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Tale 29. 海浜の孤児院(3)

 数年前の孤児院。アルマが何も告げずに王都を後にし、それから少しの時間が流れた時のことだ。

 レナはカザレアから呼び出しを受けていた。


「シスター、お話って何ですか?」


「来てくれましたか、レナ」


 シスターは読みかけの本を閉じ、レナを自分の前に招き入れる。


「話というのは他でもないわ。あなたの今後についてよ」


「今後……ですか」


「いつまでもここに置いておくことはできないの」


「……」


 レナにはやりたいことがなかった。突然の親友の失踪。その理由をカザレアに尋ねても、彼女は口を割らなかった。何も知ることができずにそれからを過ごし、だから正確には無気力になっていたのだろう。


「もしあなたからの申し出がなければ、私から引き取り先を探すことはできるけど……どうする?」


 シスターは数枚の書類を片手にそう言った。書類とレナの顔を交互に見ていた。

 レナはまだ黙っていた。その様子を見て、カザレアは独断で事を進めることを決意する。


「分かったわ。私の方で何とかするわ。……もう行っていいわよ」


「はい」


 覇気のない返事をして自分の部屋へと戻ろうとするレナ。

 今の自分はこれからどうなってしまうのか、不安を抱えていたが、それと同じくらいの諦めも抱いていた。もし自分にできることがあるなら何をしようか。そんなことを考えていると、カザレアのため息混じりの小言が耳に入った。


「これであと五人……か。楽じゃないわね、この仕事も。でも、やらなくちゃね」


(私と同じような子が他にもいるんだ。シスター、大変そう……)


 孤児院には当然身寄りのない子供たちが集まる。複雑な事情を抱えた子が大半で、普通に接することもままならない状態の子も少なくない。だから滞在歴の長いレナでも、全ての孤児を把握しているわけではなかった。それを務めるのは、管理者であるカザレアただ一人だった。


(もし私にシスターの手伝いができたら、私が居る意味ってあるのかな……。それに、私みたいな子がこれ以上増えないように……)


 レナはもう一度、カザレアの前に立った。


「ん……どうしたの?」


「シスター、私、ここに残ります」


「は?」


 シスターは言葉の意図を掴めず、拍子抜けしていた。


「シスターの手伝いをさせて下さい! シスターが一人で私たちの面倒を見てくれているのは、とてもありがたいです。でもそれと同じくらいシスターに負担をかけているんじゃないかって……」


「レナ、それはあなたが心配することじゃないわ。申し出はありがたいけど、その願いは聞いてあげられないわ」


「雑用でも何でもします。お願いします!」


 レナは深く頭を下げた。だが、カザレアの態度は変わらない。


「駄目よ」


「どうしてですか!?」


「私は孤児皆を責任を持って預かっているの。自分の先行きを案じて手伝いを買って出てくれたのかもしれないけど、そんな心持じゃこの役目は務まらないわ」


「そ、そんなつもりじゃ……」


 それからしばらく、レナとカザレアの口喧嘩のような攻防が続いた。レナは何とかカザレアを説得したいが、放つ言葉は全て()けられてしまう。


「レナ、気持ちは十分に伝わったわ。あなたが満足できるような場所を探しておくから、それで手を打ちましょう?」


「……どうしてですか? 私、何か悪い事、言いましたか?」


「……!」


 レナが涙を零していることに、カザレアは気付いた。


「あなたたちをいつまでもここに置いておくわけにはいかないの。分かってちょうだい」


 鋼のように硬い意思で押し返していたカザレアの勢いは、少し弱まった。泣いているレナは、そんなことを気にかけることはできなかった。


「私は、孤児としてここに居続けたい訳ではないです。ちゃんと大人になって、子供たちの面倒を見たいんです」


 気付けばカザレアは引っ張られていた。机を回り込んだレナに(すが)り寄られていたのだ。


「お願い……。私を捨てないで……」


 泣き崩れるレナを前に、カザレアは固まっていた。ここまで感情を露わにされたら、再考せざるを得なかった。


(レナ……。あなたの家庭の事情は知っています。あの時の体験を今に重ねてしまったのね。自分に価値がないから捨てられる、そう思っているかもしれないけど、大丈夫よ。あなたは成長したわ、今は価値を見出せる立派な女の子よ)


 カザレアは優しく頭を撫でた。孤児院に金銭的余裕はないが、上手くやり繰りしているおかげで孤児たちに不自由を強いてはいない。それでもレナの髪はほんの少しゴワゴワしていた。


「レナ、もう一度言うけど、あなたの申し出は受けられない。でも私はあなたを捨てはしない。責任を持って送り届ける。だから……」


 言葉を続ける前に、レナは息荒く部屋を飛び出した。泣きは決して収まらずに。


「ちょっ……レナ!」




 どうして私はいつも大切な人に見放されてしまうのか。勇気を出して自分から向かい合っても、さっきのように必死にあしらわれる。孤児院で作った代わりのいない親友も、気付いた時にはいなくなっていた。私が一体どんな悪いことをしたの。どうして神様までもが私に見て見ぬふりをするの。


 そう思いながら、レナはミューゼンベルクの中心市街を走っていた。

 子連れが多い中、絵の具汚れが付いた古着を着た彼女は目立っていた。時折視線が集まるが、そんなことを感じる余裕さえなく、顔は真っ赤になっていた。


 息を切らし、(うなじ)に汗が溜まり、ようやく足を止めた。

 レナに孤児院に戻る選択肢はなかった。戻ろうが戻らなかろうが、自分が辿る道は同じに決まっていると、そう思っていたからだ。

 冷静になってからもその思いは変わらなかったが、大通りに散見される家族連れを見る度に心は痛んだ。


 レナは幼い頃、父親により虐待を受けていた。その傷の深さは、今でも古着の下に跡が残っているほどだ。母親と一緒に逃げるように家を出たが、その後、母は精神的不安に陥った。結局、育児放棄という形でレナは保護され、孤児院に引き取られた。

 だから、今眼前に広がる光景は、彼女にとっては記憶を引き戻すトリガーである反面、求めていた理想の一つであるのだ。


 汗が乾いて体が冷えてきた頃、既に夕暮れだった。中心市街はこれからが稼ぎ時な店も多く、人流に変化はない。その中で孤立したレナは途方に暮れていた。


「君、どうかしたのか?」


 顔を上げると、プレートに身を包んだ男が一人。王都を巡回中の騎士だ。


「私、捨てられるかもしれないんです……」


 レナは弱々しく言った。


「捨てられるかも? “捨てられた”ではなく?」


 レナが頷くと、騎士は唸った。


「うむ……家庭的な問題か。……ちょっと失礼」


 騎士はレナの服の袖を捲り出す。そして見つけてしまった。


「……! これは酷い。君、お家は?」


「……」


 レナには、もう答える気力が残っていなかった。

 一方で騎士は困っていた。ミューゼンベルクは王国一番の人口を誇っている。子供の数が多ければ、いざこざも多くなる。被害者に寄り添って事態の解決に努めることも、立派なお役目だ。

 しかし手掛かりが不十分だと、それも満足にいかない。


「どうしたものか……」


 良い手立てを騎士は親身になって考えていた。

 そうしてしばらく、


「レナ!」


 カザレアは孤児院の外を探し回っていた。孤児を街中に出すことは滅多にないので、彼女としてもレナの居場所に見当がつかずに時間を要してしまった。


 しかしこの再会を騎士に目撃されてしまったことは、タイミングが悪かったとしか言いようがない。

 彼は睨みを利かせてカザレアに詰め寄った。


「この子の保護者の方ですか?」


「騎士団の方……。はい。保護者というよりも保護者代理ですが」


「そうですか……。この子の家庭内環境に問題があると疑っています」


 レナはカザレアと視線を合わせようとはしない。それどころか、騎士の後ろにすっぽり隠れてしまっている。


 カザレアはもちろんレナの家庭事情を知っている。だからこそ、この騎士の誤解がどこから生じているかも明確に理解していた。


「そういうことですか。実は……」


 簡潔に事情を伝え、騎士の誤解であることを主張するカザレア。しかしレナの(あざ)がずっと過去に付いたものとは証明しきれない。


「確証がありません。では孤児院に行って、孤児の皆からお話を聞いたり、資料を確認したりする。それで幾分かの裏付けが取れるのではないでしょうか?」


「い、今からですか!?」


「何かまずい事でも?」


「……いえ、夕食の時間が近いので、子供たちに負担がかかると思いまして。それに、レナの事情を他の子どもたちは知りません。知る必要がないからです。レナの過去の話が広まって、肩身が狭くなるようなことがあってはいけないですし……」


 必死に弁解するカザレア。焦っているようにも見えるが、騎士は「それもそうか」と頷いている。


 話し合いの結果、騎士団の調査を免れることはできず、それは後日に日を改めてということになった。カザレアは何度も大衆が通る前で頭を下げ、レナと一緒に孤児院に帰ることができた。


 帰り道でカザレアは言った。


「レナ、私もきつく言いすぎたわ。もし嫌じゃなかったら、私を手伝ってくれる?」


「……ほんとに?」


「ええ」


「捨てない?」


「私はレナを捨てようと思ったことなんて、一度もないわよ」


「……シスター……ありがとう」


 泣くことに疲れたレナは飛び跳ねはしなかった。けれども声は嬉しそうだった。

 それを聞いたシスターは安堵した。こんな選択も時にはアリか、と密かに思いながら。

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