第126話 卒業、そして未来へ
色づいていた木々から葉が落ち、王都には雪が降った。
厳しい寒さの中でも、研究員や技術者たちは実験と調査を続けた。
そして、春。
アリスたちは、王立魔法学園の卒業の日を迎えた。
講堂には、卒業生とその家族が集まっていた。
卒業生の名前が一人ずつ呼ばれ、壇上で卒業証書が手渡されていく。
アリスも名前を呼ばれ、壇上へ上がった。
学園長から受け取ったのは、研究記録や計算式を記した紙でも、古代魔道具の図面でもない。
学園で三年間学んだことを示す、一枚の卒業証書だった。
アリスが自分の席へ戻ると、隣に座っていたセドリックが小さく微笑んだ。
少し離れた席では、マクシミリアンとリリィも、それぞれの卒業証書を手にしている。
卒業生の中には、第二王子であるカイルの姿もあった。
本来ならば王族として別席を用意されてもおかしくない立場だが、カイルは他の卒業生と同じ列に並び、同じように卒業証書を受け取った。
全員への授与が終わると、学園長が再び壇上へ立つ。
「卒業生代表、第二王子カイル殿下」
名を呼ばれたカイルが席を立ち、壇上へ向かった。
講堂に集まった者たちの視線が、一斉に彼へ集まる。
壇上に立ったカイルは、卒業生と家族を見渡し、手にした答辞を開いた。
静かな声が、講堂の隅々まで響く。
「本日、私たちは王立魔法学園を卒業します。ここで学んだ魔法の知識、仲間と過ごした時間、そして困難に立ち向かった経験は、これから先、私たちがそれぞれの道を歩む上で、大きな支えとなるでしょう」
カイルは一度言葉を切り、卒業生たちへ視線を向けた。
「私たちは、決められた答えを覚えるだけではなく、疑問を持ち、自ら考え、試すことの大切さを学びました。時には失敗し、何度もやり直すこともありました。しかし、その積み重ねが新たな発見につながることを、私たちは身をもって知っています」
その言葉を聞きながら、アリスは自分たちが繰り返してきた数々の実験を思い出していた。
カイルは、何度もアリスの実験に立ち会ってきた。
理解できないことがあっても、途中で投げ出さず、問い続けた。
その姿勢は、今の答辞にも表れていた。
「これから私たちは、それぞれ異なる場所へ進みます。王宮へ向かう者も、領地へ戻る者も、研究を続ける者もいるでしょう。歩む道は異なっても、ここで得た知識と経験を胸に、よりよい未来を築いていくことを願います」
カイルは、壇上からアリスたちのいる席へ目を向けた。
「最後に、私たちを導いてくださった教師の皆様、支えてくださった家族、そして共に学び、励まし合った友人たちへ、心から感謝を申し上げます」
カイルが一礼すると、講堂いっぱいに拍手が響いた。
卒業式が終わり、五人は講堂の外へ出た。
暖かな春の日差しが、学園の庭へ降り注いでいる。
「本当に卒業できたのだな……」
マクシミリアンが、手にした卒業証書を見下ろした。
「単位は全て取得済みだったのですから、当然ですわ」
アリスが答える。
「分かっている。だが、あの特別日程を見た時は、卒業する前に倒れると思った」
「一度も提出期限を破らなかったのですから、立派だと思います」
セドリックが言った。
「最終学年前に、全ての単位を取得していた貴殿に言われてもな」
その言葉に、リリィが小さく笑った。
「ですが、本当に無事に卒業できてよかったですわ」
「ああ」
マクシミリアンは、リリィへ向けて穏やかに頷いた。
「皆、卒業おめでとう」
カイルが、四人へ向けて微笑む。
「これから進む場所は異なるが、今後もそれぞれの立場で力を尽くそう」
卒業後、五人はそれぞれの道へ進むことが決まっていた。
アリスは、王宮の敷地内にある王立研究所へ、正式な研究員として配属される。
それを決めたのは、王太子とカイルだった。
卒業を控えたある日、二人に呼び出されたアリスは、王立研究所への配属を告げられていた。
「これまでの功績を考えれば、当然の判断だ」
王太子はそう言った。
「代替魔道具を完成させた者を、卒業と同時に研究から外す理由はない。今後は研究だけでなく、物理学の普及にも力を貸してもらう」
「研究を続けてもよろしいのですか?」
アリスが尋ねると、カイルは僅かに呆れた表情を浮かべた。
「むしろ、研究以外の道へ進むつもりがあったのか?」
「ございませんわ!」
アリスは即座に答えた。
王立研究所には、王家が管理する文献や魔道具が集められている。
必要な器具を作る技術者も、実験へ協力する研究員もいる。
何より、これまでのように学園の授業や試験の合間を縫って研究時間を確保する必要がない。
卒業後は、正式な研究員として研究へ専念できる。
その説明を受けた時から、アリスは新しい生活が始まる日を心待ちにしていた。
セドリックは、第二王子カイルの側近として王宮での執務にあたる。
これまでもカイルを支えてきたが、卒業後は正式に公務へ携わることになる。
「研究所と王宮なら、それほど離れていません」
卒業式の後、セドリックがアリスへ言った。
「必要があれば、私も研究を手伝えます」
「では、新しい研究を始める時には、必ずお声をかけますわね!」
「……無理のない範囲でお願いします」
そう言いながらも、セドリックはどこか嬉しそうだった。
マクシミリアンは、王宮騎士団の騎士となる。
公爵家の令息であっても特別扱いは受けず、一人の騎士として訓練と任務に就くことになっていた。
視察や古代遺跡の調査で積み重ねた経験は、既に騎士団からも高く評価されている。
「これでようやく、アリスの巻き添えから解放される」
マクシミリアンが安堵したように言った。
「ですが、王宮騎士団であれば、王立研究所の護衛を依頼される可能性もございますわね」
アリスが答える。
マクシミリアンの表情が止まった。
「待て。卒業後も、私はお前の研究へ巻き込まれるのか?」
「王宮の敷地内ですから、可能性は高いと思います」
「私は騎士になるのだぞ!」
「研究所にも護衛は必要です」
「そういう意味ではない!」
三年間で何度も繰り返されたやり取りに、セドリックとリリィが笑った。
リリィは、グランディス公爵家へ移り、花嫁修業を始める。
公爵家の一員となるために必要な礼儀や領地の管理、使用人への指示、社交について、グランディス公爵夫人から学ぶ。
そして三年後に、マクシミリアンとの挙式を行う予定だった。
「慣れないことも多いと思いますが、精いっぱい努めますわ」
リリィが言う。
「無理をする必要はない」
マクシミリアンは、すぐに答えた。
「分からないことがあれば、母上や使用人に尋ねればよい。全てを一人でできるようになる必要はないのだ」
「はい、マクシミリアン様」
「それから、何か困ったことがあれば、すぐに私へ知らせてくれ」
「騎士団のお仕事中でもですか?」
「当然だ!」
以前と変わらない二人のやり取りに、アリスたちは再び笑った。
カイルは、王太子の補佐として王宮で公務に携わる。
第二王子として、これまでも王太子を支えてきたが、卒業後はより正式な立場で政務や外交を学び、王国の未来を担う役割を果たしていく。
「皆がそれぞれの場所で力を尽くすのなら、私も王族として責任を果たさなければならない」
カイルがそう言うと、セドリックが静かに頷いた。
「殿下のお側で、これからもお支えいたします」
「頼りにしている」
カイルは、セドリックへ穏やかに微笑んだ。
学園を卒業すれば、五人が毎日同じ場所へ集まることはなくなる。
それでも、王立研究所も王宮騎士団も、カイルの執務室も、同じ王宮の敷地内にある。
リリィも三年後にはグランディス公爵家の一員となる。
立場が変わっても、これまで共に調査し、考え、失敗を重ねてきた関係まで失われるわけではない。
何かあれば、再び集まることになるだろう。
特に、アリスが新しい研究を始めた場合には。
「アリス、行きましょう」
セドリックが手を差し出した。
「はい、セドリック様」
アリスは、その手を取る。
学園生活は終わった。
学園の門へ向かいながら、アリスは入学したばかりの頃を思い出していた。
あの頃、この世界には物理学という学問そのものが存在しなかった。
授業で魔法の性質について尋ねても、アリスが知りたい答えを得ることはできない。
力はどこから生じるのか。
魔力は、どのように別の力へ変わるのか。
同じ魔法でも、なぜ使う者によって結果が異なるのか。
疑問を口にしても、不思議そうな顔をされるだけだった。
だからアリスは、一人で研究室へこもった。
実験を行い。
結果を記録し。
予想と違えば、条件を変えてやり直した。
誰かに理解してもらうためではない。
ただ、自分が知りたかったからである。
そうして一人で研究を続けていたある日。
アリスは、マクシミリアンから婚約破棄を言い渡された。
その出来事をきっかけに、物理学を応用して作り出した魔法を、カイルとセドリックに知られることになった。
二人は、その魔法を気味悪がることも、理解できないものとして遠ざけることもしなかった。
セドリックは、アリスの説明を最後まで聞き、物理学を学んだ。
最初は、言葉が通じなかった。
アリスにとって当然の知識も、セドリックには初めて聞くものばかりだった。
それでも、何度も説明するうちに、少しずつ伝わるようになった。
やがて王太子とカイル、レオナルドたち側近、王立研究所の研究員も加わった。
そして、マクシミリアンも巻き込まれ、気づけば誰よりも多くの実験や調査へ同行していた。
一人きりだった研究は、いつしか多くの者が共に考え、検証するものへ変わっていた。
農村では、揚水装置を調べた。
ベレニケ領の洞窟では、古代魔道具を発見した。
ランバート領では、旧神殿の奥に隠された地底湖と、停止した装置を調査した。
王立研究所では、何度も失敗を重ねながら代替魔道具を完成させた。
それは、アリス一人では成し遂げられなかった研究だった。
理解してくれる仲間がいる。
共に考え、失敗の原因を探してくれる者がいる。
そして、誰よりも近くで研究を支え、アリス自身を大切にしてくれる、新しい婚約者がいる。
婚約破棄を言い渡された日のアリスは、その後の人生がこのように変わるとは考えていなかった。
誰にも理解されなかった物理学が、王国中へ広まり始めることも。
その知識が、水の乏しい土地へ水を届け、火山の脅威から人々を守ることも。
何一つ、想像していなかった。
アリスは、三年間過ごした学園を振り返った。
授業を受けた日もあった。
試験へ向けて勉強した日もあった。
だが、最も強く残っているのは、研究と実験の記憶である。
一人で始めた研究を、仲間と共有できるようになった三年間。
失敗を繰り返しながら、物理学がこの世界でも役に立つと証明した三年間。
アリスにとっては、学園生活よりも研究生活と呼ぶ方がふさわしい時間だった。
そして、その研究生活は、卒業によって終わるわけではない。
明日からは、王宮の敷地内にある王立研究所で、正式な研究員として研究を続ける。
授業の時間を気にする必要はない。
試験の予定に合わせて、実験を中断する必要もない。
研究に必要な資料も、器具も、協力してくれる者たちもいる。
これからは、思う存分、研究三昧の日々を過ごすことができる。
そう考えた瞬間、アリスの足取りが僅かに軽くなった。
「アリス。随分と嬉しそうですね」
隣を歩くセドリックが尋ねる。
「はい」
アリスは、満面の笑みで答えた。
「明日から、好きなだけ研究ができますもの!」
「卒業した翌日から、研究所へ行くつもりですか?」
「もちろんですわ!」
「少しはお休みになってもよいのでは?」
「三年間、授業や試験へ多くの時間を使いました。これからは、その時間も全て研究へ使えますのよ!」
セドリックの表情が、僅かに引きつった。
「研究時間を増やすための卒業ではないと思います」
「ですが、結果として増えますわ」
「せめて、食事と睡眠の時間は減らさないでください」
「善処いたします」
「善処ではなく、約束してください」
「では、研究計画を確認してから――」
「確認する前に約束してください」
二人の後ろから、マクシミリアンの深いため息が聞こえた。
「何も変わらないではないか」
「いいえ」
リリィが、楽しそうに首を横へ振る。
「学園にいた頃より、研究できる時間が増えるそうですわ」
「さらに悪化している!」
マクシミリアンの声が、春の学園へ響いた。
カイルも、呆れたように二人を見つめながら、口元に笑みを浮かべている。
「卒業しても、アリスの研究熱心さは変わらないようだな」
「カイル殿下まで……」
アリスは、セドリックの手を握り直した。
三年前には、一人でくぐった学園の門。
今、門の前には、物理学を共有できる仲間と、新しい婚約者が側にいる。
門の向こうには、王立研究所へ続く道がある。
そこには、まだ解明されていない現象も、誰も見たことのない魔道具も、数え切れないほど残されているだろう。
けれど、もうアリスは一人ではない。
共に考え、支え、時には止めてくれる仲間たちがいる。
そして、アリスが始めた物理学は、彼女の手を離れ、王国中の人々へ受け継がれようとしている。
「セドリック様」
「はい」
「これからも、ずっと私の研究を手伝ってくださいませ」
アリスがそう言うと、セドリックは差し出した手に、そっと力を込めた。
「もちろんです。研究だけではありません。これから先も、あなたの隣にいます」
その言葉に、アリスは嬉しそうに微笑んだ。
「では、参りましょう」
五人は、王立魔法学園の門をくぐった。
それぞれの未来へ向かって。
一人で始めた小さな疑問は、仲間たちの手を取り、王国を変える大きな一歩となった。
古代魔道具の謎は解き明かされ、失われていた力は、人々の暮らしを支える新たな技術として蘇った。
物理学の歩みは、まだ始まったばかりだ。
これからも多くの失敗があり、予想外の困難が待ち受けているだろう。
それでも、問い続け、考え続け、手を動かし続ける限り、未来は変えられる。
アリスは、隣を歩くセドリックと、後ろから聞こえるマクシミリアンたちの声を感じながら、前を向いた。
婚約破棄から始まった物語は、ここで終わる。
けれど、アリスたちの人生と、彼らが切り開いた未来は、これからも続いていく。
王立研究所へ続く道の先に、朝の光が差し込んでいた。
アリスはその光へ向かって、仲間たちと共に歩き出した。
完結。




