extra-5 It's a wish in snow-2/3PM
「なるほどね~」
あたしの話を聞いていたディアン。呆れたような感心するような、妙に感慨深げな声を漏らした。いびつに膨らんだポケットに手を突っ込んで天井に染みついた茶色いヤニを見つめ、複雑な表情をしている。
なんだろね、これは。ホッとしたような、なんだかイラッとしているような、それでいてどこか楽しそうな。表情豊かでなんだか子供っぽささえも感じる。
「てゆーかさ、俺、いい加減慣れたんだよねこのパターン」
言いながら、ディアンはペンを持つあたしの手をそっと止めた。さっきまでポケットの中にいたその指は温かい。
ため息まじりの苦笑を唇の隙間からそっと漏らし、あたしは彼を見上げる。ちょっと悪戯っぽい目に、あたしも笑みを返した。
「だよね」
未完成の書類を残して立ち上がり、向かい合う。
長身なディアンの顔は立ち上がってもずいぶん上にあって、身長の低いあたしはこころもち顎を上向けて精一杯胸を張った。視線の先は、ディクスと比べると幾分崩れている、だけどそれなりに整った顔立ち。見慣れたその顔が、素早く目配せしてあたしに促す。
悪戯っぽさの中にどこか優しい光をたたえたその目の奥に、胸が跳ねたのはほんの一瞬。
あたしたちはお互いにいっこり笑い、見つめ合う。どこかで、風が鳴るように空気の漏れる音がした気がする。
「ほんっと、こりないなって思うよね」
「愛すべきパターンってやつなんでしょ。あたし、嫌いじゃないけど」
「ま、俺もだけどね」
囁きと言っていいくらいかすかな会話は、顔を近づけないとよく聞こえない。あたしたちは内緒話みたいにくっついて、くすくすと笑いをこらえた。
「んじゃ、ま」
「そういうことで」
そして、笑いあったまま――必要以上に満面の笑みで――頷き合った。
カタカタと、窓が鳴る。まるで、寒い風が吹き付けているかのように――
あたしとディアンは、同時に笑みをおさめて半眼になると、ぐりんと頭を巡らせて同じ方向を見た。通用口の方。
「言っとくけど、バレバレだし」
「つーかさ、あたしも仕事終わってないわけで、あんま構ってらんないわけ。サービスはおしまいよ」
反応はない。さすがにムカッときてカーテンを引っ張る。隣では、同じように少し不機嫌な顔になったディアンが通用口を乱暴に開けたところ。
冷たい風が、吹き込んでくる。
それだけじゃない。香ばしく肉の焼ける匂いやチーズのとろける匂いなんかも、同時に事務室に侵入してくる。今の今まで食事のことも考えずに書類と格闘していたあたしのお腹が切ない音をたてた。
ドアの向こう側。窓の外からこっちを伺うように並んだ人影。まるでそこから『何か』でも見えるかのように、カーテンの切れ目のあたりに集中しているのはなんでだろうね。
「あのねえ……風邪ひくわよ」
手に手に料理の載った皿やお酒のボトルやリボンのかけられた箱を持った見覚えのある面々。彼らが一様に、窓貼りついて息で曇るガラスを擦っていた。そんなことしたって、ストーブとやかんのせいでできた結露は拭えませんよー、だ。
後ろの方で控えめに頭を抱えているのはルティシア、にこやかなナルとフィーアに両腕をつかまれているのはディクス。
あー……、まったくもう、なんでこの人たちはこう、いつもいつも同じパターンなんだ。
思いながらも、口元が緩んでいく。気付けば、あたしは笑っていた。
「てゆーかさ、なんでいつも俺にばっか黙ってるの仲間はずれなの」
子供みたいな言いぐさに我慢できなくなって、お腹を抱えて笑い転げるあたし。その傍らで憮然とした表情でぶつぶつ言っているディアンの後ろ頭を力いっぱい殴り飛ばし、ジンが最初に事務室に入り込んできた。
「局長、ハイ、プレゼント」
手渡されたのは、手のひらに載るくらいに小さな箱。薄氷色の包み紙に模様はなく、飾りらしい飾りといえば可愛らしい真っ白なリボンの結び目についた雪の結晶のような銀細工。なんだか、このラッピングだけでじゅうぶんなくらいカワイイ。
「わー、ありがとう! なんだろう、可愛い包み!」
思わずジンに抱きついて頬にキスすると、彼は満足そうにあたしの頭を叩いた。その手を払いのけたディアンは、拗ねたように唇を尖らせている。
「よ、局長。お招きありがとさん」
「僕、なんにもできないからせめて料理いっぱい持ってきたよっ!」
いえあの特に招いてません。
さすがにそんなことも言えず、あたしはジークとユウキに曖昧な笑みを浮かべる。彼らの両手は、まだ湯気を立てている料理で塞がっていた。
「急だったから、ちょっと自信ないんだけど……」
「ふふ、でも急ごしらえにしては立派なモンでしょ?」
ナルの持っているのは、白い箱。たくさんのジンジャー・クッキーを抱えているフィーアが、壊れ物を扱うようにそっとナルの箱のふたを開けてみせた。
真っ白いクリームと、真っ赤なイチゴのケーキ。不思議なことに、昨日あたしの頭に音をたてて飛び込んできたものと、寸分たがわぬ姿。あたしは嬉しくなって悲鳴のような歓声をあげた。
「すっごい! もしかして共同制作なの? ていうか普通に作れるんだこういうの!」
うっとりとケーキを見つめるあたしに、ケインがぺこりと頭を下げる。
「仲間はずれは嫌だから、奥さんと子供連れて来ちゃったー。タバコはガマンしといてね、ゴメンね」
「いつもケインがお世話になっておりますー」
「だー!」
独身貴族の集まりである我らがポストオフィスにおけるマイノリティ、微笑ましい家族連れの先頭で、ケインがワインの瓶を抱えている。その後ろでは奥さんが子供を抱えていた。
あたしは慌ててケインの奥さんに頭を下げ、抱っこされているジュニアの頬をそっとつついた。
「かわいいー! 寒くなかった? ごめんね」
可愛いと言われたのが嬉しいのだろう、自慢そうなケインが奥へと進むと、続いて目の前に仏頂面のルティシアが立つ。
「あ、大丈夫、先に書類やっちゃうから」
「……そうじゃありませんわ」
もじもじと視線をそらした彼女は、しきりにあたしとディアンを見比べている。ディアンは、未だジンとどつきあっていた。
「わたくしは止めることができましたのに。できるから、確認いたしましたのに。その、お邪魔をしてしまったようなら、謝罪いたします」
なんだか勝手にものすごい罪悪感を抱いてしまっているようで、心なしか顔色も良くない。そんなに思い詰めるような何かがあたしとディクスのどこにあるというのか、まったくもって不思議だ。
あたしはなんだか笑い出しそうになるのを堪えて、彼女に抱きつく。冷たくなったふわふわの金髪が、火照った頬に気持ちがいい。
「だーいじょうぶ、書類ならすーぐ終わるって!」
わざとらしく答えると、あたしから離れた彼女は戸惑うようにこっちを見つめてから小さく笑った。
「来てくれてありがと。まさか前夜祭、こんなににぎやかにできるなんて思わなかったわ」
もう一度抱きついて冷たくなった頬にキスをすると、ルティシアは照れたように奥へと行ってしまう。
クールビューティーな鬼秘書も、こういうときはとっても照れ屋だ。
* * *
ドン、と、重い音。
ルティシアをにこにこと見守っていると、鉢植えの針葉樹が目の前に置かれた。
あたしの背丈ほどもある。降誕祭のオーナメントが勢いで揺れて、ランプの光を反射していた。
降誕祭の象徴であるその影から、仏頂面のディクスがひょっこりあらわれる。マフラーをしていない彼の首筋はまるでユウキが持ってきたローストチキンみたいに粟立っていて、彼のマフラーを持っている張本人のあたしは申し訳なさに胸が疼いた。
「あ、ゴメンね、マフラー借りっぱなしで」
とりあえず着ていたカーディガンを脱いでディクスの首に巻くと、彼は唇を尖らせたまま黙り込んだ。そっと覗きこむと、その目は色んな感情が入り乱れて小さく揺れている。……兄弟だなあ。
「ディクス?」
「僕はっ」
ふいに、腕が掴まれる。思ったよりも強い力にびっくりして、あたしは怯んだ。それにも気付かない様子で、ディクスは俯く。
「昼間、君が降誕祭を忘れていたって言ってたから。きっと、食事の準備や飾りつけもまったくしていないんだろうなって。だからこっそりみんなに声をかけて、みんなして驚かしてやろうって」
その声はだんだん小さくなって、最後は消え入るようにこう言った。
「僕、余計なことしたかな」
泣き笑いの表情は、なんだかいつもと違う気がした。迷子の子犬みたいに、不安そうな表情が揺れている。いつも穏やかで優しいディクスにしては、ちょっと変だ。何かあったのだろうか。
あたしはディクスの指をそっと外して、その肩を叩いた。
「なんで? 嬉しいよ、ディクスのサプライズだったんだね」
「君はっ……、ディアンと……」
何か言おうとするディクスを遮って、あたしはお礼を言った。
「ディクス、ありがとう」
あたしの言葉に顔を上げたディクスの頬に、唇を寄せる。視界に映る彼の耳が、寒さとは違う赤さに染まるのがぼんやりと見えた。
「降誕祭は、家族とか恋人とかで楽しむ日なんでしょ。でもあたしさ、じいちゃん死んで、もう家族いないじゃん。だから、部下が家族みたいなもんだし。あ、コレみんなには内緒にしてね」
唇の前に人差し指を立てると、彼は不思議そうにあたしを覗き込んだ。
「部下が、家族?」
「うん。ちょっと違うのかもしれないし、そもそも家族愛だなんて本当は家族のいないあたしには関係がないはずなんだけど。でも、こうしてみんなと過ごせるなら、見た目や名前は違うけどきっと意味はおんなじなんじゃないかな」
意味は同じだから、家族愛だの異性愛だのは別の世界の出来事じゃなくて、あたしも同じ世界にいるのかもな。そこまで考えて、なんだか胸の奥がぽかぽかとしてきた。
「嬉しいな、本当に。ありがとう」
考え込むように俯いたディクスが、そっと目線だけを上げる。
「僕は? 部下じゃないよね」
あたしは、目を丸くした。もしかして、ディクスが元気がないの、そのせいなんだろうか。ディクスは部下でもなんでもなくて、なのにこうして局に関わっていること、後ろめたいんだろうか。
ぽかぽかに重なるように、ふわりと、胸に去来するもの。あたたかくて優しいもの。
「家族や恋人じゃなくたって大切な人ってたくさんいるじゃない? そういうひとと祝うことを受け入れてくれないだなんて、ずいぶんシケた風習じゃないの、降誕祭」
優しいディクス。
いつも支えてくれるディクス。
こうして、あたしにとって一番嬉しい状況を作ってくれた、あったかいそれに気付かせてくれた、ディクス。
「何かのカテゴリに当てはめないと大切な気持ちを大切だって言えないなんて、そんなのつまんないじゃない。美味しい料理もケーキもお酒もあるんだもん。楽しもう? ね?」
「そっか。……そうなのかもしれないね。そうであって、ほしいよね」
泣き笑いが、近付いた。
ディクスの唇は冷たくて、冬の乾燥のせいかひりひりと乾いた感触を残す。
あたしはなんだか祈るような気持ちで、額に落ちるその感触を受け入れた。
* * *
書類地獄のゴールが見えてきたあたしの後ろでは、今も宴会が続いている。これからミルッヒと共に中央へ出向かないといけないディアンは気が気じゃないみたいだけど、他のみんなワイン片手に料理を頬張って時折ミルッヒの形をしたジンジャー・クッキーに噛み付いては笑っている。
世の中の人がどんな降誕祭を過ごしているのか、あたしは知らない。あたしにとって今日という日はいつもと変わらず、いっぱいいっぱいの仕事を何とか片付けるための時間でしかないのだ。BGMが、いつもと違うだけで。
少しの休憩とばかりに頬杖をついて、心地よいBGMに耳を澄ます。みんなの笑い声や、笑いながら叩く手の音や、小突き合う足元が乱れる音。音楽とは違うけれど、それはあたしの鼓動にぴったりと寄り添って体中に響いた。
本日最後の書類は、あとサインをするだけで終わる。
顔を上げると、みんなの浮かれたバカ騒ぎが目に映った。
家族愛? 異性愛?
そんなもん、知ったもんじゃないわ。血の繋がりも狂おしいほどの思いもそこにはないけれど、それを示す言葉も形も、ないのかもしれないけど。
だけど『それ』はここにあるんだって、あたしは確信している。
だいたい、みんな楽しそうだし、あたしも楽しい。それ以上に何が必要だというのだ。
ふとあたしと目が合ったディアンが、照れくさそうに笑った。
もちろん、『それ』の中に、彼も含まれるわけだけれど。
――含まれているから難しいんだなんて、ちょっと、思ったりもする。




