8.ハッピーエンドのために
「よし、こっちだ!」
ロジェ様の腕をしっかりとつかんで、ラファエル様は中庭から走り出る。その後を、同じようにジョゼフィーヌ様の腕をつかんで追いかけた。
そのまま四人一緒に学び舎を飛び出し、すぐ隣の王宮に駆け込む。それでもラファエル様は足を止めることなく、上階の豪華な一室に飛び込んでいった。もちろん、私たちも。
「ふう、ここまで来れば誰にも邪魔されずにゆっくり話せるな」
「あの……ところでここは、いったい……」
「ああ、ロジェ様の部屋だよ」
こともなげにラファエル様は答えた。王子の部屋。そんなとんでもないところに足を踏み入れることになろうとは。
ジョゼフィーヌ様と知り合う、というか声をかけられてから、本当に驚くことばかりだ。ああ、落ち着かない。
けれど当然ながら、部屋の主であるロジェ様は落ち着き払っている。それに、ラファエル様もジョゼフィーヌ様もここには来たことがあるらしく平然としている。
落ち着かないでいるのは、私一人だ。そのせいで、余計に身の置き所がない。
そんな私に小さく笑いかけてから、ラファエル様が口を開く。
「まったく、さっきは冷や冷やしましたよ。婚約破棄だとか王位継承権放棄とか、お二人そろって妙なところで思い切りがいいんですから」
「ご、ごめんなさい、ラファエル……でも、わたくし……」
「だが私は後悔していないぞ」
やっぱり泣きそうなジョゼフィーヌ様と、何一つ悪びれていないロジェ様。そんな二人を交互に見て、ラファエル様はまたジョゼフィーヌ様に話しかけた。
「で、ジョゼフィーヌ様。さっきのロジェ様の告白、お聞きになったでしょう? こうなったら覚悟を決めて、ロジェ様を巻き込んでしまいましょう。それが一番早いですよ」
突然そんなことを言われて、ジョゼフィーヌ様が目をぱちぱちさせる。ロジェ様も訳が分からないといった顔で、ラファエル様を見ていた。
当のラファエル様は少し楽しそうだった。この人は他人をからかいがちなところがあるけれど、こんな時にその癖を出さなくてもいいだろうに。
仕方がないな、と思いながら、フォローに回る。まずはジョゼフィーヌ様に説明だ。
「……実は、ラファエル様は既に事情をご存知です。と言いますか……彼は私たちの協力者です」
「そうそう。で俺たちは、ちょっとばかりいい感じの策をまとめあげたところなんですよ。ただちょっと、ジョゼフィーヌ様が暴走されたおかげで、少し順序が変わりそうですが。予定では、ロジェ様を巻き込むのはもっと後になるはずだったんです」
その言葉に、ジョゼフィーヌ様がぱっと顔を輝かせる。しかしロジェ様は対照的に、難しい顔になってしまった。それも無理はないか。
「……ジョゼフィーヌの先ほどの行いには、何やらただならぬ事情があるらしい。そうして、私はどうやら彼女の力になれるらしい。そのことだけは見当がついた」
私が口を開くより先に、ロジェ様がすかさず言う。どうやら今の私たちのやり取りだけで、ある程度状況を悟ったようだ。
確かに、本来のロジェ様は聡明な方なのだろう。ラファエル様が言う通りに。さっきはジョゼフィーヌ様に捨てられかけたせいで死にそうな顔をしていたけれど。
「どうか私にも、教えてはもらえないだろうか。もう二度と、彼女の愛らしい唇から婚約破棄などという言葉がもれるのを聞きたくはない。そのためなら、なんでもしよう」
悲痛な顔でそう宣言したロジェ様に、ラファエル様と二人で事情を説明していく。話を聞くにつれ、ロジェ様の顔が少しずつ明るくなっていった。それはもう、とても分かりやすく。
そうして全てを知ったロジェ様は、目を丸くしてジョゼフィーヌ様に向き直る。
「なんだ、君は外交官になりたかったのか。ならば私にそう言ってくれればよかったのだ。すぐにでも任命しよう」
彼の言葉に、ラファエル様と二人顔を見合わせて頭を抱える。
まさかと思っていたけれど、本当だった。本当に、ロジェ様はジョゼフィーヌ様を外交官にしようとしている。
「やっぱりそう言うと思いましたよ。……そのせいで、俺たちはこそこそと苦労する羽目になったんですよねえ」
「どうしたラファエル、私の決定に何か不満でもあるのか」
「大ありです。ロジェ様だって、分かっておられるでしょう? あなたが権力を振りかざしてジョゼフィーヌ様を外交官としたら、重臣たちは反発するし、民たちの心も離れてしまう。まだ王太子でしかないあなたがそんなことをするのは得策ではない、そういうことです」
「それでも、だ。彼女は聡明だし、いずれは一人前の外交官になれるだろう。私はその手伝いをしたい」
ロジェ様は懸命に食い下がっている。二人の会話に割り込んでいいものか少しだけ悩んで、口を開いた。
「……ジョゼフィーヌ様の手伝いをしたいという思いは、私も同じです」
なおも言い合っていたラファエル様とロジェ様が、同時にこちらを見た。続きをうながすような二人の視線にほっとしながら、さらに言葉を続ける。
「だから、ジョゼフィーヌ様には実力で外交官となってもらおうと考えたのです。そうして実績を積んでいくことで、より良い未来を切り開いていけるかもしれないと、そう思いました」
ラファエル様が私の言葉を引き継ぐようにして話し出す。とても優しく、穏やかに。
「外交官としての地位を与えてから、ジョゼフィーヌ様の力を周囲に示す。これでは危険です。だから、先に外交官としてこっそりと経験を積んで、その実績と能力をいきなり示して周囲を納得させる。それが、彼女が……ニネットが最初に編み出した策だったんですよ」
私たちの言葉にじっと耳を傾けていたジョゼフィーヌ様が、しょんぼりとうつむく。
「ごめんなさい、ニネット……そうでしたわ、わたくしはただひたすらに頑張らなくてはいけなかったのに……自信をなくしたからと言ってあんな騒動を起こしてしまって、今さらながらに恥ずかしくなりましたわ」
そんなジョゼフィーヌ様に、そっと語り掛ける。私はあまり人を励ましたりするのは得意ではないけれど、それでも精いっぱいに優しい声で。
「ですがそのおかげで、ロジェ様の覚悟も聞くことができました。あなたを失うくらいなら王太子の座すら投げ捨てられる。そこまで思ってくださるのなら、きっとあなた方は手を取り合って、幸せに向かって歩いていけると思うのです」
それを聞いて、ジョゼフィーヌ様はロジェ様とそっと視線を見かわした。互いを思いやっていることが明らかな、とても温かく、そしてほんのりと甘い目つきだった。
「という訳なんで、ここからはロジェ様も俺たちの策に協力してくださいね? 手っ取り早く何とかしようなんて、絶対に思わないでくださいね?」
「ジョゼフィーヌ様も、思い詰める前に私たちに相談してくださいね?」
ラファエル様と私とが次々と言い立てると、見つめ合っていた二人は気まずそうに視線をそらした。消え入るような声で「ああ」とか「分かりましたわ」などとつぶやいている。
ひとまず、最悪の結果だけは免れそうだ。ラファエル様と顔を見合わせて、二人同時に深々とため息をついた。
それから、一年後。
ジョゼフィーヌ様は、さすがに外交官の採用試験に一発で合格することはできなかった。
ただ開示された点数によれば、あと一歩のところまで食い込んでいた。もう半年早く猛勉強を始めていたら、初回で合格していたかもしれない。私たちはみんな、そう思った。
ロジェ様は婚礼の予定を延期した。自分がまだ未熟だと思い知らされた。まだ妻をめとるには早いと、そう痛感したのだと、周囲にはそう言って。
そうして周囲の人間は、ロジェ様がさらに自分を磨き高めることにしたのだと、そう思っている。
「……けれどまっさか、ロジェ様まで外交官の登用試験を受けようだなんて言い出すとはなあ……」
「毎日ジョゼフィーヌ様と二人きり、それはもう幸せそうに勉強されていますものね。あれはあれで、自分を磨き高めることになっているとは思いますが」
「たぶん、次の試験で二人同時に合格するだろうな。その後のことを考えると恐ろしいが。というか、試験が終わった直後に大臣を巻き込んで口止めしないとな」
「そうですね。普通の官吏はともかく、外交官たちを束ねる外務大臣は、さすがにロジェ様たちの顔を知っていますし……私たちも、頑張らないといけませんね」
次の試験は来月。その試験の後に備えて、私とラファエル様は王宮を歩き回って様々な人たち相手にあれこれと根回しをしているところだった。
私は交渉事なんてまったくできないけれど、そこはラファエル様が私の分まで喋ってくれるので問題はなかった。私はその交渉の結果を踏まえて、策を微調整していく。
そうして二人で王宮の廊下を歩いていると、ぽつりとラファエル様がつぶやいた。
「……しかし、ごめんな。俺はジョゼフィーヌ様とも面識があった。あの方の様子がおかしいことにもっと早く気づけていたら、あんたがこんなことに巻き込まれることもなかった。あんた、本当なら今頃は教師として学び舎でのんびり暮らしていたはずなんだろう?」
「いえ、その……ジョゼフィーヌ様の本心に気づくのは難しかったかと……あの方は公爵令嬢だけあって、本心を慎み深く隠されるのが上手なようですから。ロジェ様ですら、ご存じなかったようですし」
「……かも、な。ジョゼフィーヌ様は子供の頃の夢を、誰にも知られずに十年以上抱え込んでた。それを俺ごときが見抜こうなんて、やっぱり甘かったか」
申し訳なさそうに、ちょっぴり悔しそうにラファエル様が足を止めた。彼にそんな表情をさせておきたくないとふと思い、あわてて付け加える。
「あの、ラファエル様。巻き込まれてしまったことに困惑はしましたが、それでも……めったにない面白い体験ができたとも思っています。教師として働くよりもずっと刺激的な、めったにない体験を」
私は伯爵家の傍系で、学び舎を卒業した後は教師として学び舎に残ることになっていた。
それなのに、いつのまにやらこうして王太子の側近と親しくお喋りしながら王宮の廊下を歩いている。王太子もその婚約者も、もうすっかり私を友人扱いしていた。
これだけでも、相当にすさまじい状況だった。学び舎に入る前、実家にいた頃の私からは想像もつかないくらいに。
しかし、状況はさらにとんでもないことになっていた。
なんと、先日陛下と妃殿下にお目通りがかなったのだ。というか、ラファエル様が私を無理やりお二人の前に連れていったのだけれど。
ロジェ様とジョゼフィーヌ様の件について根回しをするため、そして私をお二人に紹介するためなのだと、ラファエル様はそんなことを言っていた。
正直生きた心地がしなかったけれど、そんな私に陛下も妃殿下もにこやかに語り掛けてくれた。のみならず、今後は気軽に遊びに来てくれとも言われてしまった。
いまだに、あれは現実の出来事ではなく夢でも見ていたのではないかと、そう疑っている。
そんなことを思い出しながら、ラファエル様に笑いかける。不思議なくらいに自然に、笑みが浮かんでいた。
「この件が片付くまで、長くても数年。その間に見聞きしたことは、きっと今後にも役立ちますから。ですからどうか、気に病まないでください」
「……そっか。あんたって、ほんと強いのな。さすがは『鉄の女』というか……でもまあ、あんたには色々と助けられてる。これからもよろしくな」
「ええ、私にできることでしたら」
そうやって笑い合って、私たちはまた歩き出す。
いつの間にか、ラファエル様と一緒にいるのがすっかり当たり前になってしまったなと、そんなことを思いながら。




