第52話.決着
「おおおおおおおおっっ!!!!」
「ああああああああっっ!!!!」
絶叫が顔に降り落ちてくるような錯覚にとらわれて、ルクレシアは目を開けた。
視界に入ってきたのはやたらと顔の整った長い髪の男だった。レイだ。
レイの背後では、邪竜を相手に大立ち回りを披露する王太子と聖女の姿。
ルクレシアは立ちあがった。ということは、今まで寝かされていたらしい。芝生には敷布が広げられ、隣にはザカリーもいた。
ジャケットの胸のあたりをぐっしょりと血に濡らし、虚ろな視線をさまよわせている。
こちらも死んではいないらしい。
腹を撫でてみても、貫かれた形跡はない。シュゼットとウィルフォードのかけた防護魔法のおかげだろう。
邪竜に取り込まれかけたおかげで、死ぬ傷でも死なずにのたうちまわる時間がスキップされたのはよかった――そう、たぶん取り込まれかけて、取り込まれなかった。
ルクレシアはレイを見上げる。
「状況を簡潔に説明して」
「邪竜がザカリー様を攻撃、お嬢様がそれを庇い槍状の舌が腹を貫通、防護魔法が発動、シュゼットがお嬢様とザカリー様の傷を回復、邪竜への攻撃を再開。そこからまだ数分です」
命令に対し、よくできた執事は完璧な答えを返した。レイの言ったことを反芻して、自分の予想どおりだったとルクレシアは頷く。
「わたくしたちは邪竜に取り込まれなかったのね?」
「はい。お嬢様を貫いた舌はすぐにアルフォンス殿下が切り落としました」
あちらに、とレイが指さすほうを見れば、赤黒く細長いものが地面をうねうねビタビタと蠢いている。
「うげ……」
生理的に無理を感じてルクレシアは顔をしかめた。
それにしても、あれは本当に夢や走馬灯の類だったらしい。
同時に傷を負ったルクレシアとザカリーが邪竜の魔力を介して夢を見た。聖女であるシュゼットの魔力や直前に邪竜に取り込まれていたウィルフォードの魔力など、すべてが複雑に絡みあった結果の――要は〝奇跡〟とも呼べるかもしれない。
そして、もう一つ。
シナリオどおりの〝奇跡〟が起きようとしていた。
「……っ! 力が、あふれてくる……!」
シュゼットが声をあげる。
その体からは、さらに輝く光が放たれていた。
「アルフォンス様……!」
「ああ、シュゼット」
何も言わずとも、名を呼びあうだけで二人は心を通わせる。
「魔法強化!!」
シュゼットが手をかざすと、彼女を包んでいた光がアルフォンスにも現れた。アルフォンスの魔力や魔法攻撃力を底上げする補助魔法だ。
光はアルフォンスの握る聖剣へと集中した。
――と、同時に。
アルフォンスとシュゼットは同時に跳んだ。聖なる光が二人の後を追うようにキラキラと輝く軌跡を描く。
身を守ることも忘れ、ルクレシアは食い入るようにその光景を眺めた。
(勝てる……!!)
邪竜の正面で手をとりあい、見つめあうアルフォンスとシュゼット。ふたりを包む光は明るさを増し、まばゆい輝きが地上を照らす。
完成された絵画のような、荘厳な光景。
これまでの攻撃と明らかにエフェクトが違う、言うなれば確定ムービー演出だ、とメタい期待も上乗せされる。
アルフォンスは剣を持つ右手を、シュゼットは魔力の渦巻く左手を、それぞれ邪竜に向けた。
王太子と聖女の想いが通じあい、〝真実の愛〟の力が邪竜の闇を祓う――。
「お姉様に――」
「ルクレシアに――」
「「手え出しやがってこんのクソ邪竜がああああアアアアっっっっ!!!!」」
「……」
重なる二人の絶叫に一瞬胡乱な表情になったものの、ルクレシアは首を振って気を取り直した。
たしかここでの台詞は「愛の力は何よりも強い!」とかそんな感じだったと思うが、大切なのはそこではない。ということにしておく。
剣の切っ先から、かざした手のひらから、まばゆい光がまっすぐに邪竜を貫き、切り裂いた。
「ガアアアギャアァアア……!!!!」
断末魔の悲鳴をあげ、邪竜は黒い体をのたくらせた。やがて鱗の先はじわりと滲むように溶け、黒い霧となって青空へ消えていく。
手を取りあったアルフォンスとシュゼットが、ゆっくりと地上に降りてきた。
(やっぱりもう完全に浮遊してるじゃない)と思っても、これも口には出さない。
ルクレシアのそばまできても、ふたりとも何も言わない。黙って邪竜の消滅を見守っている。
助けだされたウィルフォードや彼の部下たち、ベルナティオも同じだ。
庭園や建物の一部が破壊されただけで、誰も死なず、傷つかなかった。
それが奇跡的な決着であるとわかるほど、邪竜は世界を滅ぼしかねない存在だった。突如現れた脅威がようやく消えていくのだから、単純な勝利やよろこびを叫ぶ者はいない。
やがて、闇の魔力の最後のひとすじが揺らめいて、空は完全に元の青に戻った。
「……終わった、のか」
ぽつりと呟いたのはザカリーだ。
「皮肉なものねえ」
ルクレシアは肩をすくめて応える。
よりにもよって邪竜を召喚した張本人が、この場の全員の心情を代弁した。
終わった、という安堵――。
大切なものを失わずにすんだという安堵。
「……ルクレシア嬢」
「なにかしら」
ザカリーの視線を感じながら、ルクレシアは振り向かなかった。
彼が言いたいこともわかっている。けれどそれは夢の中の話で、現実で口に出してしまったら、大団円とはいかなくなる。
「いや……なんでもない」
ザカリーは首を振った。背中を向けるルクレシアには、彼の表情はわからない。
ただ、声色は落ち着いていて、憑き物が落ちたようだと思う。
「ルクレシアお姉様!」
ぴょん、とシュゼットが飛びついてくる。
「見てくれましたか? わたしの一撃!」
「見たわよ。よくやったわね。すごかった。助けてくれてありがとう」
褒められ待ちでさしだしてくる亜麻色のつむじを、ルクレシアはぐりぐりと撫でた。今日ばかりは手放しで称賛する以外の選択はない。
「えへへ……!」
頬を赤らめてはにかむシュゼットは、出会ったあの日のようにあどけない表情をしている。
あのときはまだチュートリアルすら始まっていなくて、ここまでシナリオがこじれにこじれるなんて思ってもいなかった。
「そんなご褒美があるなら、ぼくも手柄を主張しなくちゃね」
しみじみと過去を振り返っていたら、アルフォンスの声が割り込んできた。
「ぼくの一撃も重要な役割を持っていたと思うけど」
「アルフォンス様が活躍できたのは、聖剣の力とわたしの強化魔法があったからじゃないですか」
めったにないお姉様のデレタイムを邪魔されたシュゼットが眉をひそめて反論する。
(この聖女、心が狭い……)
ルクレシアはため息をついた。そんなふうに育てた覚えはないがそんなふうに育ててしまったのは自分だろう。
でも今日ばかりは、アルフォンスの望みを叶えてやらなければならない。
「アルフォンス様」
ルクレシアは手をさしのべた。
激闘に汚れた金髪を撫でれば、アルフォンスが嬉しそうに笑う――その表情はシュゼット同様、あどけなさのまじるもの。
「がんばりましたね。……国を背負うにふさわしい方へ成長しました」
初めて会ったときには、これが王太子か、これが前世の最推しかと失望を覚え、厳しい言葉を投げつけた。
その言葉に抗うべく、アルフォンスは努力した。
ルクレシアはアルフォンスの道標となり、同時に、認めてほしい相手にもなった。
ルクレシアにもそれはわかっている。
だからこうして成長を認め――。
(……あれ?)
なぜだろう、アルフォンスがものすごくげんなりした顔をしている。
隣のシュゼットはにんまりと笑ってアルフォンスの肩を叩く。
「よかったですね、お姉様に成長を認めてもらえて! わたしと同じ、アルフォンス様も弟枠かなあ!」
どうやら言葉を間違えたらしいと気づくが、アルフォンスは動じなかった。
「弟枠だったんだよ。成長して、王太子にふさわしい能力を身につけた。……ルクレシアの伴侶にもふさわしい、よね?」
ルクレシアの髪をひと房すくいあげ、アルフォンスは上目遣いに口づける。
その仕草は王太子然とした、落ち着いて気品のあふれるもの。思わず見惚れてしまいそうな……。
ドキンと鳴った心臓とともに、ルクレシアは思いだした。
アルフォンスが自分の婚約者で、しかも自分に想いを寄せているらしいということを。
「ん……んえ……?」
「お姉様!! 詭弁です!! 騙されないで!!」
「なにが詭弁なのかな?」
キャパオーバーで目をまわしかけたルクレシアを、シュゼットとアルフォンスが両側から挟んで火花を散らす。
いつもどおりといえる光景に、ルクレシアはほっと息をついた。




