18
ロイドに、どこへ行こうという当てがあったわけではない。
役目から解き放たれ、ただ心の赴くままに。
胸の内にいるビアンカが望む方へ、足を向けていた。
山あいの村をいくつも巡り、谷を越え、やがて国境を越えて隣国へ入った。
「ビアンカ。おまえ、こういうのを見たかったんだろ」
検問の町の人混みを歩きながら、ロイドは小さく呟く。
通りには、人と獣人がごく当たり前の顔で行き交っていた。
並んで歩く異種族の恋人たちの姿も、別に珍しくはないらしい。
ケルナスは、ずっと昔から人と獣人がともに共和を支えてきた国だ。
小さいながら鉱山資源に恵まれ、獣人を中核とした軍の強さでも知られている。かつては王国から逃れてきた獣人も少なくなかったと聞く。
昔、ヨナスがこの国の軍にいたと知ったとき、ビアンカはひどく羨ましがっていた。
ロイドはそのことを思い出していた。
「お兄さん、寄ってきなよ。飯でもどうだい!」
大通りから伸びる路地には屋台が並び、香ばしい匂いが漂っている。
ビアンカは犬歯が短く、大きな肉にかぶりつくのはあまり得意ではなかった。
だからいつも、大ぶりの串より、小さく切った肉の刺さったものを好んだ。
――ようやく、ゆっくりビアンカと歩ける。
王国にいたころは、どこへ行っても彼女の痕跡があった。
忙しくしていなければ、その気配に呑まれてしまいそうだった。
改革は、自分に課された義務だった。
そして同時に、ビアンカとの約束でもあった。
仲間たちに支えられてきた。
やるべきことがあることに、何度も救われもした。
それでも、何かを決めるたび、胸の奥ではいつも問いかけていた。
彼女なら、どう言うだろう。
彼女なら、どうしただろう。
もし、ビアンカが傍にいたなら――と。
この5年で、ロイドにとってビアンカは、もはや喪った誰かではなくなっていた。
懐かしむ、というのとも違う。
狂っていると言われれば、そうなのかもしれない。
ただ、自分の意識のどこかに、ずっと彼女がいる。
それがいちばん正しかった。
ようやくすべてが落ち着き、義務からも解き放たれた。
ならば、俺たちに――俺とビアンカに、少しくらい休息があってもいいはずだと、そう思った。
どこへ行こうか、と胸の内に問いかけたとき、ビアンカはあっさり言った。
『国境の向こうに行きたいんだけど』
ケルナスの国境の町は、王国よりもいくらか暖かい。
ロイドは宿を取り、この町にしばらく腰を落ち着けることにした。
ビアンカが、それを望んだ気がしたからだ。
夕暮れの空が、蒼と朱の境をゆっくりと溶かしていく。
宿の窓を開け、往来を見下ろす。
人の流れのあいだを、子どもたちが急ぎ足で家路についていた。
いい町だ、とロイドは思った。
ふと、子どものころを思い出す。
伯爵家の下働きの子どもは、自分とビアンカだけだった。
いつも一緒だった。
最初は妹のように思っていた。
……いや。
最初から、そうではなかったのかもしれない。
そう思い至って、ロイドは往来を見下ろしたまま、かすかに笑った。
『大人はみんな私に優しかったけど、ロイドは最初、ちょっと意地悪だったでしょ?』
「そうだったか? 俺はそんなつもり――」
『意地悪だったわよ。薪を取りに林へ行ったとき、私を置いて帰ったじゃない』
「……あれは、おまえがついて来てないことに気づかなかっただけだ」
厨房係に薪を取ってこいと言われ、林の薪小屋まで台車を引いていった。
積み上げた薪の重みに引かれて、坂道を下る台車は放っておけば一気に走り出す。
幼いロイドはそれを抑えるのに必死で、後ろからついてきていたビアンカに気づけなかった。
まだ何の手伝いもできない小さなビアンカは、いつだってロイドのあとを追ってきた。
自分の仕事をこなすだけで精いっぱいだったあの頃のロイドには、それが煩わしく思えることもあった。
「厨房で待ってろって言っただろ。おまえが勝手について来たんじゃないか」
『私は、いつだってロイドと一緒にいたかったのよ!』
頬をふくらませて拗ねるビアンカの顔が、ありありと浮かぶ。
「……俺は、おまえを危ない目に遭わせたくなかっただけだよ」
あのとき。
薪を運び終えて振り返ったとき、ビアンカの姿がなくて、ロイドは血の気が引いた。
慌てて林へ駆け戻ると、ビアンカは途中の岩にちょこんと腰かけ、怒ったような顔でじっと待っていた。
「ほんと、おまえは昔から俺を振り回すよな」
すっかり日が落ちた往来には、店先の灯がひとつずつともり始めていた。
冷えた夜風が頬を撫でる。
ロイドは静かに窓を閉めた。
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