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Last Phrase 生命讃美の鎮魂歌

 机の上で、銀色のやじろべえが揺れている。赤砂の入った砂時計を手の中で弄びながら、ログは、一定のリズムで揺れるやじろべえを目に映していた。

「神様っていると思うかい?」

 やじろべえ越しに、フィシンはログを見つめた。ログは視線を逸らし、「いません」と答える。

「君は今、半軟禁状態だ。必要でなければ、この部屋からは出られないんだろう? それを、神が下した罰だと考えるかい」

「馬鹿馬鹿しい。人を裁く大義名分が神で、不運不遇から目を逸らす言い訳が神で、妄想に服を着せたのが神でしょう」

 ログは腕を組む。フィシンは机のカップに手を伸ばした。ふう、と吐いた息で湯気が立ち上る。

「君は詩人だね。私は、神は人が作り出したシステムだと思うよ」

「……デウスエクスマキナ、とでも?」

「それも一つ。そもそも、神は逃げようのない終わり、死を与える。統一政府は宗教すら前時代の争いの種というけれど、必要な概念なんだ。心の安寧のために、抗えない上位存在が必要だった」

 カップが置かれる。

「それを君は、言い訳であり、大義名分であり、妄想だという」

 フィシンの指がやじろべえをつつく。大きく左右に揺れるやじろべえは、そのままゆっくりと回転を始めた。細長い棒の先、雫一つ分の皿に、細い針が触れているだけの支え。やじろべえは大きく揺れながらも、そのたよりない支えの上にあった。

「君は頭がいい。だから、人がバカに見えるだろう」

 ぎくりとしてログはフィシンを見る。

「けれどそれは、うん。言ってしまえば、神を信じる人間のように、いたずらに、自分を信じているということだ。それが、悪いとは言わない。ただ、危うい」

 フィシンの指が、やじろべえに触れる。片側だけを降ろされたやじろべえは、フィシンの指が離れた途端、反動で反対側へかたりと落下した。

「誠に残念なことだけれど、世界の中心に君はいない」

「分かってます」

「本当に?」

 フィシンの微笑みに、ログは総毛だった。

「君は、自分以外の誰かを、世界の中心に据えられるかい?」



 金属の階段を駆け上がりながら、ログは苦々しく笑った。フィシンと話すと、いつも心の奥を見透かされているように感じられた。

「悪いな先生、出来の悪い患者で」

 行きついたのは、宇宙船の格納庫。単独航行が可能な、脱出ポットが並ぶ場所だ。

「で? あたしは何をすればいいの」

「力仕事だよ。この一つを拝借する。少しいじるから見張っててくれ」

 ログは手近な脱出ポットに駆け寄り、内部に潜り込む。球体の内側は小さなコックピットになっており、椅子の代わりに、壁に固定ベルトとクッションがあった。コックピットの下部を開き、ログは持っていた端末にケーブルをつなぐ。

「……何するの?」

「ちょっとした悪事」

 空中に映し出されたキーボードを叩き、ログは真剣な表情になった。カルミアは壁に寄り掛かって腕を組む。その腰には、小さくなった『天使と悪魔』が吊るされていた。

「……それ終わったら聞かせてもらえる? 何をするつもりなのか。共犯者なんだから」

「ん……」

 ログの生返事に、カルミアは露骨にため息をついた。

「……開拓団は個別にシリアルナンバーがあって、それはレーダーの電波に組み込まれている」

 端末を見つめたまま、ログが口を開く。

「いわゆるー……あれだ……何だ、忘れたが、とにかく、レーダーの電波を受け取れば、どの開拓団がどこにいるかわかる。地球への通信は中継衛星を通しているから、ここから一番近い中継衛星までは、おそらくもう、特定されている」

「……は? 何、地球にここが知れたって別に……あ……」

 さっ、とカルミアの顔から血の気が引く。

「できた」

 ログはケーブルを引っこ抜く。空中のキーボードも消え、代わりに脱出ポットの継ぎ目に青白い光がはしった。

「この脱出ポットが発する電波を、この開拓団の固有のものに書き換えた。あとはこいつを重力圏外まで吹っ飛ばす。中継衛星近くで救難信号を続ければ、一回くらいはごまかせるだろう」

「……でも、昔の開拓団が戻ったから、ケモノの存在は地球に知れてる。今更星の場所をごまかしてどうなるの?」

「開拓団が星にいる状態で情報が行くのは、初だそうだ」

 ログは上半身を脱出ポットに入れ、コックピットをいじっている。カルミアは「ふーん」と相槌を打ちながら、階段の下を見遣った。

「で。どうやって重力圏外までぶっとばすの? あたしの遺産じゃせいぜい数十メートル持ち上げるのが限界よ? 重力圏って数十万キロでしょう」

「言い方が悪かったな。この脱出ポットの推進力で星から離れられる程度の高さだ」

「それでも万単位。ジェットエンジンでも搭載してるの? そのボール」

「重力は万有引力と遠心力の合算だ。引力を斥力にしてしまえば、ある程度は遠心力と慣性で離れられる」

「……ふうん?」

「衛星軌道から脱出する程度の出力なら、このボールにもある」

「つまり?」

「……なんとかなる」

 ログは脱出ポットから出ると、壁のレバーを降ろす。脱出ポットを固定していた金具が外れた。

「お嬢さん、これ持ってあそこから出してくれ。先に行くから」

「……はいはい」

 宇宙船の外に出ると、途端に息が苦しくなる。それでも防護服が要らない程度なのは、ケモノになったからだろうか。硬い外壁の上に座り、ふと、ログは空を見上げた。

 蒼い空がそこにはある。掌で覆い隠せない、遠く広い『空』は、地球で贅沢品になって随分経った。飛行機で空を飛ぶのは当たり前のことで、誰も、空に憧れなど抱かない。ただ上にある空気の層で、太陽光で色づけられただけの空間。

「……何たそがれてんの」

 脱出ポットを持って、カルミアも梯子を上がってくる。白黒の両手の中で、脱出ポットはやけに小さく見えた。

「いや。そう言えば、この星も……空は、蒼いんだよな」

「地球もそうだったかしら。もう覚えてないわ」

 ダブルバインドに支えられた脱出ポットは、陽の光を反射して白く煌めいた。ログはドアの下端に手をかけ、アクリルのハッチを開く。

「……通信してだますってことは、誰かがそれに乗り込むわけよね」

「ああ」

「そいつは、その小さい脱出ポットで死ぬわけよね」

「ああ。運よく、水も酸素も食料もある星にでも不時着しなきゃな」

 そんなものが近くにないからこそ、この赤い星で開拓をしているのだと、カルミアもログも知っている。

「……で? どうやって脱出ポットを浮かすの?」

「遺産を借りた。起動させたらコントローラーをお嬢さんに渡すから、持って帰ってくれ」

 ログは、橙色の右目を指差してみせる。

「……どれ?」

「『贖罪(ガロウズ)』」

 ログは脱出ポットに乗り込む。慣れない動作で右目のコントローラーに意識を集中させ、受け取ったばかりの遺産を起動した。

 ログの遺産『贖罪』は、半透明の腕輪の形をしている。普段はほぼ透明だが、起動すると鉄色に縁どられ、内側に赤黒い光が渦巻く。ログは、起動した遺産を脱出ポットの外側に触れさせた。淡い橙色の靄がかかった右目の視界に、赤黒い矢印が描かれる。下向きの青白い矢印を打ち消すように、赤黒い矢印は空へと向かった。

「……よし、あとは軽く放り投げてもらっ……!?」

「詰めて。狭いわ」

 ハッチを閉めようとしたログを押しのけ、カルミアが脱出ポットに滑り込んできた。

「はっ?」

「放り投げればいいんでしょ? それくらい見なくってもできるわ。ほら閉めて」

「いや、待て、待ってくれお嬢さん」

「あんた臆病で根性なしだから」

 柔らかな壁に背を預け、カルミアは腕を組んで勝気に笑った。

「一緒に死んであげる」

 カルミアの右目にも、歯車のモノクルが浮き上がっている。

「ば……バカ言うなよ。お嬢さんには、仲間がいるだろ」

「あんたにもいるわよ? ここに一人。ひと殺し仲間が」

「いいから出るんだ。大体、俺はともかく、あんたが乗り込んだら遺産を返せない」

「コントローラーくらいなら、許してくれるわよ」

 カルミアはさっさと固定ベルトに腕を通す。それでもハッチを閉めないログを見上げ、カルミアは、くい、と人差し指でログを誘った。

「速くしなさいよ。小心者」

 まだ二十にも手が届かなそうな少女が、妙に肝の据わった顔をしている。それを見下ろすだけで、ログは何やら情けない心持ちになった。実際はカルミアが年上だと分かっていても、主導権を握られるのは気分がいいものではない。

 何より、自分が数日かけて固めた決意を、こうもたやすく決められたのが、ログの顔を苦々しくさせていた。

「……ああ、くそ」

 ログは手首の遺産を外し、ハッチを閉めた。薄暗くなった脱出ポット内で、橙色の目が二つだけ、光っている。

「怖気づいても知らねえからな」

「こっちのセリフ。ロックはオッケー?」

 ぐん、と脱出ポットが持ち上がる。ログは固定ベルトに腕を通し、息を吸った。ダブルバインドに放り投げられた脱出ポットは、ガロウズの効果で一気に地表から離れていく。惑星の自転の慣性と遠心力で、ガロウズの効果が切れても地表には戻らないだろう。

「……何日生きられる計算なの?」

「鍛えられた人間が発狂しないギリギリ程度」

「じゃあその間に、地球をごまかす文言でも考えないとね」

 二人の右目が、同時に光を失った。地表の遺産本体との接続が切れたのだ。

「怖い?」

「思ったほどは。怖いか?」

「思ったよりはね」

 ログの左手が、カルミアの右手の甲に触れる。脱出ポットの中を照らすのは、非常灯のような淡い光だけだ。ハッチから見える、赤茶けていた星には、白い雲が浮かんでいた。

 この先、あの星がどう姿を変えるかを見られないのは、カルミア自身、少しだけ、残念ではあったが。

「いい景色ね」

「ああ」

「……怖い?」

「いいや。怖いか?」

「ううん」

 赤い星が小さくなるまで、二人は黙って外を見ていた。



 球体が見えなくなってもしばらく、エリックは空を見上げていた。開けっぱなしの脱出口の上には、主人を失った遺産が二つ、転がっている。

「エリック」

 梯子を上って、ヴォラルとエレーナが顔を出す。エリックは、どさりとその場に腰を下ろした。

「これでよかったんだよな?」

 エリックの問いに、ヴォラルとエレーナは応えない。エレーナは胸の前で手を握り、ただ蒼い空を見上げた。

「なあ、ヴォラル。長く生きてるあんたなら、分かるんじゃないか。これは、正しい結末なんだよな?」

「……正しいかどうかなど分からない」

 ヴォラルは銀色の拳を握る。

「俺自身、取り返しのつかないことをしたこともある。それが正しいか間違いかは、今となっては分からない」

「でも、エリックさん。カルミアは、自分の意志で行ったの」

 エレーナは、垂れ下がったマリートヴァの一端に触れる。

「もし、その人が望むことを正直に貫き通すのが、正しいんだったら、正しかったと思う」

「……それでも、エリック。お前が、どこかで悔いているのなら」

 ヴォラルは、右手をエリックに差し出した。

「正しくしていこう。いつかの未来で、これでよかったと笑い合えるように」

 エリックは顔を上げ、ヴォラルの、固くなった掌を見る。

「……夢を見たんだ」

 ぽつり、とエリックはこぼす。

「デルタポリスとの協力が始まって。もしかしたら、この行き場のない現状が変わって、明るい未来があるんじゃないかって」

 エリックは、ヴォラルの手に自らの手を重ねる。固く握られた手を頼りに立ち上がると、砂の混じった風が吹き抜けた。頬に当たる砂を払って、エリックは口元を無理に笑わせる。

「ほんとうに、なるかな?」

「できるさ」

 ヴォラルは歯を見せて笑った。

「あの二人に報いるためにも。これからもよろしく頼む、リーダー」

「……ああ」

 エリックは、ヴォラルの手を強く握り返した。



 ケモノだと罵られたこともある。画一化された思考と思想を、美しいと信じて疑わなかった人間達に。

「父さん、今日は、月の輪が綺麗に見える」

 爪弾きにされることに心を痛め、それでも、生き方を改めなかった自分達は、けだものと呼ばれてしかるべきだったのだろうが。

「植えた野菜の芽が出たんだ。少しずつだけど、進んでる」

 数多の他人を巻き込んで、幼かったヴォラルから両親を取り上げたことは、許されるべきではないが。

「エモニが呼んでいる。父さんも、月を見に行こう」

「……ああ、それは、いいね」

 フィシンは腰を浮かせ、まだ頼りない一歩を踏み出す。硬い靴越しの床の感触は、息が詰まるほど懐かしかった。

 許されなくても、いいではないか。フィシンは自答する。

 死ぬまで、許されない事実を抱えて生きていく。それでいいではないか。自分の選択の結果が今目の前にある。人間よりも人間らしく笑う機械人形と、仲間に囲まれている息子が。制御などしようもない、画一化とは真逆の、優しい獣達がここにいる。

 これ以上、何を望むという。

「……父さん?」

 目が潤んでいることに気付いて、フィシンは視線を落とす。拭った涙は熱く、こらえようもなく溢れてきた。

「ああ、ヴォラル。ようやく私も、生きていてよかったと思えたよ」

「……そうか」

 青いデルタポリスの地面の上で、同じ月を見上げている。ただそれだけだ。ただそれだけのことに辿り着くまで、どれだけ歯を食いしばってきただろう。

 ヴォラルはフィシンを支え、月を見上げた。

「……俺もだ」

 失った命を顧みて、死にたくなったことがないといえば嘘になる。気が狂っていないと言い切る自信も失くしていた。それでも、息を吸って吐くだけの日々から抜け出して、幸福だと言い切れる今がある。

 ヴォラルは緩く唇を噛んだ。逃げ出したがった自分を、忘れないように。誰かの死の上で進む命を、落とさないように。握った拳を開いて、消し去ってきた全てに誓う。

 いつかの未来を、もういない誰かに、誇れるように。


(了)

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