36 仕方がないこと
目が覚める。今日も暖かいクロに包まれている。
トウコは焦っていた。ここから抜け出せないことに。クロから逃げられないことに気づいてしまったから。アヤカシにもう会えないことを知ってしまったから。
とりあえず、何か方法を考えたい。しかし、問題はクロだった。
四六時中離れないクロ。頭の中で考え事をする分には邪魔にならない・・・とはいかないのだ。クロは、アノカミのように心が読める様子で、何度かトウコの心を読んで会話をしていた。これでは、逃げる計画もたてられない。
どうにかして、クロから離れないといけない。でも、どうすればいいのかわからない。
今日もトウコは、何もできずに目覚めた。
「・・・?」
いつもトウコが起きれば声をかけてくるクロが、何も言ってこない。不思議に思ったトウコは振り返って驚いた。
「寝てる?」
今まで寝てるところなど見たことがない。だから、クロは眠らないものだと思っていた。
「チャンス?」
そうつぶやいて、トウコはそっとベットからおりた。
すると、カサリと音が鳴って、驚いて足の下を見る。トウコの足の下には、一枚の紙。
「何これ?」
紙には文字が書いてあって、その文字は墨で書いた達筆な文字だった。しかし、何とかトウコは読む。
「書斎に来て?」
このメッセージに従うべきかどうか。迷ったトウコだが、行く当てもないのだからと、その指示に従い書斎に向かった。
書斎は、以前来た時と何も変わらず、特に誰かが待っているということではなかった。なら、あのメッセージに何の意味が?そう思ったトウコの耳に、懐かしい声が聞こえた。
「トウコ・・・おいで。こっちにおいで。」
どこからか聞こえてくる優しい声。その声は、間違いなくアノカミの声だった。
「アノカミ!?どこ?どこにいるの!?」
「机の上・・・写真立てがあるだろう?」
その言葉を聞いて、トウコは机に近づくと確かに写真立てがあった。
「これのこと?」
「その中に、手を入れて・・・引っ張るから。」
「手を入れるって・・・」
どこに入れるというのかと、戸惑うトウコ。
「大丈夫、僕を信じて。」
尊敬するアノカミにそこまで言われたのなら信じるしかない。トウコは、写真立てに向かって手を伸ばし、そのまま写真立てに手を入れた。
「えっ!?」
自然に入っていく手を見て、戸惑うトウコ。それにかまわず、向こう側にいるアノカミはトウコの手を引っ張った。
目をつぶっているトウコの頬に冷たい風が当たる。でも、トウコの体は暖かい何かに包まれて寒さは感じない。それは、いつも感じるクロではない。
そっと目を開けると、白い薄汚れた壁があった。
「ここは・・・」
「学校だよ。」
暖かい何か・・・アノカミはそう答えた。トウコは、クロがいつもそうしているように、アノカミに抱えられていた。
「そう。私、外に出られたんだね。」
ほっと息をつくトウコは、クロのことを思い出し辺りを見回した。でも、アヤカシ姿のクロはいない。
「足元を見てごらん。」
アノカミに言われるまま視線を落とすと、そこには出会った最初の大きさの真っ黒いクロがいた。
「え、どうして?」
「ふーん。こいつ、シロの姿をしていたんだ?姿を変えてトウコに気に入られようだなんて、生意気だな・・・」
そう言って、アノカミはトウコを抱えたままクロを蹴飛ばした。
「クロっ!」
「なんで心配するの?こいつは、トウコの自由を奪った悪い奴でしょ?それとも、まさかこいつを大切に思っているの?」
いらだちを隠しもしないでアノカミをトウコは怖いと感じ、暴れておろしてもらう。
「危ないなー」
アノカミの様子も気になったが、今はクロのことが心配だったので、クロのもとに駆け寄った。
「大丈夫?」
「くぅっ・・・痛い。」
トウコは、両手でクロを持ち上げて、膝の上にのせてやる。
「トウコ、そいつを食べなよ。」
「え?」
驚いたトウコは、アノカミの顔を見上げた。アノカミは笑っていたが、目が冷たい気がして、とても恐ろしく感じる。
「ずっと、力を欲しがっていたよね?そいつを食べれば、だいぶ力がつくよ。それっていいことだと思わない?」
全然よくない。そう思ったトウコにアノカミの冷たい視線が突き刺さる。
「ずいぶん、仲良くなったものだね。ちょっとちょろすぎじゃないかな?トウコ。」
なぜか苛立つアノカミは、トウコにもう一度クロを食べるように言った。
嫌だ。嫌だよ。
「なんで?強くなることが望みだったでしょ?なら、食べて。」
「い・・・」
「食べろ。」
ぞっとするような声色で、アノカミは命令した。
アノカミは強い。トウコなんかより、アヤカシより、ずっと格上。そんな彼に命令されたら、これは仕方がないことなんだ。父の死だって、そう受け入れた。
だから、クロを食べるしかない。
膝の上のクロを見た。目はないが、クロもこちらをじっと見つめているような気がする。クロとの思い出が次々と頭に浮かんで、そのたびに熱い何かがこみあげ、目から涙がこぼれ落ちた。
「いいよ、トウコ。クロは、トウコのために、食べられてもいい。」
「クロ・・・」
そんなことは言わないで欲しいと、トウコは嗚咽を抑えながら言った。
嫌だ。クロはトウコを必要としてくれる、大切な存在。トウコを満たしてくれる存在。アヤカシやアノカミ、レオとも違う、大切な・・・
「これ以上は時間の無駄だよ、トウコ。早く食え。」
「・・・っ」
涙で、もう見えないクロの姿。でも、それはありがたいのかもしれない。
「グロォー・・・」
クロの名前を呼ぶが、うまく発音できない。だが、クロは呼ばれたことに気づいたように、嬉しそうな空気を醸し出して震えた。
「大丈夫、トウコ。トウコなら、幸せになれる。クロがいなくても、アヤカシが幸せにしてくれる。」
あぁ、だめだ。これでは、人間の時と変わらない。
あげたくもない物をあげて、我慢していた。それに気づかないように過ごしていた。でも、もう気づいてしまったから、トウコにはわかる。自分の願いが。
クロを食べたくない。一緒にいたい。
でも、それは叶わない。仕方がない。だって、アノカミがそれを望むから。人間の時の両親が、妖になったらアノカミに変わっただけ。私は、変われないの?
両手でクロを持ち上げる。
お願い、アノカミ。どうか止めて。
鼻水が出てきて、一度鼻をすする。だがすぐに次の行動に移す。クロを自分の顔に近づけ、口を開いた。
止めて。お願い止めて。誰か、誰か・・・
神様。
トウコの願いは誰にも届かず、いや、聞き流されて、クロはトウコの中へと吸収された。




