スキル屋店員の、天空迷宮。5
天空迷宮最下層に、クリティリィム族末裔の槍が投げられる。そこにいたのは、一人の美少女。彼女は目を見開きながら、急降下してくる槍を防ぐことができず、さらには動けずにいた。
それは普通の人間ならば、即死どころではなく、街一つを滅ぼせる威力を持つ伝説の技。そんなものを前にして生きる希望を捨てない人間の方が少ないだろう。だが一花は、生きる希望を捨てたわけではない。
彼女が本当に動けない理由。それはフフィの放った攻撃に魅せられているわけでも、驚いて立ち止まっているわけでもない。彼女は純粋に、妬んでいたのだ。
一花の最悪の義兄、大地から素敵な贈り物をされた二人を。
以前の世界にいても、一花は大地からプレゼントを貰ったことなど皆無に等しい。それは純粋に一緒にいた時間が短いからでもあるし、彼自身一花とは会話を交わさずに仕事をずっとしているような人間だったからに違いない。
そして、一花の怒りは遂に頂上を迎えた。
槍が投擲され、一花の周囲は凄まじい爆発が起こる。大量に散る砂埃に、フフィとハーバンは強敵を倒した事による安堵の溜息を吐く。
フフィの手元に、槍が自ら戻り、それを握り締めるとフフィは着地した。
「……ふふ。これほどの怒りは、過去一度しか感じたことがないですね」
その声に、フフィとハーバンは警戒心を呼び戻す。一花はまだ死んでいない。
二人は立ち上がった強敵に対し、再び武器を構えた。
完全に倒せたとは思っていなくとも、動けないくらいのダメージは与えたと思っていたのだ。
一花の声はドス黒い何かに包まれた、まるで竜の雄叫びにも似た寒気を二人は感じる。
砂埃の中に、人のシルエットが写った。それを確認すると、二人の頬に切り傷が薄く入った。
「え!?」
フフィは驚きながら、切れた頬から溢れる血に触れる。反対にハーバンは、切り傷を放置し、一花から目を逸らさなかった。
そして、フフィはあることに気付く。
「竜の髭が……」
フフィの握る、暁の竜騎士専用武器、竜の髭。それが、錆びていたのだ。先ほど握った時には気づけなかったのだが、いつの間にか何かをされていた。
ハーバンが口を開く。
「どうやら、フフィさんの槍が錆びているのは、あの人の特異能力が関係しているようですわね」
ハーバンが呟くと、砂埃から黒い斬撃が走る。二人は目を見開いて、飛んできた斬撃を回避した。
その斬撃はフフィとハーバンの背後にある壁を、まるで紙のように斬ってみせる。
二人は一花のいる砂埃に視線を釘付けにされた。
そして、無数の斬撃が二人に向かって放たれる。次々に飛んでくる斬撃を二人は回避し続けた。そのうちに一花への警戒が少しばかり緩み、砂埃の方に視線をやると、そこに人の姿をした者はいない。
「これだけの力がまだ……」
「フフィさん! 油断しないでください!」
叫んだハーバンの元に、黒い刀が走る。フフィはそれを目にして、動き出そうとした。
だが、ハーバンは気付いていたのか。背後からの攻撃を防いで見せる。
「油断してるのは、あなたじゃないのかしら? 天使さん」
「あなたに天使って言われても、全然嬉しくないですわッ!」
鍔迫り合いになったハーバンと一花。ハーバンは力負けする前に吹き飛ばそうと、全身の力を剣に乗せようとした。
しかし、ハーバンはまるで超巨大型魔物と鍔迫り合いをしているかのような感覚を覚える。
そして、ハーバンは軽々と吹き飛ばされ、天井に背中を叩きつけられた。
「かはっ!?」
「ハーバン!」
フフィが叫ぶと、一花は斬撃を彼女に向けて放つ。
すぐに回避したフフィ。だが、回避した先には既に剣を走らせた一花がいた。
反射運動で槍を盾のように構え、防御体制を取るフフィ。そこに黒い刀が叩きつけられる。
まるで拳で殴られたかのような重さが、錆びた槍を伝い、フフィの身体を仰け反らせた。
その隙を逃さずに、一花は斬撃を走らせる。
「キャッ!」
フフィは枯葉のように吹き飛ばされた。そのフフィに追い打ちをかけるように斬撃が迫る。
反射的に腕をクロスさせ、防御しようとした。そこに斬撃がぶつかり、フフィは壁に激突する。幸い、暁の竜騎士の籠手があるため、腕が斬られはしなかったが、ダメージは重い。
天井に背中を打ちつけたハーバンは、着地して一花を睨む。壁に激突したフフィも立ち上がる。
「これで終わりだなんて思わないでよね」
一花はまるでお礼をするかのように微笑む。それがまたフフィとハーバンの二人を脅す為の笑顔だと理解するのは容易である。しかし、ハーバンは怖じ気つかずに一花に向かって足を進めた。
「ハァァァァァァァァァッ!」
真っ正面から突っ込むハーバン。軽く跳び、剣を振り上げる。その姿は、やけくそという一言以外に表す言葉はないだろう。
「いいわ。かかってきなさい。絶望を贈るから」
一花は黒い刀を両手で握り、剣道中断の構えを取る。その構えはまるで剣道を二十年近く続けたアスリートのようだ。さらに、瞳から溢れる紅い光がゆらゆらと炎のように揺れる。
ハーバンは、剣を振り下ろす瞬間。一花がまるで剣豪の神に見えた。それだけ一花の構えは隙がなく、さらには集中している状態と言える。
しかし、ハーバンは剣を振り下ろした。
「甘いわ」
剣と刀が交差しようとした瞬間。ハーバンは目を見開いた。そこにいるはずの標的が突然消えたことにより驚きを隠せなかったのだ。ハーバンは剣を振り下ろす動作を中断することができず、地面に向かって剣を叩きつけた。
「まるでショートクリームにカスタードソースをかけたかのように甘いわ」
ハーバンは視線を下ろす。一花の姿は消えていなかった。厳密に言えば一花は体制を低くし、居合抜きのような構えで黒い刀を握り、ただハーバンが来るのを待っていたように見える。
動作は中断できない。ハーバンは一度剣を振り下ろすと、その瞬間を狙ったかのように一花は握っていた黒い刀を振るう。
光にも似た黒い光線を、一花は描いて見せた。
「ハーバンッ!」
フフィが叫ぶ。それは明らかにハーバンの心配をしてだ。だが、その心配も虚しく終わる。
一花は刀を振るうと、ハーバンの背後に立つ。そして、刀に付着した埃を払うと目を細めた。
「散りなさい。【残光楼炎刃】『月光桜』」
まるで、独り言かのように呟いた一花。
言葉を口から発し終えると、ハーバンはその身を床に横たわらせる。
「は、ハーバン……?」
「心配ですか?」
「な!?」
気がつくと、一花はフフィに近づいていた。黒い刀を片手で握り、微笑んでいる。その頬には赤い液体が飛び散っていた。それが誰の何なのか。わからないフフィではない。
すぐにフフィは一花を睨みつけた。
「よくもハーバンを殺したなぁぁぁぁぁぁっ!」
「それが、私の夢でもあり。大地の夢なのです。勝手に怒るのは違うと思いますが」
「知らない! 私は、バカで天然で恩がどうのこうのとか言うけど恩知らずで優しくて、皆な好きな大地さんしか、私は知りません!」
「……そうですか」
フフィはいつの間にか泣いていたのだ。ハーバンが刺されたから?違う。今泣いているのはハーバンの分ではない。大地が本当にそんなことする筈がないのだ。大地は皆から慕われており、大地も皆を慕う。一人は皆の為に。皆は一人の為に。それがスキル屋の家訓だった。
だから、フフィは皆の為に泣いたのだ。そして、その涙は強さになる。
「私の仲間を……大地さんを返してもらいますッ! 『暁の竜騎士再誕』ッ!」
フフィは涙を拭き、錆びた槍を振り回す。そこに雷が落ち、まるで落雷がそのまま槍にでもなったかのような形だ。装備の色は、赤系統の色から黄金に染まる。その姿は、金龍だ。
瞳を閉じ、一花は叫ぶ。
「私はあなたを許しませんッ! 大地さんを誘拐して、ハーバンを倒して、あなただけはケーキを出しても許しませんからァァァッ!」
フフィは槍の先端を一花に向けた。刃の先に宿る雷は、黄金の光を放ち今まさに放たれようとしている。
対する一花は、微笑みを崩しフフィを睨む。
「ならばやってみなさい。私が希望を打ち砕いてあげるわ」
「やれるものなら――――やってみてくださいッ!」
怒ったフフィの言葉に反応するかのように、雷は徐々に帯電していき、槍を握るフフィ自身からも尋常じゃないほどの黄金のピカピカが溢れる。
一花は黒い刀を、ハーバンを倒した時と同じように構えた。そこから発せられる雰囲気は、先刻とは違いフフィをまるでラスボスにトドメを刺すかなような冷酷な色が放たれている。
そして、フフィは叫ぶ。
「『暁の竜息吹槍』ッ!」
フフィの握る槍の先端が、太陽のように眩い光を放つ。その光は雷によるものだ。徐々に雷が溜まっていく。
その雷は、テニスボールほどの大きさに縮まると、遂に技の本性を表す。
「ッ!?」
一花は顔を引き攣らせた。
フフィの槍から放たれたそれは超高濃度の雷集合体。擦りでもすれば、感電し命を落とす危険性すらある必殺技である。その超高濃度の雷をレーザーのように光線状にして発射させる技だ。故に、速度は音や光を越え、偉力はこのダンジョンを崩壊させるほど。
この女はバッカなのか。
不意に一花は呟きそうになった。だが、一瞬の油断すら許されない。この必殺技を前に、生半可な防御技では不可能だ。
「やるわね」
だが、一花は片手を掲げ、フフィの必殺技に自ら受け止めるかのように思えた。
「……認めましょう。あなたは強い。だけど、私はもっと強いのよ!」
今の今まで赤く光っていた一花の瞳が、さらに色を濃くし、その光度も上がる。
『暁の竜息吹槍』を前に、一花は叫ぶ。
「全ての命を司れ! 技の理ッ!」
叫んだ瞬間、何も起こらなかった。
そして、一花とフフィの必殺技が衝突する。
だが、一花の身体どころか、腕もダメージはない。フフィの放った技は、まるで溶岩に水を流しているかのように、『暁の竜息吹槍』は消されてしまったのだ。
フフィは目を見開く。
「そ、ん……な」
一花は掲げていた手を降ろし、呟いた。
「これが、愛する人を想う差よ」
その言葉を最後に、フフィは意識を消す。




