チェリとルイルの生活3
ルイルの前に、簡単に森は割れた。
後ろから追いかけていたチェリは、その突然の景色の変貌に驚く。前に、ルイルに会うために通っていた時は、もう少し時間がかかった気がする。
狩りや移動の途中、ひと段落した時などに森が開けた気がしたのに。これも魔法のひとつだろうかと、チェリは思った。
「ニタ、下層にいることは分かっている……」
低いルイルの声が、森が割れた先にある魔法使いの家に向かって投げられる。まだ十分距離があるというのに、そんな声で聞こえるのだろうかと、チェリは思わず変なことを考えてしまった。
彼らは魔法使いで。ついでにいうならニタの方は、いま家に溶けている状態のようだ。溶けているということは、森で獲物を奪ったのと同じように、いま彼女には二人の姿が見えているし、全て聞こえている、ということだった。
しかし、家から何の反応もない。
「ニタ」
冷えたルイルの声が、彼女の名を呼んだ直後。
ドンッと、家の側の地面が陥没した。とっさにチェリは、それがどちらの仕業なのか分からなかった。
しかし。
「何すんのよ!」
ルイルの目の前に、赤毛の女が怒りと共に現れた時、さっきの一撃はこの冷静な男の魔法使いの仕業だと分かったのだ。
「今後一切、狩りの邪魔をするな」
声が静かであっても、チェリから見える彼の背中は穏やかではなかった。
「たかが、獲物一匹でうるさいわね。森の使用料だと思いなさいよ」
開き直ったニタの一言の直後、ドンッと、前よりも家の側に新たな陥没が増える。それに、赤毛の女は目をひんむいた。
「家を壊す気!?」
「その家は、私にとってもはや守るべきものではない。お前は守りたい。私は守らなくていい。条件は同じではない」
ニタの激昂とルイルの冷徹さが、赤と青の生き物のケンカのように上空に舞い上がった気がした。父の家を何がなんでも守りたいニタと、守ろうが壊れようがどうでもいいと思っているルイル。分の方は、どう見えてもルイルの方にあるように見えた。
「あのぉ……」
そんな二人の間に、割って入れるほどチェリには度胸はない。しかし、ルイルの背中には何とか声をかけることが出来た。
ウサギ一匹は確かに痛いが、この家を壊すか壊さないかというほど大袈裟な話ではないと思い、ウサギを返す方向で話が進まないかと思ったのだ。
そんな彼女に、ルイルの手が後方に軽く伸ばして制す動きをした。口を挟むな、ということか。
「ウサギ、返して下さい。それでおしまいでいいですから」
それでも、盗まれた本人はチェリなのだ。ニタに何か言うとしたら、彼女の仕事のはず。
「反省のない盗人を許すことは、次のより大きな災厄を生む」
しかし、彼女は正しくはなかった。ルイルは肩越しにチェリにちらりと視線を投げ、険しい表情でそう言ったのだ。
今回の被害者はチェリで、ウサギ一羽だったが、他の人間にも同じようなことをするかもしれないと言っているのだ。
それは、確かに困るかも。
チェリは、しょぼんとその唇を閉じた。
「ただのイタズラでしょ、盗人なんかじゃないわ。別にいらないわよ、ウサギなんて……ほら、返すわよ」
ニタは顔を怒りで赤くしながら、指を軽く振った。チェリの目の前に、突然射止めたウサギが現れ、驚きながらも慌てて彼女はそれを両手で確保する。
「『師匠』にも、その理論が通じるのか?」
厳しい声音で、ルイルが追い詰める。
「……!」
それは、ニタにとっての泣き所だったのだろう。顔を、ぐうっとひん曲げたのが分かった。父親が大好きな彼女に、そんな詰め寄り方をするとは、チェリも思っていなかった。
「分かったわよ。もう邪魔しないわ! これでいいんでしょ」
ついに、あのニタが自分勝手な感情をへし折る。
「……それが普通だ」
それに何の感慨も見せないまま、ルイルはチェリの方へと向き直る。要するに、ニタに背を向け、来た道を戻ろうとしていた。
ぼけっとその姿をチェリが見つめていたら。
ルイルが一度足を止め、視線を下ろした。彼女の手にあるウサギを確認し、その後で彼女の目へと視線を動かす。
「……帰るぞ」
彼らしい短い言葉が、チェリに言葉を伝えてくる。それに、彼女は必要以上に己の胸が高鳴るのを感じるのだ。
チェリには助けがあり、間違ったら意見を言う人がいて、そして──一緒に帰れる人がいるのだ、と。
「は、はい!」
彼女は、腕の中のウサギを抱えなおした。それは、一緒に帰る人がもたらしてくれた、森の実りだったのだ。
ウサギの肉が大好きな彼のために、今夜は特別おいしいご飯を作ろう。
チェリはそう心に決めながら、深紫のローブの男と共に、森を取って無骨な家へと帰ったのだった。
『終』




