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その男はハゲだった  作者: 清河 桂太
ガゼロット編
13/89

紅い風景


「私、子供の頃に一回記憶喪失になってるんです。だから、今回は二回目ですね」


 綾の持つ最古の記憶は、十年前の紅い風景だった。それ以前の記憶は無い。

 溢れ出る血にまみれた瓦礫の山、血を流す怪我人の山、血を流しきった死人の山、炎を上げて燃え続ける車の山……山、山、山……真紅の山が視界を覆い尽くす、そんな絶望的な世界。

 紅い世界の中央で、千切れて腕だけになったヌイグルミを手に立ち尽くしているのが、綾の最古の記憶だ。

 炎の海の中で取り残され、自分が何者なのかも分からない、自分の親が何処にいるのかも分からない。泣く事も出来ず助けを呼ぶことも出来ない……否、自分が危険だという事も理解できない状態で立ち尽くしていた。

 その光景を生み出したのは、トンネル内での玉突き事故だった。バス乗用車併せて二十台が巻き込まれ、死者六十五名、生存者僅か三名という大事故である。連休の最終日、帰宅ラッシュの家族連れを多く巻き込んだ悲劇だった。

 何らかの要因でトンネル内が停電した事が原因と見られているが、肝心の停電の理由が全く分からなかった。焼死体に脱出しようとした形跡すら見られなかったりと、今でも不透明な部分の多い事故である。

 唯一つだけ綾が断言できるのは、自分がその事故の数少ない生存者だったと言うだけ。

 状況からして、事故に巻き込まれた家族連れの生き残りだったのだろう。

 車を馬車に置き換え、矛盾の内容に慎重に言葉を選びながら、綾は自分の過去を語る。


「同じように生き残ってた男の子がいたんですけど、その子が手を引いてくれなかったら、私あのまま焼け死んだかもしれません」


 何故こんな事を語るのかと思う。

 いくら馬車に置き換えているとしても、あまりに不自然な点が多い話だ。作り話だと思われる確立のほうが高い。


「結局、その事故で生き残ったのは三人だけなんです。

 私と男の子は無傷だったんですけど、三人目のおじさんは顔に酷い火傷を負っていました」


 なのに、口は止まらず回り続ける。


「三人とも、事故で身寄りが無くなってしまって……本当なら私と男の子は施設に引き取られる筈だったんですけど」


 綾は自分で自分の感情を制御できなかった。アイの動機に感動したのは分かるが、何故このような事を騙るのか。

 二人が沈黙しているのをいいことに、綾の口は動く。


「おじさんも、家族を亡くしていたらしくて……私達を引き取って育ててくれたんです。そのおじさんが私の今のお父さんで、男の子がお兄ちゃんなんです」

「――アヤは、お兄さんとお父さんが好きにゃのね」

「はい! それはもう!」


 アイの言葉を返した瞬間に、胸の支えがストンと落ちて、自分が何故こんな事を語り始めたのかを理解した。

 ――詰まる所、綾は罪悪感を感じていたのだ。嘘をついて二人を欺いている自分が、二人の内情を聞かされる事実に対して。

 自分が二人を利用する……二人と対等ではない関係に、嫌なのだ。

 ならば、自分も同じ深さの胸の内をさらけ出そう。そうする事でせめて、二人に誠意を示したかった。


「私、子供の頃は苛められっ子だったんですけど、お兄ちゃんが庇ってくれたんです」


 長い長い、家族自慢が始まる。

 二人の傍聴人は、決して口を挟むことなく、静粛にその自慢を聞いていた。




 月明かりと焚火の炎が、優しく綾の顔を照らす。

 穏やか寝息と無邪気な寝顔……語り疲れて眠ってしまった少女に、苦笑を閃かせてアイは毛布を取り出した。

 余程、疲れていたのだろう。少女の近況……怒涛のように過ぎ去った数日の内容を考えれば、無理もない事だった。

 この寝顔を、守らねばならない。自警団員として。

 アイにそんな思いを抱かせた綾の寝顔に、ハゲは別の思惑を抱いたらしい。呆れた顔で、こうつぶやいた。


「こいつ、途中から記憶喪失の設定忘れてやがったな」

「にゃにが言いたい」


 ぎろり、と殺気の篭った視線を受けて、ハゲは涼しい顔で応じた。

 綾は亜人のアイから見ても文句なしの美少女だ。胸も大きいし、愛嬌もある。同行している男が、襲い掛からないとも限らないのと考えたのだが……その横顔に、綾に対する欲望のようなものは見えなかった。


「あんなひょいひょいと、都合よく思い出話が出来る記憶喪失なんてあってたまるか。

 十中八九、こいつは俺達に何か隠してる」

「だからにゃんだ」


 ――アイは確かに傭兵と言うカテゴリを嫌ってはいるが、それだけで相手を攻撃するほど頑迷ではない。

 トゥーク・サマーという男に喧嘩を売ったのは、アイから見ても余りに不審な点が多かったからだ。その思いは、一連の会話を終えてますます根深いものとなった。

 傭兵は、信用商売だとこの男は言った。

 だが、それはある程度の名声があって初めて成り立つ前提だ。アイリーンは実際に、綾に合流するまでの短い間を使って、トゥーク・サマーという傭兵の情報をかき集めた。

 該当する傭兵の名前は、なかった。ディンブルゲンという、脛に傷を持つ傭兵の情報が集まりやすい都市の情報網を、フルに使って調べたというのに、トゥーク・サマーという名前の傭兵の情報は情報網にかすりもしなかったのだ。

 そこまでなら、アイリーンはここまでハゲを警戒しなかった。名前の売れない三流の傭兵。それで終わる話だからだ。

 だが――


(これが――三流の、傭兵)


 であってたまるか。

 アイリーン・ストラフォスの、自警団員として……戦闘種族雷獣として培ってきた戦闘勘が告げているのだ。この傭兵の戦闘力を。

 仮に、今、アイがこの傭兵に襲い掛かったとしよう。

 ……勝利する自分のビジョンが、まったく浮かんでこない。

 体術は無論のこと、砂かけ目つぶしありとあらゆる手段を用いてもなお、次の瞬間自分が死ぬ以外の想像がつかない。

 絶望的なまでの、戦闘力の差が二人の間にはあった。

 こんな男が、三流の傭兵であるはずがない。

 十中八九、名の知れた傭兵が、偽名を使っているのだと、そう考えるのが自然だった。

 自身が過剰に警戒されていることを、このハゲほどの腕前なら、既に察知しているはずだ。このハゲは、その上で素知らぬ顔をしているのだ。


「親に関する、厄介ごとだろうな」

「親?」

「ああ……気付いたか?

 こいつの話……兄貴とは思い出話ばっかりだったが、父親の印象が希薄すぎる」

「……あ」


 言われてみれば、綾の話の大半は、兄と遊んだだとか、かばってもらっただとか、一緒の布団で寝て一緒におねしょしただとか、ベッドの下の本を見ようとしたら怒られただとか……いくつか、お願いだから忘れてあげてほしいというような記憶もあったが、それはともかく、兄との思い出話ばかりで、父親との思い出は皆無といってよかった。



「なのにこいつは、父親に対して恨み言も口にしてない。

 思い出がないんじゃなくて、思い出が作れないほど忙しい奴なんだろう。事故直後に子供を二人も引き取るところから、金銭的余裕もうかがえる。

 ……こいつの親父は、かなりの社会的地位があるんだろう」

「貴族だとでも?」

「さあな。憶測にすぎないが……その親父の社会的地位に関する隠し事、その可能性が高い。社会的地位に荒事……結びついたらきな臭い事この上ない組み合わせだ。

 父親大好き、なあ」


 熟睡し、よだれを垂らして乙女の尊厳を崩壊させている少女を、見る。

 その瞳には、ある種の諦観が見て取れた。


「おそらく俺には、一生同調できん気持ちだ」


 吐き捨てられた言葉には、『父親』というカテゴリーに対するぬぐい切れない嫌悪感がにじみ出ていた。


「ま、どんな事情があろうと関係ないがな」

「……自分の推理を根こそぎ否定しやがったにゃこのハゲ……」

「実際無関係だろう。

 俺もお前も、理由以外の目的からこいつについてきた」


 語りながら、ハゲは刀を手に立ち上がった。

 同時に、吹き付ける濃厚な殺気。


「こいつの理由なんてどうでもいいんだよ本当に。だから……」


 来るか――と、アイが身構える目の前で。


「てめえーらが何様だろうと関係ねえんだよ」


 惨劇は、一瞬で終わった。

 振り向きざまに抜刀一閃。アイの動体視力でかろうじて見える程度の速度で、刃が虚空を凪いで――中空から、血しぶきが噴き出した。



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