「別天つ神」 特別な神々
本文でも書いているように、別天つ神というのは五柱の独り神のことです。一応、ここでも紹介すると共に、それぞれの神が何を示している(司っている)神であるのかを箇条書きで表記しますね。
・アメノミナカヌシ
点に中心をもたらし、秩序ある世界に仕立てる
・タカミムスビ 及び カムムスビ
その世界(=ミナカヌシが生成した世界)に何かを生成する力を与える
・ウマシアシカビヒコヂ
その生成する力(=タカミムスビとカムムスビの力)に葦の芽のような勢いを与える
・アマノトコタチ
天を維持する土台を与えている
以上の五柱が「別天つ神」とされています。
ミナカヌシは日本神話において最高神とされる、最も尊い神です。
そして、タカミムスビとカムムスビ。この二柱の神は、名前が似ていますよね。これは、たまたまではありません。
タカミムスビとカムムスビは「ムスビの神」とされ、ムスビの神が世界に何かを生成する力を持っているのです。では、なぜムスビの神が二柱も存在するのか。それは、世界が高天原と葦原の中つ国と、二つ存在するからです。片方は高天原に、もう片方は葦原の中つ国に、何かを生成する力を与えます。
また、余談ですが、この二柱は「タカミムスヒ」、「カムムスヒ」と表記される場合もあります。どちらの呼び名も間違いではありませんが、私が初めに知って慣れてしまったのが濁音のため、本作では「ビ」で統一しています。
正直、別天つ神で重要なのはこの三柱の神のみです。残りの二柱は、出番が今後はありません。
ぶっちゃけてしまうと、ミナカヌシも出番はとても少ないのですけれど……。
そうそう。ここで、日本神話が載っているもう一つの書物である書物、日本書紀と古事記を比較してみましょう。面白い事があるのです。
古事記では、天上の世界を「高天原」と表記し、それは「たかまがはら(本作ではこちらを採用)」や「たかまのはら」と呼ばれています。しかし、日本書紀には「高天」と記載されたものと「高天原」と記載されたものの二つがあるのです。
この間違いは、印刷という技術がなかった時ならではですね。今は同じ文章を同じ文字体で大量に紙に記すことが可能ですが、昔はそうはいきません。すべて人の手によって写される「写本」で一つの本を量産していました。当然、人の手によるのですから完璧はあり得ません。その時々の写本する者の気分や環境によって、間違いが起きるのは十分にあり得ることです。眠くて訳の分からないことを書いたり、前後関係がハチャメチャになったり……ということは、学生時代によく経験することです。当時は神が高級だったでしょうし、何より筆で記していたでしょうから、今のように後から書き直すというのは難しかったのかもしれませんね。もちろん、正しいことは、その人のみぞ知るところです。
ですが、この件については、いくつかの見解があります。
一つは、「高天原」と記されていたにもかかわらず、何らかの間違いで「高天」と書かれてしまったのではないかということ。もう一つは、「高天」という文字を見た者が、「これは高天原の誤りである」とし、元々日本書紀では「高天」であったが「高天原」と表記されるものもできてしまったのではないか、というものです。
真相はわかりませんが、かなり興味深いですよね。
最後に、神代七代について、少しだけ。
この「神代七代」も呼び方が複数あります。一つ目は本作で採用している「かみよななよ」という呼び方。二つ目は「かむよななよ」。三つ目は「かみのよななよ」。
三つめはこれを書くときに少し調べて初めて知った呼び方です。色々呼び名があるあたり、古事記が古い作品であると実感しますね。
神代七代で重要となるのはイザナギをイザナミだけですが、ここでも少し神々を紹介しましょう。面倒に感じる方は読み飛ばしていただいて構いません。
・独り神 クニノトコタチ
・独り神 トヨクモノ
・男神 ウヒヂニ
女神 スヒチニ
・男神 オホトヨノヂ
女神 オホトヨノベ
・男神 オモダル
女神 アヤカシコネ
・男神 イザナギ
女神 イザナミ
神代七代の神が誕生する途中で男女という、性別の概念が生まれます。男神と女神はそれぞれ対の関係です。
イザナギとイザナミだけ、どのような神であるのか、少し説明します。
イザナギとイザナミは、どちらも「誘い」が根底にあります。日本神話では、互いに惹かれあう一対の神とされています。
二柱の神が、当然のように夫婦になるのも理解できますね。
沢山の神が登場しましたが、重要なのは五柱程度です。
今後も重要になってくる神はたった二柱。
八百万いるとされる神ですが、そのほとんどは認知されていません。