旅が始まり
惨劇の夜から三日。二人は大量の食糧を詰め込んだリュックを背負ってどんどん村から離れていった。
向かう方向は兵士たちが現れたのと逆側の方。
ジンは知らなかったが、どうやらドミとして作った統一国家はすでに分断されてしまっているようだった。兵士たち曰く、自身はアイルという国の国民であるようなので、兵士たちが来たというパルストスの反対側、アイルという国の内側に行って、この世界の現状について知ることにしたのだ。
近くの町に行ったことは無かったが、父が仕事で行ったことがあったので方向は大体知っている。
だが村の外に一歩出ると、そこは未知の領域だった。
そもそもジンは、村からあまり出たことがなかった。村人として生活するには村の中にいれば十分だったということもそうだし、ジンがどう生きたいのかを想像できなかった。なにより、村全体に”別に外の世界に出なくても良い”というような風潮があった。
森を開いて作られた街道は非常に歩きやすい。村から三日歩いてもずっと繋がっていて、ジンの知らない世界の広さを感じさせてくれる。右側には視界の開けた平原が広がっている。緑の草の上で寝ころべば気持ちがいいだろう。森では獣に遭遇することがあったが、非常に平和で落ち着いた旅ができていた。
まさか自分にとって初めて外に出る旅が、こんなきっかけで来るとは思っていなかったが、新鮮な光景とは何とも楽しいものだと思った。
「まっ、待ってくれ」
少し離れたところで声をかけられた。
ジェッスがリュックの肩ひもを握った状態で必死にジンを追いかけている。よほど疲れているようで、肩でゼイゼイ息をしている。リュックの下部には、村の襲撃の時に持っていた剣を、横にした状態で無理やりくっつけている。
少し可哀そうに思えたが、追っ手に察知されないようにするためにはもっと歩く必要がある。あの程度の兵士であれば簡単に倒せるだろうが、無駄に体力を消費することもないし、無駄な戦いも望んではいない。
「急げ、できるだけ早く町に着きたいんだ」
「待ってくれよ。こんなくそ重い荷物を……」
ジェッスは兵士としての装備と、一応与えられていた機関銃を捨ててきた。銃の整備方法が分からなかったし、銃はそもそも重量がありすぎたのだ。総重量そのものは軽くなっているが、リュックに詰め込んだ食料が多すぎたことがまずかった。
方向は知っていたが、どれくらいの距離があるのかが分からなかった。だから食料は確保できるだけ持っていくことにしたのだ。二人のリュックにそれぞれほぼ均等に分配したとはいえ、結構な重量になってしまったのは間違いない。
「ったく、メシならともかく金まで大量に持ってくるからこうなるんだ!」
ジェッスの文句も最もだ。リュックには村の民家から集めた大量の金品がある。それが重いのだ。金になりそうな貴金属もそうだが、お札だけでなく硬貨一枚に至るまで徹底的に持ってきたからかなりの重量になっている。
死者から物品を盗む最低な行為にまちがいないだろうが、ジンの理屈としては、これからの自分の旅に役立てることでこれから廃村に侵略に来る連中に金品を渡さないようにする意味もあった。これからの旅にどれほどの金銭が必要なのか分からないからこそ、徹底的に持ってきた。これもある意味、供養の一環だと思っている。戦死した戦友の物品を持ち出す行為とほぼ同じだと、ジンは捕らえていた。
なんとも自分に甘い都合の良い理屈だが、戦争の現場でいつでも残酷な取捨選択を繰り返してきたジンからしてみればある意味簡単な理屈だった。
「文句言うな、それが無いと旅ができないだろ?」
少し硬めの口調で答えた。
それがどうやら怒っていると解釈されたらしく、ジェッスはかなりおびえた様子で視線を逸らした。
おびえられても仕方のないことをしたが、唯一の同行者にそんな態度を取られては寂しいというものだ。
「おびえるなよ。殺さないから」
「チッ、分かってるよクソが……」
舌打ち後悪態。おびえている人間の態度とはとても思えない。
ジェッスの人格が透けて見えたような気がして、ジンは微笑んだ。
ただ問題は地図が無いことだ。
事件から三日歩いているが、地図も方位磁石も無いためにほぼ勘任せに歩いていた。途中で商業キャラバンに遭遇することが一度も無かったために地図やそれ以外の物品を購入する機会が無かった。
この状況で立ち止まることは避けたい。仮に敵と遭遇しても、抵抗する以外何もできないし、少なくとも商店がある場所へいち早く辿り着きたいから。
だがジェッスの苛立ちも理解できる。三日間歩きっぱなしなのだから。
同行者の疲れと現実的な問題を天秤にかける。目を閉じ、どうすべきか頭を働かす。
「よしわかった。じゃあここで休もう」
二つを考えた結果、とりあえず休むことにした。
いくら相手が軍とはいえ、三日間歩き通しならだいぶ距離を稼ぐことができているだろう。という判断だ。それに民の願いを無視しては、王の名折れというもの。前世の経験からくる慈悲でもあった。
聞くが早いか、ジェッスは即座に荷物を下ろして、木を背もたれにして座り込んだ。
ジンも苦笑いをしながら座る。するとズシンと足に錘が乗せられたような気がした。休憩するまで気づかなかったが、流石に三日歩き通しは疲れてしまうらしい。
荷物の中から金属の水筒を取り出し水を流し込む。水分補給くらいはこまめにしていたので、喉が渇いている感覚はそこまででもなかったが、全身に水が染み渡るような感じがしていつもより水が美味しく感じられた。
ふと、少し遠くの方から規則的な音が聞こえてきた。人間の靴音ではなく、蹄を地面に叩きつける音と車輪を回す軋み音。
音の正体は大体察しがつく。
「ジェッス、警戒しておけ」
立ち上がって周囲を見回す。そんなジンの姿に触発され、ジェッスもリュック下部にある剣に手を伸ばした。ただ決して出しはしない。無駄に抜いては相手を警戒させるだけだ。
やがて歩いていた方向の右側に、こちらへと進む馬車を見つけた。一台を二頭で引いているようで、御者が一人座っている。馬車の荷台は薄く汚れた白いシートで覆われていた。
ジンはあえて無警戒に御者から見える位置に出て、響くくらいの大声を出しながら大袈裟に腕を振った。どうやらこちらに気づいたらしく、馬車がわずかに方向転換した。
程なく馬車がジンたちの前にたどり着く。二人の前でちょうどよく馬を止めた。
「なんだお前ら」
先頭の馬車の御者が二人をジロリと睨みつけた。値踏みするかのような瞳にジェッスは体を震わす。その昔向けられた瞳によく似ていたから。
「俺たちは村から出稼ぎに出てきたんだ。けど街の方向がわかんなくなくなっちまってよ! できれば街まで連れてって欲しいんだ!」
「ああ? 村から? だめだだめだ! 信用できるか!」
ジンが少年ぶって頼んだ言葉を、御者の男はにべもなく突っぱねる。
ジンはそれをある意味正しい行いだと思った。いくら相手が少年でも、未知数な相手に対して警戒するのは当然だ。ジンはこの時代に詳しくはないが、何の悪事も働いていない村をいきなり敵国の兵士が滅ぼす時世、人の警戒心も相応に高くなって然るべきだ。
だがここで馬車を諦められるほど、今の疲れは甘くない。
「当然だと思います。だから乗せてもらう代金を払わせてください」
金に余裕はある。何せ村人たちの金を全て集めてきたのだから。次の町への運賃程度は払えるはずだ。
だが御者は渋い顔をした。
一瞬考えて、ジンはすぐに御者の心理にたどり着く。こんなボロボロの二人組—しかも若い―に金があるようには思えないだろう。
様子からしてこの馬車は商業馬車、一台で移動しているのなら、このテントの中には商品がぎっしり詰まっているはずだ。その中に見ず知らずの人間を乗せてどうなるか、想像に難くない。
ジンはドミ・ステイルという王であった。当然弁論をする機会はあったし、自分の理を通すために言葉を、コミュニケーションを磨いてきた。それでも商人のやり取りというものに明るくない。磨いたのはあくまで政治の方針を通すための攻めの語り方と、自分を攻め立てえて責任を取らせたい相手をどういなすかという受けの語り方だ。
必死で頭を回転させて語り方を考えていた。すると、森の遠くの方から何者かの遠吠えが聞こえてきた。
少しピリピリしていた空気が、警戒心によって固く張り詰めたものに塗り替えられる。
御者の男は懐から笛を取り出した。シンプルな金属製に見えるが、ジンには何か特異なものに感じられた。
「それは?」
「あ? “退獣笛”を知らないのか? 旅には必須の魔具だぞ!?」
「初めて見ました」
魔具。
魔法や魔力を道具に込めて完成したものをそう呼ぶ。何の変哲もない道具に、ボタンを押すと火が出たり、声を通すと音が大きくなったりする効果を与えることができる。
魔具という概念はジンがドミとして生きていた時代にもあったが、そんな魔具があったとは知らなかった。ジンが転生する数百年の間に生まれたものなのだろう。
「ありゃあおそらく魔獣だ! 耳をふさげ! こいつで魔獣を追っ払う!」
男はそう言って笛を咥えた。
名前からしてなんとなくわかっていたが、やはりその笛は魔獣を撃退するためのものらしい。民たちの安全を手に入れるための努力に、ジンは思わず微笑んだ。
徐々に遠吠えが近づいてきて、警戒度も上がる。ちらりと御者を見た。目は遠吠えの聞こえた方を睨みつけているが、笛を握る手は震えて、じっとりとした汗が日光に照らされて無駄にテラテラ輝いていた。
ついに草が揺れる音も聞こえてきた。意識を獣に戻し、ジンもまたまっすぐに森を見る。だがその前に一瞬だけ後ろで休んでいるジェッスを見た。荷物を持って、馬車の陰にこっそり隠れている。まるで小動物のような隠れ方だが、一番正しい行動だろう。
草の音が大きくなった。
現れたのは四足歩行の獣だった。茶色の体毛には汚れのあとがちらちらとあり、すらりと伸びた足と涎が垂れた口からは鋭い爪と牙が見えていて、爪にはわずかに血がついているように見えた。
隣でカランと金属の落ちた音がした。反射的にそちらを見ると、御者が顔を青くして笛を落としていた。
「逃げろ……こいつはバークベア……このあたりで人を殺しまわっている殺人熊だ」
御者は震えながら手綱を握りなおした。
その魔獣はジンも聞いたことのある名前だった。村々で人を襲う有名な熊の一種。だからこそその強さも、有用さもよく知っている。
「ねえ俺がこの熊倒したらさ、馬車に乗せてよ」
「はっ?」
こいつは何を言っているんだ? という御者の心が透けて見えるような顔だった。
「バークベアの毛皮は大金になるし、肉も高級珍味として売れる。何より爪と牙は魔具を作るのに利用しやすい。こいつで運賃には十分なるでしょ」
「ばか! バークベアはランクBの魔獣だぞ! こんな狂暴なのが居るなんてありえねえよ!」
ランク、という概念にジンは首を曲げた。
拳を握りながら己の時代に対する知識不足を痛感する。もちろん五百年前からも通用する知識は多い。それでも知識不足は死を招く。反省点としては大きい。
拳を握り、拳に魔力を集中させる。
「さて、喧嘩しようか」
バークベアはジンの戦意を感じ取ったのか、立ち上がり体を大きく見せた。そして横なぎに腕を振るう。
その姿を見たジェッスは思わず馬車の陰から顔を出した。視界にニヤリと笑うジンを捉える。
バークベアと向かい合うジンを見た全ての生き物に、次の瞬間頭から血を流して倒れ込むジンの姿が浮かんだ。
だがジンは丸太のように太い熊の腕を、自分の腕一本で問題なく受け止めていた。それどころか、その場から一ミリも動いていなかったのだ。
もちろんただ筋力で受け止めたわけではない。ジンは自分の魔法を使い、腕に力場を纏っていた。力場がジンの装甲となって守り、バークベアでは突破できない壁となった。そしてそれは攻撃にも反転する。
見えない壁を感じたバークベアは後ろに一歩下がりながら、不思議そうに自分の腕を見つめる。
「不思議だろ? 俺もこの力場操作の完成には苦労した」
目を閉じ、昔を懐かしみながら魔力を全身に巡らす。この巡らす動きも、何度練習したことか。
何度も鋭い爪が振り下ろされる。その全てがジンに到達することは無い。牙でさえも顎を閉じることなく、虚空を噛んでその動きを終わらせていた。
足に力場を纏わせる。それだけではなく、今度は形を変えた。ただ腕に沿った纏うためだけの形から、より鋭く、よりシャープな形に。
「偉大なる斬撃」
足をまるで鎌のように振る。すると熊の腹が裂けて弾けたように腹から血が噴き出した。正面のジンに向かって血が降りかかるが、自身の正面に力場を展開して血を全て受け流した。
「どうです?」
振り返ると、驚きのあまり声の出ていない様子の二人が居た。両方とも間抜けな顔で腰を抜かしている。
馬がいなないたことで二人の意識がこの世界に戻ってくる。
「すっ、すごいな。今のは……魔法か?」
御者が恐る恐るといった様子でジンに尋ねる。それにジンは静かにうなづいて答えた。
「それでどうです? このバークベアなら乗せてもらう代金になりませんか?」
ジンは朗らかな笑みを御者に向けた。
その笑みがまるで普通の少年のように見えて、圧倒的な強さを見せつけた少年とはまた別人のように感じられた。
筋骨隆々の大男を見れば誰もが目を引かれるように、ある程度の強さは表面化して伝わってくるもの。しかし目の前の少年にはそれが無い。だからこそ御者は僅かに体を震わせたのだ。
相手は得体が知れない。それでも温厚だ。断ることはできるだろう。せっかく綺麗に討伐してくれたバークベアの死骸を逃すのは惜しい。それでも当然のリスクヘッジだ。でも、御者は生唾を飲み込み、商人らしい薄笑いを浮かべた。
「予備の荷台を出すのを手伝ってくれ」
「もちろん!」
ジンはまた人当たりの良い笑顔を向けた。
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