20. 異世界の街へ
食べたら出るぞ、と言われたのはアスカに朝食を出しているときだった。今日はアスカと街へ出かける約束の日だ。
ハルカにとって初めての異世界の街である。浮足立つ気分を隠さずに、ハルカは機嫌よく準備していた。アッシュが身なりを整えてくれるのに任せていると、王宮内で着ている服とは少し違う装いになっていた。外出用、ということらしい。なるほど、この国の市民はこういう服を着るようだ。ハルカは頷いて袖や裾を眺めた。最高級の生地、というわけではないものの上等な服だ。王宮内用の服によくある繊細な刺繍ではなく、袖や襟に飾られた小さなビーズがカジュアルさを出している。いつもよりもゆったりとした着心地は、街歩きに良さそうだった。
自室で待つようにと言ってきたアスカの言葉に従って、ハルカはソファに座ってのんびりと待っていた。こちらから迎えに行く方がいいのではと提案もしたが、すぐさまに却下されてしまったので待つしかない。しばらくするとトントンと扉が叩かれ、アッシュが国王の訪れを告げた。
「行くぞ」
「はい」
現れたアスカも、いつもの服装とは違う装いだった。普段は黒を基調とした王族らしい仕立ての良い服を着ている。しかしそのままは目立つということだろう。今日のアスカは黒っぽい服ではあるものの一般市民が着ていてもギリギリあり得るかなと思えるレベルの衣服に変わっている。見る人が見ればこれが十分に高価な布地でできているのは分かるだろうが、国王が着るには不相応ではと疑ってもらえる程度のものだ。腰に携えられている剣が、ただの一般人というよりは冒険者感を醸し出している。
「あれ、今日は護衛は」
「街に出るだけなら、俺一人で十分だ」
「えっ」
いいのだろうか。アスカの後ろに立つ騎士たちが苦々しげな顔をしているから良くはないのだろう。しかし国王が嫌だと言えば仕方がないということか。
「俺だけでは不満か?」
「いえ、そんなわけありません。俺には勿体ないほどです」
「ならいいだろう。行くぞ」
ウィラウールにおいても貴族のお忍び散策はなくはないが、そのときにも護衛は付けるのが通常である。いくら本人が武芸に長けていたり魔法に優れていて戦力として心配がなくとも、それが貴族というものだ。
しかしアスカは違うらしい。ハルカは見たことはないが、アスカの実力はこの国の中でもトップクラスだというのがエドワードから教わったことである。彼に勝る騎士はなかなかおらず、あの騎士団長のトラディスが良い鍛錬相手になるという噂だ。そんなアスカは、若いころからふらりと一人で街へと出かけてしまうことが多く、従者泣かせなのだとエドワードは溜息を吐いていた。慌てて追いかけてもアスカの脚力によって巻かれることも多々あるとか。
そうは言っても王族を単身で街に出すわけにはいかないだろう。表向きの護衛はいなくとも、隠れてついているのかもしれないなと考えつつ、機嫌の良さそうなアスカの隣を歩いてハルカは街へと繰り出した。
ざっと暖かな風が吹き抜け、ハルカは乱れた髪を耳へとかけた。人々が午前の活動を活発にしている時間だけあって、街には騒めきが溢れる。日本では見慣れない雰囲気を持つ賑やかな街並みを興味深そうにきょろきょろと眺めている。その隣に立つアスカは、そんなハルカを見下ろしている。
街に来たが、とくに大きな目的があったわけではない。とは言ってもただブラブラと散歩をするのは、国王を引き連れている身からすると恐れ多すぎる。今さらな遠慮を考えるハルカは、上目遣いでアスカを見上げた。視線が交わると、アスカはほんの少し眉を上げてハルカの言葉を促す。
「いえ、やっぱり恐れ多いなと思って」
ふふ、と申し訳なさげに微笑むハルカの頭を、アスカの手の甲がこつりと小突いた。
「今さら気にするな。それで、これからどうする」
「じゃあ、オススメの場所とかはありますか?」
「ふは」
国王を引き連れてなどという遠慮をしているわりには、ハルカは遠慮なくアスカを観光の案内役にしようとしている。アスカは噴き出すように笑みを漏らすと、そうだなと顎を撫でた。
「この街全体が観光地のようなものだからな、王都はあまり観光地らしい場所はないかもしれない。屋台巡りでもするか」
「はい」
ウィラウールの王都‟ウィラン”は、王宮のお膝元にふさわしく栄えた街だ。整備された街路には食べ物や雑貨の屋台がずらりと並んでいる。果物を絞ったジュースや、串に刺された肉。小さなカラフルな石を使ったアクセサリーに、スカーフのような布製品。近隣国である工芸国や農業国などから仕入れたものだろうか。屋台で扱われている品物は幅広く、比較的商業が栄えている街である。この国の文化は日本のそれとは大きく違う。どちらかといえばヨーロッパの文化に近い。
道に面して看板を出して店舗を構えているのは、屋台には置いていない少し良い商品を取り扱っている店だ。王宮のある王都の中心近くには貴族なども入れる品の良い店が、離れるに従って一般の市民が入りやすい店が並んでいるが、身分差による差別なんかは存在しない。中心街のちょっと良いレストランに、小奇麗な恰好をした市民が嬉しそうに座っている姿もよく見かける。
活気のある街並みは、王宮の騎士たちの巡回によって治安が保たれている。さらに、剣を腰から下げたり鎧のようなものを身に付けたりした冒険者たちの存在も街の平和に一役買う。森に囲まれている王都が魔物に怯えることなく過ごせるのは、冒険者たちのおかげだ。武装した彼らが街中を歩いていることは、小悪党の活動抑制にも繋がっている。街中の些細ないざこざを起こすのも彼らではあるのだが。
すれ違いざまに、ハルカの背丈よりも大きな大剣を背に担ぎ武装した冒険者や、ゆったりとしたローブに身を包み先がくるりと曲がった木の杖を持った魔法使いを眺めていると、アスカの右手がハルカの右肩に伸び、ふいと肩を寄せられた。トン、とハルカの左肩がアスカの身体へとぶつかる。
「あまりじろじろと見るな。目を付けられるぞ」
「あ、そうですね。すみません、珍しくって」
「お前の国には冒険者はいないんだったか」
「はい、ちょっと憧れます」
見上げると、アスカが仕方なさそうに笑ってハルカを見下ろしていた。子供っぽかったか、と反省するハルカにアスカは喉を鳴らして笑った。
並んで歩く二人は、あの屋台で売っているものは何か、あれは元の世界にあったのか、など各々が疑問に思うことを口にしながら屋台の並ぶ通りを楽しんだ。
太陽の日差しが降り注ぐ午前中、天気が良いことは何よりだが、歩いていると少し汗ばんでくる。ふう、とハルカが浅く息を吐くと、アスカがついととある屋台を指さした。
「あれを貰おう」
アスカが指したのは、果汁をブレンドしたオリジナルのジュースを売っている屋台だった。厚紙のようなものでできたカップには綺麗ん柄が施され、その中にはオレンジ色のジュースが注がれている。氷がめいっぱい入っていて、涼しげだ。
「ちょうど喉が渇いたところだったんです」
「知ってる」
フッと笑ったアスカは長い足でスタスタとその屋台へと向かっていく。銅貨一枚で買えるそのジュースを二杯買うと、一つをハルカに手渡した。
この国の貨幣価値はエドワードに学んでいる。銅貨は日本円で百円、銀貨が千円、金貨が一万円ほどだ。そのほか十円程度の価値のある鉄貨や十万円ほどを表す白金貨などもあるが、街で買い物をする分にはあまり見ることはないらしい。
「お金、」
ハルカの呟きをアスカは無視してストローを口に咥えた。これは払わせる気はない。ハルカはこの世界に来た当初にある程度のまとまった金銭を渡されているし、王宮の厨房で働いているので給金も貰っている。王宮に住んでいるため生活費はかかっていないので、使い道のないままお金が溜まっていっている状態だ。
自分の分のジュースくらいはもちろん払えるのだけれど、とハルカは困ったように微笑んだ。しかし王族からすればジュースの一杯も奢れないのは逆に不名誉なのかもしれない。
ありがとうございます、とアスカを見上げると、アスカは満足そうに頷いた。ジュースはみずみずしく、爽やかな酸味が渇いた喉に染み渡る。美味しい、と笑うとアスカは笑みを深めた。
ジュースを片手に街散策を続けていると、何か買い物でもしようかという気分になってくるな、とハルカはカラフルな屋台を眺める。王宮に身を置いているため必要なものはなんでも揃うし、欲しいものがあれば一言伝えればすぐに用意してももらえるが、自分で何かを選んで買うということがしたいかもしれない。
すでに飲み終わったカップを片手で遊んでいるアスカに、ハルカは声をかけた。
「服屋に行ってもいいですか?」
「なんだ、服が足りないなら言えば……」
「いえ、自分で選んでみたくって」
「王宮に仕立て屋を呼ぶか?」
「そんな良いものじゃなくていいんです」
アスカは不思議そうに首を傾げている。欲しいものがあれば言えばいいだろうとごく当たり前に言ってくれるのが有難くもあり、申し訳なくもある。王族としては当たり前の感覚なのだろうが、一般市民としては用意されたものばかりを着ているのも少し肩身が狭いのだ。アスカがお忍びで街を見たいと思うのと同じようなものだ、とハルカが説明すると、アスカは納得したように頷いた。
中心街から外れた、ごく一般的な市民が買い物をするエリアにある服屋にでも、というハルカの提案は早々に却下され、中心街のど真ん中とは言わないものの中心街近くの質の良い布地で仕立てをしている、ブティックと呼んでも差し支えのない高級服飾店へと案内された。どうしてアスカがこんな店を知っているのかという答えは、先に述べた通りである。
高級と言っても一般市民がちょっとしたパーティーへ着ていく服だったり、資金に余裕のある高ランクの冒険者が私服を選んだりもする店なので、最高級というわけではない。そうは言っても街へと遊びにきた貴族が気軽に出入りをする店なので、ハルカが日本で着ていた服に比べたら軽く数倍、下手したらゼロが一つか二つ違う値段がするものも置かれており、ハルカは服の値札を見るたびに若干気が引けた。たっぷりと給金を貰っているので買えないというわけではないのだけれど、どうも平民の血が落ち着かない。
そんな店の中で、ハルカはまた街に出るかもしれないし、と綺麗目な私服を数着を手に取っている。基本的に王宮で最高級の衣類が用意されているので数はいらない。ただ自分で選ぶ楽しさを味わっているようなものだ。贅沢な遊びだ、とハルカは苦笑する。
それでもせっかくなので、と次は森に出る時用の少し防御力がある素材で作られた服を選んでいた。森へ護衛なしに出る予定もないし戦う予定もないが、以前のように魔物と遭遇したときのお守りみたいなものだ。
あまり自分に興味を持ってこなかったハルカは、この色はどうか、この形はどうか、といろいろな服を手に取り悩みつつ買い物を楽しんだ。




