性能を確認したかのように聞こえる。
「お前は私の好みかもしれない」
「待て」
今度こそアレンは彼女の言葉を遮った。
「その言い方は誤解を招く。学園では気軽に言うな」
「好みの者に好みだと言ってはいけないのか?」
「いけないわけではないが、相手との関係や場所を考えろ」
「人間は面倒だな。だが私はアレンが好きなようだ」
「話聞いてたか?」
学園長が小さく咳払いをした。
「アレン君。ルナ様を教室まで案内して差し上げてほしいのじゃ」
「学園では様をつけないほうがいいのでは?」
「……ルナさんをお願いじゃ」
「分かりました」
アレンが扉へ向かうと、ルナも後ろからついてくる。
廊下へ出たところで、アレンは足を止めた。
「まず約束してほしいことがある」
「何だ?」
「自分が魔王の娘であることも、魔族であることも、絶対に口にするな」
「分かっている。私は遠い国から来た公爵令嬢だ」
「出身地を聞かれたら?」
「魔界」
「駄目だ」
「では魔王城」
「もっと駄目だ」
アレンは早くも頭が痛くなった。
正体を隠す気はあるのかという疑問が湧き上がる。
「学園長から教えられた国名を答えろ。設定は覚えているのか?」
「一応覚えている」
「一応では困る」
「難しい名前だった」
「難しくないし昨日までに覚えておけ」
「昨日は人間の菓子を食べていた」
「勉強より菓子を優先したのか?」
「人間の菓子は興味深い。砂糖が多い」
「魔界には菓子がないのか」
「ある。ただし、人間の菓子のほうが種類が多い。昨日食べた丸くて茶色いものは美味しかった」
「クッキーか?」
「おそらくそれだ。50枚食べた」
「食べすぎだ」
「そうなのか?」
ルナは本気で分からない様子だった。そもそも魔族は太るとかあるのだろうか。
その時、廊下の向こうから数人の男子生徒が歩いてきた。
美しい転校生の姿に気づき、全員がルナへ視線を向ける。
その中の一人が笑顔で近づいてきた。
「君が今日から留学してきた子?俺は――」
男子生徒が名乗り終えるよりも早く、ルナは相手の顔をじっと見た。
今度は至近距離にならないようにアレンが制している。
「お前も人間の雄か?」
廊下が静まり返った。
「ルナ」
アレンは低い声で彼女の名を呼ぶとルナはハッとしてすぐに言い直した。
今更遅いのだが…
「人間の男か?」
「言い直せばいいという問題ではない」
「違うのか?」
「違わないけど違う」
話しかけてきた男子生徒は戸惑っていたが、ルナの美貌に押されたのかぎこちなく笑った。
「変わった子だね。良かったら、放課後に学園を案内しようか?」
「必要ない。私にはアレンがずっと傍にいてくれる」
男子生徒の笑顔が固まった。周囲の視線が一斉にアレンへ向けられる。
アレンは生徒を掻き分けてルナを人がいない場所まで連れて行く。
「誤解を招く言い方をするな」
「だが、私の案内役はアレンだろう?」
「そうだが、俺がずっと傍にいるという言い方はやめろ」
「人間の言葉は難しいな」
そう言いながらも、ルナは少し楽しそうだった。
表情は少しだけ和らいでいてよく見れば瞳がわずかに輝いている。
人間を恐ろしい生き物だと教えられていたという話だったが、今のところ怯えている様子はなかった。
むしろ、見るものすべてを面白がっている。
無表情だったのはもしかすると人間に囲まれて警戒していたのかもしれない。
「アレン」
「今度は何だ」
「あの男は、なぜ私に話しかけた?」
「転校生が珍しかったんだろう」
「私が美しいからではないのか?」
「自分で言うのか」
「お父様とお母様は、毎日そう言っていた」
魔王夫妻が娘をどれほど溺愛していたのか、何となく分かった。
実際美少女なのは変わりない。
「先ほどの男は、私を好いているのか?」
「まだ初対面だ。単に興味を持っただけだろう」
「では、アレンも私に興味を持っているのか?」
「俺はお前の監視役だから見ているだけだ」
「人前で監視役と言ってはいけないのではなかったか?」
アレンは黙った。
人間社会の常識を知らないわりに、妙なところで覚えがいい。
「アレンは私を嫌っているのか?」
不意に問われ、アレンはルナを見る。
不安な様子はしていないが、赤い瞳は真っすぐにアレンを見つめている。
「魔族を信用していない」
取り繕っても仕方がないと思い、正直に答えた。
「長い間戦っていたからな。和平が結ばれたからといって、すぐにすべてを信用することはできない」
「そうか」
ルナは怒ることも、悲しむこともなかった。
何を思って何を感じてるのか分からない表情をしている。
「私も、人間は魔族を見つければ皮を剥ぎ、骨を飾り、肉を煮込んで食べると教えられていた」
「誰にそんなことを教えられた?」
「お父様だ」
「魔王は人間を何だと思っているんだ」
「だから警戒していた。だが、今のところ誰も私を食べようとしない」
「当たり前だ」
「人間は思っていたより面白い」
そう言うと、ルナは自然な動作でアレンの制服の袖を掴んだ。
ルナの言動は急だなと思いながらも恐らくルナはアレンに心を開いている。
「何をしている?」
「迷子にならないようにしている」
「廊下を真っすぐ進むだけだ」
「人間の学園は広い。魔王城より道が複雑だ」
「魔王城のほうが広いだろう」
「魔王城では、私が歩けば使用人が道を空ける」
「ここでは自分で覚えろ」
「だからアレンについていく」
どうやら袖を離すつもりはないらしい。
国一つを滅ぼしかねない魔力を持つ魔王の娘。
何を考えているのか分からない無表情な少女。
出会うまでは、少しでも怪しい行動をすれば即座に剣を抜くつもりだった。
しかし、実際に会ってみればどうだ。
力に対する警戒は必要だ。
魔族である以上、完全に信用することもできない。
それなのに今のアレンが最も心配しているのは、彼女がうっかり正体を口にすることでも、突然人間を襲うことでもなかった。
この世間知らずな少女が、悪意ある人間に騙されないかということだった。
「ルナ」
「何だ?」
「学園では、知らない人間についていくな」
「なぜだ?」
「騙されるかもしれないからだ」
「私は強い。襲われても返り討ちにできる」
「返り討ちにするな。問題になる」
「では、どうすればいい?」
「困った時は俺を呼べ」
ルナは少しだけ目を見開いた。
それからアレンの袖を握ったまま、こくりと頷く。
「分かった。アレンを呼ぶ」
「ああ」
「やはり、私にはアレンが必要だな。アレンがいないと人間界で生きていけない」
「だからその言い方をやめろ」
こうして現勇者アレンは、魔王の娘の監視兼護衛を始めることになった。
この時の彼はまだ知らなかった。
危険な魔王の娘を監視するはずだった自分が、やがて彼女に近づく男たちを監視することになるなど。




