一人の男の話をしよう
一人の男の話をしよう。
その男は、ごくごく普通の人生を歩んでいた。
ごくごく普通に子供時代を過ごし、ごくごく普通に成長し、ごくごく普通に社会に出て、就職し、結婚した。
あまりにも特筆する事のない、ありきたりな人生だった。地球系列世界の日本にありがちな、レールの上の人生だった。
だが、男にとってその人生は充実したものだったし、誰にも後ろ指を指されない生活は人から言われるほど堅苦しいものではなかった。
夏は冷房の効いた室内でアイスを食べ、冬はストーブをつけてこたつで丸くなる。エルフ達からすれば唾棄すべき化学文明に囲まれた生活は、確かに堕落しているのだろう。
だが、男にとってそれらは唯一無二の故郷の暮らしであり、愛すべきものであった。愛する妻と息子にも恵まれた順風満帆の日々よ――
だが、そんな毎日は、唐突に終わりを告げた。
今でも覚えている。忘れるものか。
妻と息子と、三人で歩いていた自分達を、轢き殺さんと迫るトラックと、その運転席に座る、憎たらしいエルフの興奮しきった顔を。
あまりにもあっけなく、男の人生は、転生トラックテロの犠牲となった。
そして、次に目覚めた時には男は男ではなくなっていた。
身動きが取れず、巨人の様な、金髪の美男美女に囲まれた状況……オープンワールドの一市民だった男は、この状況が何を示すかをすぐに察知した。
――転生テロに巻き込まれて、転生させられたのだ。
周囲を見回せば、自分達と同じように、産湯に浸かる赤子の群れ、群れ、群れ――男は声の限りに妻と息子の名を呼んだ。男の予想通りなら、この中の誰かが自分の妻と息子の筈だから。
だが、口から飛び出すのは泣き声ばかり。この世界の赤子は、たとえ知性を持っていたとしても喋れない。そういう世界らしい。
「おお! よくぞおいで下さった……! 勇者達よ!」
「あなたの名前は、『――』よ!』
やかましい、黙れ、と怒鳴りつけたかった。体が許せば、殴りかかっていただろう。
俺はそんな名前ではない。勇者などではない! 俺には、俺の親からもらった名前があるんだ。俺は男だ女じゃない――!
そう、何の冗談か、男の肉体は、女のエルフのものだった。種族どころか、性別さえも一致していなかった。
しばらくしてから、どうやら、この馬鹿どもは、エルフの勇者を集めて世界をエルフの王国に作り替えるつもりらしい。何故理解できたかって?
毎晩毎晩、子守歌代わりに、馬鹿どもの妄想を無理やり聞かされていたからだ。耳を抑えられるものなら、抑えたかった。体がそれを許さなかった。
「あなたは、世界を救う勇者なのよ……! 私の赤ちゃん!」
黙れ黙れ黙れ黙れ! この人殺しの同類が!
俺は人間だ! 男だ!! 貴様らの言う勇者なんかじゃあ断じてない!!!!
男は叫びたかった。だが叫べなかった。代わりに泣き叫んだ。
エルフ達には、ただの癇癪の強い赤子にしか見えなかっただろう。だが、実際には怨嗟の声を繰り返し繰り返し上げていたのだ。
馬鹿どもの妄想を聞かされ続ける、地獄のような毎日は、来た時と同様に唐突に終わりを告げた。
「はーい、みなさん。お待たせして申し訳ない」
教科書で見た事のある化け物が、男達を救いにやってきた。
この子は渡さない、などと世迷い事を吐く母親――と、間違っても呼びたくはないが、便宜上はそうなる――の手から、救いだしてくれた。
「返して! 私の赤ちゃんを返してぇっ!!」
「そうは言うが、本人の決定だしなぁ」
「黙れ悪魔が!! 我々の悲願、邪魔させてなる者か!!」
そう叫んで切りかかってきた父親――これも、呼びたくはないが以下略――をバラバラに引き裂いた時などは、喝采すら上げた。
滅多に笑わなかった赤子が、父親の死に笑う姿に、母親は初めて間違いに気づき始めた様子だったが、全てが遅かった。
攫われた人間、21名。一人のモノ好きを除く20名が元の世界に帰る事を選択した。
超人組合の、転生テロ犠牲者に対するアフターフォローは完璧だ。戸籍や遺産の保存、遺族への事情説明、肉体年齢が成熟するまでの再教育課程等……特に再教育に関しては前世と違う肉体への順応まで面倒を見てくれた。
転生で得たスキルと呼ばれるものに応じて、就職さえ斡旋してくれる。
ただ、そのどれもが、男の慰めにはなりはしなかった。男の生活は、そんな厚いフォローでもどうしようもないくらいに、がらりと変わってしまっていたのである。
妻は転生トラックのせいで半身不随になり、車いす生活を余儀なくされていた。
息子は、植物状態になっていた。
男の両親は、心労が祟って相次いで亡くなっていた。
男の幸せの象徴だったものは、全て転生トラックによって粉々に打ち砕かれていた。
男がある程度成長し、二度目の体で妻にあった時、妻は泣き叫んで男を拒絶した。
……それは当たり前の反応だった。家族の仇と同じ種族の女の子を、貴方の夫です、などと言われても受け入れられるはずがない。考えてみれば、これは安易に男と妻を面会させた超人組合側の不手際ではないか、とも思える。
兎にも角にも、男は妻に拒絶されたことで、ある種の諦観を抱き始めていた。
嗚呼、自分の幸せは、もうここにはないのだ……と。
その後は、謝ってくる妻の両親を諫めながら、離婚届に記入して終わりだった。
以来、男は妻とあってはいない。
男の不運はまだ終わらない。
他の転生者たちが、各々の性別の変化や種族の変化を受け入れ、順応していく中で、男だけが取り残され、女の体になじめずにいた。
職員曰く、これは、個人差なのだという。
男のように転生した先で、自分の性別や種族を受け入れられない人間が、時々いるらしい。
実際、男の同期にも、性別に適応できなかったり、種族の感覚を掴めなかったりする者がいた。だが、男はそのどちらにも、共感できなかった。
何故なら、男が適応できなかったのは、両方だったからだ。種族にも、性別にも、男は馴染めなかった。どちらかに馴染めない人間、という事は、どちらかの変化は受け入れられた、という事だ。それが、男にはあり得ない事だった。
体の全てが、語るに悍ましいもので出来ている感覚、と言えば伝わるだろうか。
まず、呼吸する事さえ悍ましい。エルフの体は大気汚染に敏感に反応し、自動車の傍を通るとせき込みたくなる……その事実そのものが悍ましい。
樹海の中に入ると、体が躍動し、エルフの本能が呼び覚まされるのが悍ましい。
毎月に一度来る、モノが悍ましい。
悍ましい。悍ましい。悍ましい。
こうなってしまえば、エルフと言う種族の長い寿命さえ、忌々しかった。
こんな忌々しい体でも、働かなければいけない……世の無常である。男は、エルフが一般的な就労先とする職業には絶対に就きたくはなかった。
この忌々しい体の本能を使わなければならない林業や、忌々しい体を誇らねばならないモデル業など、冗談ではなかった。
結局、超人組合のあっせんした、組合の事務官に就く事となった。前世が事務職であった男にとってはまさに天職であった……化学文明に対する、アレルギー反応を除けば、だが。
男は、日々の楽しみも見つけられず、ただ惰性で生きる日々を過ごした。
ある男に、出会うまでは。
惚れた晴れ他の話ではない。そんな事、語る事さえ悍ましい。
ただ、その男――土方マルコシアスは、一言、男に囁いたのだ。
「復讐がしたくはないか」と。
したい。したいに決まっている。
男の人生を踏みにじり、全てを蹂躙した糞エルフ共を皆殺しにしたいに決まっている。
ただ、そんな方法はなかった。直接の犯人は現場で射殺され、ディンブルゲンにいた実働隊は魔王に皆殺しにされ……拳を向ける先が、なかった。
成人し、復讐の手段を得てからたどり着いたディンブルゲンは、男が復讐の矛先にするには優しくなりすぎていた。あの都市に、復讐の矛先を向けるのは、何かが違う気がした。
そう男が返すと、マルコシアスは、違うという。
ディンブルゲンから追い出された糞エルフ共の過激派が、エシャロットの森にすみ着いているのだという。
より直接的に、男の仇足りえる連中を……
「自滅させて、遊んでみないか?」
土方マルコシアスの、その名の通りの悪魔のささやきであった。
ただ殺すだけでは物足りぬ。ただ蹂躙するだけではまだ足りぬ。
ならば――弄んでみないか、と。
そのための手段も、用意したと、マルコシアスは言う。
男のやる事は、ただ、そいつらに近づけばいい。
化学文明に飽き飽きしたと、やっぱりそちらに暮らすのがいいと、理解者面をしてエシャロットの森に近づけばいい。
そうして近づいて、超人組合の機密情報を、漏らせばいい。
「そんな事すれば、僕の身が危うい」
男はそう言って、断ろうとした。この場限りの話で、終わらせようとした。そうしたら、マルコシアスは意外そうな顔をして、こう言ったのだ。
「なんだ。君は、長生きがしたいのか? てっきり、死にたがってるものだと思ったが」
その言葉に、男は凍り付いた。図星だった。
男はいつしか、リストカットを繰り返すようになった。早く、こんな人生は終わってほしいと、そう願っていた。
だが、男の転生勇者と言う特徴が、自殺さえ拒んだ。
男が異世界転生で得たスキルは――自己再生。繰り返されるリストカットに、男の肉体は順応を始め、いつしかスキルは、頸動脈を切っても数秒で塞がるまでに成長してしまった。
男達の同期は、様々なスキルを使いこなして、社会に順応しているというのに……男は、スキルのせいで安易な逃げ道さえ塞がれてしまっている。
それを見抜いたマルコシアスは、苦笑して言った。
「俺もだから、わかるのさ。早くエルフを絶滅させて、とっとと死にたい。
この身がエルフだなどと、悍ましいにもほどがある」
――その日は生まれて初めて、前後不覚になるまで、その悪魔と飲み明かした。
この悍ましさを共有できる友に、乾杯――!
それ以来、土方マルコシアスと男とは接点を持っていない。表向きは。
むしろ、逆……敵対派閥である、親亜人派閥であるノワール派閥へと接近していった。亜人愛護に目覚めたから? 無論、表向きはそうだが、実際は否である。
すべて、初めて会った夜の土方の指示によるものだ。
「いいか? 君はノワールの糞爺の派閥に入り……機密情報を、エシャロットの森の奴らに漏らすんだ。
何も特別な事はしなくていい。普通に漏らすだけで十分だ。そうすれば、情報部の奴らは君に行きつくだろう」
「……つまり、わざと僕に捕まれと?」
「いや、君には、捕まる前に自殺してもらう」
「……それだと、僕にリターンがないように思えるんだがな。マルコシアス」
言わんとすることを理解し、皮肉で返した男に、マルコシアスは笑って、
「死が報酬だ。君でも確実に死ねる銃を一丁、特別製の奴を贈ろう」
「甘き死よ来たれ、ってか……確かに、魅力的な報酬だね……特別な銃、というが足がつく可能性は」
「その心配はない。銃自体は、君に今渡す。派閥に引き込むための、手土産と言うていさ。
銃自体が、自殺の直前に手渡されれば関与も疑われるだろうが……昔から持っていた物ともなれば、疑われまい」
「おいおい……報酬の先渡しか。死に(もち)逃げしたらどうするつもりだ?」
「その時は、私の見る目がなかったというだけの話だ。君は、そんな事はすまいがね。
何はともあれ、死をもって、君はノワール派閥の消せない汚点となる」
「そして君はノワール派閥に優位に立つ。その代わり――」
「約束しよう。漏洩した機密にこじつけして、君の死後、エシャロットの森のエルフとその賛同者は絶滅させる。
まあ、これは、君が漏洩させる機密にもよるがね。価値があればあるほど、漏洩先の皆殺しの理由になる」
「……成程」
実際、生きる目的を完全に失っていた男にとって、悪魔のささやきはこの上なく魅力的だった。自分の無価値な命で、自分が憎むべき者達に、最大限の復讐を遂げる――!
「私は、今日、君を派閥に引き入れようとして、逃げられた。
そういう事にしよう……この銃も、手土産にして、持ち逃げされた。
こっちが、銃の所持許可証だ」
「おいおい、善良な一職員が、ノープランでいきなり情報漏洩なんて出来るわけがないだろ? もうちょっと、何か、こう……」
「心配するな。水面下で、私の手の者が手引きをする。
しばらくは、な」
「自殺のタイミングは? 黙秘する努力はするが、捕まって君との事が漏れたら、元の木阿弥だぞ」
「部下に、メッセージを送らせる。それが、君の正体が露見しそうだ……あるいは、君の死が連中の最大のダメージになるという、メッセージだ……できれば、探られにくいありふれたものがいいが……何にするか」
「……だったら、こういうのはどうだい?」
男は、土方の言う通りに行動した。情報を漏らし、報酬を得て……一般的な、勤勉に見えて、その上で情報を盗み取る、汚職職員であり続けた……そして、今日。
男は、土方の手の者から、約束のメッセージを――小さなアヒルの玩具を受け取った。
どこにでもある、ありふれたアヒルの玩具。息子の、お気に入りだった玩具だ。お風呂に入る時は、肌身離さずに手にしていたっけ……
その息子も、5年前についに死んだ。妻はとうの昔に彼岸の向こう。思い残すことは何もない。
最低限の家具しかない殺風景な部屋の中で、男は拳銃を見つめる。結局、一度目の人生以上の幸せは何一つとして得られない、第二の人生だった。部屋の殺風景さは、男の無趣味と言うより、無味乾燥な人生の証左だった。
部屋の中央に立ち以前に酒の席で教えられたとおりに撃鉄を起こし、こめかみにあてる。
「――甘き死よ来たれ」
そして引き金を、引いた。
ディンブルゲン
エシャロットの森
その片隅での会話。
「……甘き死よ、来たれ。か」
「何か言いました? 土方さん」
「……何、友人の事を思い出していただけさ。
それよりも、連中の集落とやらはまだか?」
「もうちょっと……ああいや、まだまだ、ですねえ。
こりゃ、迷路状の結界だ……力押しが出来ないように仕組まれてるから、骨が折れますぜ」
「ちっ……小賢しい真似をする」
「ありゃ、又罠だ……力押し、しちゃいます? 光速で走ったら根こそぎ吹っ飛ばせますよ。
それこそ、連中の集落ごと」
「却下だ。取り繕う事が出来なくなる。
我々のお題目はあくまで、あの小娘の救出だ」
「根こそぎにしちゃったら、ごまかせなくなる、と。
……土方さんの場合、それだけじゃないでしょ?」
「無論だ――エルフを殺すときは、斬り殺すに限る」
「斬りこんだ時に、連中がお嬢さんを人質にとったらどうします?」
「ああ、そうなったら大変だ……テロリストには譲歩してはならないのが、人間社会のルールだからな」
「……了解しました。適当なカバーストーリー、考えときます」
当該エピソードに、LGBTの方を揶揄する意図は一切ございません。




