胎動①
ーー初心冒険者の狩場といわれるパルゾム遺跡。
その最下層に存在する、とある区画の薄暗く人気が全く感じられないーーそんな場所にその男はいた。
ーー場に溶け込むような黒いローブを羽織り、フードを目深に被っているためか、その顔を確認することは出来ないが恐らく若い男であろう者は自分の周囲に存在する多くの「ソレ」を確認すると愉快そうに、そして邪悪な微笑みを浮かべる。
が、その感情も一瞬で打ち消し、すぐさま自らに課せられた役割を果たすべく思考を巡らせる。
「・・・」
ーーすると男は何かに思い至ったようにダガーを懐から取り出しその刃を自らの左腕に突き立てる。
当然、そんな事をすれば激痛が体に走り左腕からはドクドクと大量の血液が流れ出す。
ーーしかし男は痛がるどころか寧ろ喜々とした表情で流れ滴る血を見る。
この場に他の人間がいれば男の正気を疑うところだが、生憎この場には男一人だけだ。
ーー無論、自傷癖があるわけでも、何の考えもなく左腕を傷つけたわけではない。
それは男の左腕に刻まれている紋章に自分の血という供物を捧げるためだ。
ーー瞬間、左腕の紋章が妖しく輝くと男を包み込むように禍々しい魔法陣が発生。
自分の肉体を媒体として生み出すこの魔法陣は数ある召喚術のなかでも禁忌とされる程、強力で邪悪な外法といわれる類のモノであり、自らの命を削ることでこの世ならざる魔物を召喚する。
ーー禍々しい魔法陣から発せられる光が闇を照らすように輝くと
そこに現れたのはまさに異形というべき怪物だ。
頭と体の大きさは人間と大した違いはないがーー蚊を巨大化させたような形をしており、鋭利に尖った口元らしき部分はチリチリと小刻みに音を鳴らし、顔の割合の大半を占めている複眼はギラギラ赤く輝き不気味にこちらを見据えている。
その姿を確認したのも束の間、男は即座に完全に自らの支配下に置くためにーーというよりかは外法で呼び出したこの怪物が暴れ出すことがないように掌ほどの輪を異形の魔物に投げかける。
ーーするとその輪は吸い込まれるように蚊の怪物の触角らしき部分へと見事にハマり、輪は鈍く輝き出す。
ーーこの輪は奴隷に使用される強力な束縛や強制を働かせる隷属の輪の一種であり、その魔物バージョンを凶暴化や力の増大など独特のアレンジを加えて生み出したのがこの男であり、装着した対象を完全に支配下に置くことが出来るというものである。
男は早速従えた使い魔に初仕事として「この周辺を監視しろ」という斥候の役割を持たせることにしーー蚊の怪物はその命令に反抗した態度を示すこともなく従順に従い、背から生えた巨大な羽音を立てることもなくこの場から飛び去った。
ーー飛び去るのを確認すると男はわざわざこの場に来た本来の目的である多くの「ソレ」ーーそのモノ達の成長具合を確かめにきたのだ。
この場に生物は男一人だけではない。
ーーいや、正しくは男一人とこの空間一杯に存在するナニカの生き物が入っているであろう人間大の卵だけだ。
この人間大の卵達のベースは元々が人間であり、大半が碌でもない生き方をしてきた者達ーー盗賊や犯罪者であり、国やギルドに悟られることの無いよう秘密裏に利用する実験体としては格好の餌食として使われる。
ーー中には偶々通りがかった際に見つけた哀れな冒険者や旅人達なども含まれ、これが相手方に悟られれば計画に支障をきたす恐れが懸念されたが、ここら一帯のならず者達は実験体として殆ど利用してしまったので素材不足となりーー今ではそれは誤差の範囲であるモノとして仕方なくその者達を組み込むこととなったのである。
ドクンドクン
ーーまだ時間は掛かるだろうが、全ての卵は順調に胎動している。
これが一斉に孵化し、誕生した「ソレ」を思うがままに動かすことが出来たのならばいかなる砦や街でも完全に侵略することは容易いだろう。
ーー目を瞑ると、暴虐の限りを尽くす「ソレ」の姿がまざまざと脳裏に浮かべられる。
「・・・」
順調に胎動している卵を見ていると「早く孵化しろ」と急かす気持ちを抑えられなくなりそうだが、そんな事をしても意味がないことは知っている。
ーー「あの方」直々の重要な命令であるため、トライゼのギルドや国にこの偉大な計画を悟られることは許されない。
失敗など以ての外だ。
男は焦る気持ちを抑えつつも「此処まで来て失敗してしまっては只の大馬鹿者ではないか、全てが無に帰す」という風に自分を戒め、この計画の再確認の意味でも、ここまでやってきてどこか自分に落ち度がなかったかを模索し始める。
ーーいや、この計画全体を一つ一つ吟味してみても落ち度は見つからない。
男は今まで与えられた任務を完全に遂行してきたのだ。
ーー立ちふさがる障害があればどんな敵であっても直ちに排除し計画を修正する。
ーー自分でそんな確信をしているが、現に全てをねじ伏せられる程の力を持ち、彼は強かった。
禁じられた魔術の研究によって自らの力を増幅させ、大勢の強力な異形の魔物を従える自分に欠点などあるはずがない。
それに、自分は未だ切り札級である4匹の凶悪な魔物を一匹たりとも使っていないのだ。
ーーいや、すでにその中の一匹である幻影蟹魔は自分の支配下を離れて自由に行動していたか。
幻影蟹魔は他の切り札級の魔物には凶暴性や殺戮性で劣るが、相当の武芸者であっても見失ってしまう程、高レベルの隠密スキルを持ち、全身が鋼鉄よりも堅牢な甲殻で覆われているこの世ならざらぬ大型の蟹である。
恐らくはAランクの冒険者でも相性次第では討伐は困難であろう貴重な切り札の一つであるソレを好きにさせている理由はーーーギルド側を多少でも混乱させてはくれないかとこの魔物を「ワザと」支配していないのだ。しかしこれ以上、このまま幻影蟹魔を放っておいても得られるものは無く、時が経てば経つほど、こちら側の計画の露見のリスクが増大していくのでそろそろ潮時かと思った男は自らの手元へと「再召喚」することにした。
ーー「再召喚」とは、一度自らが召喚した魔物であれば、対象との間にどれほど距離があろうと召喚した者の手元へと戻ってくるというこれも一種の召喚術てあるが、距離や大きさ、強さによって少なくない量の魔力を消費するので、並みの召喚師はまず使わない。
ーーだが、此処にいる男は元々が並みの召喚師ではない、禁術によって力を底上げされた闇の大魔導師というべき存在なのでそれに関しては全く問題にしていない。
ーーただ一つ、男の誤算であったのは
「・・・・・・!!」
ーー再召喚されたモノが見上げるような大きな蟹ではなく
大きな消し炭だったからだ。




