13話 偽りの降伏
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第13話は、血塗られた夜が明けた直後の砦から始まります。
自らの祈りが凄惨な殺戮の合図にすり替えられたことに絶望する聖女と、冷徹に新たな罠を敷くルシアン。
権力と欲望に溺れた愚かな勇者を絡め取る、甘く悍ましい毒の布石をお楽しみください。
※本作にはダークファンタジー特有の陰惨な描写や価値観が含まれます。
ガルム国の精鋭部隊が、辺境の泥濘に無惨に沈んだ翌朝。
砦の地下室には、冷え切った沈黙と、か細い嗚咽だけが響いていた。
「あなたは……悪魔ですっ……!」
石の床に膝をついた聖女クラーラが、血走った目で私を睨みつけていた。彼女の純白の修道服は泥に汚れ、その全身は恐怖と絶望で小刻みに震えている。
「私の……最も神聖な祈りを、あのような凄惨な拷問の合図にするなんて……! 私が祈るたびに、ガルムの将の手首が切り落とされ、兵士たちが嬲り殺しにされた……! 私の手は、血に染まってしまった!」
「悪魔、ですか。実に光栄な言葉ですね」
私は狂乱するクラーラを見下ろし、冷淡に言葉を返した。
「ですがクラーラ、私はあなたに『ただ祈れ』と命じただけです。刃を振るったのは私ではない。……なぜあのような悲劇が起きたか、あなたには分かりますか」
「あなたが……あなたの異常な理が、すべてを狂わせているからです!」
「違います。あの悲劇を生んだのは、力のみを信奉し他国を蹂躙するガルム国の野蛮さと、あなたのような無力な聖女を辺境へ切り捨てた聖王国の傲慢さです」
私の静かな指摘に、クラーラはハッと息を呑んだ。
「彼らが弱者を踏み躙る世界を良しとするからこそ、私はこの地に拠点を築き、弱者を武装させる盤面を用意した。あなたの手が血に染まったのは、彼らの罪の果実です。違うというなら、あのまま無力な民たちがガルムの狂犬どもに犯され、殺されるのを眺めていればよかったのですよ」
「そ、んな……私はただ、皆を救いたくて……ッ」
「ええ。だからこそ、あなたはこれからも私の前で祈るのです。聖王国の腐敗を正し、真の救済をもたらすために」
反論の余地を完全に封じられたクラーラは、両手で顔を覆い、石の床に崩れ落ちた。
己の信じてきた正義が矛盾で破綻し、私の理の中に組み込まれるしかないという事実。彼女の精神が、音を立てて完全に砕け散った瞬間だった。
───
地下室を出た私は、冷たい朝日が差し込む執務室へと向かった。
長机には周辺諸国の地図が広げられており、その前にはエリアスが静かに佇んでいた。かつて王都で他国の顔色に怯え、書物と情報を読み漁っていた青年の姿はそこにはない。
「――手筈通り、聖王国と冒険者ギルドに虚報を流布させました。西の森で魔族の残党が、エルフの隠れ里を襲撃している、と」
「見事な采配です、エリアス様」
私は彼に対し、敬意を込めてそう呼んだ。
この男の知略は、ただの使い捨ての駒にしておくには惜しい。いずれこの拠点が周辺を飲み込む巨大な理となった時、彼にはそれに相応しい『極めて重要な役割』を与えねばならない。
「して、エリアス様。聖王国の獲物は釣れそうですか?」
「間違いありません。聖王国が誇る七人の勇者が一人、『赤剣のバルドス』。奴は勇者という肩書きを笠に着て、各地の村で女漁りや略奪を繰り返す正真正銘の屑です。……『美貌のエルフが襲われている』と聞けば、異端審問の任務すら後回しにし、真っ先に自分のモノにしようと単騎で飛んでくるはずです」
「女欲しさに飛び出してくる勇者、ですか。大聖堂の地下で無様に泣き喚いていた頃から、少しも成長していないようですね」
私が優雅に紅茶のカップを置いた、その時だった。
「……ボス。バルドスが、此処へ向かっているのか」
執務室の暗がりから、地を這うような低い声が響いた。
壁に寄りかかっていたザックとカインだった。二人の眼光は獰猛な殺意に濁り、ザックの手には錆びたナイフが、カインの背には無骨な大剣が握られている。
無理もない。彼ら二人は、かつてバルドスが村の娘を襲おうとして返り討ちに遭い、その報復として王国軍に理不尽に焼き払わせた『あの村の生き残り』なのだから。
「俺たちが森で待ち伏せする。あのクソ野郎の前に飛び出して、俺が首を掻き切る……!」
「待ちなさい、二人とも」
憎悪のままに部屋を飛び出そうとしたザックを、私は静かに、しかし一切の反論を許さない威厳を持って制止した。
「怒りに任せて飛び出し、刃を突き立てるのは、野に生きる獣や三流の野盗がすることです」
「だが……ッ! あいつは俺たちの故郷を……!」
「分かっています。だからこそ、私から学びなさい。感情ではなく、冷徹な計算で盤面を支配する術を」
私は二人の前に立ち、その狂気に満ちた目を見据えた。
「お前たちはもはや、泥水をすすっていただけの負け犬ではない。私の理を体現する、極めて価値のある手札です。ならば、単なる殺意で動くのではなく、獲物を自ら破滅の罠へ歩ませる合理的な思考を身につけねばならない。……ただ命を奪うだけでは、あの傲慢な豚に真の絶望を与えることはできません」
私の言葉に、ザックとカインがハッと息を呑む。
「真の復讐とは、相手が最も誇るものを自らの手で捨てさせ、己が最も見下していた存在の足元へひれ伏させることです。……あの男は間もなく、自らの下劣な欲望によって、完全に無防備な丸腰へと成り果てます。お前たちはそれまで刃を研ぎ澄まし、あの男が絶望の底で命乞いをする瞬間を待ち静まりなさい」
私の説く冷徹な理に、二人はゆっくりと息を吐き出し、獰猛な笑みを浮かべて刃を収めた。
───
その日の深夜。
辺境の森の入り口に、土煙を上げて一団の騎馬が現れた。
先頭を進むのは、背に巨大な赤い大剣を背負った大柄な男――『赤剣のバルドス』である。彼は泥だらけの景色を忌々しげに睨みつけ、馬から降りるなり怒鳴り散らした。
「おい! エルフどもはどこだ! 魔族に襲われていた里の女たちは、俺が直々に保護してやると言っているんだ!」
そのあからさまな下心と傲慢さに満ちた声に、私は極めて柔和な笑みを浮かべ、月明かりの下へと歩み出た。
「これはバルドス様。辺境の森へようこそおいでくださいました」
「ああん? お前は……」
バルドスは私を一瞥した瞬間、その醜い顔に獰猛な歓喜を浮かべた。
「大聖堂から逃げ出した指名手配の異端者、ルシアンじゃねえか! 傑作だ、エルフの女を抱きに来たら、手配書の大物まで転がり込んで来やがった。ちょうどいい、お前らの首も手土産に王都へ持ち帰ってやる!」
背の大剣へ手を伸ばそうとする狂犬に対し、私は恭しく、深く頭を下げてみせた。
「お待ちください、偉大なる勇者様。……我々は己の愚かさを悟り、あなた様に降伏するためにここでお待ちしておりました」
「あ? 降伏だと?」
「はい。我々のような罪人が、赤剣の勇者様に敵うはずもありません。その恭順の証として……今宵、あなた様の寝所へ『極上の供物』を差し上げましょう」
私は伏せていた目をゆっくりと上げ、背後の暗がりで絶望に肩を震わせるクラーラを、そっとバルドスの前へと押し出した。
「なっ……聖女クラーラ!?」
「エルフには劣るかもしれませんが……彼女もまた手配書の罪人。今宵、密室であなたが彼女の穢れをどれほど激しく浄化しようと、咎める者は誰もおりません。……どうか一晩の長旅の疲れを癒やしたのち、明日、エルフたちと共に我々を王都へ連行し、すべての栄誉をお受け取りください」
命乞いという名の、逃げ場のない甘い毒。
私の言葉を聞いたバルドスは、大剣から手を離し、その下劣極まりない顔に歓喜と欲望の笑みを張り付かせた。純白の修道服に包まれたクラーラの華奢な体を、舐め回すように見つめる。
「ひひっ……ぎゃははは! いいじゃねえか! 高慢ちきな聖女様が、命惜しさに這いつくばって俺の慰み者になるってわけだ。俺の部屋でどんな風に鳴くか、たっぷり浄化してやるぜ。案内しろ、ルシアン!」
罠は完全に噛み合った。
自らの圧倒的な力に震え上がり、命乞いのために女を差し出してきたのだと錯覚した赤剣の勇者。彼は、その扉の先が極上の夜などではなく、かつて自分を殴り殺した弱者たちが待ち受ける底なしの処刑場であることに、まだ気づいていない。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
圧倒的な力を持つ勇者に対し、「指名手配犯からの命乞い」という形をとることで、相手の疑心を完全に消し去るルシアンの盤面。
絶望する聖女をただの供物として差し出し、復讐に燃える手駒たちには感情を抑え込む支配者の理を説く。彼の冷徹な支配が、静かに、しかし確実に深まっていく様を描きました。
傲慢な狂犬が己の下劣な欲望に忠実なあまり、自ら進んで破滅の扉を開いてしまったこの瞬間を、少しでも楽しんでいただけていれば幸いです。




