scene:185 仙崎の修行
ルキの騒ぎが収まった後、仙崎の部屋に行き昼食をどうするか聞いた。
「もちろん食うに決っているだろ」
仙崎は腹が空いていたようだ。食堂に案内しアカネさんに昼食を頼んだ。
「案内人が料理をしているのか」
「アカネさんは料理が得意なんです。美味しいですよ」
「料理もサービスの一つか。案内人もご苦労な事だ」
一緒に昼食を食べながら、迷宮都市について説明した。近くに三つの迷宮が存在し、一番難易度の低い勇者の迷宮でさえ完全攻略するのは難しいと言うと。
「潜っている奴のレベルが低いからじゃないのか」
「いや、そんな事はない。実際に潜ってみると分かると思うけど、勇者の迷宮を攻略するには幅広い能力が必要になるんだ。仙崎さんも苦戦すると思うよ」
仙崎はまさかという顔をする。自分なら簡単に攻略出来ると思っているのだろう。
翌日、ハンターギルドで引き受けた依頼を達成する為に、南の耕作地に向かった。耕作地と呼ばれている一帯は雑木林の東にあり、正確には南東の耕作地と呼ぶべきなのだが、迷宮都市の住民は南の耕作地と呼んでいる。
そこは少し高台となっている場所だった。海と雑木林に挟まれた耕作地は広大な土地を柵で囲っており、非力な魔物ならば侵入出来ないようになっている。
耕作地では小麦とイモ類が栽培されており、迷宮都市の大事な穀倉地帯となっている。その耕作地の南は一段低い地形で森が広がっていた。その森を住処としているのが赤目熊である。
森で養える赤目熊の個体数には限りが有り、熊の数が増え過ぎると耕作地に来て作物を荒らすようになる。今回の依頼は増え過ぎた熊の個体数を減らすのが目的だった。
依頼票には三匹ほど狩るように書かれていた。
南門を出てから三〇分ほど歩くと耕作地へと続く上り坂が見えて来る。今回の狩りに同行しているのは、依頼の引受人である仙崎と俺、それに荷物運びとして連れて来たマポスである。
ミリアたちがルキを連れて買い物に出掛けたので、一人寂しげに居残っていたマポスに荷車を引いて付いて来るよう頼んだのだ。
「ミコト様、オイラも赤目熊を倒してもいい?」
マポスが狩りに参加したいと言い出した。
「駄目だ。今回は仙崎さんが赤目熊を倒す」
「エエッ、一匹じゃにゃいんだよね」
「仙崎さんは修行に来ているのだ。マポスが修行相手を減らしてどうするんだよ」
「修行か……それにゃら仕方にゃいか」
仙崎は赤目熊を倒すと言ったマポスを観察した。まだ少年期に違いない猫人族のハンターはあまり強そうには見えない。
「魔物を甘く見ない方がいいぞ。お前には赤目熊は無理だ」
仙崎は忠告のつもりで言ったのだが、マポスという猫人族は不満そうな顔をした。
耕作地に到着し、中で農作業をしている農夫に声を掛けた。
「済みません。ハンターギルドで依頼を受けた者ですが、赤目熊は何処から侵入して来るんですか」
農夫の一人が近付いて来た。
「ハンターの人たちか。熊に荒らされているのはもっと南の方だ」
農夫が南を方を指差しながら答えた。
三人は南へと移動し、柵が壊されている場所まで来た。応急修理がされているが、熊がもう一度来れば簡単に壊れてしまいそうな状態だ。
「マポス、足跡から熊がどっちに行ったか分かるか?」
マポスたち猫人族の追跡能力は人間より上だった。マポスは地面を観察し南西の方角を指差した。
「向こうに行ったみたい」
「荷車はここに置いて追跡しよう」
俺が先頭に立って森へと下りて行った。<魔力感知>を使いながら森に入ると赤目熊の位置を把握する。その情報は仙崎には知らせなかった。
赤目熊を探す事も修行の一つだと考えたからだ。
「仙崎さん、どっちに行きますか?」
「足跡は東に向かっている。東だ」
本当は真っ直ぐ南へ行くと最短で赤目熊と遭遇したのだが、黙って従った。足跡を追って森の中を彷徨い、一時間後に一匹目の赤目熊に遭遇した。
赤目熊はポーン級上位の魔物である。体長二メートル半ほどで、体重が三〇〇キロほどになる。特徴は瞳が赤い以外、ヒグマなどとほとんど変わらない。
ただ酷く凶暴で人を見たら必ず襲って来る。
この時も、俺たちを視認すると襲って来た。その熊に向かって仙崎が進み出る。彼の手には剛雷槌槍が握られていた。
赤目熊が仙崎目掛け右手で薙ぎ払った。仙崎は飛び下がり、チャンスを伺う。続け様に凶悪な爪を持つ熊の手が、仙崎を引き裂こうと襲う。
仙崎は冷静に熊の攻撃を躱し、右へ右へと回り込む。業を煮やした赤目熊が体当りするように突っ込んで来た。仙崎は剛雷槌槍の魔導核に触って魔力を充填すると雷発の槌を赤目熊の頭に振り下ろす。
バチッと火花が散り熊の頭に雷撃が流れ込んだ。巨体の熊が焦点の定まらない目でふらふらと歩み始めた。そこに赤く輝く槍の穂先が突き入れられる。
槍は熊の首に深く突き刺さり、真っ赤な血を流させた。赤目熊が地面を転げ回って苦しみ始める。その所為で、仙崎が止めを刺せない状況となった。
「こんな時くらい魔法で止めを刺したらどうです」
俺が声を掛けると、仙崎は首を横に振った。最後まで武器の攻撃で終わらせるつもりらしい。結局、出血多量で弱るまで待ち槍の穂先を心臓に突き刺し息の根を止めた。
俺とマポスが剥ぎ取りをしている間、仙崎には休憩して貰う。かなり体力を消耗したように見える。後二匹を倒さなければならないのだが、大丈夫だろうか。
仙崎の呼吸が整うまで待ち、今度は西に向かった。方向を決めたのは、仙崎の山勘である。
この勘は大当たりだった。西で二匹の赤目熊が発する魔力を感知していたからだ。
俺はどうしようかと迷った。仙崎の武器を使った戦闘技術からすれば、二匹を相手するのは無謀だ。攻撃魔法を使うように勧めるべきだろうか。
「仙崎さん、この先に赤目熊が二匹居るようなんだけど」
「<魔力感知>で分かったのか?」
「そうです。攻撃魔法を使って一匹は仕留めた方が」
「いや、ポーン級相手に攻撃魔法は使いたくない」
「でも、二匹同時に戦うのは無茶でしょ」
「いや、無茶ではない」
「先程の戦いを見て思ったんですけど、まだ剛雷槌槍を使った戦いに慣れていないようじゃないですか。攻撃魔法が嫌だったら、一匹はマポスに相手させましょう」
「冗談じゃない」
仙崎をなんとか説得し、攻撃魔法を使わせる事を承知させた。
案内人の中でも攻撃魔法の遣い手として名高い山崎さんの弟子である。どんな魔法を見せてくれるか楽しみに待った。
間もなく、赤目熊二匹と遭遇した俺たちは戦闘状態に入った。とは言え、戦うのは仙崎一人である。俺とマポスは後ろで見物する。
仙崎が攻撃魔法として選んだのは、<爆炎弾>だった。空中に炎の塊が生まれ、右側の赤目熊目掛けて飛んだ。爆炎弾は熊の足元に着弾し爆発する。吹き出した真っ赤な炎が赤目熊の体を焦がしダメージを与えた。
赤目熊の一匹が重度の火傷で苦しみ始めた。その隙にダメージをほとんど受けなかったもう一匹を仙崎が攻撃する。
戦いは仙崎が主導権を握って終始し、二匹の赤目熊は倒れた。
仙崎が<爆炎弾>を使ったのを見て『紅炎爆火の神紋』を持っているのが判った。威力の高い応用魔法が揃っている神紋なので、これを選ぶハンターは多い。
ただ火事になりそうな場所では使って欲しくなかった。<爆炎弾>が爆発した時、近くの草叢に火が着き燃え広がろうとしていた。
「ウワッ、火事だ。消せ、消せ!」
俺とマポスは慌てて火を消した。こういう時に便利なのが『流体統御の神紋』の応用魔法<水盾>である。魔系元素の水で形成された直径五〇センチの盾を炎に押し付けると空気を遮断された火は鎮火した。
仙崎はギリギリまで体力を使い切ったようで、俺たちが消火しているのをぼんやりと見ていた。彼の顔には熊の爪が掠った跡が残り、少し血が滲んでいる。
苦労したが、依頼は達成出来たようだ。剥ぎ取りを手早く終わらせ、耕作地に戻った。荷車に剥ぎ取った毛皮や爪、内臓の一部と肉を乗せ迷宮都市に引き返す。
「今夜は熊肉のワイン煮にするか」
「ヤッター、久しぶりの熊肉だ」
マポスは喜んだ。猫人族は何故か熊肉が好きなようで、特にワイン煮にすると大喜びする。
一時間ほどで迷宮都市に戻った。俺たちは趙悠館には直帰せずに、ハンターギルドに寄って依頼達成の報告を済ませ、剥ぎ取った毛皮などを換金する
「やっと一個目の依頼達成か。なるべく早く迷宮に挑戦したいんだが、時間が掛かりそうだ」
疲れた顔をした仙崎はブツブツ言いながら依頼票ボードの方へ歩いて行った。次の依頼を探すのだろう。
仙崎は苦労しながら依頼を一つずつ確実に達成し、八日目で一〇個の依頼を終わらせた。
ハンターランクを三段目に上げる条件をクリアした仙崎は、早速ランクアップし迷宮に入る資格を手に入れた。
その翌日、仙崎からの要請で魔導寺院へと向かった。
今更魔導寺院に何の用が有るのかと思ったが、尋ねてみると仙崎が修行していたクノーバル王国には存在しない神紋がマウセリア王国に在るらしいと言う。
「へえ、何の神紋です?」
「神威光翼と呼ばれる神紋だ。知っているか」
顔に驚きが出るのを何とか抑え、俺は尋ね返した。
「聞き覚えがないな。どこから得た情報なんです?」
「山崎師匠がクノーバル王国の本屋で見付けた古代魔導帝国時代の古書を解読したんだ。詳しくは言えないが、凄い神紋らしい」
「でも、ここの魔導寺院には『神威光翼の神紋』なんて無いですよ」
「だが、魔導師ギルドの連中なら知っているかもしれんだろ」
魔導師ギルドの職員に確認するつもりのようだ。
魔導寺院に到着すると、仙崎は神紋の間がある通路に行き扉を一つずつ反応するか確かめた。
因みに、俺は授かった神紋以外の全ての扉が反応するようになっていた。
戻って来た仙崎が残念そうに。
「本当に『神威光翼の神紋』は無いようだな」
古代魔導帝国時代の古書に書いて有った『神威光翼の神紋』がある場所というのは、エヴァソン遺跡の事なのかもしれない。
俺は山崎さんが所有している古書を読んでみたいと思った。そこには『神威光翼の神紋』以外の第四階梯神紋が眠っている場所も記載されているかもと期待したのだ。
……クノーバル王国へ仙崎の装備を届けに行く時に頼んでみよう。
神紋を一つでも授かった者なら誰も思う愚痴を仙崎が零す。
「神紋記憶域なんて制限が無けりゃ、片っ端から神紋を手に入れるんだがな」
その言葉を聞いて、俺は神紋記憶域の変化について思い出した。二度目の『竜の洗礼』を受けた時、神紋記憶域が拡大したらしいのだ。
崩風竜を倒した直後には気付かなかったのだが、しばらくした後にエヴァソン遺跡で『神威光翼の神紋』の扉を試すと反応するようになっていた。
もしかしてと思い、神紋記憶域に魔力を流し込み反応を確かめてみた。魔力に反応し加護神紋が浮かび上がり、神紋記憶域の構造も感じられた。
明らかに神紋記憶域が拡大していた。以前の二倍ほどになっているようなのだ。嬉しくなった俺は薫に報告した。
「へえ、やっと私と同じくらいになったのね」
と言われ何だか凹んだのを思い出す。
「おい、魔導師ギルドの職員を紹介してくれ」
色々思い出していた俺は仙崎に声を掛けられ、意識を現実に戻した。気を取り直しカウンターへ行き顔見知りの職員を紹介した。
仙崎は『神威光翼の神紋』について訊いたが、職員も知らなかった。
「山崎師匠も幻の神紋だと言っていたからな。簡単に見付けられるはずはないか」
仙崎が少し落ち込んだ顔で言った。
仙崎が街で買い物をしてから帰ると言うので、俺は工場へ向かった。親方たちに高速空巡艇の開発について相談しようと思ったのだ。
工場ではカリス親方とドルジ親方が忙しそうに働いていた。
「アッ、ミコト。何処へ行っていたんだ。こっちは死ぬほど忙しかったんだぞ」
ドルジ親方が大きな声を上げた。
「済みません。本業が忙しかったんだ」
「何が本業だ。今日から、お前の本業は工場の職人だ」
無茶苦茶を言っている。それだけ忙しかったのだろう。工場の中を見ていると造り掛けの空巡艇が一隻しかない。
「もう一隻の空巡艇はどうしたんです?」
二人の親方が苦虫を噛み潰したような顔をする。
「オラツェル王子が、飛行訓練に使うと言って強引に持って行った」
カリス親方が吐き捨てるように言った。その言葉に付け足すようにドルジ親方が。
「モルガート王子もレースに参加すると聞いて、焦っとるんだろう」
「はあ、そうだったんですか。でも、最終テストは終わっていたんですよね」
「ほとんどは終わっている。だが、レース本番を仮定したテストが済んでおらん」
ドルジ親方が言ったレース本番を仮定したテストとは、水や食料などを満載して飛んだ場合のテストである。
「二号艇を完成させ、確かめるしかないですね」
モルガート王子が乗る予定になっている二号艇は、順調に製造が進んでいるようだった。
俺は二号艇の状態を確かめた。
「二号艇も山場を超えているようじゃないか」
一号艇を開発した時に、予備の部品なども作っておいたので、それを流用し二号艇は短期間で完成に近付いているようだ。
「まあな……それでなきゃ趙悠館に乗り込んで、お前を工場まで引き摺って来ている」
ドルジ親方が過激な発言をした。カリス親方は苦笑しながら。
「予備の部品を使ったから、ミコトには一号艇と二号艇の予備部品を作って貰うぞ」
「エエッ、そんな」
仙崎は伊丹さんに任せる事になりそうだった。伊丹さんの指導方針は少しくらい怪我をしても、治癒魔法で治せるから大丈夫というものだが、意外に根性の有りそうな仙崎なら大丈夫だろう。
俺は明日から工場を手伝うと約束させられて工場を出る。当初の目的だった高速空巡艇の件は、話すべきタイミングじゃないとだけ判った。
趙悠館に戻り、伊丹さんに事情を話すと、問題ないと言ってくれた。
「それで仙崎殿の持つ神紋については何か分かったのでござるか?」
「『紅炎爆火の神紋』を授かっているのだけは分かりました」
「ふむ、第六階層までなら大丈夫そうでござるな」
第七階層からアンデッドの魔物が出て来るので、『光明術の神紋』や『聖光滅邪の神紋』を持っていない者は苦労する。伊丹さんが『聖光滅邪の神紋』を持っているので任せれば大丈夫なのだが、赤目熊の時のように自分だけで戦うと言い張れば進めなくなるだろう。
 




