7.悪魔と少女のおうち
『生まれたばかりの赤ん坊を殺そうとするだなんて、酷いですねぇ』
「赤ん坊はそんなペラペラ喋らずバブバブ言ってろ! また首かっ斬って生まれ変わらさすぞ!」
ドラゴンの氷の息吹を空中で一回転するだけでかわしてみせた赤ん坊は、産着を着て空間にふよふよと浮き、目を閉じた赤い顔に、遥か老成した気配を漂わせる、皮肉げな笑みを浮かべています。
その突然の闖入者にゼファーが説明を求める前に、本人が声を伝えてきました。
『昨日はどうもバブ。あなたの悪魔に殺されて人間に生まれ変わった、トハですよ。バブ』
「悪魔ってそんな事できるの!?」
「それなりに力のある悪魔なら、前世の記憶と魔力を持ったまま転生できる。奴はそれを狙ってわざと俺に殺されたんだ」
わざと殺されてまで、人間に生まれ変わった。
その事実にゼファーは彼へ抱いていた恐怖が、別の何かに変わっていくようで、戸惑いました。
「……人間に、なりたかったの?」
その問いに、トハは返事の代わりにいつくしむような微笑みだけを返しました。
「トハ、お前いつからここにいた。何がかわいそうだっつーんだよ」
『ヘタレ、ガキジジイ、稚児趣味に捕らわれたゼファーさんがですよバブ。あとデカい面さらさないで下さいバブ。私はもう悪魔じゃ無いから服従する必要無いんですよバブ』
解放感を満喫している言いたい放題のトハは、“いつから”の問いをかわしつつ怒涛の言葉で責め立てます。痛い所を突かれまくったガルーカンは、大きな身体を小さくするしかありませんでした。
「そもそも俺がこう考えるようになった原因は誰だとっ……!」
『ゼファーさん、こんな悪魔と一つ屋根の下に暮らすとロクな人生歩めませんよバブ。どうせ契約終了した途端に家から追い出す気ですよこの悪魔。バブ』
ゼファーは無意識に目を背けていた所を突かれ、泣き出す寸前のような顔になっていきます。ガルーカンはうろたえます。
「な、何でそこで負けるんだよ? さっきまで押す事しか知らなかっただろ!?」
「でもガルーは願い叶え続けなきゃいけないんでしょ?」
「そんなもん、お前の願いをずっと叶え続けてきゃ問題ねぇよ!!」
「そうなの!?」
ガルーカンがハッと息を飲んで振り返ると、釣り糸に魚がかかった漁師のような雰囲気の赤ん坊が口角を持ちあげていました。
『ゼファーさん良かったですねバブ。これであとは本人の意思だけの問題ですよバブ』
「ガルー……」
「……他の奴が目に入ってないだけだ。大きくなれば、他の奴を好きになるぞ」
「うん、そうかも。でも今は――」
「待て、そんなの許すか。お前に手ぇ出した奴なんざバラす」
面倒臭ぇな、の言葉をトハは飲み込みました。
「誰もお前に手ぇ出さないよう、お前を一生俺の家に置いてやる。お前も誓え!」
「うん! ゼファーのおうちは、ずっとガルーのおうち!」
ぽふぽふ、と赤ん坊の小さな手が拍手らしきものをしました。
ガルーカンはこの熱が冷めない内にとこれからの行動を即座に考えました。
「トハ、命令じゃなくて頼みだ。親分と連絡取れ」
『はい、お任せ下さいバブ。それと提案がありますバブ。あなた方を危機に追いやった黒幕に、一泡吹かせてやりましょうバブ』
二人の仲を危機に追いやった本人が寝言を言っている、とガルーカンは氷の息吹を吐くために口を開きかけました。
「トハさん、なんでそんなにゼファーたちに味方してくれるの?」
『ガルーカンの言う事を聞く必要はありませんが……』
「お前今呼び捨て」
『怖がらせてしまったおわびに、お手伝いしたいんです。私は、そのために来ました』
例え目の開かない赤ん坊でなかったとしても、彼の真意を知るのは難しいでしょう。
けれど、伝わってくる声だけは、確かに温かみを感じられたのでした。
天を向いた円筒状の大砲、ライフライトを収めているのは、縦に長い施設でした。壁にはゼファーが閉じ込められた部屋と同じ装飾が施され、内外からの壁の破壊を防ぐ魔法がかかっています。
中央に置かれた大砲を円状に並んだ魔道士たちが囲み、弾を作るために魔力を注ぎ込んでいます。魔道士はグラスパート中から集められた者たちです。その魔道士の中には、ディズレーリの親族もいました。
弾の生成が終わると魔道士たちは一か所に集まり、皇帝の入室と共に頭を下げます。
そして魔法の檻に閉じ込められた勇者と生首の悪魔がそれぞれ台車に乗せて連れて来られました。その檻を作った牧師も付き添っています。彼らは大人しく技術者たちに身を任せ、大砲の中に入れられる時を待っていました。
「お待ち下さい!」
突如として施設の扉を開け放って現れたのは、ディズレーリでした。
「火急の件です! 作業の邪魔は致しませんから、どうぞ話だけお聞き下さい!」
その姿を見とめた親族の中から彼の姉が飛び出て、烈火の勢いで怒鳴り散らします。
「この恥知らずが! 気高い家名に泥を塗りに来たか!」
「サラマンダー家にも深く関わる事でございます!」
あのすぐいじけるディズレーリが間髪入れず意見した事に、姉は面食らって声を出せませんでした。
騒ぎになる前に、皇帝が厳かな声で鎮めます。
「皆、落ち着け。処分するにしても、内容によるだろう。まず話すがよい」
「寛大なお心に感謝します。魔力の枯渇について調べてきました」
その言葉にざわめきが広がります。
「嘘をつけない悪魔ジキを捕えてきました。この悪魔は多くの方が知る所ですね?」
ディズレーリの肩に、紅い霧をまとった、長い尾羽を持つ黒い鳥のような悪魔が現れました。本当は契約しているのですが、話をややこしくしないためにそう言っておきました。
悪魔と聞いて牧師は困ったように眉を寄せましたが、それだけに留めておいたようです。
「そもそも魔法の祖とは、最初に魔法が使えた者の事です」
「世界中の誰もが知る、常識だな」
「祖がどうして魔法を使えたのかはわかりません。しかしその者が人間と交わり、成した子供も魔法が使えました。魔法は、その血筋に受け継がれているのです!」
皇帝は目を見張ります。
「悪魔よ、真か」
「そうだよ。魔法の祖が生まれた時代より生き続けていた悪魔から聞いたんだ。その悪魔は僕に嘘をつかないよ」
ジキに消える兆候は見られません。真実なのです。
いよいよざわめきは大きくなります。皇帝も臣下も関係ありません。
「では魔力の枯渇は祖の血が無いと止まらないのか!?」
「いや、まだそうときまったわけでは無いでしょう。皇太子だって、魔法を使えない皇帝と皇妃の間に生まれたのに魔法を使えるんですよ」
「……それ皇妃が浮気してただけじゃ」
「誰だ、口を慎め! 皇帝であるわしの目をあざむける者などいるものか!」
「用意周到な、手抜かりの無い相手とか」
この騒ぎの中、手抜かりの無い牧師は、自分は関係ありませんよと言わんばかりに一言も発しません。
もはや真実を証明できる者は、人間たちの中にはいませんでした。
どう収拾をつけるというのか、この騒ぎの原因であるディズレーリが再び声を張り上げます。
「証明できる者がいます。そこの二人です!」
彼が指をそろえて示すそこにいた、ゼファーとガルーカンに注目が集まりました。
ガルーカンがぼそっと「俺は何の罪で公開処刑されてるんだ」とゼファーには意味のわからない言葉を呟きましたが、今は下手に口を開かないよう言われているので、首を傾げるだけにしておきました。
「ゼファーさんは魔力を使えない血筋。彼女と魔法が使える悪魔との間に子供ができ、その子が魔法を使えたら証明できます」
ガルーカンが額を台車にごんごんと打ち続け、「歴史が滅ぶまで消えない恥とか、俺そんなに悪い事したか?」と呟きましたが、そんな小さなぼやきは誰にも拾われません。
「この鑑定には、探知の魔法が得意な僕と、嘘をつけない悪魔のジキが行います。探知の魔法の応用で血縁を調べるのです」
それなら別にそこの二人でなくてもいいのでは、という疑問は誰もが抱きましたが、しかし喉の奥に引っ込めました。ここには調べられて困る人間ばかりいるからです。
「しかし、もし真実だったら、これからも魔法の恩恵を受け続けるためには、悪魔と交わらねばならないというのか……」
誰かがそう唸った直後。
紅い霧をまとって黒い翼を生やした牧師が高く舞い上がり、その場にいた全員へと、等しく滅びの光の雨を降り注ごうとしました。
しかし檻を破ったガルーカンがゼファーに入り、その雨と同じだけの氷柱を撃ち返し、相殺させました。
そしてまんまとおびき出された牧師は、床に何本もの氷柱で縫いつけられ、その一本に乗った少女に見下ろされました。
『悪魔と交わる可能性、がお前の我慢の限界か。のたまえよ、言い訳。服従するまで、全てへし折ってやるからよ』
ガルーカンの促しに、しかし牧師は何の反応も返しません。
ガルーカンは舌打ちすると、ゼファーの外に出てジキへ顎をしゃくり、合図しました。
「この牧師は悪魔だよ。さっき言った、魔法の祖が生まれた時代より生き続けていた悪魔から生まれた子だ。僕と契約して探知の魔法を強化したディズレーリが血縁を調べたんだ」
「悪魔憑き勇者の噂を流したのも牧師様ですね。その出生ゆえにいち早く魔力の枯渇の原因に気付き、悪魔と良好な関係になる可能性をなくすためですか? だから悪魔憑き勇者の大砲で魔王を倒そうと考え、噂を流した。そして倒せようが失敗しようが、魔王に牙を向けたという事実さえあれば、悪魔と人間は完全に敵対する。それさえ果たせればどうなってもいいという考えですか? ……違うなら、反論をお願いします」
まだ沈黙を続けるのかと思いきや、牧師は、はあ、と残念そうにため息をついただけでした。
とても呆気ない肯定です。否定も自白もしません。怒りも憎しみも滲ませません。
それがとても不気味に見え、ゼファーはたまらず口を開きます。
「……なんでこんな事したのか、理由、話さないの? 悪魔と人間が仲良くするのが、嫌だったんじゃないの?」
悪魔と仲良くなろうとしている少女の言葉を聞いて、牧師は初めて表情を変えます。拒絶するような冷たい目をして、薄く笑ってみせたのです。
「聖職者が悪魔に真実を話すはず無いでしょう」
その言葉こそが、牧師の動機、真意そのものでした。
突如、施設の中の空気が震え、ライフライトが低く駆動音を唸らせながら起動しました。
「まだ悪魔が入っていないから大した威力は出ませんが、一発ヤキを入れるくらいはしたかったんですよ」
ごく淡々と説明する牧師に、皇帝は腕を振って命令します。
「すぐに止めよ!!」
「大丈夫、落ち着いて下さい。私は手抜かりの無い聖職者なので、一度起動したら止められないよう細工しておきました」
さて悪魔は「落ち着けるか!」と苦い顔をしてくれるかな、と牧師は期待して見てみれば、しかし悪魔は好都合といわんばかりににやけた顔でライフライトを見上げていました。
「ちょうどいい。大砲の弾に乗って冥界へ行くつもりだったからな」
「なっ」
「これならゼファーたちが無理矢理起動させる悪者にされなくて済むね!」
今度こそ牧師はムカッと目を細めました。全く堪えていないどころか、喜んでいるからむかつき倍増なのです。
もはや牧師には目も暮れないゼファーとガルーカンは急いでライフライトに向かい、周りはせわしなく人が走り回り、「天井開けー!」と大騒ぎになっています。
「ゼファーさん!」
「ディズさん、行こう! ガルーが魔法で衝撃から守ってくれるって!」
しかしディズレーリはしっかりと首を振りました。
「ジキだけ連れて行って下さい。契約したままだから、いつでも呼べます。今後のためを考えるなら、僕はこちらに残って、悪魔に理解ある人間という立場になる必要があります」
ディズレーリの姉が駆け寄って来ます。それは叱り飛ばす表情ではなく、自分たちから離れて行こうとしているように見える彼を引き留めようと、必死な表情です。
「でもディズさん、一人になっちゃうよ?」
「はい、今は一人です。辛いです。でも」
姉と目を合わせ、彼女は戸惑うように足を止めました。
「僕の“おうち”は、ここですから」
その笑顔の中に、もはや状況に流される弱い意思はありませんでした。
だからゼファーは、寂しい気持ちを顔に出さず、ジキだけ受け取りました。
「落ち着いたら、遊びに来て下さい」
「うん、ディズさんもね!」
ゼファーたちが弾の中に入る直前、半円の天井が左右に割れて覗いた青空の中、赤ん坊が手を振って見送っていました。
「なっ、父さ――!」
驚愕に目を見開いた牧師の言葉は大砲の射出音に消され、ゼファーたちは冥界へ打ち上げられました。
雲を裂き、転送の魔法陣を通り抜けて冥界へ。
山よりも雄大にそびえ立つ魔王の胸へ。
魔王はライフライトを片手で受け止め、威力が完全に消えて落下していく弾を、もう片方の手ですくい上げました。
伸びているジキは当然無視し、目を回すゼファーの頬を叩いていたガルーカンは、ゼファーの意識が戻りかけてようやく魔王を見上げました。
「いよう、親分!」
「この貸しは、しばらくの雑用で払ってもらうぞ」
魔王はまるでやんちゃな子供を咎めるように、呆れ混じりのため息をつきながら、ちらりとゼファーを流し見ます。
「何かと入り用だろうしな」
「給料出るのか!? さっすが気前いいぜ親分!」
気がついたゼファーは一度魔王に行儀よく頭を下げてから、ガルーカンに向き直ります。
「ガルー、おなかすいた」
「じゃあ、“帰る”か! 俺らの家に!」
「うん!」
慌ただしく帰ってきた子供たちは、さっさと移動の魔法で姿を消しました。
ジキと共に残された魔王は、少々面倒臭そうにぼやきます。
「……人間界、荒れるだろうな」
しかしあの二人は、何が起ころうとも、自分たちと、手を伸ばせる人たちの幸せは、ずっと守っていくのでしょう。
「ゼファー、俺の家見て驚くなよ?」
そして、ゼファーは帰ってきました。
「ただいま!!」
<おしまい>
ここまで読んで下さって、ありがとうございました。