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その男はハゲだった  作者: 清河 桂太
ガゼロット編
12/89

迷子の浅知恵


 茂みの中から這い出しながら、綾は涙を流す。


「……うぅ」


 綾の神経はより一層磨り減った。何故磨り減ったかは聞かないのが華だろう。現代日本に住まう女性には、耐え切れない行為だったというだけの話だ。


「そうだよねー……公衆トイレなんてある筈ないよねー」


 紙に至っては、ハゲが無言で差し出してきた。

 何か、女として大切なものを失ってしまったような気がしてならない。どんな顔をして彼らの元に戻ればいいのだろう……

 と、そこまで考えて。

 綾は、何か自分が致命的に間違ってるんじゃないかと思い直した。

 別に戻る必要は無いのではないか?

 このまま戻らずに、森の中に踏み入ればいい。この方法なら、自然と彼らから離れられる! 捕まっても、道に迷ってしまった風を装えばいいだろう。

 ……最初から追いつかれた時の言い訳を用意してるあたり、何か間違っているのだが、綾にはそれが妙案に思えたのだ。

 そうと決まれば、早速行動。


「よし!」


 とてとてと森へと踏み入っていく綾……二人の意思を踏みにじる事に罪悪感が沸いたが、それ以上に譲れない想いがある。

 夕日で紅く照らされ始めた森を歩いていると、どうしようもなく記憶が刺激された。

 紅い光景。

 そこから思い出される、血に塗れた世界。

 綾は知っている。戦争を知らない小娘だが、人が大勢死ぬ事がどんなに寒々しい事かを実感として理解している。


(あんな光景は……もう、見たくないからね)


 自分が見てきたものと戦争の光景は異なる部分もあるのだろう。それでも綾は人が大勢死ぬのを傍観出来ない。

 綾の世界の政府は、『文明レベルが極めて低く資源の多い世界』に、近代兵器を手にして雪崩れ込むつもりなのだ。放置など、しておけるはずがなかった。


(一刻も早く、元の世界に戻らないと!)


 そして、兄の暴走を止めるのだと、意気込みながら走り出した。




 ――結論から先に言わせてもらう。

 寺門綾は、森の中で迷子になり、探しに来た二人に保護される事となった。




 空には星がきらめく時間になり、月明かりをかき消すように、焚火の炎があたりを照らす。

 三人と一頭は、焚火を囲んで座りこみ、夜を明かそうとしていた。


「馬鹿かお前は」

「……ごめん、アヤ。こればっかりは傭兵と同意見」


 合流し、半べそをかいていた綾に対する情け容赦の無い言葉が突き刺さる。

 事実だけに何もいえない。


「っていうか、わざとはぐれようとか考えなかったか? お前」

「な、何でそう思うんですか!?」

「勘」

「アヤ……ひょっとしてあんた、街にいたときも迷ってにゃかった?

 朝出てったのに、正午に城門出てたし」


 ……こっちも事実だけに、言い返せない。

 ぱちぱちと爆ぜる焚き火を見ながら、綾は涙目になってしおれた。そりゃあ、綾はどこかに遊びに行く度に迷う程の方向音痴だが……遊園地で迷子になったり商店街で迷子になったり。


「あううううう」


 過去の迷子遍歴を思い出し、自分が情けなくなってさらに凹んだ。


「気遣い無用……じゃあ、言い方が甘かったか。

 はっきり言うぞ、お前」


 ハゲは、ジト目で綾を睨みつけて、


「俺達は各々の理由でお前と行動を共にしてる。自分さえ捕まればなんとかなる、なんていう自己犠牲で行動されちゃあ大迷惑なんだよ」


 はっきりきっぱり言い切った。

 言われてしまったが最後、綾の良心をキリキリと痛めつける魔法の言葉である。綾には綾の都合があるのはもちろんだが、理詰めと感情で事情を説明されたこともあって、合理的なはずの行動――敵に捕まり、元の世界に帰るという方針が自分勝手に思えてしまうのだった。


「傭兵! 言いすぎだ!」

「……ま、それも含めて、お説教は飯を済ませてからだ。

 何にする?」

「アッシュブレッドで!」


 凹んでいた表情をからりと明るいものに変えて、綾が即答した。

 気に入ったらしい。

 ぶるひん、と馬が嘶いた。「わかってるねぇ、通だねぇ」と言わんばかりの……自分が普通の馬だという設定を忘れかけている相棒を一睨みしてから、ハゲは荷物をまさぐり、アッシュブレッドを放る。


「そっちの自警団員は……玉ねぎのカカオソースがけでいいか?」

「殺す気か貴様」

「わかってる、冗談だ。ほらよ、奢りだ」


 物騒なやり取りの後、同じくアッシュブレッドを放る。変なところで猫っぽいらしい。

 もしゅもしゅとアッシュブレッドを頬張る綾は、どう見ても説教を聞く態度ではなかったが……ハゲはかまわず、炙った干し肉を齧りながら語りだした。


「大方、記憶喪失の手掛かりが、向こうからやってきた……なんて、気楽に考えてるんだろうが……相手がお前を無事で済ます保証が、何処にあるってんだ?」

「うぐ」

「俺に対しては少なくとも、住民を道具にして諸共殺す気満々、なんていう物騒な対応だった。お前がどんなVIPなのかは知らんが……手足の一本くらいならもげてもかまわん、なんて動いたらどうする気だ」


 言われて初めて、綾は自分の組み立てていたロジックの穴に気づいた。そうだ、相手の思惑が完全に見えない以上は、綾の身の安全は保障されないのだ。

 ぞっと背筋を通る悪寒に、思わず右耳のイヤリングに手が伸びる。右手の生体認証とセットで機能する、『世界間航行装置』の非常停止キー。ただの小娘にすぎない綾が、世界間の戦争を食い止めるために必要な、唯一の武器だった。

 相手の狙いが、「非常停止キーを使わせない事」ならば、最悪右腕を切り落として処分してしまえば済む話なのだ。

 いや、敵の狙いと言えば……そもそも、自分を確保しようとする理由がわからないのだと、今更ながらに気づかされた。

 だってそうだろう。非常停止キーを完全無力化する、という目的なら、異世界に放逐した時点で果たされている。父や兄が空間物理学の権威とはいえ、綾は一介の小娘にすぎない。

 専門的な知識はなきに等しく、このまま放っておくだけで何もできずに八方塞がりだ。

 ……いや、基本に立ち返ろう。誘拐されたと気付いた時、真っ先に考えた事。彼らは、家族への人質として、自分を欲しているとしたら……


「――楽観は最悪の結果を生むと思え」


 綾の思考回路を回し始めたのがハゲの言葉なら、止めたのもまた、ハゲの言葉だった。


「トゥークさん……」

「相手がお前の想定に合わせて動く筋合いは一切ないんだ。最悪の中の最悪を想定して、それを防ぐように立ちまわるのが賢い立ち回りってもんだ」

「最悪……」


 言われてみれば、綾にとっての最悪とは……自分の存在が原因で、異世界との戦争の火ぶたが切って落とされてしまう事だ。敵の目的が異世界戦争の開戦ならば捕まりに行くのは悪手でしかない。

 首尾よく捕まり、元の世界に戻れたとして、脱出できる当てはあるのか? 否、そもそも相手の目的が、綾を元の世界に連れ帰る事なのか? 家族への人質として運用するのならば元の世界に連れ帰る必要はなく、指の一本も切り取って送りつければ十分だろう。

 振り返ってみれば、己の浅はかさに顔が赤くなる思いがする。

 だが一方で、他に帰還の手段がないのも事実であり……完全な八方塞がりであった。


(いっその事、魔術方面からアプローチした方がいいのかなあ)


 魔術。綾にとって全くの未知の分野。

 自分の立場を正直に説明し、元の世界に帰りたいといえば、協力はしてもらえるだろうか……いや、そう考えるのは高望みというものだろう。

 記憶喪失とは別の頭の病気になったと思われておしまいかもしれない。そうではないかもしれない。

 どうするのが、自分にとって最適なのか……答えの出ない問いを、何度も自分に繰り返す。考え込み、固まってしまった綾に、ハゲはもう一口、干し肉を口にし、飲み込んでから言った。


「ま、何を決めるにせよ、王都についてからにすりゃあいい。

 今この場は、黙って俺達に護衛されて……いや、違うな。俺達を、『利用してやる』つもりでいりゃあいいんだ」

「利用してやるってそんな……」

「実際、無料で俺を護衛にできるってのはめったにない事だぞ。正規で俺を雇うならいくらくらいになるか、教えてやろうか?」

「傭兵の言葉に同意するのもしゃくだけど」


 アッシュブレッドを食べ切り、手についたパンくずをつまみながら、アイがさらに付け加える。


「綾は、もうちょっと図々しくてもいいくらいだと思うよ?

 私達なんて、町の治安とあんたの安全、天秤にかけちゃったんだから……」

「いや、あの場合は、町の安全を取るのが、正しいと思いますけど……」

「優しいねえ、綾は」


 ほぅ、とアイの口からため息がこぼれた。

 確かに、道理一辺倒に考えれば、綾の言う通り、ディンブルゲンの治安を最優先すべきなのだろう。それが、自警団員としての規範なのだと、アイも理解はしている。

 だが、人間は、道理だけでは動けないのもまた、事実だった。


「ディンブルゲンの歴史はね、そこの傭兵が言った通り、差別との戦いの歴史だった」


 燃える焚火に、新たな薪を放り込みながら、独白する。


「ディンブルゲンの警察組織は元々……王宮から派遣されてきた衛兵だったんだけど、そいつらがまあ、クズでね。

 職権乱用当たり前。賄賂差別なんでもござれ。人間と亜人のいざこざ? 無条件で人間様が正しいに決まってるって、結論ありきで決めてかかって。

 酷いのになると、奴隷商人と結託して亜人をとらえて売りさばく、なんて事もあったわ」


 何気なく語られた内容の陰惨さに、法治国家日本の感性を持つ綾は絶句してしまった。贈収賄だけで大騒ぎになる日本ならば考えられないような有様だ。


「今でこそ、亜人都市にゃんて言われて賑わってるけど、昔はそれくらい、酷かったらしいわよ。領主からの正式な抗議文書が出されてもどこ吹く風。貴族たちからの横やりで有耶無耶。

 で、そいつらには任せておけない、自分たちの平和は自分たちが守るっていうんで、一人の人間を中心に住民たちが結集して設立したのが、自警団だった。町を滅茶苦茶にしたのも人間なら、町を立て直したのも人間ってわけ。

 それが、今の団長……奴隷解放運動の立役者でもあるわ」

「どれいかいほう……?」

「そこからか。ごめんごめん」


 オウム返しする綾に、アイは苦笑して、さらなる補足をする。

「もともと、ディンブルゲンは亜人の奴隷と人間のご主人様で構成されてた都市にゃのよ。昔は、奴隷都市にゃんて呼ばれるくらいの酷い都市だった。

 それを、自警団設立をきっかけとした奴隷解放運動が変えたって事。今じゃ、ディンブルゲンに奴隷の亜人は一人もいにゃいわ。よその町にはまだいるらしいけど……それも、傭兵が言った通り、時間の問題ね」

「……奴隷、ですか」


 平成日本で育った綾にとって、遠い単語だった。異世界である以上文化文明の差はあってしかるべきだが……まさか、奴隷が現役とは。


「衛兵たちはどうなったんですか?」

「捕まえたわ。全員ね。奴隷解放運動の最初の行動が、連中の投獄だった。

 これを王国に対する反乱だって言う連中もいたけど、王国は自警団に責任を追及せず、貴族達を処断した……正義が勝ったって訳じゃにゃいけどね。

 当時のディンブルゲンは、既に王国にとって無視できないほど大きな都市だったの……だから貴族から妬まれたんだけどさ。

 極少数の犯罪者を助けて、国でも有数の、しかも王都に近い大都市の反感を買うなんて、馬鹿馬鹿しくて出来なかったっていうのが、本音でしょうね。団長が、ロビー活動でうまく立ち回ったっていうのもあるらしいわよ。

 そういう歴史を経てきたのが、ウチの自警団にゃの」


 言って、アイは笑った。裏表の無い、明るい笑みだった。


「自らを持って警察を任じ、誰にも命じられず自らを犠牲にして住民を守る……そんにゃ絵空事に同調して、本気で命賭けちゃう馬鹿の集まりにゃのよ。早い話が。

 だから、あたしの動機は正真正銘、さっき傭兵が言った通り。

 あたしもそういう馬鹿だから、アヤみたいな子を放っておけにゃいの」

「…………」


 それは、余りに真っ直ぐ過ぎる想いであり、生き方だった。綾の暮らしてきた日本の警察組織に、彼女の十分の一も正義感のある人間がいるだろうか?

 そして気付かされる……自分は、彼女ほど大きな動機を持っているのだろうか、と。

 スケールだけなら綾の方が大きい。何せ、彼女は戦争を止めに行くのだ。それも自分の世界だけではなく、全く別の世界も救いに危地に踏み込もうとしている。


(けど……)


 それだけ。

 スケールの大きさと言う、浅ましい視点からでしか彼女の動機に張り合えない。

 綾は、アイ程に確固たる考えを持ってはいなかった。


「ちなみに、今のディンブルゲンが一枚岩のきれいな都市かって―と、そうでもないぞ」

「へ!?」


 いきなり、不穏な前置きとともに、ハゲが会話に加わった。


「奴隷解放の勢いで人間に戦争吹っ掛けようっていうタカ派の亜人達が、町を追い出されてエシャロットの森にすみ着いてる」

「えしゃろっ……!? あそこ、物凄い、危険地帯なんじゃ!?」

「ああ、べらぼうに住みにくい場所だ。思考が違うとはいえ、同胞をそんな場所に追いやった……綺麗事ばかりじゃねえんだよ。何事も」

「森の連中か……」


 ハゲの言葉に、アイは苦汁を舐めたような顔になった。


「あいつらは、その時代の負の遺産ね……わざわざ話題に出さなくてもいいでしょ」

「一歩間違えば連中に捕捉されてたんだ。聞かせておいた方がいいだろ」

「不要な恐怖を与えるにゃって言ってんのよ」

「か、仮に……仮に、ですよ?」


 なんか、不穏な空気をまとい始めた二人の会話に、綾は恐る恐る口をはさむ。


「私が、その人達に、トゥークさんよりも先に、補足されてたら……どうなってたんでしょう??」

「まず、保護されんわな」


 相互コミュニケーションで大前提が一気に崩れる事を断言されてしまった。


「見殺しならまだいい方……積極的に攻撃してくる可能性まである」

「連中の感覚じゃあ、エシャロットの森は縄張り、らしいからねえ……かけらも管理責任果たせてないくせに」

「森林保護叫んじゃいるが、実際はただほったらかしにしてるだけだからな。植林も伐採も何もなし。あれじゃいてもいなくても同じだ」

「……私を保護してくれたのが、トゥークさんでよかったです」


 改めて、ハゲに感謝の意を抱く綾。本当に、自分が今ここでのんびりと焚火を囲える事が、信じがたい幸運の上に成り立っているのだと、改めて実感させられる。


「あの……」


 そんな思いからだろうか。


「お二人だけに話させるのもなんですし、私も話しますね。思い出した事……」


 気がつけば、口が動いていた。


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