第一話 出会い
W主人公的な感じを目指してます
どうぞよろしく
「――で。これが兄上から賜った、ありがたい領地というわけか」
机の上に広げられた地図を眺めながら、カイルは頬杖をついた。
帝国北東部。
地図の端に、申し訳程度に記された土地がある。
山。
森。
森。
また山。
街道らしき線は途中で途切れ、人口の記載も他領とは比べものにならないほど少ない。
帝都から馬車で何日もかかる辺境の地。
名目上は、第六皇子カイルが十八歳を迎えたことを祝して与えられた領地だった。
もっとも、そんな綺麗な話でないことくらい本人にも分かっている。
「どう見ても嫌がらせだよなぁ……」
第一皇子である兄から、
『お前も皇族の一員なのだから、そろそろ一つの土地を治めてみてはどうだ』
などと、実に爽やかな笑顔で言われたのが三日前。
渡されたのがこれである。
人口は少ない。
税収も少ない。
魔物は多い。
おまけに帝都から遠い。
政治的な価値も、少なくとも現時点ではほぼ皆無。
要するに、
――目障りだから帝都から消えてくれ。
ということなのだろう。
「まあ、別にいいんだけど」
カイルは地図を畳んだ。
むしろ都合がいい。
皇位なんて欲しくない。
毎日のように開かれる晩餐会も、誰が誰と手を組んだだの、どこの貴族が誰を支持しているだのという話にも興味がない。
静かな土地で、面倒なことにはなるべく関わらず、のんびり暮らせればそれでいい。
問題があるとすれば――。
「さすがに護衛くらいは必要か」
カイルは小さく息を吐いた。
僻地には魔物がいる。
それだけならまだいい。
もっと面倒なのは、人間だ。
今までにも何度か、自分の寝室や移動中の馬車に不審者が入り込んだことがある。
犯人が誰なのかなど、わざわざ調べるまでもない。
皇位を望んでいなくても、第六皇子という肩書きだけで邪魔だと思う者はいるらしい。
「毎回自分で相手するのも面倒なんだよな……」
そうしてカイルは、帝都の奴隷市場を訪れることにした。
優秀な護衛を探すために。
◇
市場と呼ぶには、そこはあまりにも陰気な場所だった。
地下へ続く石段。
薄暗い通路。
壁に掛けられた魔導灯の頼りない光。
湿った空気には香油の匂いと、錆びた鉄のような臭いが混ざっている。
そして何より、気に入らなかったのは人の声だ。
「こいつはいくらだ?」
「力仕事ならそっちの獣人がおすすめですよ」
「もう少し若いのはいないのか?」
まるで家畜でも選ぶかのような会話。
カイルは眉を寄せた。
「……やっぱり、こういう場所は好きじゃないな」
「何か?」
「いや、独り言」
案内役の商人にそう答え、カイルは先へ進む。
左右にはいくつもの鉄格子。
その中に、人間や獣人、エルフ――様々な種族がいた。
皆、一様にこちらを見る。
怯えた目。
媚びるような目。
何も映していない目。
長くここにいれば、人はこういう顔になるのだろうか。
「旦那様は、どのような者をお探しで?」
「護衛」
「護衛でございますか」
「うん。できれば腕が良くて、森とか山にも強い人」
これから赴くのは、帝国でも有数の未開地域だ。
対人戦だけが強くても困る。
魔物にも対応でき、土地勘のない場所でも動ける者がいい。
「でしたら元傭兵の男が何人かおります。こちらへ――」
商人に促され、歩き出しかける。
そのときだった。
視界の端に、銀色が映った。
「……ん?」
カイルの足が止まる。
少し離れた壁際。
そこに一人のエルフが座っていた。
二十歳を少し過ぎたくらいだろうか。
長い銀髪は手入れされておらず、所々が絡まっている。
服も粗末なものだった。
細い手首には枷。
足首から伸びる鎖は壁へと繋がれている。
けれど――。
それでも分かる。
背筋。
肩。
指。
座っているだけなのに、その身体には普通の奴隷とはどこか違うものがあった。
「……」
カイルの右目が、わずかに熱を持った。
望んだわけではない。
ただ視界に入れただけだ。
それでも、いくつもの情報が頭の中へ流れ込んでくる。
カイルは少しだけ目を細めた。
「……へえ」
思わず声が漏れる。
「旦那様?」
「いや」
もう一度、彼女を見る。
弓術。
精霊への高い親和性。
森での活動適性。
身体能力も高い。
今は衰弱しているようだが、本来なら間違いなく一流。
――いや。
もしかすると、それ以上。
「この子」
「……はい?」
「このエルフと話したい」
商人が僅かに困った顔をした。
「こちらでございますか? 確かに見目はよろしいですが、護衛をお求めでしたら先ほど申し上げた傭兵の方が――」
「いいから」
「は、はい」
カイルは彼女の前にしゃがみ込んだ。
◇
また誰か来た。
少女――いや、少女と呼ばれる年齢はとうに過ぎたエルフは、足音を聞きながらそう思った。
顔を上げる気にはなれなかった。
この場所へ来てから、何人もの人間を見た。
値段を聞く者。
耳を触ろうとする者。
髪を掴む者。
身体つきを確認する者。
弓が扱えると聞いて興味を示した者もいた。
だが、結局は皆同じだった。
自分が何に使えるか。
いくらの価値があるか。
それだけ。
だから、期待することをやめた。
期待しなければ、裏切られることもない。
「ねえ」
若い男の声だった。
思っていたよりずっと近い。
「君って、戦える?」
「……」
やはりそれか。
彼女はゆっくりと顔を上げた。
目の前にいたのは、十八歳程度の青年だった。
身なりはいい。
貴族だろう。
だが、妙に飾り気がない。
自分を眺める目にも、これまでの客にあった粘つくようなものがなかった。
それが逆に不気味だった。
「……それが」
久しぶりに声を出したせいか、喉が僅かに掠れた。
「あなたにとって、私の価値を決めることですか?」
青年が目を瞬いた。
「ん?」
怒るかと思った。
奴隷が口答えをしたと。
頬を打たれることくらいは覚悟した。
だが青年は、少し考えてから答えた。
「いや。全部じゃないよ」
「……」
「でも護衛を探してるから、戦えるかどうかは結構大事」
拍子抜けするほど普通の返事だった。
「護衛……?」
「そう」
青年は頷く。
「これからちょっと物騒な土地に行くことになってさ」
「……」
「魔物もいるし、僕自身もよく命を狙われるし」
何を言っているのだろう。
「……よく?」
「うん」
青年は苦笑した。
「困るよね」
困る、で済ませる話ではない。
思わず青年の顔を見る。
冗談には見えなかった。
ますます意味が分からない。
「ですから旦那様」
奴隷商人が横から口を挟む。
「護衛なら、やはり頑丈な男の方がよろしいかと。このエルフは確かに――」
「弓」
青年が言った。
「……?」
彼女の呼吸が一瞬止まる。
「君、弓が使えるよね」
無意識に青年を睨んでいた。
それを見て、彼は少し笑う。
「あ。その反応、やっぱり当たりだ」
「……なぜ」
「うん?」
「なぜ、それを知っているのですか」
商人でさえ詳しくは知らないはずだ。
捕まってからというもの、自分がまともな弓を握ったことは一度もない。
青年の視線がこちらを捉える。
その瞬間。
右目の奥に、ほんの僅かに金色の光が見えた。
「……」
気のせいだろうか。
「まあ、ちょっとね」
青年はそれ以上説明しなかった。
警戒する。
この男は何かを隠している。
しかし、奇妙なことに。
恐怖は先ほどより少しだけ薄れていた。
「それより」
青年が言う。
「僕はカイル」
「……?」
「名前だよ。カイル」
突然の自己紹介に、彼女は戸惑った。
「なぜ……私に?」
「え?」
「なぜ、名乗るのですか」
今度は青年の方が不思議そうな顔をする。
「これから君の名前を聞くから」
頭が、一瞬その言葉を理解できなかった。
「……私の?」
「うん」
「名前を?」
「そうだけど」
当たり前のように言われた。
彼女は思わず視線を落とした。
名前。
自分にも確かにあった。
奴隷になる前。
森で暮らしていた頃。
誰かが呼んでくれていた名前が。
ここへ連れてこられてから、一度でもその名を尋ねられただろうか。
『エルフ』
『銀髪』
『商品』
『お前』
そんな呼ばれ方には、もう慣れてしまった。
「……」
「言いたくないなら、無理には聞かないけど」
その一言で、彼女は顔を上げた。
「聞かないのですか?」
「嫌ならね」
「……」
まただ。
この男は、よく分からない。
奴隷に拒否権があるような言い方をする。
けれど。
ほんの少しだけ。
本当にほんの少しだけ。
昔の自分を思い出してみてもいいような気がした。
「……フィオナ」
声が震えた。
自分でも驚くほど小さな声だった。
青年は何も言わず待っている。
だから、もう一度。
今度ははっきりと口にした。
「私の名前は……フィオナです」
「フィオナ」
青年――カイルがその名を繰り返した。
ただ呼ばれただけだった。
なのに胸の奥に、妙な感覚が生まれた。
「いい名前だね」
「……」
何と答えればいいのか分からない。
「じゃあ、よろしく。フィオナ」
カイルが手を差し出した。
途中で、その手が止まる。
彼の視線がフィオナの手首へ落ちた。
鉄の枷。
そして鎖。
「あ……」
カイルの顔が僅かに曇った。
「これじゃ握手できないな」
フィオナは目を瞬いた。
「……奴隷ですから」
「うん」
カイルは立ち上がる。
「だから、まずはそこからだね」
そして商人の方を向いた。
「彼女を買う」
「え?」
声を漏らしたのは、商人だけではなかった。
「こ、この者をですか?」
「うん」
「しかし旦那様、まだ腕前の確認も――」
「必要ない」
カイルは即答した。
「僕はこの子がいい」
フィオナは彼を見上げた。
「……どうして」
「何が?」
「なぜ、私を」
自分から聞いてしまった。
カイルは少し考える。
「優秀そうだから」
「……」
「森にも強い。僕がこれから行く土地にはちょうどいい」
やはり能力か。
当然だ。
落胆するようなことではない。
自分に価値があるとすれば、それしか――。
「それと」
カイルが続ける。
「君と話してみて、なんとなく気に入った」
「……は?」
「だから君がいい」
フィオナは何も言えなかった。
意味が分からない。
ほんの数分話しただけだ。
それで何が分かるというのか。
「いやはや、承知いたしました!」
商人が揉み手をしながら近づいてくる。
「では早速、契約の移譲を――」
話が進んでいく。
フィオナは黙ってそれを見ていた。
結局、自分の意思とは関係ない。
買われる。
所有者が変わる。
ただ、それだけ。
分かっている。
それなのに――。
名前を呼ばれたときの感覚だけが、胸のどこかに残っていた。
◇
手続きが終わった。
壁へ繋がっていた鎖が外される。
次に手首の枷。
鈍い音を立て、鉄が床へ落ちた。
フィオナは無意識に手首をさする。
長く締め付けられていた皮膚には、赤黒い痕が残っていた。
だが。
胸元に刻まれた奴隷紋は消えていない。
自由になったわけではない。
契約の主人が変わっただけ。
今度はカイルが、自分の所有者になった。
「歩ける?」
「……はい」
立ち上がる。
一歩踏み出したところで、膝から力が抜けた。
「っと」
カイルが咄嗟に手を伸ばす。
「!」
フィオナは反射的に身体を引いた。
触れられる。
そう思っただけで、身体が勝手に動いた。
カイルの手が止まる。
「……」
「……申し訳、ありません」
「なんで謝るの?」
「え……」
「嫌だったんでしょ」
カイルは手を引いた。
「なら僕が悪いよ。ごめん」
意味が分からなかった。
買ったばかりの奴隷に避けられて。
なぜ主人の方が謝るのか。
「ゆっくりでいいよ」
それだけ言うと、カイルは少し先を歩き始めた。
フィオナはその背中を見る。
警戒するべきだ。
この優しさに何か裏があるかもしれない。
そう考えるのが当然だ。
そうでなければならない。
なのに。
なぜだろう。
今まで会ったどの人間とも、少し違うように思えてしまう。
やがて市場の出口が見えてきた。
外から光が差し込んでいる。
一歩。
また一歩。
扉を抜ける。
「……っ」
眩しさに目を細めた。
青い空。
頬を撫でる風。
遠くから届く、木々の匂い。
フィオナの尖った耳が、僅かに震える。
何年ぶりだろう。
こんなふうに空を見たのは。
「……綺麗」
気づけば、口から言葉が漏れていた。
「ん?」
前を歩いていたカイルが振り返る。
「何でもありません」
「そっか」
聞き返してこない。
フィオナはもう一度空を見上げた。
「フィオナ」
名前を呼ばれる。
「……はい」
「これから僕の領地に向かう」
「領地……?」
「うん」
カイルは少し苦笑した。
「まあ、領地って呼べる状態かは怪しいけどね」
「どういう意味です?」
「兄上から嫌がらせで辺境に飛ばされたんだ」
「……兄上?」
何気ない一言に、フィオナが眉を寄せる。
「そういえば、まだ言ってなかった」
カイルは思い出したように言った。
「僕、第六皇子なんだ」
「…………」
フィオナの足が止まった。
「……はい?」
「第六皇子。カイル」
「…………」
「そんな顔しなくても」
する。
奴隷市場へ護衛を探しに来た変わり者の貴族だと思っていた。
まさか皇族だとは思わない。
「そんなわけでさ」
本人だけが呑気に話を続ける。
「これから行くところ、結構大変らしいんだ」
カイルは笑った。
「頼りにしてるよ、フィオナ」
「……」
胸が小さく痛んだ。
頼りにしている。
その言葉に反応した自分が嫌だった。
役に立てばいい。
役に立ち続ければ、捨てられない。
それは、奴隷として生き延びるために身につけた考えだった。
「……承知、いたしました」
フィオナは頭を下げる。
「必ず、お役に立ってみせます」
カイルは少しだけ不思議そうな顔をした。
だが、何も言わなかった。
このときの彼には、まだ分からない。
彼女がその言葉に込めた意味も。
フィオナ自身にも、まだ分からなかった。
目の前にいる青年が。
自分の主人になるはずのこの男が。
やがて――『主人』という言葉では到底収まらない存在になっていくことを。
そしてカイルもまた知らなかった。
護衛が欲しい。
最初はただ、それだけだった。
この日。
この場所で交わした出会いが。
二人の人生を、大きく変えていくことになるなど。
このときは、まだ。




