若き元社長の、結婚式。3
突然のように起きた現象。大地は一瞬そう感じた。でなければ説明のしようがないほど、速く、また重い攻撃である。だが、腹部に斬り傷がない以上、刃物で攻撃されてはいないのだ。もし、刀で斬り裂かれていたのなら、そう考えると末恐ろしいほど、レイのスキル『鬼神』は危険である。
大地は起き上がり、レイを睨む。
「……それが君の本気というわけか」
「……大地サン、殺ス」
「なるほど、人の言葉も話せないほどに鬼というわけか」
通常の言語ではないレイ。それに対して、セシファーも優も舌を巻く。あれだけ優しかったレイの姿ではない。いや、むしろそのレイの面影など皆無に等しいのだ。
ミチチはただ、胸の前で両手を握り、レイの無事を祈るばかりであった。
「いいだろう、中々楽しめそうだ。『絶対防――――」
瞬間、大地の視界には刃で埋め尽くされる。
それが意味するのは、死。ここで、スキルを使っても、それを発動する暇さえなく大地は頭部を真っ二つに斬られ、死ぬのだと直感した。
反射運動を利用して、大地は首を傾ける。だが、あまりにも咄嗟の動きだったが為に、大地の肩にはレイの放った刃が食い込む。
血液が噴水のように溢れ、大地の肩には赤竜の永刃があった。
痛みに声をあげる暇もなく、大地の腹部には雪兎の刃が刺さる。
「ぐっ!?」
痛む暇すらもない。そう感じ、大地はレイを睨みつけた。
腹部と肩から強烈な痛みがこみ上げる。
通常の人間ならば、既にショック死している筈だ。大地がまだ痛みに負けて死なないのは、かつてバジリーナと死闘を繰り広げていたからでもある。
「大地サン、殺ス」
「化け物め」
刺してしまった事で満足したのか、レイは数秒――いや数刻は動かなかった。
その隙を逃さず、大地はスキルを唱える。
「『絶対防御』」
スキルを呼ぶように呟いた大地の身体に、しゃぼん玉のような膜が生まれた。それが、どんな攻撃をも通さぬ防御最強スキルだ。
大地の身体から追い出されるように、刃を押し出されたレイは、再び太刀をふるう。
その時、大地は恐ろしい光景を見た。
まるで一万人から太刀を浴びせられるような、それだけレイは少ない時間に大地に斬撃を放つ。
「ウオオオオオオオオォォォォッ!」
「……くそっ」
絶対防御の外で、レイは二対の刀を振り続ける。
大地は隙あらば、攻撃を仕掛けようと考えていた。だが、現状はそこまで甘くない。むしろ、そんな隙があるどころか、絶対無敵な筈の『絶対防御』が破られそうだと錯覚するほどでもある。
絶対防御は、物理的攻撃を無効化するスキルだ。だが、力には押し出される。つまり、こうしている中でも大地は押され、この天空迷宮最上階から落とされそうになっている。
腹部と肩からのダメージ、押しだされる不安、カウンターの隙が出来る事のないレイ。
大地への物理的ダメージは、肩と腹部だけだが、精神的なダメージは既に頂点に達していた。このままでは負ける事はなくとも、地上から遥かに離れた上空から落とされる。さらに傷は深いせいで血液が止まる事もない。大地の死の恐怖はすぐ間近に迫っているのだ。
このままだと死ぬ。大地はいつしか味わったことのない恐怖に晒されていた。ゆえに、普段取らない行動を大地は取る。
アブソーションを取り出し、スキルを造り出す。
「『創造能力』……『鬼神』ッ!」
死の恐怖に直面し、大地は叫んだ。
瞬間、大地に訪れるのは深い海に潜ったかのような感覚。
そこから、大地は意識を飛ばした。
「君、殺ス」
「大地サン、殺ス」
今、ここに二人の鬼が誕生する。
その光景を見たセシファーと優、ミチチは唖然としてしまう。
大地が『鬼神』を造り、発動してから二人はまるで殴り合うかのように、剣を乱暴に振るい始める。
セシファーは、思わず声をあげた。
「さ、災厄じゃ……」
災厄。そうとしか言えないほど、二人は怒りに包まれている。
赤い蒸気を纏った二人の鬼は、お互いに刃を浴びせ、どちらも引かず、まるで死ぬまで剣と刀を振るい続けるのではないかという予想すら思い浮かぶ。
だが、三人の目から見て、どちらかが先に死ぬのかは簡単に分かった。
「こ、このままじゃ……レイが死んじゃう!」
ミチチはか細い声でセシファーと優に向け言う。
しかし、どちらもレイと大地から視線を逸らさずに、口を開ける。
「分かる、分かるけど……俺にはあんな戦いに入ることなんてできないっ! 臆病だって言われても構わない、二人の戦いに入ることは、すなわち自殺を意味してる……」
「無理じゃ……。例え、どんな英雄でも十能の皇帝じゃない限りは不可能じゃ。その十能の皇帝の一人である優でさえ、止められはせんじゃろう……」
「そん、な……」
しゃがみこんだミチチ。レイは優しいだけじゃなく強い。そして、誰よりも皆の事を考えて、この迷宮では歩いていた。それは本当に数十分しか一緒に過ごしていないミチチにも分かるほどだ。
自分が魔物で噛みついたのに対し、レイは責めもせずにただ優しく接してくれた。自分には何も出来る事がない。そう思うと自分が本当に弱くて情けないと思ってしまった。
レイの身体は、両肩が斬られ、頬に傷が残り、腹部には何度も刺された跡がある。それもまだチラっと見ただけでだ。
この戦い、長くは保たない。そう誰もが感じると、その終わりは訪れる。
「ウガガガガアアアアアアアアアァァァァッ!」
パリンッというガラスが割れたかのような音が響く。
皆が視線を集中させているのは、大地の方だ。
レイは、傷だらけになりながらも、大地に二対の刀を突き刺していた。
それが意味するのは、大地の『絶対防御』の効果時間切れ。つまり、レイが勝ったのだ。
嬉しそうに目を見開くミチチ。だが、それだけでは終わらなかった。
「一花……守ル……」
それだけ呟き、レイの胸にも四神の剣が突き刺さる。
「え……」
優が口を開き、レイの姿を目に焼き付けた。
大地の腹部に刀が二本刺さっているのに対し、レイの胸に剣は刺さっているのだ。優からは心臓を突き刺されたかのように見える。
レイは口から血を吐くと、その場に倒れ込む。
そのまま、レイの身体を覆っていた赤い蒸気が消える。
「……がはっ……はぁ……はぁ……」
体力と気力の限界を迎えたレイは、息をするのもやっとのようだ。
だが、それは大地も同じで、身体を纏っている『鬼神』は消える。そして、大地もしゃがみこみ、血を吐く。
「ま、まさか……二人共!?」
セシファーの予知では、大地だけが死ぬモノだった。だが、今はレイも死の一歩手前である。このままでは二人が死ぬ。
「……やり、ますっね……」
「き、み……こそ……。なか、な……か」
死の扉が開きかけているのに、二人は未だに戦う事をやめようとはしなかった。
そんな二人を今すぐに回復させなければならないのに、セシファーは動き出す事もできない。それはスキルがないからではなく、二人の間にある何かを邪魔するのを本能が嫌がったからである。
反対にミチチも大地に怯え、レイに抱きつきたいのに抱きつけなかった。今もまだ大地は闘志を剥き出しにして、レイを倒そうとしている。
優は二人の男気を間近にし、自分にはこれだけ何かを背負って戦うのは不可能だと感じてしまい、情けないと自分を責め続けていた。
そんな最中、黙っていたレイが、大地から刀を抜いて立ち上がる。
「『傷回復』」
回復スキルを発動したレイ。ところどころの傷は見事に塞がっていく。だが、スキルをかけたのは自分だけではない。大地にも同様の措置を施したのだ。
その光景に、セシファーは金魚のように目を大きく開く。
「お、お主……」
「僕は、大地さんを殺したくなんかありません。確かに、さっきまでは怒りでどうにかなってましたけど、やっぱり僕達のリーダーは大地さん以外いないんです」
「…………」
その言葉に大地は無言を貫いた。言われた事を百倍にして返す大地だったが、どうしても言い返す事はできなかったようだ。
ゆっくりとその身を立ち上がらせ、大地はレイに微笑む。
「……まだ戦う気なのか」
「僕の『傷回復』じゃたかが知れてます。これ以上戦えば、本当に死んでしまいますよ」
「ん、かもしれないな」
「それよりも、考えは改めましたか?」
血だらけの笑顔に、大地は思わず微笑んでしまった。
「なんだか、君と本気で戦ったからかな。色々とどうでも良くなってきたよ。結婚がどうのとか小さな話に思えてきたしね」
「……なら、僕達のところに」
レイが握手を求めると、大地はそれを拒んだ。
「それでも、俺は一花と結婚をする。君と戦ってみて分かった事もあるんだ。一花はそれだけ俺にとって大切な存在なんだって」
「……だけど、皆、大地さんを待ってるんです! 記憶とかどうとかじゃなくて……」
「それなら、俺が一花と結婚してからやり直すのではダメなのかな」
「ダメです! だって、大地さん。あなたは――――」
和解のムードが広がる中、やはり大地は頑なに結婚をやめようとはしなかった。何があるのか気になる半面、これ以上会話を重ねれば、また争いになるかもしれない。分かっているのだけれど、レイはやっぱりフフィやハーバンの気持ちを無視する事ができなかった。
大地は瞳を閉じて、呟く。
「一花は、俺の大切な妹なんだ。ああなってしまったのは、全部俺の責任なんだ」
「え? 妹……?」
「そう、君達に分かるように言うならヤンデレかな。俺がどうにかしないとダメなんだ」
「で、でも……」
レイが何かを言おうとしたその時。
上空から巨大な十字架が落下した。
「え!?」
突然の落下物に、皆が視線を集中させる。
そこには、十字架に貼り付けされたフフィとハーバンの姿があった。
優は驚き、セシファーは冷や汗を浮かばせ、ミチチは混乱する。
そんな中、大地とレイは階段へと視線を移す。
「いちにぃ。お客さんが集まったから、始めようか」
「ああ」
階段を一歩ずつ昇る者がいた。その者は白いドレスを羽織り、花のブーケを両手で持った少女。
――――ウエディングドレス姿の一花が、大地に向かって微笑んだ。




