黒猫による思い出し笑い
月が西の空へと傾く頃。
御者台にもどったカインは笑いを堪えるように口元をおさえていた。顔を隠すために目深に被った布が、彼の笑いにあわせて小刻みに振動する。
あ、やっぱ無理。おもしろすぎる。
隣に座る御者は、スカーレット家お抱えのプロなので、おかしな様子のカインに何も言わない。前を見据えたまま、無言で馬車を操る。しかし、それが余計にカインの笑いを助長させるのだ。
ひとしきりくすくすと笑ったカインは、先程のことを思い返していた。思い返したところで、また笑いを堪えることになると分かってはいても、そうせずにはいられなかったのだ。
だって、面白いんだもん。
カインの心情は、この一言に尽きた。
◆◇◆
先程とは、土壇場で用意された『異能力者』への対策を考えていたときからのことである。
カインがヤケクソ気味のヴァンに提案した作戦。それは、
「はぁ?俺が囮になる???」
「そうそう、件の異能力者は暇を持て余して村の酒場…といっても、荒れてる国境付近の村だから、ゴロツキの集会所って感じだけどね。まぁ、そこで前金として貰った金で遊んでる」
結局、こんな荒れた土地で見つかる異能力者など、ゴロツキまがいのやつでしかないのだ。荒事と引き換えに金を手に入れて生計をたてる。何も不思議なことではなかった。
そして、そんなゴロツキに時間があって、金もある。とくれば、考えることはだいたい一つ。「豪遊」だ。酒を飲み、女を侍らす。皆、普段できないことをしようとするのだ。
とまぁ、そんなことはヴァンちゃんだって知ってる。ここからが本題なのだ。
「それでさぁ、そいつの異能はちょ~っと人より夜目がいいくらいの『暗視』みたいなんだよね~。だ・か・ら、俺は行けないの」
「はぁ…そういうことね。了解」
いつも以上に眉間にシワを寄せたヴァンちゃんがそう呟く。そんなにシワ寄せてたら、一生とれなくなっちゃうよ?…な~んて本人には言わないけど。
「で、俺は変装でもして乗り込めばいいわけ?」
「そういうわけなんだけど。実は変装道具はもう用意してあるんだよね~」
「は?」
「じゃじゃ~ん。面白半分で買ってたやつなんだけどさ~。まさか役にたつ日がくるとはね~。これは流石のカインさんも驚き桃の木山椒の木ってやつ?」
「ちょ、まさか」
そう、そのまさかである。
昔、幼馴染4人で夜市にでかけたときに、レオと2人で面白半分に購入したドレスをカインは持っていたのだ。いつか、男3人で遊んだ時にふたりでヴァンちゃんに着せようと考えていた代物。そのドレスは、町娘がよく来ているシンプルデザインで、その上肩幅などの体格差が誤魔化せるようになっている。男性にしては細身なヴァンちゃんなら、難なく着こなせるはず。
「異能力者は男で今もなお、村の女の子を侍らせてる。これを着てった方が懐に入りやすいよ?」
「くっ…!」
「ちょ~っとお酒飲まして二日酔いにするだけでいいんだよ?後で何をしたかリアにバレてもあまり傷つけずに済むんだよ?」
自身のプライドとリアへの忠誠心の狭間で逡巡するヴァン。だが、それも一瞬のこと。だって、この男の中で1番前大事なものはとっくの昔に決まっているのだから。
「わかった、やるよ。…ただし、明日の夕飯はあんたの分だけ減量するから」
「うわぁ~ん!ヴァンちゃんの意地悪ぅ~!」
「うっさい!」
ヴァンちゃんに抱きつこうとして頭をはたかれる。ちぇ。せっかく俺が上機嫌だったのに。まぁ、これから面白いものを見られるんだから許してやろうっと♪
◇◆◇
そうして、渋々と着替えたヴァンちゃんは、見事異能力者に気に入られ、酒をこれでもかと飲ませた後、プンプンしながら帰ってきたのだった。
(ヴァンちゃんって、完璧なように見えて、結構抜けてるんだよね~。ドレスは着替えたくせにカツラを取り忘れちゃうんだからさ…まぁ、そこが見てて楽しいんだけどね)
健気で真っ直ぐ、他人のために身を差し出すことを厭わない主人と、そんな主人を目に入れても痛くないというほど可愛がっているくせに素直になれない騎士。彼らの傍で過ごす時間は、自分を退屈させないのだ。
明日にもカインたちは、ナイメリア国に辿り着くだろう。そうすれば、彼らが辺りを警戒する必要はなくなる。
(ふふっ、明日が楽しみだね)
そう、心の中で零した黒猫はニンマリと目を細めたのだった。