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第7話 厄介な贈り物

 ナオクスヒメは自分のつぼねひつを前に座り込み、朝からずっと考え込んでいた。


 今朝方早く、教通のりみちの使っているわらわが届けに来たものである。

 櫃の中に入っていたのは、豪華な女房装束一式。


「さて、どうすべきか……」


『明後日、中宮の行啓ぎょうけいの際にどうぞ』と、添えられたふみには書かれていた。


 明後日といえば、関白左大臣の五十賀ごじゅうが


 ナオクスヒメのような新参者が、中宮の行啓の列に加われるはずがない。

 即ち、このような装束をもらう必要もなく、そもそももらう義理もない。


「返すべきなのだろうが……」


 とはいえ、どうやって返していいものか、先ほどから思案にくれていたのだ。


 直接返したくとも、身分の高い女房のように身の回りの世話をしてくれる女童めのわらわがいるわけでもなく、まさか自分で返しに行くわけにもいかない。


 和泉に相談したいところだが、噂になって嫌味や妬みを受けるのは御免である。


 余計なことを、と教通に一言文句を言いたいところだ。


 ナオクスヒメは立ち上がって軽く櫃に蹴りを入れてから部屋を出た。


 こういう時は主人に問うのが一番だ。


 藤壺に向かって歩いていくと、身舎もやの方から女房相手ににぎやかに話している中宮の声が聞こえてくる。


 ナオクスヒメが几帳きちょうの陰に控えて声をかけると、ぴたりと会話は止まった。


「その声は美濃ね。お入りなさいな。わたくしもお話があったのよ」


「失礼します」


 ナオクスヒメが膝を進めて几帳の中に入ると、そこに三人の女房がいた。


 最悪だ、とナオクスヒメは頭を抱えたくなった。


 この三人は左近中将さこんのちゅうじょう派。

 ここで教通からの贈り物を拒否すれば、あらぬ疑いがかかるだろう。


 やはり教通を恨みたい気分だった。


「あの、中宮様のお話とは……?」


「そうそう、明後日の算賀さんが、あなたも一緒に行きましょうね」


「は、い……? どうしてですか?」


「あら、行きたくないの?」


 中宮は意外そうに小首を傾げる。


「いえ、そういうわけでは……。わたくしのような者が行っても、お役に立てないと思いますが」


「本当、美濃は控えめね。気にしなくていいのよ。是非にと言っているのは、教通の方なのだから。お衣装、届いたでしょう?」


 ナオクスヒメは無意識のうちにぽかんと口を開けていた。


 なぜそれを、と問うまでもなく、教通は中宮の方へ先に根回しし、勝手にナオクスヒメの同行を決めていたのだ。


 先を読んでいるというか、ただ単に色好みのなせる業というべきか……。


「美濃、気を付けなさいね。お衣装であなたの居所がすぐにわかってしまうから」


 中宮は袖で口元を覆い、興味津々といったように目をきらめかせて笑っている。


「そのことで、お返ししようと思っているのですが」


「まあ、もったいない」


 そこにいた伊勢いせが、素っ頓狂な声を出して眉を上げる。


「そうよ。せっかくのいただきものを断ることはありませんわ。ねえ、中宮様」


 そう言ったのは少納言しょうなごんだった。


「そうね。好意なのだから、いただいておきなさい。お返事くらい差し上げれば、きっと充分ですよ。それとも気に入らなかったの?」


「とんでもございません。おそれ多いことです」


「ならば問題はないわね。下がってよいわよ」


 ナオクスヒメは丁寧に挨拶すると、女房たちの集う東廂ひがしびさしに行った。


「あら、美濃。今朝は遅かったのね」


 隅の方に腰を下ろすと、和泉が振り返った。


「ええ、所用がありまして……」


「教通様から贈り物があったんですって? あとで見せてね」


「それは構いませんが。どうして皆さん、そう情報が早いのですか……」


宮仕みやづかえなんて、それくらいしか楽しみがないじゃないの」


 何をいまさら、といったように和泉は笑う。


 やはり、宮仕えはするものではないと、ナオクスヒメはいまさらながら悔やんでいた。


 ナオクスヒメは見た目の歳をとらない関係上、二年程度で勤め先を変えている。

 ひと月ほど前までは民部卿みんぶきょうの邸に仕えていたのだが、その彼が急逝。

 急遽、新しい働き口を探さなければならなくなったのだが、その時、中宮付きの女房の職しか見つけられなかったのだ。


 ここには受領ずりょうの妻を始め、行儀見習いの受領の娘もいるし、親を亡くした高貴な姫まで、ありとあらゆる境遇の女性がそろっている。


 それはそれで話を聞いている分には楽しいが、結局のところ、自分も話の種になってしまうという皮肉もある。


「……頼通よりみち様、大丈夫かしら」


 不意に背後からそんな言葉が聞こえ、ナオクスヒメは思わず振り返っていた。


「どうかなさったのですか?」


「あら、知らないの?」


「三日前、朝政あさまつりごとの席で熱でお倒れになったきり、ずっとお休み。算賀も近いことだから、すぐに良くなるといいのだけれど」


 ねえ、と他の女房たちも相槌を打っていた。


 三日も休みとは、ずいぶん長引く風邪である。


 まさか、具平ともひらが……? いや、そんなはずはない。あれは雨にあたったせいだ。


 そう否定しても、ナオクスヒメは気にかかって仕方がなかった。


「美濃? どうしたの?」


 挙動がおかしかったのか、和泉が訝しげな顔で声をかけてきた。


「あ、いえ、何でもありません」


「そういえば、頼通様も美濃のことを気にしていたわよね。美濃はああいう殿方が好み?」


 ここで素直に返事をするほど、愚かなことはない。

 ただでさえ最近、山ほど届く文のせいで注目の的になるのが鬱陶しくて仕方がないのに、この上、自分で話の種をまく必要はない。


「わたくし、身分違いの恋はしないようにしていますの。和泉さんもそうでしょう?」


「あら、そんなことはないわよ」


「え……」


「そりゃあ、歳をとったら、身分相応の男と結婚するだろうけれど、まだ若いうちは今を時めく公達きんだちとお付き合いしたいに決まっているじゃないの。あわよくば子ができて、相手が真面目な殿方なら、一生面倒を見てもらえるかもしれないでしょう?」


 和泉の熱弁に、ナオクスヒメは辟易しながら扇を開いて口元を覆った。


「同意を求められても、わたくしには何とも……」


「美濃は夢がないのねえ。そんなに美人なのに、もったいないことを」


「和泉さんの言う『今を時めく公達』というのは、どなたなのですか?」


権中納言ごんちゅうなごん様よ。わたくしの意見では、お顔も笛も一番だと思いますわ」


 和泉がふふふっと笑うと、その背後にいた女房たちが振り返って、「ちょっと、聞き捨てならないわ」とわめき出す。


 そして、例によって、あの人はこうだ、誰々はどうだ、という男の品定しなさだめが始まる。


 ナオクスヒメは疲れ果てて、その輪の中からそっと抜け出し、外を眺めていた。

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