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溺れる魚たち  作者: 夏目カガリ
Drowning Fishes
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第二十四話 - 『そして、おそろしく口の滑る男』

 

 垂火と知り合ったのは学生時代、大学に入学して半年ほど経った頃のことだ。 とはいえ出会った場所は大学のキャンパスではなく、新宿二丁目に位置するとあるバーだったのだが。

 世間体というものが最も力を持つこの国では、同性愛者は自由に恋愛をする権利が異性愛者の半分もない、と市川は考えている。 夜中にゲイバーまで移動しなければ出会いすら禄に得ることができないのだ。

 特に親がそれなりに有名な出版社の社長である市川にとって、周囲にゲイと知られるのはあまり好ましい事態じゃなかった。 自分はいいが、両親は卒倒するだろう。ただですら、一人息子が悪い病気にかかったと思っているのだ。 お世辞にもリベラルとは呼べない彼らは、先天的に男しか性的対象に見れないということを決して認めようとはしなかった。


 そういった境遇は垂火とも似ていて、だからかやがて付き合うようになった。 けれど、いつしか気づいたのだ。垂火の心には、今も一人の人間が深く根を張っている。 それが死人だと気づいたのはそれからまた少し後のことで、どうやっても心を手に入れることはできないと悟った市川はやがて諦めた。 そして親の促すままに大学を卒業後見合いをして、結婚した。 今も垂火との関係はずるずると続いているが、それでもメンタル的にはお互い友人に限りなく近い。


 ふと、市川は目の前の少年が昔の自分に被って見えた。 垂火がなにを考えているかは分からないが、あの男が今も未練がましく死者の魂に取り憑かれていることは明白だ。 となればこの少年もまた、自分と同じ轍を踏むだけじゃないのか。


「俺がいうことじゃないかもしれないけど、老婆心と思って聞いてくれる?」

 レアチーズケーキをフォークの先で突つきながら、市川はそう切り出した。

「恭平は難しいよ。正直、君みたいな子どもが手におえる奴じゃないと思う。 あいつってパっと見た感じ、すごく器用そうだろ? けど実際は見た目ほどじゃないんだよ。 めちゃくちゃ気分屋だし、来るもの拒まず去るもの追わずだし。 面倒見はいいくせに踏み入られるのは極端に嫌がるし。要は、非常に厄介な男なんだよ。それに――」


 死んだ人間にはどうしたって勝てないんだから。

 その言葉は胸に秘め、市川はありもしない母性的な笑みを浮かべた。


「そんなわけで、俺とかどうよ。軽く遊ぶならもってこいだよー。泣かせたりとかしないし。たぶん」

「あの」

 達朗は、戸惑いながらも本能的に身の危険を感じて少し身を引いた。

「いってることの十分の一も理解できないんですけど」

「いやだからさー恭平と付き合うのはやめたほうがいいってばー」

「付き合うって……誰と誰が」

「そりゃ君と恭平でしょ、もちろん」

「はあ!?」

「うおっ」


 勢いよく立ち上がった達朗に、今度は市川が身を引いた。


「ちょ、びっくりさせるなよ。おじさんってのはみんな心臓が弱いんだから」

「あんた今、なんていった?」

「『おじさんってのはみんな心臓が……』」

「その前だよ!」

「『君と恭平だろ、もちろん』」

「ありえねえ……マジで! ありえねえ!! どこからその発想、沸いて出たんだよ!? ああ!?」

「お、怒るとチンピラ風になるんだー新鮮だなー」


 鬼気迫る達朗に、市川は両手の平を前に出して、待ての体勢をとった。 そして今更ながら、どうも話がかみ合ってないことに気づき始めた。

 達朗もまた、店中の衆目が集まっていることに気づき、少し頭を冷やして腰を下ろす。 だが衝撃と怒りはまだ治まりきれていない。あまりに突飛すぎる展開。青天の霹靂とはこのことだ。


「俺と垂火とか……考えただけでも吐き気がしてきた。ありえねえ……。 たとえ性転換したとしても確実にない」

「いやだってさ、てっきり君もゲイかと」

「だからなんで俺が、」


 怒りを通り越して呆れていた達朗は、ふと額を押さえていた手をゆっくり離すと、驚愕の表情で市川を見据えた。


「“君も”って、なに」

「あ」


 ヤバイ。

 市川は焦って何とか誤魔化そうとしたが、口を手で覆った時点で肯定したも同然だった。


「垂火も? 垂火がそうだから、あんた誤解して……?」

「いや、ええと」

「垂火って、ホモなんですか」

「うーん、どうだろう」

「あんたもそうなんだろ。さっき妙なこといってたよな、軽く遊ぶならなんとかって」

「年かな、最近、物忘れがひどくて」


 とぼける市川の左手の薬指をちらりと見て、達郎は凄みのある声を出した。


「教えてくれなきゃ、奥さんにばらすぜ。旦那がホモだってさ」

「どうぞお好きに。それとホモじゃなくてゲイっていえ。 ホモは差別用語だぞ、名誉毀損で訴えてやるからな」

「じゃあ、あんたが働いてる出版社にばらす」

「ちょっと待った! ……君さ、分かってる? 公募に出すんなら俺の機嫌をあんまり損ねない方がいいと思うぞ。 何を隠そう、俺はあそこの御曹司なんだ」

「恥ずかしくねえの、そんなの親の肩書きだろ」

「利用できるものは何でも利用する。それが社会人ってもんさ」

「別にいいよ。他の出版社が主催してるのに出すし、どっちにしろ俺は絶対に作家になるから関係ない」

「おバカ、成ろうと思ってそうそう成れる職業じゃねーの」

「それとも職場だけじゃなくて、その親にも、」

「分かった! 分かったから、ちょっと黙れ。お前、目が怖いよ。マジだよ」


 あーあ、と市川は溜息を吐いてから、セブンスターを取り出して火を着けた。 三日間の禁煙が水の泡だ。しかし今は煙草でもなければ、この瞳孔が開きかけた少年の相手はできそうにない。

 達朗は囚人を監視する番犬のような目で市川を睨みつけている。 市川は覚悟を決めた。もう言い逃れもできそうにないし、垂火には悪いが面倒くさくなってきたからだ。 それともう一つの要因として、親の肩書きと言いきったこの無鉄砲で礼儀の欠片もない子どもに、正直、爪の先程度だが好意を持ったからでもあった。


「俺が言ったって恭平にはいうなよ」

「それは分からない」

「そこは建前でいいから頷いとけよ……」

「分かった」

「調子のいいことで。そういうところは恭平とそっくりだわ」

「あいつ、男が好きなのか」

「そうだよ。そんなに気持ち悪いか?」

 市川が煙を吐き出しながら訊ねると、達郎はそこで初めて目を逸らした。

「……本音をいうと、すこし気持ち悪い。そういうやつは身近に居なかったし」

「たぶん居たけど気づかなかっただけじゃないの。まあ、そういうこと。 けどな少年、性癖と人間性になんら因果関係はないんだよ。俺がいっても説得力ないけど」

「たしかに」

「オイ」

「垂火が……じゃあ、時子さんは――」

「ん? なんだって?」


 市川はそう聞き返したが、達朗は真剣な面持ちのまま何かを考え込むように口を閉ざした。 やがて市川を見ると、さっきと同じように睨みつけた。


「垂火の家、知ってるよな」

「おーい、また瞳孔が開きかかってるよー……」

「教えてくれなきゃ、仕事先と両親と奥さんと奥さんの実家にバラす」

「さっきよりだいぶ増えてんじゃねーか! ほんとさあ、分かったからもう勘弁してよ。か弱いオヤジをいじめて何が楽しいんだよ」

「いじめ、かっこ悪い」

「もう黙ってくれる」


 原稿用紙の裏に住所を走り書きして渡すと、達朗は短く礼をいってコーヒーショップから飛び出していった。 市川は二本目の煙草に手を伸ばしながら、あーあ、とさっきよりも深い溜息を吐いた。


「恭平に殺されるかも……」







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