エピローグ
「暑いな……」
午後2時ジャスト。台湾・台北駅の前で、正宗は汗をぬぐいつつ呟いた。
あれからほぼ一年経ち、正宗も普通の生活に戻っていた。今回、台湾のロボット開発企業で仕事をしている刹那に会いにやって来たのだ。
とりあえず、手近にあるジューススタンドに向かい、生マンゴージュースを一気に飲み干す。
「美味い!」
ようやく人心地がついた刹那は、予約してある台北駅付近のホテルにチェックインする為に歩き出した。
刹那が仕事をしている企業は台湾南部の高雄にあるのだが、今夜には刹那も台湾新幹線に乗って台北へやってくるはずだ。そうしたら明日から烏來温泉にでも行ってのんびりしよう、と相談していた。
ホテルのチェックインを終えた正宗は、ハワイアンシャツにデニム短パンという気楽な恰好に着替えて外出する。今日の晩飯は屋台で済ますつもりであった。正宗はどこへ向かうか少し悩んでから、MRTと呼ばれる都市鉄道で西門町へ向かう。あっという間にたどり着いたここは台北でも若者が集まる歓楽街で、既に結構な賑わいを見せていた。
本来ならば、緑が島へと呼び名も戻った南おちんちんランドに行ってエリスの鎮魂をしたかったのだが、あれから島への一般人の立ち入りは禁止されてしまっている。
正宗も真織などの伝手を頼ってなんとか上陸できないか、と手を尽くしたのだが、結局機会は得られなかった。
「エリスの鎮魂、か……」
もし、エリス本人がそれを聞いたら、
「チンコンてエッチっぽい響きよね、やだもー!」
などと下ネタをぶちかまして無邪気に笑うんだろうな、と正宗は思う。
正宗は、エリスの死からまだ完全に立ち直り切れていなかった。
医者である正宗は、数えきれないほどの死を送って来た。もちろん、その死者の中には、正宗にとって掛け替えのない者もいた。
だが、人は死から逃れられない事を痛いほど理解している正宗は、それを静かに見送って来たのだ。
エリスと正宗が過ごした時間は微々たるものだった。それは普通とは一線を画す濃縮された時間だったが、それでもここまで引き摺ると正宗は自分でも思わなかった。
それはきっと、理屈や時間を超えた深い関係を構築したからだ、と正宗は考察する。
早い話が、正宗にとってエリスは本当の意味で惚れてしまった初めての相手だった。それも、一目で恋に落ちていたのだ。
そして、あっという間に正宗の前から去ってしまった。死、という永遠の別れをもって。
ギラギラと、眩い光を焼き付けながら正宗の目前をあっという間に駆け抜けて行ったエリスに、正宗は瞳と心を奪われたまま返してもらえなかったのだ。
「未練がましい男だよな」
うじうじといつまでも惚れた女……いや、男の娘の事を考えている野郎なんぞ、産廃ほどの価値も無いと正宗は思う。
「さて、牛肉麺でも喰うか!」
無理矢理気分を変えた正宗は、ジューススタンドでタピオカミルクティーを買って歩き出す。すれ違う台湾の若門たちはみな元気で明るく、正宗もそれに当てられてか、なんとなくワクワクして来た。
時折、どこからか日本語が聞こえて来て、日本人観光客の多さを物語る。また、お店のスタッフや台湾の学生たちも日本語を学んでいる者も多いらしく、日本人客相手に少しイントネーションが変な、だが流暢と言える日本語で相手をする人々の姿も見られた。
正宗は何ともなしに町をぶらつき、色々な店を冷かして歩く。
他のアジア諸国ほどの淫猥さや危険はなく、だがしっかりとアジアの元気さを感じさせてくれるこの町、この国は、なんとなくエリスの人柄と被るように感じていた。
たっぷり一時間ほどブラついたのち、なんとなく旨そうに思えた出店のテーブルに腰かけると、女の子が注文を取りに来た。
「ごちゅうもん、なににしますか」
にっこりと、可愛らしい笑みを浮かべた娘が日本語で聞いてきたので、正宗は驚きつつも牛肉麺と魯肉飯を頼んでから
「日本語上手だね」
と褒める。すると娘は嬉しそうに笑い、
「おじいちゃんがにほんごおしえてくれるの」
と答え、厨房へと注文を伝えに駆けて行った。
すぐに出てきた料理に舌鼓を打ち、その旨さに正宗が感動していると、店の前をピンク色のタンクトップを身に着けた女がすい、と通った。
「ん?」
派手な色遣いに目を取られ、正宗は何気なくその横顔に視線を投げる。
「あ……えっ!?」
ポニーテールに纏めたブロンドは、所々赤いメッシュがはいっていて非常に目立つ。ブロンドそのものも恐らく染めたものだろう。だが、彫りの深い、端正な横顔に見事にマッチしていて美しい。細く長い首の下には、ドン! と擬音が出そうなほどの見事な大きさを持つバストがぷるんぷるんと揺れている。恐らくサイズはIカップ、いやJカップは有るだろう。そこから巨大な落差を持って凹む細いウエスト、バストに負けないボリュームを持つヒップも歩くたびに揺れ、周囲の男どもの目をくぎ付けにしている。
その顔、髪、バスト、プロポーション……それは、正宗にとって忘れられない人間のものだ。
「まさか……エリス!?」
牛肉麺のどんぶりを持ったまま、大声で叫んで立ち上がった正宗に、ピンク金髪女が気付いて振り向いた。
「……!?」
女は何事かを小さく叫ぶと、胸と尻を派手に揺らしながら猛ダッシュした。
「あっ! 待て、エリス!!」
正宗もそれに続いてダッシュをしようとした。だが、
「食い逃げだめです!!」
店の娘に立ち塞がられ、慌てて財布を取り出す。が、これでは逃げられてしまう。
「ええい、面倒だ!」
そう叫んだ正宗は財布を丸ごと娘に投げ渡してから店を飛び出し、エリスらしきピンク金髪女の後を追った。
だが、夜の繁華街で追いかけっこをしてもどうにもならない。
最初はなんとか捉えていたピンク色の背中も、三つほど角を曲がるうちに見失い、結局取り逃がしてしまった。
「くっそお……逃げられたか」
ハァハァと荒くなった息を整えた正宗は、トボトボと歩き出す。と、正宗の腕を何者かが掴んだ。
「ん?」
振り向くと、そこには息を荒げた出店の娘が立っている。
「おきゃくさん、おつりわすれちゃダメよー」
娘はそう言うと汗びっしょりのまま、にっこりと魅力的な笑顔を見せてくれた。
刹那は娘と一緒に出店へと戻り、喰い掛けのまま置いてくれてあった牛肉麺を平らげ、更にその場にいる他の客と店主にビールを振る舞い、自分もガバガバと呑んだくれた。
帰り際、娘にたっぷりのチップを渡そうとしたが断られ、代わりにジュースを奢らせてもらってからMRTに乗り、ホテルへとフラフラと帰る。
そして、部屋に入るが早いかベッドに倒れ込み、そのままガーガーといびきを掻きだした。
「んが……エリス……見つけたぞ……ふがっ」
能天気な寝言を呟き眠る正宗の寝顔は、見たことが無いほど幸せそうなものだった。
正宗は確信していた。あの時、ピンク色の女が正宗を見て呟いたのは――
『あっヤバ、先生!?』
確かに聞いた、その言葉。正宗は、あの事件以降初めて何も考えず、悪夢にもうなされず、深い眠りを貪る事が出来たのだった。
台北の夜は、にぎやかに、穏やかに更けてゆく。
光の数だけ、人々の感情を映し出して――
了
ずいぶんと間を開けてしまいましたが、以上で完結となります。
お読み下さった皆様、どうもありがとうございました!
拙い作品では有りますが、評価感想など頂けましたら幸いです。
また現在、ちょいと毛色の変わった異世界転生ものを書いております。
ある程度書き溜めましたら投稿開始します。
おそらく、2月頭からの開始となる予定。
大勢の方に読んでで頂けると嬉しいです。
それでは皆様、またお会いしましょう!
月見里 銃三