第二百九十話『妖怪と人間』
まあ、色んな意味で流石幻想郷の人間である。
かつて地底が開放された異変。
さとりさんという、一勢力の主にしては異常に穏やかな人に出会ったというあの異変。
お空の有り余った力が間欠泉を噴出させていたが、今では多少制御できるようになったのか、地上に影響を及ぼすことはなくなっている。
……ただ、霊夢のやつが慰謝料よ、とか言って博麗神社に沸かせている温泉は、実は今だ枯れる気配はなく、雨の日以外は霊夢のやつは態々風呂を沸かす手間が省けているわけなのだが、
「……良也さん」
「なんだ? えーっと……一応、事前に話は通してたと思うんだけど、問題でもあったか?」
「問題があるわけじゃないんだけど、この人達、参拝に来たわけじゃないのよね……」
霊夢が、博麗神社にいつになく集まった里の男衆を見て、苦々しい顔になる。
賽銭の一つでも入れていけば霊夢の機嫌も上向きになるのだが、彼らは揃って博麗神社の境内を通り道としか認識しておらず、母屋の裏にある『とある施設』にその視線は向いていた。
「よ、土樹」
「土樹も、菓子屋だけじゃなくてこんな商売まで始めるなんてなあ」
と、口々に彼らが声をかけるのは僕にであって、霊夢にではなかった。
それはそれとして、一つ訂正。
「いやいや。商売じゃないからな? これで金取る気ないから」
「へえ! 太っ腹なこって。あーんな立派な温泉作っといて」
「ガワはともかく、湯の方は地底の人達の協力あってのことだからなあ。タダが心苦しいんなら、今日来たみんなで酒の一本でもくれれば、僕の方から地霊殿に贈っとくよ」
……そう。
博麗神社の温泉には、一応男湯と女湯の二つがある。
女湯は、魔理沙のやつが地面をマスパの要領でくり抜いて立派な露天風呂に仕立て上げていたが、僕が普段入ってる男湯の方は、五右衛門風呂より狭い状態だった。
折角の温泉にそれじゃ寂しいなあ、と僕も僕なりに土魔法を駆使してコツコツ拡張していたのだ。
まあ、気が向いた時しか作業はしなかったし、作業は遅々として進まなかったが、つい先日ようやく完成の目を見て、
……立派な露天風呂に、一人で入っても超虚しいという事実に、完成してから気がついた。
知り合いの人外勢で数少ない男である森近さんを誘ってみたが、あの人は商品の仕入れ以外では出不精だったりするので断られた。そもそも二人でも広すぎる。
んなわけで、里の男連中を十数人ばかり誘ってみたわけだが、
『おおおぉぉぉ~~』
なにやら、先に中に入ってる連中の歓声が聞こえた。
「どうした~?」
『いや、土樹スゲーよっ! 凄い綺麗だ!』
あー、うん。外の世界の某有名温泉旅館をパク……リスペクトしたからな。
それを魔法という、下手な重機より自由度の効く道具で持って再現したわけだから、素人目には中々の出来になったと自負している。
……いや、細かい所見れば勿論駄目駄目な部分もあるんだろうか、まあぱっと見はね。
「あ~~、っと。霊夢、騒がせてごめんな」
「別にいいけどさ。帰りに、賽銭の一つでも入れるよう言っといてよ」
「了解了解」
呆れたように霊夢は嘆息して、箒を手に取る。
一応、こいつにも客が多いなら掃除しようと思い立つくらいの気概はあるらしい。
「……あによ」
「なんでも」
そんな僕の感心に気がついたのか、霊夢がこっちをジト目で睨んでくる。
それから逃れるように、僕はタオルと着替えのセットを持って、博麗神社温泉男湯に向かうのだった。
「ふぃ~」
十数人のむくつけき男どもが一斉に入ってもなお余裕のある湯船。
僕は肩まで浸かってようやく結実した努力の結果を満喫する。
「あー、酒持ってくりゃよかった」
「お、土樹。酒ならあるぞー」
男の一人が持ち込んだらしき一升瓶と徳利、盃。が風呂桶に入れられ湯船に浮かんでいた。
まあ、風呂時にアルコールはよろしくないが、温泉に酒を浮かべるアレは、どうにも逆らい難い魅力がある。
……溺れてもどーせ死なんし、と僕は言い訳をして、盃を受け取って一気に飲み干す。
「ああ、いい感じだ……」
「確かになあ。ありがとうな、土樹。こんないい風呂に招待してもらっちゃって」
「いいよいいよ。どうせ、僕以外は女湯しか使わないんだから。作っちゃったんだから、一人で使うのももったいない」
「へえ、女湯って、あの仕切りの向こうか?」
三メートルほどの高さの竹の仕切り。
博麗神社の風呂に入る連中の実に十割が空を飛べる中、あの程度の高さの仕切りにどの程度の意味があるのか判然としないが、単なる『覗くな』という意思表示であると僕は受け取っている。
と、急に騒いでいた男たちが静かになったな……
「……言っとくが、今誰も入ってないぞ」
「な、ななななな! なにを言うんだよ、土樹!?」
「誰が覗くだなんて……そんな破廉恥な!」
「俺達を見損なうなよ!」
……『覗く気か』とか一言も言ってないんだけどな。
「あらあら、つまらないこと。男児たるもの、女の裸を見るためなら、命を賭しなさいな」
と。
女湯の方から、良く通る声が届いた。
……つーか、聞くだけで顔が引き攣るこの声って、
「スキマか……。霊夢に無断で入ってんのか」
「いいじゃない、別に」
「いいけどな、僕は」
霊夢のやつも、それくらいで目くじらは立てないだろう。ただまあ、礼儀の問題というか。
「あーっと。まあ、それはそれとして、騒がしくして悪い」
「いいわよ、別に。静かなのもいいけど、多少の喧騒は中々心地いいわ」
そういうもんかね。
「おい、おい、土樹。入ってるじゃねぇか」
「……家主に無断で入っているヤツのことまでは知らん」
チラッ、チラッ、と女湯の方が気になって仕方ない様子の男たち。
……いや、一応僕も気持ちはわからなくもないが、しかし向こうにいるのがスキマな時点で僕としてはノーサンキューだ。これがもうちょい別の……ええと……その、具体的な名前に言及するのは避けるが、性格的にも魅力のある女性ならば、みんなに少なからず同意したに違いない。
「ていうか、スキマ。お前もしかして、自分で沸かすの面倒だからとかで、いつも霊夢んちの風呂入ってるのか?」
「あのね、人聞きの悪いこと言わないでくれる? うちの風呂はいつも藍がいい湯加減で用意してくれるわよ」
……いや、相変わらず式神使いの荒いことで。
「そうじゃなくて。今日宴会するから、そのついでってところよ」
「は? 今日? 僕聞いてないけど」
「今日の午前に決まったことだからね。霊夢には、まあいつもどおり事後報告ってことで。ボチボチ、気の早い連中が集まる頃じゃないかしら」
……幻想郷の住民、特にいつも暇している人外達の間では、こういう突発的な宴会が発生するのは割と日常茶飯事である。
僕だって、普段ならばタダ酒にありつける機会にヒャッホォウ! と喝采しているところだが、今日この日は不味い。
「へー、宴会なんであるんだ、この神社」
「流行ってないって思ってたけど、結構人来るのか?」
そして、嗚呼。事情を知らない男共は、そんな呑気な感想を抱いていらっしゃる。
いや、わかるよ。噂で博麗神社が妖怪に占拠されたなんて言われても……そしてそれがある程度事実と認識されていても、神社で宴会という字面から、妖怪共が和気藹々と酒を酌み交わしている姿は思い浮かばないだろう。それは神社ではなく、百鬼夜行というか、そんな感じだ。
「……みんな、のぼせる前に上がろうか」
「え? なに言ってんだよ、土樹。まあもう少しあったまってこうぜ。ほら、もう一本つけるか?」
無邪気にお銚子を追加しようとする友人に、僕は引き攣った笑いを漏らす。
……事実を言ってもいいんだが、その場合、こいつら裸のまま避難しかねないしなあ。むしろそっちのほうが致死率高い気がする。
「フフフ」
「あんだよ、スキマ」
「いえね。いつもの宴会のつもりだったけど、ちょっとは楽しい余興がありそうね」
趣味悪ぃ。
たっぷり三十分は温泉を堪能した後。男は揃って着替えて博麗神社の境内に出て……そして、全員が全員、体を凍りつかせた。
「……はあ、だから早く上がろうって言ったのに」
そこに繰り広げられていたのは、二十人弱程の妖怪達が思い思いに酒を呑んでいる様子である。ああ、また乾杯もなしに付いた奴から呑み始めてんのか。
「あれ? なに。今日は人間がメインディッシュなの? うちの蟲達にもちょっと齧らせてあげてもいい?」
と、野良妖怪の一人、リグルが無邪気にトンデモないことを言い、
「ふむ、湯上がり……自ら清潔にして妖怪の前に身を差し出すなんて。『里の若者衆、モテない現実を儚んで集団自決か!?』 ってタイトルで記事書けそうですね」
メモを走らせる射命丸に、
「人間ねえ。もうちょっと苛めがいがある奴なら良かったのに」
幽香さん……と。
「つ、つつつ、土樹? は、博麗神社が妖怪に乗っ取られたって話、本当だったのか?」
「おお、おおいいいい……!? 里の外で、こんな数の妖怪に囲まれたら……」
みんながビビるのもわかる。この前のこころの異変の時みたいに、友好的な妖怪や神様が近くにいていざってときは守ってくれる……なーんて状況じゃないしね、今。
ここで、東風谷とかがいれば、信仰のために『私がいるからには安心ですよっ!』などと頼もしく宣言してくれる(そして弾幕ごっこでリンチされる)のだが、タイミングが悪いのか、人間友好度『高』以上の奴がいないなあ……
「あー、いや。ちょっと待った。こいつらは僕の客で、宴会の食材ってわけじゃないよ」
一応、一番面識のある人間として、僕は手を上げて言う。
「友釣りっていうやつね」
先に風呂から上がっていたスキマが、おかしそうに漏らす。
……友釣りは鮎の縄張り意識を使った漁法であって、この場合は不適切……とかどうでもいい!
「……ええと、とりあえず、博麗神社の宴会では殺人はご法度だったような」
「ああ、なら私に頂戴。生き血の飲み比べなんて、最近やってなかったからね。そういえば」
レミリアも来やがった……
「それを言うなら腕や脚の一本くらい貰っても死にはしないわよね? 私が串揚げにしようか」
「私は目ん玉がいいなぁ。肝は我慢してやるから」
ミスティアと萃香。
……うわー、もうこれ、トンデモナイことになってきたぞ。
男連中はジリジリと退避しようとし始めており、そしてさり気なくルーミアが後ろから襲い掛かろうとしており、
「ん? なにやってんの、あんたら」
「はい、かいさーん」
霊夢が母屋から食器を持って現れ、僕は手を叩いてタチの悪い冗談を抜かしていた妖怪達にそう告げた。
さっきまで境内を包んでいた殺気というか妖気というか、そういうのは霧散して、各々宴会に戻り始めた。
博麗神社で、霊夢が留守でもないのに本気で人を喰うような妖怪はいない……多分。ルーミアとかリグルとかの野良妖怪はちょっと怪しいが、そっちが本気になったら他の連中が止めるだろう。
……ということは、僕はわかっているのだが、一方で本気で覚悟を決めていたみんなは、突然の空気の変わりっぷりに付いていけていないようだった。
「は、え……?」
「ああ。あんたら、長湯だったのね。今日宴会やるからさ、丁度いいから参加してけば?」
敷物の上に食器をよいしょと置いた霊夢は、なんでもないことのようにそう彼らに言う。
「え、宴会?」
「そ。ったく、妖怪どもはこっちの都合も知らないで勝手に宴会の予定を組むんだから」
これが? と聞きたそうな僕の友人の一人に、霊夢は検討外れの答えを返す。
「あら、今日の幹事は魔理沙なんだけど」
「魔理沙も妖怪でいいわよ、もう」
スキマの言葉に、霊夢は呆れたようにため息を付く。まあ、僕もそれには同意。
「こ、こんなところにいられるか、俺は里に帰る!」
ぉぉう、これはまた見事な死亡フラグ。
「ちょい待ち、ちょい待ち、稲谷」
「なんだよ、土樹!」
「……このまま帰ったら、お前帰り道に襲われるぞ」
今、稲谷が帰るって言った途端、一部の連中の目が食欲に彩られたのを僕は見逃さない。
今いるのが博麗神社で、霊夢がいるからこそみんな自重しているが、それがなくなれば――『ご馳走』を見逃さない奴は、そこそこいる。
僕の言葉に事態を把握したのか、いち早く逃げようとした稲谷だけでなく、他のみんなも逃げられないと悟って絶望的な表情になる。
「まー、しばらく待ってれば守矢神社とか命蓮寺のの人達が来るから。帰りは送ってもらえばいいって。あ、レミリア、そのワイン僕達にもくれ」
「ふっ、いいわよ。人間ども、お前らにもくれてやるから、紅魔館のワインの味に平伏しなさい」
ああ、今年の葡萄で咲夜さんが作ったビンテージワインはいい出来だって話だっけ。自慢したいんだな。
「つーわけで、みんなー、呑むかー。大丈夫大丈夫、ここなら大人しくしときゃ噛まないから」
まだビビっている様子のみんなに気楽に言って、僕はそれぞれにワインを注いで回る。
「ほーれ、かんぱーい」
『か、乾杯』
ぎこちなく乾杯の声が唱和する。まあ、みんなにとってこれもいい経験に……なるかなあ。
なお、無事宴会を乗り切った彼らは、里に帰ると『妖怪の宴会に参加してきた!』と武勇伝っぽく語りまくっていた。
……タフだな、おい。




