騒動の引き金
アハトベルンはフラグレア王国の都市、ディンブルゲン……
そこは、亜人都市と呼ばれる、亜人たちの楽園。各種族が各々の長所を生かした産業でしのぎを削り、ドワーフの刀剣、エルフの織物、魚人たちが手に入れる新鮮な魚介、蟲人が育てた茶葉等、手に入らないものはないとされる都市だ。人と亜人の間に軋轢もなく、皆が手を取り合って暮らしていける平和な街だ……表向きは。
20年前までは、そうではなかった。亜人都市は亜人都市でも、奴隷亜人都市とでも呼ぶべき状態だった。人間を頂点とし、奴隷を使役して利益を搾り取る、辛酸な有様だったという。
アイリーン・ストラフォスは、若く、当時のあり様を直接見知った世代ではない。彼女は奴隷都市時代を知らない……が、亜人への差別意識が世界にこびりついていることは身をもって知っている。
今はともかく、前の上司はひどかった。中央から赴任してきた人材だったのだが、相手の人種によってあからさまに対応を変え、指示の下し方もいい加減極まりない。亜人都市が持つ後ろ暗い部分――奴隷貿易で奴隷にされる被害者側という立ち位置の陰で、甘い蜜を吸おうという魂胆が見え見えだった。
結局、そいつは奴隷商人との癒着が露見して、臭い飯を食う事になったのだが……まあ、そんな奴の下で働き、奴隷商人との戦いも経て、アイリーン・ストラフォスは亜人都市ディンブルゲンの酸いも甘いも知り尽くしていた。
生まれた血筋は、戦闘種族雷獣のハーフ。刺激で発電する肉球は、ビンタ一発で相手を昇天させる。
修羅場をくぐった事も一度や二度ではない。先日オープンワールドを騒がせた大事件……ガゼロットを中心とした次元間戦争に関するいざこざに一枚嚙んでいたのは、関係者ならば誰もが知る公然の秘密だった。
「…………」
その、百戦錬磨の雷獣娘アイリーンは、今――ガッチガチに、緊張していた。
特製の紅茶――亜人都市の蟲人達が丹精込めて作った特別品種『ディスターニャ』を前にしても、全く飲む気にならないくらいに、縮みあがっていた。
自警団中央詰所の広々とした会議室。本来なら関係者が角を突き合わせて論争する一室を、今はたったの三人が独占している。
アイの正面に座り込む男は、年齢は40ちょうど。白髪交じりの黒い長髪をオールバックにして後頭部で結んだ、筋骨たくましい壮年の男であった。ブルーの双眸は油断なくアイの一挙手一投足を見定めている。
「なので、私としては、まず、君に渡航……いや、この場合は渡界か。
とにかく向こう側に行って、事情を知らせてほしいのさ」
何せ――今、目の前で、アイに語り掛ける人物は、殿上人。
ディンブルゲンに住まう者ならば、知らぬ者のいない英雄、自警団団長、イザーク・ラムダその人なのだから。
20年前、当時はまだ奴隷だった亜人たちと一部の良識ある人間たちの間を取り持ち、自警団を設立。アハトベルン全体を巻き込む奴隷解放運動の立役者となった男。
なにより超人組合の認定も受けた甲種超人……否、言い方を変えよう。その方が伝わりやすい。
超人組合から認定を受けた、甲種勇者。
甲だの乙だのの差はアイにはわからなかったが、確かなのはこの男がアハトベルンにおいて、唯一無二の称号を頂いている、という事だ。王都に行けば公爵でさえ道を譲るとさえ言われる男は、アイに重要な案件を託そうとしていた。
「つまり……その……」
慎重に、相手の気分を害さないよう――尊敬する人間との会話にはしゃぎすぎない様に言葉を選んで、アイは託された案件を反芻する。
「私に、超人組合に、事案を持ち込めと……」
「そうだ。私は、超人組合に席こそ置いてはいるが、甲種の木っ端もいい所だ」
「小父様は、偉大な勇者ですわ!」
声を張り上げたのは、会議室に立ち会った三人目の人物だ。イザークは微笑ましいものを見るような、優しい目で答えた。
「ありがとう。イザベル。
だが、実際問題、私の超人組合の人脈など、細いものだよ……円卓のメンバーなどとても、とても。
……生まれた時に一度、あったくらいさ。ここは、当人たちと直接知己の有る人間を頼った方が話の通りが早いだろう。
報告書にあった名前に、間違いはないんだね? アイリーン君」
「はっ! 草間 闘と、アルトエレガン。そう名乗っておりました!」
「……超人組合に、円卓のメンバーを騙った場合の罰則が存在する」
ティーカップを、デスクの上のソーサーに置き、イザークは呟く。
「――騙りが露見した場合、本物達が直接事の始末に出張る事さえある。
あれだけの大事件……公式書類にも載るだろう事件で、こんな田舎世界の自警団員を騙すのに、そんなリスクを冒す者達は、おるまい」
「…………」
あの怪物クラスの戦闘力者たちが出張ってくるなら、確かに騙りは出ないだろうなとアイは思った。少なくとも、自分ならごめんだ。
自分が手も足も出なかったガゼロットのサイボーグ達をぼろきれのように蹂躙していた姿が脳裏に浮かぶ。
「アイリーン君。その縁、大切にしたまえ」
「……問題は、この程度の縁で、団長のご期待に応えられるか、ですけれど……」
「何、通報そのものは私の細い人脈で行う、正式なものだ。
最低でも、アルトエレガン殿の耳に届けば、それでいい」
「…………」
その肝心の相手が一番信用ならないのだと、アイは言いたくて仕方がなかった。何故かはわからないが、この団長殿は闘よりもアルトエレガンの方を重視、信頼しており、それがアイには危うく思えて仕方がない。
だって、アイの記憶の中のアルトエレガンと言ったら、馬に化けてるお調子者。魔術に関しては規格外で、勇者に関わる事が地雷という化け物だ。魔方陣での怒鳴り散らしようを見るに、やたらと沸点が低そうだった。勇者であるイザークが関わっていいものかどうかが……ほんとに、頼るのそっちで大丈夫なの?? という気分になる。
「要件も、通報内容もわかりました。ですが」
さらに言えば、不安要素はそれだけではない。
「…………」
「この子は、大丈夫でしょうか?」
問題は、アイと、団長以外に部屋にいるもう一人の少女だ。
自然にウェーブのかかったはちみつ色の頭髪と、団長と同じ青い瞳を持つ、見た目麗しい少女だった。身に纏うのは、飾り気のない質素なドレスで、腰には細身のレイピアがさされている。
「うん、大丈夫ではないね」
女であるアイでもうっとりするような美しい髪から覗く耳は――尖っていた。
エルフ。そう呼ばれる、亜人種だ。
「エルフは、西暦世界では差別される事がある。
理由は、今話した通りだ」
「…………」
「だから、耳は隠していってもらう事になる。この事は、アルトエレガン様と、一部の信頼できる人間にだけ、知らせるんだ。
いいね? イザベル」
「はい……! 小父様……!」
課せられた重責を必ず果たして見せるとばかりに、少女は胸に手を当てて声を張り上げた。子供の頃からこういった行動を見続けたなら、確かに微笑ましいだろうな、と思いつつも、アイの心胆は冷めていた。
団長に対する尊敬の念と、実務に関わる判断を、完全に切り離して考えられるシビアさを、アイは持っていた。
(できる事にゃら、置いて行きたいんだけどねー)
通報するだけなら、こんな超がつくお荷物を連れていく必要は、ない。
ただ、事に『エルフ』という種族を関わらせたいという、団長の思惑も、理解できてしまう。無碍にも扱えず、さりとて要求は厄介極まりない。
「それでは、リッターホルンまでよろしくお願いします! アイリーン殿!」
「……アイ、でいいわよイザベルちゃん。
話が簡単について、短い付き合いになる事を願っているわ」
「……! はい、そうですわね……!」
エシャロットの森の奥深くに、その村落は存在した。
と言っても、一目でその集落を見破るのは、困難を極めるだろう。
建築物は、すべて既存の樹木を流用したツリーハウスであり、人の頭ほどもある巨大な葉を瓦のようにつなぎ合わせて屋根を片作っている。基礎となる樹木が巨大の為、下手な街の屋敷よりもよほど居住面積が広い。
一目見ただけでは、森の緑に溶け込んでしまう様な家屋だった。木々の間に、頑丈な蔓と木の板を組み合わせたつり橋が展開され、ツリーハウス同士をつなげて、一個の巨大な集落として機能していた。
つり橋の間を、危なげなく子供達が駆け回って遊んでいる。
……物理的な迷彩だけでは、エシャロットウルフを頂点とする森の捕食者にたちまち発見され、嬲り者にされる事だろう。だが、子供達はそんな危険などどこ吹く風とばかりに、木々の間を跳ね回る。
恐ろしく微細に施された、魔術による迷彩が、子供達の姿を捕食者達から覆い隠しているのだ。
ツリーハウス地帯に仕掛けられた魔術は、迷彩だけではない。周囲の空間をゆがめ、人の出入りを拒むように結界が張り巡らされていた。たとえつり橋から落ちても、空間のゆがみを通ってつり橋の上に引き戻される……そういう仕組みである。だからこそ、子供達が遊ぶ余裕がある訳だ。
正攻法でこの集落に行きつこうと思ったら、空間のゆがみの迷宮を踏破し、張り巡らされた罠を突破した上で、一つしかない縄梯子を上らなければならない。その縄梯子には、腕利きの見張りが常に三人体制で見張りについていた。
ショートカットが出来るのは、集落の長の一族を含めたごくごく一握りの人間だけである。
子供達を見守る母親や、食料を狩りに行く父親……そのツリーハウスに生活する人間全員に、共通する特徴があった。
耳がとがっていたり、獣と混ざっていたり、蟲だったりと、あからさまに通常の人間ではないのである。
亜人。
アハトベルンでは、そう呼ばれる人種の、集落であった。
ここは毒の茨に猛獣、食肉植物など、数多の危険が潜む魔境エシャロットの森。人が住むには不適切な土地だが、彼らは様々な努力をもって、不可能を可能にしてきた。
例えば、軍を動員して討伐できるよう生物を、連携でもって仕留める。
例えば、毒があって獣には見向きもされない木の実を毒抜きして食べる。
例えば、硬くて食用にならない蔓を長時間茹でてパスタの代用品にする。
例えば、巨大なツリーハウスを支えるため、ミスリル銀の健具を作り使用する。
例えば、例えば、例えば……彼等森のエルフが、生活のために築き上げた知恵は、枚挙にいとまがない。
いわば、このツリーハウス群は、この20年で培われた、森の亜人達の知恵の結晶。人々の努力のたまものだった。
「――おい! そっちを探せ!!」
そんな森の合間に、怒号が響き渡り、子供たちが体をすくませる。母親たちが慌てて子供達を家の中に誘導した後に、男達がつり橋の間を行きかいし始めた。
男達は皆一様に、同じ刺繍を施されたローブをまとっている。
「いたか!?」
「駄目だ……! 見つからない!」
「すまん! 少し、中を改めさせてもらうぞ!」
何事があったのか……男達は、誰かを探している様子だった。蜘蛛の巣のように張り巡らされたつり橋を駆け回り、一軒一軒、一応の挨拶をしてから中を覗き込み――
「……どうした!? まだ見つからないのか!?」
一人の男の声に、大きく体を震わせた。
それは、エルフの例外にもれず、金髪の、目鼻立ちの整った男だった。ほかの男達よりも一際豪華な刺しゅうを施されたローブの上に、マントを羽織っている。
「ウーンファースさん……!」
「ここまで探しても見つからないなら……もう……!」
ウーンファースと呼ばれた男は、鋭く舌打ちした。
「……俺の……いや、長の屋敷ももぬけの殻だ。
長もその家族も、見当たらなかった」
「な……!?」
「それじゃあ……!」
「ああ、その通りだ!! 逃げたんだよ! あいつらは!
これからっていう時に、あの、裏切り者の口車に乗ってな!!!!」
怒号が、びりびりとツリーハウス内に響き渡る。その咆哮に気圧されたかのように、男達が沈黙した。
子供の泣き声、それをあやす母親のなだめの言葉、荒いウーンファースの息遣い、木の葉同士がこすれあう音――それらが混ざって一つの環境音として辺りを包む。
ウーンファースは虚空に全長3メートルはある巨大な魔方陣を描くと、縁の中心を額の中心に張り付けて、瞑目する。
そうやって流れ込んできたのは、遠く離れた場所にいる、妹の、記憶だった。
(……超人組合に通報……ちっ、既に、あの裏切り者には話をつけてあるのか)
「そうはさせるか」
歯噛みをして、ウーンファースは男達に指示を下す。
「そんな事はさせるものか……! お前達! すぐに森を出て、イザベルを追うぞ!
我々の計画を邪魔など!!」
ひときわ大きな赤子の泣き声が響いて、森の奥に吸い込まれて消えていった。




