最終話
まさかシスルがそんな反応を見せるとは思っていなかったのだろう。シオンの声には若干の怒りが混ざり始める。
「……そうではありません。リンド殿下が、お亡くなりになったことをご存知だったかと――」
「まあ、そうでしたか……! それは残念だわ。ということはあの方も?」
「あの方? 聖女サクラですか?」
「あ、そうそう! そんな名前だったわね。一緒に亡くなったのかしら」
あっけらかんと語るシスルに、私は一瞬頭が真っ白になった。
(なぜそんなに簡単に口にできるの? この人にとって、私たちの国はそれだけの存在? お姉ちゃんやリンド王子は――)
だが、私よりも衝撃を受けていたのはシオンだった。気づけば目の前に立つシオンの拳はきつく握りしめられ、細かく震えている。
「シオン様……!」
背後から彼の表情は見えない。だけど今すぐに声をかけねばという焦燥感が私を動かした。
私の声に振り返ったシオンは夢から覚めたばかりのような顔をしていたが、すぐにいつもの冷静な金の瞳を取り戻す。
「……シスル様。突然申し訳ありませんでした。連れも少し顔色が良くなってきたようですので、私たちはこの辺で――」
私は冷静さを取り戻したシオンに胸を撫でおろした。そしてシオンの提案には大賛成だ。このまま、この異世界のような空間に居続けると気が狂ってしまいそうだったから……。
「え? ちがくない?」
「――っ?」
しかしシスルだけは違ったようだ。一瞬真顔を見せた彼女は、すぐ取り繕うように笑顔に変わる。
「あっ! えっと、シオン様。最近調子の悪い部分はございませんか? 例えば、肩とか――」
「なぜそれを……」
「やっぱり! それならどうぞ私が作ったお茶を召し上がってください。すぐに良くなりますよ」
シオンの反応に、シスルは嬉しそうにお茶の置いてある棚を探り始めた。
「私は誰にも話したことが無いのですが……」
「ふふっ、なぜかわかってしまうのです。そのせいで“聖女”なんて呼ばれて目立ってしまうので、こんな森の奥まで来てしまいました。でもなぜか魔物も来ないし、のんびり過ごせるから良かったかも……あ、こんなことシオン様にしか言えないですけど」
シスルは困ったように笑いながら、すでに沸かしてあったお湯でお茶を淹れる。何も知らない人ならその笑顔に騙されてしまっただろう。シスルは心優しく謙虚な聖女そのものだったから。
だが、私の疑いは確信に変わった。
「――シオン様はお疲れでしょう? 殿下と聖女様のわがままに振り回された疲れを癒そうと、この国にやって来たのでは?」
私はこの口調を知っている。
(うんざりするほど自分に自信があるのも、見透かしたような言い方をするのも。自分が幸せにできると信じて疑わない目の輝きも――。さっきも思ったけれど、この人はお姉ちゃんと同じ――)
「…… “転生者”ね」
「――っ?!」
その単語に、私をすっかりいないものとしていたシスルの顔が強張る。
「あなたも別の世界から来た人間なのね」
「ミュゲ……!」
シオンが止めに入るも、時すでに遅し。シスルの顔から表情が消えた。
「あなた、だれ? 『聖女ヶ森のスローライフ』には出て来ないキャラよね?」
「『聖女ヶ森のスローライフ』……」
そういえば、聖女が登場する話は異世界にはたくさんあったらしい。きっとその中の一つが、この『聖女ヶ森のスローライフ』なのだろう。
「せっかく転生できたと思ったら、乙女ゲーの世界線で……なんか変だと思っていたのよね。あの聖女も転生者だったし。あんたも転生者なの?」
私は首を横に振った。だがシスルは納得するどころか、私を転生者と決めつけたらしい。
「いいのよごまかさなくて。あなたは何の登場人物なわけ? ラノベ? 乙女ゲーム? もうめちゃくちゃすぎて逆に面白いわ」
面白いと言いながら、シスルの顔には明らかに苛立ちが浮かんでいる。きょろきょろとせわしなく目を動かし、早口になっていく。
「そもそもシオン様はこっちのキャラなのに、どうして乙女ゲーのキャラと一緒にいるのか謎だったのよ。しかも向こうを“偽聖女”にして『ざまぁ』するためには追放されなきゃいけなかったのに、あの女が邪魔するせいでいつまでたってもスローライフできなかったのよ。まあ無理やり国を出ても聖女認定されたのは、この世界が私のものだったからよね」
べらべらと語るシスルは自分の言葉に納得したのか「うんうん」と頷くと、にっこりとシオンに微笑みかけた。
「待ってくれ。その口ぶりでは君は自分が国を出たら、国が滅ぶのを知っていたことになるが――」
だがそこで、ようやく思考が追いついてきたらしいシオンが口を開いた。一方のシスルはきょとんとしている。
「え? だって国が滅ばないと『ざまぁ』にならないじゃない。私、乙女ゲーなんて興味なかったし、あの人たちはこっちの世界にはいらない人たちなのよ。こっちの世界線ではね、逆境にも負けず慎ましく暮らす私をシオン様が愛するようになるの。大丈夫、私もシオン様推しだから。末永く幸せになりましょうね!」
(ああ、そういうことだったのね……)
私は妙に腑に落ちてしまった。シスルはシスルの世界を生きているのだ。
(この人には必要なかったんだ。お姉ちゃんも、リンド王子も、あの国も……お姉ちゃんが愛して、命がけで守ろうとした世界も――)
それなら私にもこの世界は必要ない。
「えっ……?」
「――ミュゲ!!」
さっきまでテーブルに置かれていたナイフの切っ先がシスルの胸に刺さっている。そしてその柄を持つのは私。
「あなたにも大切な世界があるのはわかったわ」
「あ、や、やめ……」
シスルが必死に私の手を抑える。当然だが彼女も死にたくないだろう。ものすごい力で抵抗してくる。
「あなたが壊した世界は、あなたにとってどうでもいい世界だったのかもしれない。でも私にとっては大切な世界――大切なお姉ちゃんだったの」
ぐぐっ……と手に力を込めると、シスルの爪が私の手に食い込んでいく。じわりと血が滲むが、痛みは感じない。見開かれたシスルの目に映る私は、微かに笑っているように見えた。
「た、助けて……! シオン様――」
私に抵抗するのも限界に近づいたのだろう。シスルは私の背後に立つシオンに助けを求めた。だがすぐにシスルの表情は絶望に染まった。
「ミュゲ……。私もあなたと共に堕ちよう」
背中にふわりと温かさを感じた次の瞬間、シオンの大きな手が私の手を覆った。
「リンド様もあなたにとっては興味のない人間だったかもしれない。……しかし私にとってはたった一人の主で、たった一人の親友だったのだ」
深い恨みの言葉。強い力が私の手に加わり、ナイフがシスルの胸に深く突き刺さっていく。
「そ、んな……」
シスルの顔は絶望のまま固まり、そして声なく床に崩れ落ちた。
◇
遠くから地鳴りが響いてくる。きっとシスルが作っていた結界が崩壊し、魔物が移動を始めた音だろう。
「ミュゲ。胸の痛みはどうだ?」
「もうすっかり元気です。きっと聖女様の力のおかげなのでしょう」
「……ははっ、それはよかった。ならもう行こうか」
「はい」
私は笑顔で答え、シオンと共に小屋を後にした。
シスルの声はもう聞こえない。この世界もまた滅んでいくのだろう。
大好きな姉が愛し、守ろうとした世界。
シスルが愛し、手に入れようとした世界。
そのどちらももう存在しない。
私は空を仰ぎ見た。木々の合間に、魔物が何匹も飛んで行く。
私たちに行くあてはない。しかし私はシオンと共に進む道に確固たる自信を持っていた。
(ようやくプロローグが終わったわ……)
これは国を滅ぼした偽聖女の妹である私の話。
そして己の欲に溺れた聖女を殺した私の話。
でも、それらはもう終わった物語……。
――これは、聖女の消えた世界で闇に落ちていく私の話――
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