そろそろ真っ当な恋人同士になりませんか?
途中風邪でダウンしてしまいました。やっと完結します!
「下半身だめ男、正座じゃなくていいからそこ座れ」
「ちょおおお! それはいくらなんでも!」
「私限定で下半身だめ男、いいから座れ」
「あ、それは当たってるからいいや」
にこにこしながら大人しく座らないでくれないか。何この子、まじ残念。
私は疲れた顔で折りたたみのテーブルを置き、ベッドを背もたれにラグへ座った私限定、うん長いから馬鹿馬鹿しいし外で呼ぶのも恥ずかしいからもうやめよう、上総を確認してから私も向かい側に座椅子を引っ張って座った。正直、さっきの話が冗談ではなければ隣に座るのはかなり怖い。本気で押し倒されたらさすがに抵抗しても力の差で難しいだろうし。密室を作り上げてしまったのは自分だけど、だからこそ最低限の安全策は講じさせてもらう。妙に冷静な事を考えながら、そういえば、とある事を思い出した。
「あんた、下半身はもう鎮まったんでしょうね」
「いや、あれは元気になりそうって言ったんであって本当にそうなったってわけでは」
「なんだ、口だけか。上総の上総はそんなもんか。じゃあさっきの呼び名は返上してあげるわ」
「別にできないなんて言ってない! 今想像すれば完全体になるもん!」
「いやそこで妙な負けん気出すなよ、お前本当駄目だな」
多少、あおった自覚はあるけどさ。さんざ犯す気だったくせにとか言ってやったのに、懲りない奴だな。また私が逃げ出したらどうするのやら。
「……あんな恥ずかしい話を二度と他人にするんじゃないよ」
「え? あ、う、すいません」
ため息交じりに言ってやれば、しゅんと項垂れる上総のつむじが見えた。ぽちっと押してやろうか。下痢になってしまえばいい。迷信だけど。
「とりあえずさ、どうして私が逃げたかわかってる?」
「僕が、由未を騙したから……」
「そうね。でも誤解はとけたわけじゃない。双方が言うなれば両想いになったね。だけど私は逃げた。それはどうしてなのかわかる?」
「…………」
今回、私たちが起こした何とも言えないすれ違いは、そもそもが双方の激しい勘違いによって引き起こされた。恥ずかしいけれど、それは恐らく普通であれば冷静になれたり、おかしくないか? という気付きがあってもおかしくないような場面で、相手が好きすぎた為にその冷静な部分がすべて消えてしまったから。恋は盲目を柄にもなく地でいってしまい、突き進んだ結果がこのざまである。
なんだろう、泣きたい――まあ、だから。まずはまた誤解が生じない為にも、話し合いは大切だろうと思ったわけだ。最初がずれたまま話していたら、恐らく同じ方向を見れない。
真正面に座る上総は、真剣な瞳で何かを考え込んでいる。きっと、私が放った質問の答えを探しているのだろう。わからなかったら別にそれでいいんだけどなあ。
「……僕と由未はさ、お互いにお互いを傷付けちゃったけど、自分の傷しか見てなかったよね」
「!」
「自分の傷が辛いってそればっかで……相手がどれだけ苦しんでるか、考えもしなかった。ちょっとでも考えたら、僕の行為って物凄く由未を悩ませるものだってわかるのに。由未がどれだけ四人が大切で、他人に対して思いやりを持ってるかなんて、昔から知ってたはずなのに」
「……かずちゃん」
「久しぶりに呼んでくれた。まあ、上総って呼び名も大好きだからどっちでもいいんだけどね」
はにかむ上総が最高に可愛くて、私の体温は上昇する。ああ、そっか。私が考えていた事、上総もとっくに気付いてくれていたんだ。今の私たちは間違いなく、同じ所をちゃんと向いているんだ。
「……僕は、これから、どれだけ時間がかかってもいいから、由未が言ってたみたいに、由未のが大切だって思える自分になりたいし、そうでありたいって思う。そうじゃなきゃ、きっとこの先恋人関係を続ける意味ってないと思うんだ」
「いや、うん……別にすべてにおいて相手を優先させろとか、そういう事じゃないんだからね?」
「もちろんわかってるよ。……そんな事したら、いつまでもあんな事やこんな事ができなくなっちゃうよ」
いや、物凄くイイ笑顔で言われても困るんだけど。そういう事は聞いてないし、具体的に言及しなくていいからそこは口をチャックでお願いします。
「だから、これからは……そういう付き合いをしていきませんか」
真剣な顔をした上総が、私に訊ねる。なんだ、この男。ちゃんと全部わかってるんじゃない。できれば最初からそういう気構えでいてほしかったわ、なんて、今だから言える事だね。
私は小さく息を吐いて、やがて微笑んだ。
「――はい」
「…………よ、よ、よかった」
私の返事を聞いた瞬間、体中の力が抜けたのか、上総がベッドに背中をあずけるように倒れ込んだ。なんだやっぱりちょっと格好つけてたのか。いや、今みたいなちょっと情けない上総のが好きだからちょっと安心したわ。
くすくす笑いながら、大丈夫? と私は上総の隣に腰を下ろした。ベッドに突っ伏しているから顔は見えない。けれど少し震えているから、相当緊張していたのだろう。可愛いなあ。
微笑みながら頭を撫でていると、上総がゆっくりと顔を横に――私が座る右側へとずらした。顔半分がベッドに埋もれてるけど、きちんと表情がうかがえる。
ん? あ。
「由未って、僕みたいな男のが好きなんだね」
「え? あ、ああ。そうだね、今さらだから言っちゃうけど、上総みたいなのがドストライクだよ」
急に私の左手を掴んで上半身を起こした上総に驚きながらも、瞳の色は別に危機感を覚えるようなものでもないから大丈夫かな? とそのまま会話を続けた。別に逃げるつもりないから腕を掴む必要ないと思うんだけど。
「じゃあ、僕は変に努力しない方がいいのかなあ」
「……別に、上総が頼もしくなったってそれはそれで嬉しいけど。まあ、情けなくても頼りになっても上総だったらなんでもいいよ」
「…………」
「…………?」
上総の目がみるみる見開かれる。あら、何かおかしい事言った? あ。
「ん、かず」
急にキスしてくるのはまだいいとして、どうしてベッドに乗り上げてるの? そしてどうしてそんなに瞳が潤んでるの!? あれ、さっきまでなんかすごくこう、無害な感じだったよね……!?
「だめ」
混乱した状態で私が手足を動かしてベッドから下りようと試みると、上総がそれを阻止するように私の身体にのしかかってきた。しかもだめって。だめって何がですか!
「僕、撃たれた。僕、死んだ。僕の理性死んだ」
「え!? い、いやいやいやいや」
何さっきの私みたいな台詞を口にしてるんだ、うまいとか思わないからな! ふざけてんのか!
「見て、みーちゃん。僕いま完全体」
「やだやだやだやだむりむりむりむり!!!」
「可愛いなあ、あんな事ばっか言うのに初心なんだもんなあ」
やめてくれ、そんなほのぼのとした口調で鎖骨にキスっていうか舐めるっていうか何だこいつ手際良すぎないかなにこいつあれなのまさかの遊んでたみたいなそういう――。
「あ、みーちゃんが初めてだからね。ただ愛情が暴走して全然まったく緊張とかしてないように見えるかもしれないけどていうか余裕はないけど」
なんかぐいぐいと股間を押し付けられてる気がするんだけど、これちょっと待て大丈夫なのかこれはなんていうか放送倫理のあれがなんていうかもうちょっとあれじゃないんだろうか!
「うわあああああ暴走した童貞こわいよおおおおおお」
「まーたそういう」
もう頭が回らない。なんならパニックだ。どうしようどうしよう!
「上総あ!!!!! 私のゆんちゃんにおかしな事してないでしょうねこの下半身蛇口野郎がああああ!!!!!!!!!」
どおん。
扉が蹴破られる勢いでものすごい音を立てた。恐らくは時子が廊下側から私の部屋の扉を蹴ったのだろう。きっと騒がしくなったから様子を見に来てくれたんだ。
「……語彙のレパートリーがどうして一緒なのふたりとも」
「…………どうしてだろうね」
なんだろう、姉妹だからかな。でもこんなに口汚い時子は初めてで、パニックが収まった。
「あのさ、とりあえずどかないと上総がころされ」
あ。
がちゃん。
コインで開ける内鍵である。考えてみれば別に蹴破らなくても突破は容易なのだ。
「由未!」
「……上総。おまえなあ」
うわ、ふたりに見られた! 恥ずかしくてみるみる赤面した私とは対照的に、上総はみるみる青ざめていく。般若の如く怒り狂う時子は、私に馬乗りになっていた上総を引き摺り下ろすと、そのままごめんなさいを繰り返す上総を何度も蹴った。妹よ、すごくこわい。
隣に立つ雅哉は基本、傍観の姿勢なのか、あーあ、といった顔をしてふたりを眺めている。
「なんか、家族のラブシーンを見てしまった複雑さだな」
「同感だよ」
「……おまえ、明日はシャツのボタンしっかり閉じないとまずいぞ」
「え? まさか」
胸元を慌てて覗くと、しっかりばっちりと身元不明――ではないけど、なんか赤いんだか青いんだかみたいな跡ができている。
「由未、無防備すぎる」
「!? あれ、あんたずっとサンドバック状態だったんじゃ」
ずっと蹴られまくっていた男が気付けば私の背中に抱き付いている。ていうか鎖骨を覆うように腕を回されると若干首が苦しいんですけど。
「雅哉……見てないだろうね?」
「見えたとしたって反応する事は一切ないから心配すんな」
ああ、さっき確認した時にシャツ引っ張ったからか……ていうか、蹴られながらどうやってこっちの状況を見ていたんだ。そして雅哉、別にいいけどそうどきっぱり言われるとそれはそれで複雑なんだけど。いやお互い様だけどさ。
しかし見られたかもしれないという事に対して特に気にしていない私とは違い、腕の力が多少強くなった上総は、私の顔を覗き込みつつ雅哉を指さした。
「みーちゃん、雅哉の眼球潰していい?」
「何でそんな物騒な事を満面の笑みで言うの!?」
だめだと涙目で首を振る私に、上総は渋々といった体で私から離れた。唇を尖らせるその姿は可愛いけど、言ってる事はまったくちっとも可愛くない。あれ、何こいつ結局は演技じゃなくて真性?
「さ、ごはんにしましょうか。かずちゃんへのお仕置きも済んだし」
これまた満面の笑みで手を叩く時子は、さすがムードメーカーだけあって切り替えが上手い。強引すぎるそれも時子の笑顔の前だとなんとなく納得してしまう。
階下におりると、リビングから美味しそうな匂いが漂ってくる。夏の定番ともいえるメニューに、男子二人がちょっとそわそわしている。ごはんを前にすると雅哉ですらちょっと子どもっぽくなるのが笑える。
「あ、そういえばいつもかずちゃんが副菜作ってくれてたから忘れてた……」
リビングに漂うあまりにも美味しそうなカレーの匂いに、別にサラダとかなくてもいいじゃん、と餓鬼状態な男子二人組はわめいている。まあ、一応カレーにも野菜は入っているっちゃいるけどね。
「とりあえず、先によそって食べてて」
私は台所へと足を踏み入れる。後ろから少し戸惑う時子の声が聞こえてきたけれど、小さく微笑んで見せるとどこか納得したように微笑を返してくれた。
料理をしなかった理由は、私たち四人の境界をはっきりとさせたくて、怖がっていたからだ。それと同時に、上総のたまご焼きで彼の気持ちを確認したかったから。今となってはもう、そういう心配はしないと決めた。いつか四人の均衡がどこかで崩れてしまっても、形が変わっても、きっと私たちは大丈夫だと、今ならば思えるから。
「……あんたら、見せもんじゃないんだけど」
先に食べていろという私の言葉を聞いていただろうに、時子の領域に私が入った事があまりに意外だったのだろう。いやまあ、無理もないか。二人は私が料理ができる事を知らないのだ。
先日、もやしを買ってそのままだったのを思い出した。あれは足が早いからとっとと食べてしまわねば。冷蔵庫から取り出して、軽く洗ってから耐熱容器に入れてレンジへ放る。今度はキャベツを取り出したらこれまた洗って適当にざく切りにする。キャベツは火を通さないのでそのままボウルに。もやしは取り出して熱を取るために水にさらす。時間があれば別に冷めるまで待つんだけど。ちょっとシャキシャキ感残したいから難しい。後は簡単だ。キャベツが入ってるボウルに水切りしたもやしを放り込んで、塩昆布とごま油と少々の味の素で味付けして完成。簡単だけど美味である。
「はい、できた。んじゃこれ食べよお待たせー」
「お皿に移す?」
「面倒だからいいよ。取り皿だけ出そう。んじゃごはん盛るからルーよろしく」
「はぁい」
食器棚から取り皿と、深皿を出す。キッチンカウンターに取り皿だけ置いて、炊飯器を開く。
「時子、かき混ぜた?」
「あ、忘れてた」
「相変わらず意外とざっぱだねー」
笑いながらしゃもじで中身をかき混ぜてから、お皿にごはんを入れる。
「ちょっと、ぼやぼやしてないでその取り皿をテーブルに並べたり、コップ出したり、麦茶出したりとかやる事あるでしょ」
私が腰に手を当てて言うと、雅哉と上総が呆けた顔をして固まっていた状態からやっと動き出した。慌てて言われた通りの事をやる男二人がおかしくて、私は時子と笑ってしまう。
食卓に並ぶべきものが並んで、やっと夕飯という所で、戸惑うように上総が声を上げた。
「あの――由未って料理できるの?」
「由未は私より全然料理うまいよ?」
何言ってるの、といわんばかりの表情で私の隣に座る妹が言う。いやいやその小馬鹿にしたみたいな態度はどうした。私と雅哉は黙々とごはんを食べる。雅哉も少し混乱していたようだけれど、なんとなく、私が今までみんなの前で料理をしなかったのはどうしてなのか察したようだ。まあ中身似たもの同士だからなあ。
「私なんかごはんもそうだし、お菓子だってたーくさん食べてるんだから」
ふふん、と勝ち誇るように言い放つ時子がおかしい。そして悔しそうに歯軋りしつつ時子を睨むな上総。どう考えてもそれ思う壺な反応だぞ。
しかし今日の時子は一体どうしたのだろうか。首を傾げていると、雅哉がそれに呆れたような顔をする。
「知らなかったのか? 時子は相当なシスコンだぞ」
「えっ!?」
「今まで俺が時子の気を散らしてたっていうのと、何か理由ありっぽいお前らに遠慮してちょっと遠巻きに見てたからあんまりストレートに愛情表現してなかっただけだ」
「…………」
言われてみれば、何か、思い当たる節があるような、ないような。私が少し考えていると、上総がこちらを見て苦笑する。
「時子にはかなり防波堤になってもらってた部分があるからね。僕も時子には頭が上がらないんだ」
「かずちゃんがいつまで経ってもぼやぼやしてるからじゃん。私に感謝してよね」
「普段はしっかりしてるのに、由未はそこだけ無防備だからなあ」
三人揃ってよくわからない事を言われる。雅哉に至っては出来の悪い妹に苦笑するしっかり者の兄めいていて妙に腹が立つ。眉根を寄せてどういう事だと私が無言で訴えると、今度は最愛の妹が同情するかのような瞳で上総を見た。えー……本当になんなの?
「堂々と恋人として振舞うの、ずっと嫌がってたでしょ? だから僕がおおっぴらに牽制できなかったんだよ」
「牽制――って何を?」
「ゆんちゃん……本当に自分がモテるって自覚がないんだね…………」
「え!? いや、時子とごっちゃになってない?」
「お前らセットで騒がれてる自覚ないのか? 二人揃ってる姿を野郎共がにやけながら見てるだろ」
「え、あれって時子が主に見られてたんでしょ?」
だから時子って本当によくもてるなーしっかり目を光らせておかなきゃなーと……あれ? どうして三人して残念な子を見るかのような顔に?
「由未に告白する前にすべて止めてたのが逆効果だったかもなあ」
「でも告白なんてされたら、あたふたするだけで断れるかどうか微妙だよ」
「認めたくないけど、由未はかずちゃん大好きだから、同じようなタイプだと困って曖昧な返事しそうだし」
上総と同じタイプに告白されたら…………確かに困るかも。真っ赤な顔で涙目で見られたら何か自分がすごい悪者になった気分になるかもしれない。いやしかし。そもそも前提としておかしい。生まれてから今まで、上総以外に告白なんてされたためしがないのだ。
「だからそれ、全部時子と上総が牽制して止めてたんだよ」
「学校だとわりかし有名だよ? 私の由未至上主義」
「いやいやいやいや。雅哉は!?」
「それとこれとは別枠なの」
ああ――なんか最後の謎が解けたかも。なーんか悪意を感じた雅哉の数々の行動は、普段のやっかみもあったわけだ。別枠といえど、時子の中のいちばんと付く部分を占める人物が憎かったのだろう。同時に、大切でもある私たちの関係性。きっと色々な葛藤があったんだろうな――しかし。
「まだまだ子どもね、雅哉」
「――お前のそういう所が本当嫌い」
ふ、と意地の悪い笑みを浮かべながら言った私に、雅哉は自身を恥らうかのように頬を染めつつ視線を逸らした。
「意外だわあ、案外と可愛らしい所もあったんだねえ」
「やめろ! さっきの一発で済ます約束だろ!?」
にやにやしながらなおも続ける私に、基本的には清廉潔白でありたい雅哉は痛いところをつかれている自覚があるようで、半ばやけくそのようにカレーを頬張っている。
「みーちゃん――今、なんて?」
「えっ」
「可愛いって言った? ねえ、雅哉の事? 僕より? 僕より雅哉のが可愛いの?」
「その無表情で言うの怖いからやめなさい! 上総より可愛いと思う男なんていないから安心しろっ!」
このちょいちょい真性っぽい言葉を吐くの何なんだろう。怖いんですけど。私の言葉にころっと満足気になってにこにこしてるのも馬鹿可愛いけどさ。
「俺と時子を巻き込むなよ、騒がせカップルが」
「やー、雅哉だってけっこうアレだったよ?」
私たちの様子に呆れた声で言う雅哉に若干かぶせるように、時子が言い放つ。それに同意するかのように頷いたのは、上総だ。
「確かに、時子が僕に泣きついてきたの一度や二度じゃないもんねえ」
「ねえ?」
首を傾げる上総に、同じく首を傾げる時子。末っ子同士で色々と相談し合っていたようだ。うむ、その成長は大変喜ばしい。しかし。
「は? それはどういう事?」
「無闇に魔王を降臨させるな!」
低くなった私の温度に雅哉が慌てるが、時子と上総は何処吹く風だ。まったく昔から変わらない。私をあおるだけあおって、後は雅哉に投げるその潔さ。まあ、原因は大体が雅哉自身なのだから、仕方ないよね。
「私の時子をそう何度も泣かせたらわかってるよね? 私もやっと周囲を見渡す余裕ができたんだから、今までと同じようにはいかないよ?」
「――肝に銘じます」
私の言葉に顔を蒼くしながら雅哉が頷く。それに私も満足して頷けば、時子が横から抱きついてきた。これからは真っ先にゆんちゃんに相談できる! と嬉しそうだ。
じゃれる姉妹の様子を見た雅哉と上総は、顔を見合わせた。
「やっぱり、ライバル視する人間を間違えてたね。雅哉の事、由未は意識なんてしてなかった」
「時子もな。俺たち男は端から眼中じゃないな。あの姉妹愛、いまだに潜り込めない」
はあ、と重苦しいため息を二人が吐いた理由がわからず、私と時子は揃って首を傾げた。
「ねえねえねえ、僕ね、たまご焼きは絶対に欲しい」
「はいはいはい、わかってるから」
背中に抱きつく男を振り切るのも疲れて、私は作業の手を止めずにいた。腰に手を回して密着しているだけだから多少やり辛いがまあ許容範囲内だ。最近はやたら大人めいた態度が続いたから少し寂しかった。もしかしたらそれもばれているのかもしれない。甘え方がちょっとわざとらしい気もする。
――これって、甘えられてるっていうよりも甘やかされてるが正しいんだよね、きっと。
夕食を終えて、片付けをしてくれた雅哉と上総は、いつもだと自由に時間を過ごしてから帰る。雅哉はいつものように読書をして、その雅哉の膝枕で時子がソファに寝転がっている。バカップルか! と叫びたい所でもあるが、我が家では日常茶飯事の光景だから、誰も何も言わない。しかし上総はいつもならば私と並んでテレビを見たりしている時間なのだが、今日は違った。
――僕だけみーちゃんの手料理食べてないの不公平だよ! 恋人なのに!
その一声で、じゃあ明日のお弁当を私が作ろうか、という話になった。いやまあ、晩ごはんの時に一応は食べたけど、あれはねえ、手料理って言えないレベルだもんねえ。うん。
ちなみに上総が前もって仕込んでくれていたものは、明日の朝食に回そうという事になった。今晩、二人は泊まる予定だ。それぞれの一家の了承も得ている。
背中にくっついてる上総の様子がおかしくなって笑いそうになる。久しぶりで懐かしくて、嬉しいけど、この年齢になってもこの態度なのが何だかおかしいのだ。
上総は、上辺だけなら甘えん坊だけど、けっこう空気を読むタイプだ。だからこそ、私も頼る時は頼ってきた。やっと自然体になれた私は安堵しているけれど、上総はこれから学校でどうするのだろうか。私は別に性格を隠していたわけじゃないからあまり変わらないけれど、上総はそうではないし――まあ、本人があの仮面上総をやり続けるつもりならば何も言わないが。ファンクラブが動かしやすいしなあ、なんてさっき零していたな。
個人的に彩り豊かなお弁当よりも茶色い弁当のが美味くないか? と思わんではないんだけど、上総はけっこう見た目が華やかなものを好む傾向にある。服はさすがにそうでもないけど、小物とか、けっこう可愛いもの好きだからなあ。茶色弁当もおいおい作っていくつもりだけど、最初のお弁当は上総好みにしてやろうと決めた。
「上総――ありがとうね」
「ん?」
「変わらず甘えてくれて。嬉しいな」
ふふ、と笑って、私は少し止めていた作業を再開しようとした。
「――それは僕の台詞だよ? 甘やかしてくれて、受け入れてくれて、ありがとう」
頬に触れた唇が、私に優しい言葉を紡ぐ。仮初の恋人を演じようと決めたあの日から、永遠に失ったと思っていたものが、今ここにあるのだ。
「かず、さ」
「みーちゃん、今日はちょっと涙腺弱い? 僕みたい」
肩を揺らした私の声が滲んでいくのがわかったのだろう。くすくすと笑った上総が私の肩を掴んで振り向かせると、そこにはとろけるような笑顔で私を真っ直ぐ見つめる男が佇んでいた。
「僕ね――もう嬉し泣き以外ではみーちゃんを泣かせたくない」
「わ、わたしは……上総の泣き顔、どんな理由でも、好き」
「その宣言ちょっと複雑だなあ」
くすくすと笑いながら、上総が私の眦へ唇を寄せる。私の悲しみを上総が吸い取ってくれるようで、私の喜びを上総が共有してくれているようで、私はそれが嬉しくて愛しくて、こんなに上総を好きになっていいのだろうかと少し不安になった。
「大好きだよ、みーちゃん。たとえ由未が僕に呆れちゃうような日がきても、しつこく泣いて縋りつくからね」
また絶妙なタイミングで、舞い上がらせるような事を言う。
「その宣言は、嬉しいだけだよ」
私が上総を真っ直ぐ見て言うと、上総が目を見開いた。
「……ああもう。いつだってずるいなあ、由未は」
ずるいずるい! と言いながら、私をぎゅうぎゅう抱きしめる上総がよくわからなくて混乱していると、いつの間にか時子が上総を引き剥がしにやってきた。雅哉と上総が揃って姉離れの時期なのではないかと言うも、時子はそんな時期は一生こない! と喚いていて、私はまたおかしくて笑ってしまった。
ああ、幸せだなあ。間違っていたかもしれないけれど、私はこの場所を必死に守ったかいがあったのかもしれない。すれ違ったからこそ、時子が、雅哉が、上総が大切なのだと改めて気付けたのかもしれない。
微笑ながらも時子を宥めて、もしも上総にくっつかれるのが本当に嫌な場合は時子に頼るね? と言ってやれば、妹は満足気に頷いた。雅哉と上総はとても複雑そうな顔だったけれど……。
いや、ほらさ、ここ以外落とし所ないから、多少は諦めてくれ、すまん。
何が起こった! と朝から我が高校は大変な騒ぎになっていた。
無理もない、学園で氷の王子といわれる男がでれでれと恋人と手を繋いで登校してきたのだ。一体何が起こったんだと混乱するに足る理由である。私と上総は、一応恋人にはなったものの、お互いに見えない壁を感じていたものだから、二人きりの時はいざしらず、人前であまりおおっぴらにそれらし振る舞いはしてこなかった。そもそも本当に交際しているのか? と疑っていた人間も少なくない。家を出た時に手を繋ぎたいと上総が涙目で言うものだから、可愛いおねだりを断れなかったのだが、こんなに騒がれるならばつっぱねればよかったろうか、と早くも後悔し始めていた。
しかし余計に周囲が混乱したのは、上総のまるで懐いた子猫のような豹変ぶりは、私限定だという事だった。クラスメイトには相変わらずの氷で、話しかけられても無表情に、うん、とか、ああ、とか言うばかり。和らいだ空気に雑談として理由を訊こうかと思っていたクラスメイトたちも、結局は真相を訊けず仕舞いだったようで、好奇心を解消する手段がない学校全体がストレスを溜め込んでいるようだった。
こちらとしては他人の事なんざ放っておけよと言いたくなるが、まあ、普段から目立つ奴だし気になるのは仕方ないかなあ、と同情しなくもない。多分、私も当事者でなければ気にはなっていただろう。
そうして朝からのざわめきが収まらない最中、上総は私の背中にへばりついて、みーちゃん、と甘えた声を上げている。
いや、そうだね、お昼だから呼びにきてくれたんだよね、うん。
「上総、あんた、それバランス変だよ」
「うーん、でも、由未の前でもクールぶったりするの嫌なんだよねえ」
私が呆れた声で言うと、上総はあっけらかんと言ってのけた。いやまあね、そうかもしれないけどね。
「あと、話の途中だからあんたちょっとどっか行ってなさい、終わったら呼ぶから」
「……はぁい」
腰に回された手を無理やり引き剥がして、しっしと追い出すと、上総はあんまり待たせないでね? と耳元で囁きつつ去って行った。今まで校内ではあんなに派手な事やらなかったのに、まったく極端だな、あいつも。
「ごめんね、話って?」
「いや、あの……二人って、付き合って、る、の?」
「? うん」
「あ、そっか、うん、はは……えーと、お幸せに」
「山口くん!?」
は、話って結局なに!?
苦笑いをしながらふらふらと去って行くクラスメイトに首を傾げつつも、上総が上機嫌でまたも背中に飛びついてきた。どっか行ってろと言ったのに、覗いてたな、こいつ。
「ねえ、お腹すいたよ」
「はいはい、じゃあお昼にしようか」
「うん!」
微笑みながら私の手を取る上総は、私にとったら馴染みのある男だけれど、周囲にしたらそうじゃないんだなあ。そんな当たり前の事実が、何だかおかしかった。
「で、今日はこんな目立つ所で食べるの?」
「だってやっとおおっぴらにできるんだもーん」
「だもーんじゃないよ……」
「まあまあ。明日からはまた静かな所で食べよ?」
いつもならば殺風景な裏庭だったり、校舎の端っこだったりでごはんを食べるのだが、今日は中庭の、窓から全校生徒が窺えるような場所でごはんを食べようと上総が言う。……まあ、いいんだけどさ。若干、胃が痛い。ちょっとお腹をさすりながら、上総と並んでベンチに腰かける。
「わ、美味しそう!」
「味もそれなりだから安心してね」
大げさに感動する上総に、私がくすくす笑う。お弁当箱を広げて、赤や緑や黄色に彩られたそれに上総は上機嫌だ。最初だからけっこう頑張って作ったもんね、よかったよかった。
「ハンバーグ美味しい」
「本当? 嬉しいな。あ、野菜も食べなさいね、ポテトサラダ好きでしょ」
「うん!」
上総の嫌いなピーマンがみじん切りで入ってるけど気付いてないな、よしよし。
「! このたまご焼き」
「……どう?」
目を丸くした上総の様子にちょっと不安だと思いつつも恐る恐る眺めていると、上総が唐突に顔をこちらへ向けた。
「みーちゃん、愛してる!」
上総が私に抱き付いて叫ぶと、周囲からは物凄い悲鳴が上がった。
「……たまご焼き、私はしょっぱいの好きで、上総は甘いのが好きだもんね。身体にはちょーっとよくないかもしれないけど、まあ、夏だしと思って」
「じゃあ冬になったら交互にそれぞれの好みの作る?」
「私は――上総が嫌じゃなきゃ、ずっとこれでいい、かな」
本来だったら砂糖と塩はどちらかを多めに入れるのが常識だけど、どっちの味も際立つくらいに調節して作ったのだ。最初何回か失敗して作りなおして、ようやく甘しょっぱい味になった。喜んでくれるといいなあ、と思ったけど、上総は思った以上に感動してくれたようだ。
「由未は、僕を喜ばす天才だねえ」
「あら、それを言うなら上総もだよ」
くすくす笑いながら二人してそんな事を囁き合うと、またも周囲がざわざわと騒々しくなった。でも慣れてしまうと段々と気にならなくなって、私もけっこう図太いな、なんて思う。
「それでも、毎日はやっぱり勘弁願いたいわね」
「僕もそれはそうだよ。ちょっと消化に悪そうだもんね」
たくさんの視線にさらされながらも、私たちは何だかんだお昼の時間を満喫した。放課後になるとどういうわけか校内は静寂を取り戻していたが、どうやらファンクラブの人々が情報操作を行ったらしい。恥ずかしいとずっと拒否していた私が、上総に根負けしてやっと堂々と恋人宣言をするようになったという、まあ、あながち間違ってもいないものだ。しかし上総の性格についてまではどう収めたものかと困ったようで、結局は実は双子なんじゃないかとかわけのわからない説がいまだ横行しているようだ。
「外野なんて、どうでもいいよ。由未が隣にいれば」
「そうだね」
笑いながら手を取り合って、私と上総は帰り道を歩く。これからも続くであろう日常が、少し明るい色に染まる予感を噛み締めながら。