ミコトお嬢様?
私が白金の紋章を見せた瞬間。
戦慄に凍り付いた雰囲気に焦りました。
「ご、ご安心くださいませ! 依頼の条件に変更が無い限り、私は完全に皆様の味方ですわ!」
慌てて両手を振りながら、私は精一杯の無害アピールを試みました。
「それに、そんなに怯えられてしまっては、私の乙女心が傷ついてしまいますわ……。普段、この白金の紋章を隠しているのも、皆様のように無闇に怖がられてしまうのが悲しいからですのよ?」
私がほんの少しだけ瞳を潤ませて俯いてみせると、そのあざとい仕草に真っ先に撃ち抜かれたのは、ガルドさんたちではなくチェリルさんでした。
「ああん、ごめんねお嬢ちゃん! アタシたちが悪かったわ、こんなに可愛い乙女を怖がるなんて!」
「ひゃんっ!?」
チェリルさんは感極まったように私を強く抱きしめ、豊かな胸に私の顔をむぎゅっと押し付けてベタベタとすり寄り始めました。
(ち、窒息しますわチェリルお姉様!?)
(……おいクーリア。さっきからあの斥候の殺気が跳ね上がっているぞ。俺たちの背中に物理的な穴が開きそうだ)
ミコトさんの言う通り、チェリルさんに抱きしめられている私を背後から睨みつけるタントンさんの視線が、チクチクどころかグサグサと突き刺さって非常に痛いです。
「ほら、ガルドもビーガーも謝りなさいよ!」
「あ、ああ、すまん。その、白金って聞いてビビっちまって……」
「お、俺も悪かった……」
チェリルさんに窘められ、大きな男二人が借りてきた猫のように縮こまって謝罪してくれます。
なんとか誤解も解け、私たちは和やかな空気を……取り戻した、はずでした。
――しん、と。
ふと気がつくと、先ほどまであれほど喧噪に包まれていたギルドのロビーが、水を打ったように静まり返っていました。
私たちとしては十分に声を潜めてやり取りしていたつもりだったのですが……どうやら、『白金』という単語や先ほどの騒ぎは、周囲にいた他の冒険者たちの耳にもしっかりと届いてしまっていたようです。
(……ミコトさん。なんだか、ギルド中の視線が私たちに集まっている気がするのですが)
(気がする、ではない。完全に全員がこちらを見ている。隠密行動は完全に失敗だな)
圧倒的な静寂の中、数百人もの冒険者たちの視線に晒され、私はチェリルさんの胸の中で冷や汗を流すしかありませんでした。
(いいえ、まだ挽回の目はありますわ)
私は脳内のミコトさんにそう宣言すると、チェリルさんの豊かな胸からそっと抜け出し、周囲の冒険者たちへ向けて再び可憐な微笑みを振りまきました。
「ですが、皆様。私が生活魔法しか使えない素人だというのも、紛れもない本当のことですのよ?」
その言葉に、静まり返ったギルド内の空気がさらに一段階、異様なものへと変化しました。
冒険者たちの顔に浮かんでいるのは、『生活魔法だけで白金に到達するなんて、それはそれで別の意味で異常な化け物じゃないか』という引きつった感情です。しかし、目の前にいる『白金』のプレッシャーの前に、誰一人としてそれを口に出して指摘することはできませんでした。
「ふふっ。いずれ、皆様にお見せする機会も御座いましょう。……ああ、でも。生活魔法は無詠唱ですので、いつ、何が起きたか分かり難いかも知れませんわね?」
私が指先を軽く振ると、詠唱などの予備動作を一切挟むことなく、淡く無害な光の粒子が無数に生み出され、私の周囲をくるくると楽しげに踊り始めました。
ただの明かりを灯す程度の生活魔法。しかし、これほど精緻で美しい魔力制御を息をするようにやってのける姿は、逆に私の底知れなさを周囲に決定づける結果となっていました。
(……クーリア。挽回どころか、ますます気味の悪い特級危険物扱いされている気がするんだが)
(気のせいですわ! これでただの可愛い魔法使いアピールは完璧です!)
脳内で呆れ果てるミコトさんをよそに、私は完璧な令嬢スマイルを保ち続けました。
ともあれ、これでようやく周囲の冒険者たちも「触らぬ神に祟りなし」とばかりに視線を逸らし始め、ギルドには少しずつ元の喧噪が戻り始めたのでした。
私が脳内で胸を張って言い切ると、ミコトさんからは深すぎる溜め息が返ってきました。
(順調に言葉遣いがお嬢様化しているようだが……いつか、本物のお嬢様教育を受けた相手と喋ったら絶対ボロが出そうだな……)
(失礼な! これでも付け焼き刃なりに完璧に演じているつもりですわよ!)
私がむすっと抗議すると、ミコトさんは少しだけ声のトーンを落とし、真面目な響きで提案してきました。
(クーリア。少し体の主導権を代われ。ここから先は『黒鮫団』の討伐に関わる物騒な話になる。俺が受けよう)
(ええー? 私だって、ちゃんとお話を聞いて……)
(お前、今ノリノリだろう。そのまま話を進めたら、確実にバイオレンス全開で『どうやって一番残虐に皆殺し(お掃除)にするか』という結論に持ち込みたがるのが目に見えている。ギルドのど真ん中でそんな猟奇的な発言をされては、偽装も何もないからな)
ミコトさんの的確すぎる指摘に、私はぐうの音も出ませんでした。確かに、先ほどから「どうやって黒鮫団を川底に沈めてやろうか」とワクワクしていたのは事実です。
(……分かりましたわ。どうぞ、ミコトさん)
私がすっと意識を奥へ引くと、代わりにミコトさんの冷徹で論理的な精神が表層へと浮かび上がってきました。
表向きの表情は、可憐な微笑みを浮かべた『令嬢・クレアハート』のまま。しかし、その瞳の奥に宿る光と、纏う空気の質が劇的に変貌します。
「――さて、お話を始めましょうか」
声色そのものは甘くお淑やかなままでしたが、そこに込められた絶対零度の響きに、周囲の空気が一瞬で凍りつきました。
先ほどまで「可愛いお嬢ちゃん」を見るような目をしていたチェリルさんも、ビクッと肩を揺らして息を呑みます。
「黒鮫団についての、具体的な依頼内容と作戦について。……まさか、無策で私を誘ったわけではありませんわよね?」
瞬時に切り替わった瞳の奥の理知的な輝きと、底知れないプレッシャー。
目の前にいる少女が、紛れもない『白金』の化け物なのだと改めて本能で理解させられたガルドさんは、ごくりと生唾を飲み込みました。
「あ、ああ……もちろんだ。場所を変えよう。だが、ここじゃあ、少しばかり耳が多すぎる」
「構いませんわ。どこか素敵なディナーでも紹介して頂けるのかしら?」
私は――正確には、体の主導権を握ったミコトさんは、完璧な令嬢の微笑みを崩さないまま、意図的に『白金』という絶対者の立場を利用した言い回しで、細かく牽制を放ちました。
(……ミコトさん、わざとプレッシャーをかけてませんか?)
(交渉の基本だ。相手の余裕を削り、常にこちらが優位に立つための盤面作りだよ)
そんな私たちの脳内会議を知る由もなく、ガルドさんは滝のような冷や汗を流しながら引きつった笑みを浮かべました。
「も、勿論だとも! 内密な話になるからね、そこらの安い食堂なんかじゃ誰が聞き耳立ててるかわからないしね!」
力強く請け負ったものの、ガルドさんの瞳孔は明らかに泳いでいました。おそらく彼の脳内では今、現在のパーティの懐事情と相談しながら、白金の令嬢を案内しても失礼に当たらず、かつ自分たちが破産しないギリギリの『それっぽい店』を必死に検索しているのでしょう。
そんなリーダーの悲惨な内心を見抜いたチェリルさんが、背後からガルドさんの耳元に顔を寄せ、ひそひそと声を潜めました。
「ねえリーダー、何だったらウチらの拠点に呼んだ方が早くない? 多分、その方がお財布にもうんと優しいよ? それに……私もクレアハートちゃんと一緒に寝られそうだし……むふっ」
「お前、前半はともかく後半に邪な本音がダダ漏れになってるぞ……!」
小声で言い合う二人の様子を、ミコトさんは感情の読めない冷徹な瞳で、私は(チェリルさんの発言に対して)内心で少しだけ身の危険を感じながら見守っていました。
チェリルさんは極力声を潜めて耳打ちしたつもりだったのでしょうが、ミコトさんが常時周囲に展開している不可視の観測魔力――『星屑の目』は、そのヒソヒソ話を一言一句違わず正確に拾い上げていました。
(……なるほど。あちらの懐事情の解決と、こちらの情報漏洩リスクの低下。利害は一致しているな。チェリルの邪な本音は無視するとして)
ミコトさんはすべての事情を把握しながらも、それを微塵もおくびに出すことなく、コテッと可愛らしく小首を傾げてみせました。
「……お話し中失礼いたしますわ。もしよろしければ、皆様の拠点にお招きいただけないかしら? その方が、誰の目も気にせずゆっくりと秘密のお話ができるかと思いまして」
「えっ!? あ、ああ! もちろん大歓迎だとも!」
ガルドさんが露骨にホッと胸を撫で下ろしたのを見て、私たちの作戦会議の場所は彼らの拠点へとすんなり決まりました。
案内されたのは、大通りから少し外れた場所にある、冒険者向けの大きな一軒家でした。
「ここが空き部屋だ。ベッドと机くらいしかないが、好きに使ってくれていいよ」
「お気遣い感謝いたしますわ、ガルドさん。では、後ほど」
愛想良く礼を言って部屋に入り、パタン、と木製の扉が閉まった瞬間――ミコトさんの独壇場が発動しました。
(よし、空間遮断結界展開。……機材展開)
ミコトさんが指を鳴らすと、何もない質素な空き部屋が、一瞬にしてガチの魔導研究室さながらの異常な光景へと変貌を遂げました。
虚空に浮かび上がる無数の光の演算盤、床を這うように展開される緻密な術式陣、そして余剰ストレージから次々と取り出される、出所不明の奇妙な解析装置の数々。
(ちょ、ミコトさん!? 好きに使っていいとは言われましたけど、これはいくら何でもやり過ぎでは……!)
(気にするな。完璧な防音と光学迷彩の結界を張っている。外からはただ寝ているようにしか見えんさ。さて、時間が惜しいからな。黒鮫団の情報精査と並行して、古代文明の解析作業も進めるぞ)
それから夜も更け。
ミコトさんが夜な夜な進めている、発掘された古代遺物の構造解析に没頭していた、その時です。
コンコン、と。
控えめなノックの音が、扉の向こうから響きました。
(……チッ)
ミコトさんは微かに舌打ちをすると、展開していた無数の機材と光のモニター群を一瞬でストレージへと一時退避し、何事もなかったかのように元の質素な空き部屋へと偽装を戻しました。
「……どなたかしら?」
声色だけは完璧な令嬢のものに切り替え、ミコトさんは静かに扉へと向かいました。
ミコトさんが体の主導権を握ったまま、そっと木製の扉を少しだけ開けると、そこには薄着のパジャマ姿で、少し狼狽えたような表情のチェリルさんが立っていました。
「あー、いやぁ、ごめんね夜分遅くに。実は晩御飯の時にも呼びにきたんだけどね? なんか、すんごいぐっすり寝てるみたいだったから……起こしちゃ悪いと思ってさ」
チェリルさんの言葉に、私たちの脳内に気まずい沈黙がドスッと落ちてきました。
(しくじった! 環境構築に専念し過ぎて、外部の状況確認を完全に怠った俺のミスだ!)
(ほらぁ、だから言ったじゃないですか。ちゃんと人の話は聞こうよぉ、ミコトさん……)
外から見れば「ただぐっすり眠っている」ように偽装する結界を張っていたのが、完全に裏目に出ました。
作戦会議という名目で拠点にお邪魔しておきながら、夕食の呼び出しにも気づかず爆睡をキメる図太い令嬢……という、大変不名誉な状況を作り出してしまったことに気づき、ミコトさんはひどく狼狽しています。
「あ、あの……申し訳ありませんわ、チェリルお姉様。私としたことが、長旅の疲れが急に出てしまったようで……」
ミコトさんは必死で完璧な令嬢の仮面を維持しつつ、苦しい言い訳を捻り出しました。
そんな私たちの内心の焦りなど露知らず、チェリルさんはふわりと優しく微笑んでくれました。
「ううん、気にしないで。初めての街で疲れちゃったんでしょ? お腹空いてるでしょ? 夜中だからあんまり重いのは大変だよね? 今、スープ温めてくるね」
「あ、チェリルお姉様、そんなお気遣いなく……!」
私たちが呼び止める間もなく、チェリルさんはパタパタと軽い足音を立てて、階下へと降りていってしまいました。
(……クーリア。すまん、俺の失態だ)
(もう。本当に、時々抜けてるんですから。でも、ミコトさんもお嬢様口調、なかなかのクオリティでしたよ?)
(……は? ば、馬鹿! 俺はただお前を模倣しただけだ!)
図星を突かれたのか、ミコトさんがひどく狼狽したように声を荒らげました。
私は脳内で小さくため息をつきつつ、体の主導権をミコトさんから返してもらいました。




